2021/12/11 - 2021/12/11
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aliceさん
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姫路城・世界遺産登録記念日の12/11は毎年、周辺施設も含めた施設の入場料が無料になります。
以前は4/6が「しろの日」として無料開放日でしたが、2007年で終了となりました。
今年は土曜だったので、久しぶりに姫路観光してきました。
これで、この2年で国宝5城を制覇しました!
- 旅行の満足度
- 4.5
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備前丸から見た天守。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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5重6階天守台地下1階(計7階)の大天守と3重の小天守3基(東小天守・西小天守・乾小天守)、その各天守の間を2重の渡櫓で結んでいる「連立式天守」で、天守はすべて2重の入母屋造りの建物を基部とする望楼型です。
建設時期や構成からさらに後期望楼型に分類されることもあります。
壁面は全体が白漆喰総塗籠の大壁造で造られており、防火・耐火・鉄砲への防御に加え、美観を兼ね備える意図があったと考えられています。
大天守、東小天守、西小天守、乾小天守及びイ・ロ・ハ・ニの渡櫓4棟が1951年(昭和26年)国宝に指定されました。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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姫路城の天守は現存天守の中で最大の規模となっています。
天守の高さは31.5m、天守台石垣の高さは14.5m、天守の総重量はおよそ5700tです。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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近づくと石垣の高さに圧倒されます。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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備前門(重要文化財)と左に見えるのは折廻り櫓(重要文化財)
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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備前丸の入口にあるので備前門と通称されていますが、江戸時代の正式名称は東入口門。
築城当初、池田家が城主だった時代には備前丸に城主の居館(本丸御殿)があったことから、備前丸防備の要として機能した門です。
居館のなかでも御台所や御料理之間に近いという位置関係から勝手口的な役割を担っていたと推測されています。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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備前門越しの天守。
備前門脇の石垣には石棺が用いられています。
築城の際、石不足のため当時姫山にあった古墳の石棺を掘り起こして石垣に使用したと言われています。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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右手に石垣に沿って進んでいきます。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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帯の櫓(重要文化財)
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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帯の櫓から続く土塀。
右奥に見切れているのがりの門・太鼓櫓(重要文化財)姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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りの門(重要文化財)
姫路城内で唯一、池田輝政時代以前に建てられたことが判明しています。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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下山里曲輪にあるお菊井戸。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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この井戸は「播州皿屋敷」のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたといわれる井戸で、もとは釣瓶取(つるべとり)井戸と呼ばれていました。
実際にはお菊が投げ込まれた井戸は姫路城内ではなく、この話は史実ではないそう。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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下山里曲輪から見た天守。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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ズームで。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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土塀には丸や三角、四角といろいろな形の狭間があります。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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チの櫓・リの一渡櫓(ともに重要文化財)(写真上)
リの二渡櫓・ぬの門(ともに重要文化財)(写真下)姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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中では大名行列の衣装・道具が展示されています。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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大名行列の道具
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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大名行列の道具
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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大名行列の道具と衣装
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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リの二渡櫓1階には鯱が展示されています。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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通常、天守の屋根にある鯱瓦は雄と雌とで一対になっていますが、姫路城は二体とも雌の鯱となっており、これは全国的にも珍しいそう。
姫路城天守の鯱は平成時代のものが7代目になります。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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ぬの門越しの天守。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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ぬの門をくくっていきます。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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ぬの門(重要文化財)
脇戸付き二重の櫓門で、他の城郭では見られない貴重な門。
備前丸に入る関所のような重要なところで、黒塗鉄板で頑固な構えになっています。
石落としも設置してあります。
1層は鉄格子窓、2層は出格子窓を備え豪華さを演出しています。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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扇の勾配
高石垣の角のところを横から見ると、上にいくほど反り上がる曲線を描いて、扇を広げたときの曲線に似ていることから、こうした曲線をもつ勾配を「扇の勾配」と呼んでいます。
石垣が高くなるほど、内部から積石には大きな圧力がかかり、石垣を崩す原因になります。
その力に耐えられるように、裾部は傾斜を緩くしています。
上部は垂直に近い急傾斜なので、敵に石垣を登らせないようになっているといわれます。
また、石垣の角には、直方体の石を長短の辺が交互になるように積まれています。
直方体の石が算木に似ていることから算木積みといいます。
高石垣が築かれるようになる慶長期(16世紀末から17世紀初め)に完成した積み方です。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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備前丸の石垣高さは約17m。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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りノ櫓跡
明治15年(1882年)に火災で焼失。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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二の丸跡まで戻ってきました。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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いの門のほうへは進まず引き返します。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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るの門(穴門)
この門は正規の通路からはずれた位置の石垣に穴をこしらえ、その通路が目に付かないようにした一種の抜け道で、姫路城特有のものです。
他に、帯の櫓から帯郭櫓に通ずるところにも穴門があります。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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敵に発見されたときは石を崩して埋めてしまいます。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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身を低くしないと通れない高さ。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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この門は天守への近道となる門で、わざと見えにくい位置にあります。
敵の進入時にはこの門を使って横槍を入れることが想定されていたそう。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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三国堀
名前の由来は、江戸時代に姫路城を築いた池田輝政が播磨、淡路、備前の三ヵ国から人夫を集めて築いたことによるそう。
なお、三国堀はちょうど姫山(本丸)と鷺山(西の丸)の谷部にあたり、この堀の前身となる空堀ができたのは羽柴秀吉の時代にさかのぼるといわれています。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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その谷部を利用した堀であった頃の様子がわかる石垣。
北側にあたる部分に、ちょうどV字型に石垣があらたに築かれているのがはっきりと残っています。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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三国堀越しの天守。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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天守を美しく撮ることができる撮影スポットの一つですね。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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菱の門の西側にある坂を上って西の丸へ向かいます。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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西の丸
この曲輪は、姫路城主本多忠正が大坂夏の陣の後のあと、将軍徳川秀忠の長女千姫をめとった息子忠刻のために、元和4年(1618)に御殿を建てたところで、「中書丸」ともいわれていました。
中書とは、忠刻の官職 中務大輔の唐名です。
御殿を囲むように築かれた長屋は通称「百間廊下」ともいい。約300mの長さになります。
そのうち、ヨの渡櫓から北の部分が長局です。
小さな部屋が廊下に面して並んでいて、西の丸の御殿で働く女中が住んでいたとみられます。
長局の北端に化粧櫓があります。
大きく解放された窓や床の間、畳敷きなど、ほかの武骨な櫓に比べると、人が居住できる拵えになっています。
千姫が男山にある天神社を拝むため西の丸に来た際に、身づくろいをしたり、休息した場所と言われています。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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西の丸庭園から見た天守。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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こちらも撮影スポットの一つですね。
美しい。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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西の丸南東に位置するカの櫓(重要文化財)
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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南西に位置するワの櫓(重要文化財)
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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ワの櫓手前のレの渡櫓から入って百間廊下を見学します。
ワの櫓は非公開。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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石段を上がります。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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レの渡櫓(重要文化財)
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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城外側の格子窓からはお堀の向こうに好古園が見えます。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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ワの櫓を振り返ったところ。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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城外側に通路があり、場内側のスペースは倉庫として利用されていたようです。
現在は展示品が並んでいます。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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展示品の数々。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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歴代城主。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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むき出しの梁。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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城外側には狭間がいくつも設けられています。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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西の丸側への出入り口。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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埋門になっているので、有事の際には埋めて敵の侵入を阻止します。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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レの渡櫓の北の端まで来ました。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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城外側には蓋付きの石落としが設けられています。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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階段を上がって2階へ。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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レの渡櫓2階。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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レの渡櫓2階から見た天守。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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ここから先へは2階部分から廊下が続いています。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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新しい造りの廊下が続きますが、大正7年(1918年)にこの辺りにあった隅櫓と石垣が崩壊し、渡櫓も復旧が困難で、解体してしまったため、仮設廊下となっています。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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陽の光が差し込んで気持ちがいい。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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ヲの櫓(重要文化財)
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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階段を上ります。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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ヲの櫓2階
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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蓋付きの狭間。
雨水が屋内に入り込まないように平時は蓋が閉められています。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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手で蓋を押して覗いてみました。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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ヲの櫓2階から見た天守。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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廊下の大戸
この廊下の大戸は、建物内の扉とは思えない頑丈な造りです。
この扉の内側は女性が居住していた場所であったため、毎夜閉ざして厳しい守りとしていたと考えられます。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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タの渡櫓(重要文化財)
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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こちらから先が、女中が住んでいた長局になります。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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タの渡櫓から見た天守。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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長い廊下の脇に…
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大きさの異なる部屋がいくつも並んでいます。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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ルの櫓(重要文化財)
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ヨの渡櫓(重要文化財)
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ヨの渡櫓から見た百間廊下。
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廊下にはいくつかの扉が設けられています。
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ヌの櫓(重要文化財)
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カの渡櫓(重要文化財)
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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このあたりは長屋の部分がちょうど南に面しているので、光が差し込んでとても明るいです。
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カの渡櫓の突き当りまで来ました。
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カの渡櫓から見た天守。
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この扉の先が化粧櫓。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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化粧櫓(重要文化財)
この化粧櫓は、徳川秀忠と江(崇源院)の長女として生まれた千姫のためにつくられたものです。
千姫は一度は豊臣秀頼に嫁ぐのですが、大阪夏の陣で秀頼と死別したあとは、本多忠刻と再婚して姫路城で約10年間過ごしました。
当時は「播磨姫君」と呼ばれていたそうです。
その千姫がこの櫓を休息所としたので、この櫓を化粧の間、または化粧櫓と呼んでいました。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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着物の柄が展示してあります。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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長局が明るかったのに対し、化粧櫓は明り取りの窓はあるものの薄暗く感じました。
南側のふすまと東側の障子を開けるともっと明るくなるのかな。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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カの渡櫓から外へ出ます。
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西の丸から見た百間廊下。
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化粧櫓
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西の丸から見た天守。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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西の丸を北側へ抜けて、将軍坂から。
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いいお天気になってよかった。
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二の丸跡からの天守。
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菱の門の改修も来年には終わっているかしら?
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坂を下って…
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入口まで戻ってきました。
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お殿様とお姫様の顔出しパネルと一緒に。
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大手門へは戻らず、東へ進みます。
まだ紅葉が残っているところも。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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下山里曲輪へ来ました。
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こちらでは官兵衛普請の石垣が見られます。
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上山里下段の石垣は天正8年(1580)羽柴秀吉の姫路城改築により積まれたと推定されるI期の古式な石垣です。
信長の安土城とほぼ同時期のもので、ほとんど加工しない凝灰岩やチャートなどの石材を使用した野面積と呼ばれる積み方です。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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石垣に沿って、お城の東側へ抜けていきます。
左手前が太鼓櫓(重要文化財)、右奥が帯郭櫓(重要文化財)
こちらの石垣は、太鼓櫓手前が桃山時代のもの、中央の太鼓櫓部分が池田輝政時代のもの、右奥が明治以降に修理されたものと、3つの時代のものが並んで見られます。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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太鼓櫓
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帯郭櫓
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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太鼓櫓と帯郭櫓越しの天守
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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東側から見た天守。
右側に見える帯の櫓東面の石垣は、高さが23.32mと姫路城で最も高い石垣です。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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喜斎門跡を通り抜けます。
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お堀の外から見た喜斎門跡。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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公徳碑と天守。
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青空と天守。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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お堀沿いを歩きます。
その③へ続く……姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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