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千束八幡神社は洗足池八幡宮とも呼ばれています。<br />洗足池の辺りに鎮座する八幡さま「千束八幡神社」は源義家がここで戦勝祈願を行ったと伝えられ、このことに因み「旗挙げ八幡」とも呼ばれています。<br />千束八幡神社は、貞観2年(860)に創建、「宇治川先陣物語」に登場する池月発祥伝説の由来ともなった社で由緒ある神社なのです。<br />

千束八幡神社

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2022/01/27 - 2022/01/27

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旅行記グループ 洗足池

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アルプ・グリュム

アルプ・グリュムさん

千束八幡神社は洗足池八幡宮とも呼ばれています。
洗足池の辺りに鎮座する八幡さま「千束八幡神社」は源義家がここで戦勝祈願を行ったと伝えられ、このことに因み「旗挙げ八幡」とも呼ばれています。
千束八幡神社は、貞観2年(860)に創建、「宇治川先陣物語」に登場する池月発祥伝説の由来ともなった社で由緒ある神社なのです。

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  • 洗足池を歩いて行くと歩いて行くと名馬池月之像が見えて来ます。

    洗足池を歩いて行くと歩いて行くと名馬池月之像が見えて来ます。

    名馬池月の像 名所・史跡

  • 名馬池月の由来<br />治承4年(1180)源 頼朝が石橋山の合戦に敗れて後、再起して鎌倉へ向かう途中ここ千束郷の大池(今の洗足池)の近く八幡丸の丘に宿営して近隣の味方の参加を待った。<br />或る月明の夜に何処からか一頭の駿馬が陣営に現われ、そのいななく声は天地を震わすほどであった。家来達がこれを捕えて頼朝に献上した。馬体はたくましくその青毛は、さながら池に映る月光の輝くように美しかった。これを池月と命名し頼朝の乗馬とした。<br />寿永3年(1184)有名な宇治川の合戦に拝領の名馬池月に佐々木四郎高綱が乗り、磨墨に乗った梶原源太景季と先陣を競い、遂に池月が一番乗りの栄誉に輝いた。と、史書に伝えられている。<br />ここに名馬池月の銅像を造り、この名馬池月発生の伝承を永く後世に伝えようとするものである。<br /><br />平成9年10月吉日

    名馬池月の由来
    治承4年(1180)源 頼朝が石橋山の合戦に敗れて後、再起して鎌倉へ向かう途中ここ千束郷の大池(今の洗足池)の近く八幡丸の丘に宿営して近隣の味方の参加を待った。
    或る月明の夜に何処からか一頭の駿馬が陣営に現われ、そのいななく声は天地を震わすほどであった。家来達がこれを捕えて頼朝に献上した。馬体はたくましくその青毛は、さながら池に映る月光の輝くように美しかった。これを池月と命名し頼朝の乗馬とした。
    寿永3年(1184)有名な宇治川の合戦に拝領の名馬池月に佐々木四郎高綱が乗り、磨墨に乗った梶原源太景季と先陣を競い、遂に池月が一番乗りの栄誉に輝いた。と、史書に伝えられている。
    ここに名馬池月の銅像を造り、この名馬池月発生の伝承を永く後世に伝えようとするものである。

    平成9年10月吉日

  • 神社特有の拝殿、本殿の階段を上ります。

    神社特有の拝殿、本殿の階段を上ります。

    千束八幡神社 寺・神社・教会

  • 手水舎はコロナ対策で柄杓は撤去されています。<br />奥には境内舎が見えます。

    手水舎はコロナ対策で柄杓は撤去されています。
    奥には境内舎が見えます。

  • 神楽殿でしょうか?

    神楽殿でしょうか?

  • 拝殿へ階段を上ります。

    拝殿へ階段を上ります。

  • 名馬池月

    名馬池月

  • 折角由緒等が記されているのですが残念ながら擦れて判読できません。

    折角由緒等が記されているのですが残念ながら擦れて判読できません。

  • 社務所もコロナ対策で閉じられています。

    社務所もコロナ対策で閉じられています。

  • 神楽殿は催しがある時以外は扉は閉められています。

    神楽殿は催しがある時以外は扉は閉められています。

  • 私はこの彫刻に感激します。

    私はこの彫刻に感激します。

  • 現在では宮大工の彫刻士もいませんから!

    現在では宮大工の彫刻士もいませんから!

  • 素晴らしい彫刻を横から

    素晴らしい彫刻を横から

  • 鳥居の先に池月橋橋

    鳥居の先に池月橋橋

  • その時その時の神事<br />初宮参り、七五三、成人式、結婚式、厄除け、他に家内安全、安産祈願等が記されいます。

    その時その時の神事
    初宮参り、七五三、成人式、結婚式、厄除け、他に家内安全、安産祈願等が記されいます。

  • 御由緒<br /><br />御祭神 品陀和気之命(應神天皇)<br />當社は千束八幡神社と稱し 平安前期の貞観二年豊前國宇佐八幡を勧請し 往時の千束郷の總鎮守としてこの巒上に創建せされ 今日に至る<br />遠く千百余年の昔より この地の氏神として尊祟せられ 普く神徳を授けてこらる<br />承平五年 平将門の乱が起る 朝廷より鎮守副将軍として藤原忠方が派遣せられたり 乱後忠方は池畔に館を構え 八幡宮を吾が氏神として篤く祀りき 館が池の上手に当るに依りて池上氏を呼稱 この九代目の子孫が日蓮を身延から招請す 之池上康光なり<br />又八幡太郎義家奥羽征討の砌 この池にて禊を修し 社前に額つき戰勝祈願をなし出陣せりと伝えらる 源?朝も亦鎌倉に上る途次 この池を過ぐるに八幡宮なるを知り 大いに喜び此処に征平の旗幟を建つる哉 近郷より将兵集まりて 鎌倉に入ることを得 旗挙げ八幡の稱あり 名馬池月を得たるも此処に宿営の折なりとの傳承あり<br />尚境内に武藏國随一と云われし大松ありしが 大正十三年惜しくも枯衰し今はその雄姿を見るすべもなし<br />古歌に「日が暮れて足もと暗き帰るさに空に映れる千束の松」と詠まれて居り 老松の偉容が想像されよう<br />斯の如 當八幡神社は城南屈指の古社にして亦名社なり<br /><br />宮司 恵良彰紀識

    御由緒

    御祭神 品陀和気之命(應神天皇)
    當社は千束八幡神社と稱し 平安前期の貞観二年豊前國宇佐八幡を勧請し 往時の千束郷の總鎮守としてこの巒上に創建せされ 今日に至る
    遠く千百余年の昔より この地の氏神として尊祟せられ 普く神徳を授けてこらる
    承平五年 平将門の乱が起る 朝廷より鎮守副将軍として藤原忠方が派遣せられたり 乱後忠方は池畔に館を構え 八幡宮を吾が氏神として篤く祀りき 館が池の上手に当るに依りて池上氏を呼稱 この九代目の子孫が日蓮を身延から招請す 之池上康光なり
    又八幡太郎義家奥羽征討の砌 この池にて禊を修し 社前に額つき戰勝祈願をなし出陣せりと伝えらる 源?朝も亦鎌倉に上る途次 この池を過ぐるに八幡宮なるを知り 大いに喜び此処に征平の旗幟を建つる哉 近郷より将兵集まりて 鎌倉に入ることを得 旗挙げ八幡の稱あり 名馬池月を得たるも此処に宿営の折なりとの傳承あり
    尚境内に武藏國随一と云われし大松ありしが 大正十三年惜しくも枯衰し今はその雄姿を見るすべもなし
    古歌に「日が暮れて足もと暗き帰るさに空に映れる千束の松」と詠まれて居り 老松の偉容が想像されよう
    斯の如 當八幡神社は城南屈指の古社にして亦名社なり

    宮司 恵良彰紀識

  • 池月(いけづき)発祥伝説の由来<br /><br />池月とは、「宇治川先陣物語」にある名馬の名である。<br />治永四年八月(一一八〇)?朝、相州石橋山の合戦に敗れて安房に逃れこの地の豪族、千葉常胤(つねたね)、上総介広常(かずさのすけひろつね)、等の参向を得参挙して鎌倉に向ふの途次こゝ千束郷の大池に宿営し八幡丸の丘を本陣として近隣諸豪の参陣を待つ、折からの皓月(こうげつ)池水に映るを賞でつる折ふし何處方よりか一頭の野馬、?朝の陣所に向かって飛来り嘶(いなな)く声、天地をふるはすばかりであった。<br />郎党之を捕へて?朝に献ずるに馬体あくまで逞(たくま)しく青き毛並に白き斑点を浮べ恰も池に映る月影の如くであつた為之を池月と命名して自らの料馬とする。<br />?朝先に磨墨(するすみ)を得、今またこゝに池月を得たるは之れ征平の軍すでに成るの吉兆として勇気百倍し来れりと云ふ。士卒之を伝えて征旗を高く掲げ歎声やまざりしとか。<br />当八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と稱するはこの故事による。寿永三年春(一一八四)?朝木曽義仲を京師に攻む。義仲宇治、勢田の両橋を徹し河中に乱杭逆茂木を設けて寄手の渡を阻まんとす、この時鎌倉出陣に際し各々?朝に乞ふて賜りたる名馬二頭の中、梶原景季(かげすえ)は磨墨に、佐々木高綱は池月に打ちまたがり共に先陣を争った。史書に云ふ宇治川先陣争いである。<br />池月一代の晴れの場所でこの一番乗りの功名が今に至るまで名馬の誉れを伝へてゐる。<br />この池月の誕生地が当八幡であって即ち池月発祥伝説の起こりである。<br />古くより里人の間に語り継がれ大井町線の駅名に(今の北千束駅)、また町会名にもなってゐたが、今はない。<br />遠き治承の昔より光芒すでに八百秋、時代の変遷と共にこの伝説の忘失を惜しみ誌して後世に伝へんとする。<br />なほ磨墨を葬せし磨墨塚は南馬込に現存する。<br />氏子青年有志による池月太鼓は即ちこの伝説を太鼓に托したものであり毎年九月の祭日に奉納されてゐる。<br />池月(いけづき)の<br />蹄(ひづめ)の音(おと)か<br />揆(ばち)の冴(さ)え<br /><br />平成四年三月

    池月(いけづき)発祥伝説の由来

    池月とは、「宇治川先陣物語」にある名馬の名である。
    治永四年八月(一一八〇)?朝、相州石橋山の合戦に敗れて安房に逃れこの地の豪族、千葉常胤(つねたね)、上総介広常(かずさのすけひろつね)、等の参向を得参挙して鎌倉に向ふの途次こゝ千束郷の大池に宿営し八幡丸の丘を本陣として近隣諸豪の参陣を待つ、折からの皓月(こうげつ)池水に映るを賞でつる折ふし何處方よりか一頭の野馬、?朝の陣所に向かって飛来り嘶(いなな)く声、天地をふるはすばかりであった。
    郎党之を捕へて?朝に献ずるに馬体あくまで逞(たくま)しく青き毛並に白き斑点を浮べ恰も池に映る月影の如くであつた為之を池月と命名して自らの料馬とする。
    ?朝先に磨墨(するすみ)を得、今またこゝに池月を得たるは之れ征平の軍すでに成るの吉兆として勇気百倍し来れりと云ふ。士卒之を伝えて征旗を高く掲げ歎声やまざりしとか。
    当八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と稱するはこの故事による。寿永三年春(一一八四)?朝木曽義仲を京師に攻む。義仲宇治、勢田の両橋を徹し河中に乱杭逆茂木を設けて寄手の渡を阻まんとす、この時鎌倉出陣に際し各々?朝に乞ふて賜りたる名馬二頭の中、梶原景季(かげすえ)は磨墨に、佐々木高綱は池月に打ちまたがり共に先陣を争った。史書に云ふ宇治川先陣争いである。
    池月一代の晴れの場所でこの一番乗りの功名が今に至るまで名馬の誉れを伝へてゐる。
    この池月の誕生地が当八幡であって即ち池月発祥伝説の起こりである。
    古くより里人の間に語り継がれ大井町線の駅名に(今の北千束駅)、また町会名にもなってゐたが、今はない。
    遠き治承の昔より光芒すでに八百秋、時代の変遷と共にこの伝説の忘失を惜しみ誌して後世に伝へんとする。
    なほ磨墨を葬せし磨墨塚は南馬込に現存する。
    氏子青年有志による池月太鼓は即ちこの伝説を太鼓に托したものであり毎年九月の祭日に奉納されてゐる。
    池月(いけづき)の
    蹄(ひづめ)の音(おと)か
    揆(ばち)の冴(さ)え

    平成四年三月

  • 付近にあった碑<br />ひらがなだらけの碑ですが達筆すぎて解読できません。

    付近にあった碑
    ひらがなだらけの碑ですが達筆すぎて解読できません。

  • こちらは漢字だけの碑ですが説明板を設置してもらいたい。

    こちらは漢字だけの碑ですが説明板を設置してもらいたい。

  • 三連の太鼓橋

    三連の太鼓橋

  • 洗足池には弁天島と称する島がある弁財天社があるので寄ってみます。

    洗足池には弁天島と称する島がある弁財天社があるので寄ってみます。

  • 先ずは弁天橋を渡ります。

    先ずは弁天橋を渡ります。

  • 木立に覆われた弁天島は鳥たちの楽園となっています。

    木立に覆われた弁天島は鳥たちの楽園となっています。

  • 木立の間から見えてきたのが弁財天社です。

    木立の間から見えてきたのが弁財天社です。

    洗足池弁財天 寺・神社・教会

  • 拝殿だけの社です。

    拝殿だけの社です。

  • 洗足池弁財天(厳島神社)の御由緒<br />創建の年代は、不詳なれど、古来より洗足池の守護神として池の北端の小島に祀られていたが、長い年月の池中に没してしまっていた。その昭和の初め頃より幾多の人々の夢枕に辯財天が出現せられ、このことが契機となって御社殿建立の話が具体化し、多くの人々の尽力によって、昭和九年七月洗足風致協会の手により築島遷宮の運びとなり、以来今日に至る間、多くの参拝者に、右御神徳を授けられている。

    洗足池弁財天(厳島神社)の御由緒
    創建の年代は、不詳なれど、古来より洗足池の守護神として池の北端の小島に祀られていたが、長い年月の池中に没してしまっていた。その昭和の初め頃より幾多の人々の夢枕に辯財天が出現せられ、このことが契機となって御社殿建立の話が具体化し、多くの人々の尽力によって、昭和九年七月洗足風致協会の手により築島遷宮の運びとなり、以来今日に至る間、多くの参拝者に、右御神徳を授けられている。

  • 一つの鳥居と弁財天社は朱色に塗られ一際目立っていました。

    一つの鳥居と弁財天社は朱色に塗られ一際目立っていました。

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