2022/05/01 - 2022/05/02
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MIRUKOさん
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GW、まだ海外は厳しそうなので、まだ、行ったことのない、茨城旅をチョイス。気になっていた五浦観光ホテルの温泉を軸に、帰り水戸駅途中下車で、偕楽園と弘道館を観光。電車、バスで回れるし、遠くないし、おすすめです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 徒歩
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上野から勿来まで、2時間弱。特急揺れるので、仕事には不向き。勿来駅、なこそ、と読みます。むずかしい漢字。
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宿は、五浦観光ホテル。サイトには書いてなかったですが、宿の車で送迎してもらえました。
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海側の部屋。広めです。
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部屋の下は、海。
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本日は、雨、波がざっぷん、ざっぷん。
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楽しみの温泉。
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パンフレットより。ちょっと黄緑がかった温泉。源泉掛け流し、加温加水なし、循環なし。最高です。内湯の方が濃いように思う。
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男女、朝入れ替えです。夕、夜、朝、3回行きました。
良いお湯で、深くぐっすり眠れました。 -
16:30から17:30まで、ロビーのカフェで、お抹茶無料サービス。風呂上がりに。
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本格的なお抹茶と、茶菓子。おいしい。
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夕食は、前菜、サラダありました。次に、お造り、地の物。line友達で、生ビール無料に。
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カサゴの煮付け。一人、一匹。おいしい。
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炊き合わせ。
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別注文した、目光の唐揚げ。
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常陸牛、おいしい!
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穴子の天ぷら
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炊き込みご飯。季のもの。味付けがおいしい。
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海老汁。
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デザート。洋梨のムースがおいしい。ここのお宿は、従業員、仲居さんは、ほぼ日本人でした。最近いく地方の宿は、技能実習生が多かったのですが、ここの宿は違いました。日本人の仲居さんたち、すごい気が利きますし、テキパキ仕事するし、親切だし、すごいなあと思いました。従業員さんのサービス、印象も、良い宿だと思う一つです。
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夜用に地酒を売店で購入。将軍ではなく、なぜか副将軍。純米ですが辛口めでした。
副将軍とは、徳川光圀、水戸黄門のことだという。副将軍として江戸城で政務に励んでいたと言う。 -
良い温泉で、シーツと布団カバーもぴしっとのりがきいていてよかったです。そうそうないくらい、深く眠れました。
朝は晴れ。 -
朝食。
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しじみの味噌汁おいしい。
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宿の近くに六角堂を見に来ました。入場料、現金必要です。
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岡倉天心の偉業の説明のお部屋がありました。明治時代に、アメリカ、インド、中国あちこち行って、この時代にインドのアジャンターの石窟寺院を見たり、成都あたりにまでいったり、すごいなあと思いました。ボストン美術館でも仕事して。六角堂見に来ただけなのに、勉強になりました。五浦観光ホテルに来たら、徒歩すぐなので、必見です。
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六角堂に向かう道。
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天心邸。
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敷地内の像。
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ラングドンウォーナーさん。天心の教えを受け、戦争時に、アメリカ政府に京都などの文化財を燃やさないよう、リストを作り働きかけたんだと。あ~、そう言う人がいたんだなと、六角堂を見に軽い気持ちできただけなのに勉強になる。外国との交流の重要性、意義を感じさせるエピソード。
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六角堂。今は入れません。東日本大震災で流されて、再建。
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六角堂から見る五浦観光ホテル。
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六角堂からみる正面の海。
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六角堂の横の海。風光明媚です。良い絵が描ける、インスピレーションも降りると思います。
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10:10宿の車で勿来駅へ。勿来駅のホームより。空気がおいしいです。
勿来駅は、福島県でした。五浦観光ホテルは、北茨城市。 -
特急で1時間弱で水戸駅到着。水戸観光を。水戸駅からバスで日本三大庭園の一つ偕楽園へ。
偕楽園は、弘道館で一対で、弘道館で文武を鍛え、偕楽園で皆休む。九代目徳川斉昭が創設。偕楽園には、庶民も入れたとのこと。この頃は、水戸の黄金時代なのかな。水戸藩二代目が、水戸黄門だったことも含め、勉強になる。 -
偕楽園広大。
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本当は、梅の季節が楽しめるのでしょうが、GWでも楽しめました。ビックツツジ。
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偕楽園内の好文邸。
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どの襖絵も、素晴らしく。
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襖絵、全部違います。
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好文邸内のカフェで一服。
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お抹茶とぜんざい。
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コーヒー、おいしい。
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好文邸、3階からの眺め。庶民も入れた部屋があったようです。選ばれた庶民かもしれないですが。
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大理石の真ん中から、偕楽園内の水が集まって出るという。
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大杉。樹齢800年の大木。
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竹林が、凄いです。行きは常盤神社前でバス降りて、帰りは表門から出て、バスで水戸駅に戻り、駅ビルで遅めのランチ。
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水戸駅から徒歩で弘道館へ。近いです。
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弘道館、正門。幾度の戦火を免れて残るといい、正門の柱には、弾痕が肉眼で確認できる。
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正門横から入る。
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まずは、尊攘の掛け軸。水戸っぽい。
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建物内の通路。
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至善堂、御座の間の説明。説明書き一つ一つが、読み応えがある。
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日本遺産第一号。武士のみならず、多くの庶民も読み書きができたのだという。
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当時の日本を訪れた外国人もそう言う。Pcのため、今の日本人の方が文字書けないかも。
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大日本史。水戸黄門が編纂に着手し、完成までに約250年かけて作った大日本史。平安中期から江戸にかけての歴史書だという。全国の藩校で使われたと言うが、戦後、どうなったのだろうか。
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水戸黄門が、何で大日本史を作ったのだろうかとググっていたら、Web歴史街道、徳川光圀は、なぜ、大日本史を編纂したのかという記事を見つける。童門冬ニ作家の記事で、光圀の出生、生い立ち、少年期、更生、史記への感銘、大日本史の編纂、どういう政治、統治を目指したのかが書いてあり、興味深かった。徳のある藩主だったのだと思う。
大日本史以外に、江戸時代の和算の本があったが、高度な内容で、当時の日本で、そんなに算術が進んでいたんだと驚いた。 -
吉田松陰の自筆漢詩、惜別の詩の書の展示があり、説明書のプリント配布があった。
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その訳文。水戸の地に立ち寄り、永井芳之介と半年、共に学び、東北に向かう際の惜別の詩。
その後の時代は、郵便、電話、メール、zoomと通信の発達により、じゃあね、バイバイで、次に会えるか会えないかなんて心配しないけど、この当時は、なかなか他所の土地の人に次にいつ会えるか、もう会えないかもしれないという思いが根底にあり、別れに当たり、ここまで、中身のあることを、踏み込んで書くのだなあと、関心する。いまの日本人には、もうこのような惜別の詩、書けないのではないかと思う。 -
弘道館、正庁、至善堂を外から。幾度の戦火を免れたという。
当時の日本最大の総合大学。1841に仮開館、1857年に本開館。藩士とその師弟が学び、15歳が入学年齢で卒業は無し。武士である以上、終生、文武極めろということ。
幕末の動乱を経て、1872年閉鎖。わずか、20、30年でした。もったいない。
なんだか、水戸といえば、偕楽園、弘道館と、軽い気持ちで立ち寄ったけど、深いいいヒストリーがあり、とても歴史の勉強になる有意義な1日になった。
水戸駅から東京駅まで、特急で爆睡して帰りました。一泊2日の旅でしたが、意外と茨城は行ったことがなく、良い旅になりました。読んで頂き、有難うございました。
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