2022/04/03 - 2022/04/04
11位(同エリア31件中)
ハイペリオンさん
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始めにお断りしておきますが、旅行期間に4月3日と
あるのは嘘で、実際には3月20日と21日に旅行したも
のです。4トラポイントが欲しいので、今月の旅行と
させていただいております。
さて、今回の行き先は南房総。
3か所ほど奇妙なスポットを巡って、御宿に宿泊する
という計画。
別に日帰りでも行けるのだが、前回銚子に行ってでき
なかったことをやっておきたいので、宿泊することに
した。
本来なら、館山とか白浜などの房総半島の突端に泊ま
りたかったのだが、連休中ということで、まったくと
れなかった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
-
6時過ぎに自宅を出て、千葉駅に着いたのが
8時15分ごろ。たっぷり2時間かかった。
ここから内房線に乗り換える。 -
終点の木更津で2両編成の上総一ノ宮行き
に乗り換え、佐貫町駅で下車。
無人駅だったら、パスモ通すのやめとこか
と思っていたが、しっかり駅員はいた。
これから、山の上に立つ巨大な観音像、
東京湾観音まで行く。google老師で確認
した限りでは1時間はかからないと思わ
れる。 -
駅を出てすぐのところに中々香ばしい物件が。
つぶれたパチンコ屋だった。 -
内房線に沿って通っている国道465号線を
君津方面に戻ること約20分。
東京湾観音への参道の目印があった。 -
ここからはダラダラの上り道が続いた。
-
20分ほど歩くと東京湾が見渡せるところ
まで来た。 -
一番高いところまで来ると、東京湾観音が
見えてきた。 -
東京湾観音は1961年に世界平和祈念と戦没
者慰霊のため宇佐美政衛という人物により建
てられた。いや、立てたのは作業員だが。
デザインは仏像彫刻家の長谷川昂によるもの。
拝観料500円を出すのが嫌だったので、外観
だけ撮って駅へ戻ることにした。
しかし、観音様の胎内の展示物もなかなかに
B級的であるらしいことを後で知った。残念。 -
観音様の写真を撮ったあと、お急ぎで駅に戻
り、すぐにやって来た電車に乗り、次の上総
湊駅で降りた。 -
何もないのどかな村の中を歩く。
日が昇ってくるとさすがに暑く感じる。 -
路地の真ん中でねこが寝ているような村
である。 -
相撲部屋のような美容院。
-
村の中にあった、見ざる言わざる聞かざ
るの3体の猿と思ったら、言わざるが2
つある。 -
村の路地から県道93号線にでて、少し歩
くと、お堂が見えた。
駅から約20分くらい。近いので助かった。
ここからでも行けるが、ちゃんとした(?)
入り口があるかもしれないので、もう少し
先へ行く。 -
少し先に一応、看板のある入り口があった。
ここは岩谷(いわや)観音堂やぐら群である。
「やぐら」とは、鎌倉時代の横穴式のお墓の
ことだが、ここには、そのほかにもっと古い
時代の磨崖仏、つまり、岩に彫られた仏像が
あるのだ。 -
階段を上りきったところに、いくつかの観
音像や地蔵が置かれていた。
これはかなり新しいものだろう。 -
さっき下から見上げた観音堂。
-
お堂の裏にはこのように穴がいくつも作ら
れており、人間工学を一切気に留めていな
い急階段で結ばれている。
手すりをしっかり握っていないとちょっと
怖いくらいの階段だ。 -
そして、狭い穴の中にはこのように大量の
観音像が彫られているのだ。 -
ひとつひとつは風化したのか、もともとこん
な感じなのか、顔の表情はなく、全体的に至
ってシンプル。 -
磨崖仏群は8世紀(奈良時代)の仏僧、行基
(ぎょうき)によるものとされている。
一夜で完成させたことになっているが、これ
は怪しい。 -
行基は近畿地方を中心に活動していた僧で、
千葉のこんなところまで来たとはちょっと考
えられない。 -
彼の実績は近畿地方には限りなくあり、
49の寺院を建立し、数々の治水事業も行っ
ている。
奈良の大仏造営の実質的な責任者でもある。 -
行基は何百人もの信徒や弟子を擁する宗
教集団を形成しており、弟子や信徒たち
が、全国に散らばり、宗教活動を行って
いた。 -
全国にある行基伝説はほとんどが、信徒や
弟子によるものではないのか。
この磨崖仏群も彼らの手によるものではな
いかと思う。 -
そそくさと見物を切り上げ、駅へ戻った。
なんせ、電車が1時間に1本程度なので、
ひとつ乗り遅れると、計画が大きく狂う
のだ。
やって来た電車は2両編成。
車内は行楽客で一杯。ぼくが立っている
すぐ近くで、中国人家族の女の子がぐず
り出した。かんべんしてくれよ。
それを座っている中年女がもの凄く冷た
い目で見ていた。
浜金谷という駅で大半の行楽客が降り、
座ることができた。 -
館山からぐるっと回って、九十九里方
面へ向かう外房線に入ってすぐの和田
浦で降りた。
ここの漁港では捕鯨が行なわれている
のだ。 -
そんなわけで、クジラ料理を出す店が
何軒かある。
そのひとつ、駅から和田浦港へ行く道
の途中にある「ぴーまん」。
小さな店の中は満員。店員さんが、電
話番号を教えてくれたら連絡するから
と言ってくれたので、番号を伝えて港
へ向かった。 -
太ったねこがどこからかくすねてきた魚を
食べていた。 -
漁村育ちだからかよう肥えとる。
敷物やないか。 -
海に面した高台に竜宮社という社があった。
-
鐘と祠だけの簡素な社だった。
-
すぐ近くで老婆が秋田犬の冬毛をブラシ
で梳いてあげていた。犬も気持ちよさそ
うだ。
日本犬は毛の生え変わりの時期が大変な
んだよな。 -
民家の間から港が見えた。
-
坂を降りると港に出た。
人口の少ない街の漁港だから、規模
は小さい。 -
遠洋に出ていくような船ではなく、
近海での漁を専門にしているようだ。 -
何かくすねられるものはないかと狙っ
ているカモメ。 -
上空にも鳥が舞っていた。
ひゅるるるるると鳴いていたから、トン
ビのようだ。 -
-
ここの捕鯨は400年ほど前から行われていた。
獲るのはツチクジラというイルカに似た
種類である。
「土鯨」ではなく「槌鯨」と書く。
クジラが獲れた朝は、解体の現場を見る
こともできるらしい。 -
防波堤で釣りをする人たち。
手前にはフェンスがあって、ここから先
は行ってはいけないことになっているの
だが、数人が釣りをしていた。
よく夕方のワイドショーで「無法地帯ニ
ッポン」とかのタイトルで見る光景である。
フリーのアナウンサーや記者みたいな人
が釣りを終えて帰る人を捕まえて、「こ
こから先、立ち入り禁止ですよね!」と
問い詰めたりするやつである。 -
ちょっと石段に腰かけて馬券を買ってお
くか。
こんなところでも馬券を買えるようにな
ったんだから、ネットって便利なもんだ
よな。
中山のスプリングステークスはまったく
思いつかないので、阪神の阪神大賞典だ
け買うことにする。
ダントツ人気は昨年の勝ち馬、ディープ
ボンドだが、多分これは2着ではないか。
で、ディープボンドを2着固定し、1着
にシルヴァーソニック、アイアンバロー
ズなど、東京の出世レースを勝った馬や
トーセンカンビーナ、アドマイヤアルバ
を勝った。
結果、ディープボンド1着、アイアンバ
ローズ2着。くーっ(泣)。悔しい悔し
い裏表・・・。 -
馬券を買ってすぐに店から「テーブルが
空きました」と電話がかかってきた。
小さな店の中はほぼ満席。外にはまだ待
っている客がいたのだが、ぼく一人のた
めだけに4席テーブルが用意されていた。 -
クジラの刺身を肴にビールを飲みたかっ
たが、長居ができる雰囲気ではなかった
ので、「くじら御膳」の「黒滝」という
のにした。2200円とちょっと高い。
カツと刺身はミンククジラ、竜田揚げは
地元のツチクジラが使われている。
どれも柔らかく、鯨肉特有の臭いもなか
った。
子どもの頃食べた鯨肉は、スジが多く、
ガムのように噛み続けてなんとか飲み込
んだ記憶があるが、ここのは普通の肉の
ように柔らかかった。 -
くじら料理を堪能して、和田浦の少し先に
ある道の駅へ向かった。
脇にシロナガスクジラの骨格標本が置かれ
ていた。でかいなあ。 -
こちら、道の駅「みなみや」。
-
結局ここでもくじら関係を買った。
くぞらの大和煮、くじらジャーキー、くじ
らの炭火焼。 -
買い物を終えて電車に乗り、2駅先の太海へ。
駅を出て、海沿いの道路を和田浦方面へ戻
る形で、20分以上歩いた。 -
ここが最後のスポット、西院の河原。
崖を削ったような場所に建てられている。 -
内部には中小の水子地蔵が一杯である。
-
幼くして亡くなった子供を供養するためにぬい
ぐるみも供えられていた。 -
みやげ物屋で売っていそうな地蔵さんも供
えられていた。 -
堂守としておばあちゃんが一人いて、お茶
とお菓子を出してくれた。
奥に生活感丸出しの炊事場があり、まるで
ここで生活しているかのようだ。 -
京都にも同名の賽の河原があるが、こちら
のは意に反してというわけでもないが、あ
まり悲劇性を感じない。
すぐ前が、明るい陽光に照らされた海だか
らだろうか。 -
ここは、大正時代にできた。
この前で、赤ん坊のように泣く地蔵が倒れ
ていたのが由来だそうだ。
おそらく、最初は崖を少しくり抜いたとこ
ろに水子地蔵が大量に置かれていた状態だ
ったのだろう。建物は後に建てられたもの
だと思う。 -
おばあちゃんにお礼を言って、小走りで
駅へ戻った。
何とかギリギリで上総一ノ宮に乗ること
ができた。
30分ほどで本日の宿泊地、御宿へ着いた。
しかし、遠い遠いと思っていた南房総も
いくつか回っても十分日帰り可能なようだ。 -
駅から15分の所にある本日の宿、いしい
荘に着いた。学校の校舎のようだ。
サーフィンをする人や学校の部活の合宿
に使われる宿で、値段も安い。
親子でやっているようで、若い女の子が
「チェックインですか?」と尋ねるので
「はい」というと「ママーっ」と呼んで
いた。
名前をいうと宿帳で確認もせずにカギを
渡された。大丈夫かいな。 -
2階の部屋に入るとすでに布団が敷かれて
いた。
風呂に入り、買ってきたビールを飲み、ク
ジラの炭火焼とくじらジャーキーを食べた。
どっちもうまかった。 -
朝4時に目が覚めた。
とにかく隣の部屋がうるさくて、なかなか
寝付けなかった。
一晩中「あーっ!」「んがあーっ!」とわ
めき続けているのである。
確か、男2人の客のようだったが、なんで
あんなに喚いていたのだろう。隣部屋のぼ
くでさえなかなか寝られないのに一緒にい
た男は寝られるはずがないよなあ。
7時過ぎにチェックアウトをするとお母さ
んが「あの、清算は済んでます?」と言っ
てきた。「はい、楽天トラベルで申し込ん
だので」というと「あ、そうですか」と、
ちょっと不審そうな顔をした。大丈夫かな
この宿。 -
砂浜に出ると、朝の早よからサーフィンをや
っていた。
まだ少し寒いし、水も冷たいだろうによくや
るなあ。
確かのりピーは鴨川に民家を買って、クスリ
キメながらサーフィンをやっていたんだよな。 -
駅へ行く途中の不動産屋で物件を見ると、
ここら辺だとマンションも400万円くらいだ
買えるようだ。
台湾の東海岸の小さな町を思わせるようなと
ころでのんびり過ごすのもいいかなあという
気にさせられる。
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