1974/05/03 - 1974/05/06
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おくさん
初めてのサイクリングは三浦半島へ(読み切り)
コロナウィルスのお陰で、国内・海外を問わず何処へも行けなくなってしまいました。お陰でこうして過去の旅をブログにしています。大昔に行ったサイクリングの旅ですが、順番は前後しますが最初に行ったサイクリングの話を紹介します。
当時の友達が自転車で四国遍路をしたと聞いた時からサイクリングに憧れていました。話を聞いてから3年後、とうとう自分でもサイクリングと言うものに挑戦する時がやって来ました。4年間乗っていたオートバイからスポーツ自転車に乗り換えて、サイクリングのノウハウも自転車の知識も何も知らないまま、闇雲にサイクリングに憧れた時期でありました。自転車用工具はもとより、パンク道具も雨具が必要なことさえ知らずに良く行ったもんだと思います。今ならママチャリで少し遠くまで行くときでさえ必ず自転車工具は携行するのに。
初めての目的地は父の妹がいる三浦半島の三浦三崎です。おばさんの家へは小学校3年の時に父に連れられて行っただけなので、十数年ぶりの訪問です。事前に連絡してないので叔母さんビックリするだろな。
5月3日のGW真っ盛りの中をまずは東京目指して出発しました。三浦半島へ行くならもう少し近道があったろうに、一番単純な道筋の東京から横浜経由しか考えつきませんでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
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前橋から東京を結ぶ国道17号をひた走りに走り、熊谷辺りまで来るだけで、おー熊谷に自転車で来ちゃったよーっと感激します。自転車で県外に出たのはこれが初めてだったのです。写真は大宮バイパスに入る分岐だと思います。大宮まで自転車で来たーっと感激してるので、何てことない光景だけど写真に収めています。
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巨大なガスタンクを目にすると、群馬では見たことないガスタンクを背景に写真を撮る始末。東京手前で既にお上りさん状態です。この辺りで北へ向かう自転車青年とすれ違ったら、手を挙げて挨拶してきました。えっ!自転車同士って挨拶するのか!!これには嬉しい驚きがありました。オートバイに乗っている頃もツーリングしている同士はすれ違いざまに挨拶するのですが、自転車同士にもこういう楽しい習慣があったのかと嬉しくなりました。これを知ったらワクワクしました。
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埼玉と東京の県境である戸田橋を渡ってとうとう東京突入です。もちろんそこでも「おーっ、自転車で東京まで来ちゃったよー」と感激しまくりです。さて東京からは国道一号で横浜まで行くことしか頭に無いので、国道一号に繋がっている環七と言う物を探さなくてはなりません。田舎物なので近くに居た人に環七への行き方を教えてもらい、凄い交通量の環七を必死こいてペダルを漕ぎました。
この道路を自転車が走って良いのかどうかも知らないのですが、環七は時々地下を潜るようになっているのでドキドキしながら走りました。もしかしてパトカーが居たら注意されたのかな?そのうち、地下に潜る箇所があると気味が悪いので歩道を走るようにしました。
途中に定食屋があったので、玉子丼定食のお昼にしました。そして環七の終点(かな?)の国道一号に突き当たったら道路標示に従い横浜を目指します。国道1号は環七よりかは落ち着いた道だったので少し安心しました。 -
これが私のサイクリング初挑戦した時のスタイルです。普通のGパンにいつも着ているジャンパーでした。後ろに下げている振り分け荷物は自作の鞄です。家が縫製業だったので、こういうのは作れちゃいます。普通のウールなので耐久性も防水機能もありませぬ。
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横浜にやって来たので、ここでも「横浜まで自転車で来ちゃったよー」と感激しまくりでした。感激しているのでなんでもない橋の上で写真を撮っていますね。
横浜を過ぎて大船の大仏が遠くに見えました。いよいよ今日の目的地にしている鎌倉が近くなってきたのが感じられます。やがて町の中にひょっこり飛び出した丘を廻ったら、そこが鶴岡八幡宮でした。おっやったー、とうとう鎌倉まで来ちゃったよとここでも感激です。もう初めてのサイクリングなので、どこに到達してもその度に感激していました。
さて、勝手に今晩の宿と決めている鎌倉の雪の下教会を訪ねました。神父さんに「前橋教会の信者ですが寝袋持っているので何処でも良いのですが一晩の宿をお願いしたい」と申し出ると快諾して貰えました。見ず知らずの男を良く泊めると思いますよね。こうして泊めた奴が泥棒に早変わりした話を知らない訳ないと思いますけどね。ありがたく泊めて貰って何ですが。
案内された部屋はカーペットが敷かれた広い部屋だったので、快適に寝られそうです。泊めて貰えたことに感謝です。夕飯を探しに小町通りに行ってみると、トンカツ屋がまだ営業していたので美味しい夕飯を食べることができました。 -
初めてのサイクリング2日目。鎌倉教会で迎える朝。
朝ミサに与ってからお礼を言って教会を後にする。お世話になった教会前で今日最初の一枚をパチリ。 -
鎌倉に来ているんだから鶴ヶ丘八幡宮をお参りしない訳には行きません。若宮大路の参道を自転車を転がして八幡宮へ。
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角度が急すぎて容易に渡ることが叶わない太鼓橋前にて。早朝なので境内は何処もガラガラ。初めてのサイクリングで鎌倉まで来れたことに興奮しているので、やたらと写真を撮りまくりました。
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静御前が舞ったと言われる舞殿です。小学校で習った「しずやしず しずのをだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな」と言う悲しい歌は当時から記憶しています。そんな歴史的な舞台が今でも残されていることに驚きです。
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この大銀杏は木の陰に隠れた公暁が三代将軍源実朝を暗殺したとか何とかで有名です。天然記念物に指定されていた大銀杏ですが、2010年頃にぶっ倒れてしまい天然記念物も解除されました。千年以上もここに立っていたそうですから、寿命だったんですね。でも根っこからは新芽が出ているそうなので、二代目がまた立派に成長することでしょう。
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鎌倉と来たら江ノ島はセットなので、当然のことながら江ノ島を目指します。群馬あたりの小学校は、当時の修学旅行で江ノ島・鎌倉へ行くのが定番でした。海沿いの道路を走っていく先に江ノ島が見えだしました。意味もなく嬉しくなります。
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こちらが当時持ち歩いていた手書きの地図です。パソコンもプリンタもない時代なので手書きで作るより仕方ありませんでした。こんな地図だけど唯一頼れる指標なので作るのも真剣でした。どこへ行くにもこんなのを作って自転車のフロントバッグの透明カバーに挟んでいました。
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そしてこちらが今回のブログ用に作った地図です。ネットで地図はDL出来るし、それに自分で情報を加えるだけなので簡単に出来てしまいます。手書きのと比べると雲泥の差ですね。科学の進歩は私にも恩恵があります。
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江ノ島へ渡る橋です。橋を渡りきった正面に大きな建物が見えてますが、私が小学6年の修学旅行で泊まった旅館です。この旅館で初めて水洗トイレと言う物を体験しました。当時の旅館と言う物は、児童がみんな一合の米を持参しないといけませんでした。米は自由に買うことができない時代だったようです。夕飯はハムエッグだったような記憶があります。当時の私に取ってはご馳走でした。
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島内にも入ってみましたが、自転車もあることだしヨットが係留されている駐車場をうろちょろしただけで江ノ島を離れました。
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橋の手前には交通量の多い道路があって(いま走ってきた道)、修学旅行前の事前学習ではこの道路を安全に渡るための演習が行われました。もたもたしている児童は「ほら今おまえ轢かれた」などと先生に言われてました。いま考えるとアホみたいと思いますが先生も必死だったんですね。近くのマリンランドも見学コースに入っていました。同じマリンランドがまだあったので嬉しかったです。最後に砂浜で放し飼いされて磯遊びしたのが楽しかったです(群馬は海なし県)。
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江ノ島見物を終えて、こんどはまた鎌倉まで戻ってから三浦半島最先端を目指しました。海岸線の道は走りやすく爽やかです。葉山で何か食べたくなって来た所にケンタッキーの店がありました。まだオープンしたての新しい店だったようです。こんな洒落た店で食べたことがないので、店員の方に「こういう店では何を食べたら良いのですか?」と田舎者丸出しで聞いてしまいました。人生初のKFC体験でした。
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ケンタッキーの店名って、正確にはカーネルサンダース ケンタッキーフライドチキンって長ったらしい名前だったんですね。レジ伝票を見て初めて知りました(いまごろ)。しかも書かれている言葉が全て英語!日付の並びまで英語なので、きっと当時のKFCはアメリカから持ち込んだレジをそのまま使っていたのかも知れません。いまがどうかは知りませんが。
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油壺は本線からは外れていたけど、有名な所なので寄り道しました。水族館前にやって来ましたが、入る積もりはないので入り口で写真を撮ってまた走り出しました。やっぱり油壺湾にはヨットが沢山係留されていました。
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いよいよ叔母さんちがある三浦三崎までやって来ました。叔母さんちに行く前に城ヶ島を見物しましょう。城ヶ島大橋は無料と記憶していましたが、通行券が残されていたので20円だったことを知りました。
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小学3年の時に父に連れられて来て以来の三崎ですが、殆ど記憶がありませんでした。ただ、城ヶ島で上がる花火大会と従兄弟と泳いだ海は良く覚えています。
叔母さんちは引っ越ししていたので、昔泊めて貰った家はありませんでした。外から声を掛けると叔父さんが二階から顔を出して、前橋から来たと言うと分かってくれました。仕事から帰ってきた叔母さんが魚屋に一緒に行ってなにやら仕入れていました。魚は苦手だけど、この時食べさせて貰った金目鯛の煮付けはとても旨かったです。
魚嫌いでもマグロの刺身だけは好物ですが、ここで食べさせてくれたマグロが絶品で、今まで食べたマグロで一番旨いと言ったら、一番高いマグロを買ってきてくれたそうです。三浦三崎ってマグロの遠洋漁業の基地なので、まぐろも旨いのがあったんですね。夕飯のあとには従姉妹達もやって来てくれて酒盛りが始まりました。
翌日出発すると言ったら「もっとゆっくりしたらええが」と言ってくれましたが、計画通りに進めたいのでと言うことで。
初めてのサイクリング3日目。おじさんが冷たいカレーを食べさせてくれました。おじさんは電子レンジが有ることを知らないようでした。どっかから戻ってきた叔母さんがそれを知って激怒しています。「三崎で冷たいカレー食べさせられたって言われちゃうだろーっ」と。「そんなことないよ」となだめるのに懸命でした。
お二人にお礼を言って出発です。
三浦半島をぐるっと廻って横須賀までやって来ました。横須賀は米軍の基地がある町なので、通りの両側もそんな雰囲気が充満していました。ちょっと異国を感じる町でした。さっさと通り抜けましょう。
道路に金沢文庫の案内板がありましたが、名前だけは知ってても昔の図書館くらいの認識しかなかったので素通りです。 -
横浜手前で道に迷いましたが、港を離れさえしなければその先には山下公園があることが分かっていたので慌てることはありません。港の倉庫街を通り抜けるとマリンタワーが見えてきました。
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横浜と言ったらこれと言うくらい小学校で刷り込まれた氷川丸です。中に入れることを知らなかった。修学旅行でも来て、ここで弁当のお昼になりましたが、ゴミ箱に捨てた弁当箱をルンペンさんが漁っていたのがショックでした。
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六郷橋を渡って都内に入りました。最初に着いた町は品川。姉たちが品川のスケートセンターに来たことがあったので、どこにあるのかキョロキョロしながら走りましたが、この道沿いにはありませんでした。
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東京タワーは遠くから見ただけで近寄りませんでした。写真に撮れればそれで満足です。
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今となってはこれは貴重な写真と思います。日劇で森田健作と桜田淳子が何かやってました。現在は日劇自体が無くなってしまいました(と思った)。
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田舎者丸出してうろちょろしていたら、急に見覚えのあるビルが現れました。銀座に迷い込んでしまったのです。へー、銀座ってこんな所にあったんだと妙な感心をしてしまいました。銀座は歩行者天国でした。
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現在は建て替えて立派になってますが、古い警視庁は趣がありました。その警視庁前で国会議事堂をバックにパチリ。警視庁も撮れば良かったです。
さて、そろそろ今晩のねぐら探しです。東京には唯一のツテがあるので最高裁判所前の246号を西に向かって走り出しました。この道路をずっと走って行った先には瀬田の神学校があって、前橋出身の神学生がいる筈です。大した面識はないのですが、同じ前橋と言うことで訪ねていくと歓迎してもらえました。お世話になります。 -
翌朝に撮った出発前の写真です。ここには同じ群馬県の神学生がもう一人いました。生徒数もそんなに居る訳じゃないのに、良く同じ群馬県人が二人もいたもんです。
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自営で池袋西武の下請け仕事もしていたので、どんな会社なのかと思ってビルだけ見てみました。下請けなので西武の人が私を知ってる筈がないので寄ることはしません。
その後は帰りも国道17号をひた走りに走って前橋の我が家に帰ってきました。初めてのサイクリングは天気も良くてパンクにも遭わなかったし、3晩とも問題なく泊まることができたので大成功でした。これに気をよくして私のサイクリング人生が続いて行くことになります。
おしまい
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