1981/08/12 - 1981/08/16
1234位(同エリア1927件中)
おくさん
松本 自転車二人旅(読み切り)
コロナウィルスのお陰で、国内・海外を問わず何処へも行けなくなってしまいました。お陰でこうして過去の旅をブログにしています。大昔に行ったサイクリングの旅も6作目の今回は、最初で最後の二人でのツーリングのお話です。
古い友達が地元の前橋市から隣の伊勢崎市に異動しました。ずっと車に乗っていた彼がどういう訳か自転車でサイクリング・ロードで通い出したので、お盆休みに松本を往復しないかと誘ったところ、これが行くと言うので今回は二人旅となりました。私の方も自営から会社勤めになったので、お盆しか休めないので長距離には出られないから、松本なら手頃かなと思って。一応、松本往復に加えて美ヶ原と立科をルートに入れてみました。
彼はUちゃんで、海外ツアーに一緒に行くUさんとは別人です。私より9歳も年上だけど、40歳なら体力も気力もまだまだこれからです。問題なく行って来られるでしょう。でも本人は長距離のサイクリングは経験ないので、実は随分と心配だったようですが。
出発の8月12日、その日も私は仕事でした。3時で早引けさせてもらって家に戻ると、もうUちゃんは出発の準備をして私の帰りを待っていた。午後4時に出発。かみさんが「行ってらっしゃい、Mちゃん(私)だけは無事に帰ってきてね」と言う声に見送られての出発。Uちゃんもこれにはいささか参ったそうだが、この一声で「ようし俺だって」とファイトが沸いたとのこと。
前橋から安中街道を通り、松井田を抜け、横川まではひた走りに走った。日も暮れかけ、腹も減ってきたので、横川のドライブインで釜飯を食べることにしました。釜飯は年齢も給料も上のUちゃんが奢ってくれた。
夕食を済ませると日はとっぷりと暮れ、辺りはもう真っ暗になってしまった。まぁ出発が4時なんだから当然だろう。「今夜は軽井沢の山荘に泊めてもらおう」と提案すると当たり前のように同意してもらえる。
軽井沢に行くには、これから碓氷峠の旧道を走り抜けなければならない。昼間の碓氷峠は自転車で2度登ったことがあるが、夜の碓氷峠は殆ど車も通らず街灯は皆無なので真っ暗だった。自転車にかかる力を少しでも軽くするために、自転車のダイナモライトはつけないで、腕にくくりつけた小さな懐中電灯を頼りに、恐ろしい程暗い坂道を、なるべく登りやすいコースをとりながら、一生懸命こいで行く。カーブの外側を廻ると楽に登れるよと言うアドバイスも忘れない。
サイクリング初心者のUちゃんに合わせるので、二十分こいでは十分休み、二十分こいでは十分休み、そのうち十分こいでは二十分休みになってしまった。ひんやりとした夜の峠は、実に長く感じられた。
Uちゃんに合わせて登って行くので、3度目の碓氷峠は私には楽だったが、さすがにUちゃんには堪えているようだ。Uちゃんの自転車は新品の新型だからギア比も私の自転車より有利と思っていたが、本人にしてみれば私のギア比の方が軽く登れるらしい。まぁどっちでも良いですけど、途中でへばらないでね。
お馴染みになっている軽井沢のアントニオ山荘に着いたのが、夜9時過ぎだったが、山荘は真っ暗でカギが掛かっていた。こりゃ困ったな、ここで野宿かぁと思ったが、Uちゃんの機転で隣のクララ会修道院でカギを借りられるかも知れないと尋ねると、その通りだったので無事に山荘の宿にありつけた。めでたしめでたし。二人して山荘のシャワーを浴び今日の健闘を称えながら眠りについた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
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自転車の旅二日目
山荘でコーヒーだけ勝手に飲んで朝食もとらずに出発。山荘のカギをクララ会のシスターに返し、国道18号を長野方面に向かって走り出す。途中のそば屋で朝食をとり、旧中仙道に出た。車の通行は殆どなく、緑のトンネルのような林の中の舗装道路をひた走る気分は、まさにサイクリングの醍醐味だ。Uちゃんも気に入っているのが分かる。 -
岩室田、浅科村、望月町とかなりの上りだがUちゃんも頑張って付いてきている。それでもペースが遅めなので立科町を過ぎ、笠取峠で昼になってしまった。このぶんだと、美ヶ原を回って、今日中に松本に着けるだろうか。とにかく走るしかないのだ。武石村に入ると、だらだらと長い上り道が続いた。
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Uちゃんは昨日からの緊張感も弱くなり、少し疲れを感じ始めたようだ。武石観光センターに着いたのは午後三時だった。この分だと海抜二千メートルの美ヶ原を越えて松本に抜けるのはとても無理だろう。
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地図を見ると、美ヶ原の北側を回って林道美ヶ原を抜け、美鈴湖から浅間温泉に出て、松本に行くのがこれからの最短コースのようなのでそっちのルートに変更する。
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道は段々と細く、上りは急になっていった。朝から走り続けてるので年齢差のあるUちゃんは疲れも感じ始めているようで表情がもろ疲労の色を濃くしている。
車の数も少なくなってきて道はくねくねと曲がり、道路も舗装が悪く、あちこちに穴や崩れ落ちたところがある。途中で会った人に聞いたところでは、地元の人はあまりこの道は通りたがらないとのこと。ルート変更は失敗だったかな?でも予定通りのルートの方がずっと無謀なので仕方がない。 -
しばらく登っていくと、事故に出会った。先ほど我々を追い越して行ったオートバイが下ってきた乗用車にぶつかり、ライダーが骨折したらしい。我々も自転車を止めて声を掛けたが、電話もない山の中では、どうすることも出来ない(この時代は携帯はありませぬ)。運良く通りかかった他のオートバイの人に松本まで連絡を頼んだので、我々はその場を離れた。我々もこの武石峠を越えなければ、松本には行けないのだ。それから三十分くらいたっただろうか、サイレンを鳴らした救急車とすれ違った。骨折した人、心細かっただろうなぁ。
日も暮れ、すれ違う車も殆どなくなった。互いに交わす言葉も少なくなり、疲れと空腹は水さえ受けつけない。自転車にもたれかかるようにして登る。二人とも何も食べる物を持ち合わせていない。Uちゃんは出がけにオヤジさんにもらったアメを持ってくればよかったと悔やみだした。あんまり腹が減ったので、廻りに誰もいないのを良いことに大声で叫ぶ「ホッカホカ弁当が食いてぇーっ 腹が減ったよーっ」。 -
午後7時、ついにやった!武石峠に出たのだ。ところが期待していた店は一軒もなく、人っ子一人いない暗闇ばかり。がっかりしている二人の前に救いの車が現れた。私はすかさず車を止めた。「すいません、何か食べる物を持っていたら譲って頂けないでしょうか。」「いいですよ。これどうぞ。お金はいいですよ。」親切な人からもらったビニール袋の中味は、何と、さっき、私が大声で叫んだ「ホッカホカ弁当」だったのである。二人は夢中でそれに食らいついた。勿論半分ずつにして一人は弁当の蓋にご飯をよそって、割り箸も真ん中からぽきんと折ったのを工夫して食べたが、生涯忘れ得ぬほどのうまさだった。
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弁当と人の情けで元気も回復したので、腕に付けた懐中電灯を頼りに再び真っ暗な坂道を下って行った。サイクリングに不慣れなUちゃんは暗闇の道が危険なので、適当にブレーキをかけながら曲がりくねった坂を下りるが、私は苦労して登って来たので勿体なくてブレーキなんか掛けられない。
Uちゃんはこのとき、ブレーキを握る手の感覚がなくなっていくようで、実に恐ろしかったそうだ。暗闇を猛スピードで突っ走っていく私を心配していたことを後で聞いた。
夜8時半頃、やっと松本市に到着して教会を訪ねる。事前に連絡はしてないが、ここには前橋教会に居たことがあるF神父さんがいるので簡単に泊めて貰えることになった。そこで、ちょうど草加から来たという、やはりサイクル仲間の青年に出会い、市の文化財になっている古い司祭館に三人で泊めてもらうことになった。 -
シャワーを浴び、洗濯を済ませ、一息入れてから、F神父さんと松本の町に飲みに出かけた。生まれて初めて「馬刺」なるものをご馳走になった。F神父さんは元気だった。その食べっぷり飲みっぷりが証明していた。とにかく今日もほんとうに長い一日だった。Uちゃんにどうだったか感想を聞いてみたい。
自転車の旅3日目、8月14日
雨が降りそうだ。来る前に立てた計画では松本から霧ヶ峰方面へ行く予定だったが、天気が悪いのでどうする?と聞いてきた。うーん、私は予定通り霧ヶ峰に行きたいなと言うと、Uちゃんは気乗りがしないそうなので止めにして松本で一日、ゆっくりすることにした。サイクリングが初めての人に無理させて、もうこりごりだと思われない方が良いだろう。 -
一緒に泊まった兄ちゃんが出発するそうなのでお見送り。兄ちゃんもサイクリングは初心者のようで、トウクリップ・ストラップは何のためにあるのかと質問している。F神父さんはつま先を守るためだなんて言ってるが、ペダリングロスを少なくするためだなんて訂正はしないでおく。
Uちゃんと市内をうろちょろし自転車屋を探す。見つけた自転車屋はスポーツ自転車の専門店らしいので都合が良かった。Uちゃんの前のギヤを交換してもらう。やっぱり自分の自転車のギア比に不満があるようだ。自転車屋の親父さんに「彼は日本中を走っているんですよ」と私のことを持ち上げてくれると、親父さんからは「足を見れば分かりますよ」とお褒めの言葉を頂けたので気をよくして何げに足に力を入れているアホ。
店内に飾ってあった百万円もする自転車を見た。ロードレーサーだったが、百万円もする自転車こそ軽く作ってあるので、追突したら一発でお釈迦じゃないのかな。そんなの怖くて乗れないよ。 -
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一日松本で過ごさなくてはならないので、日本で最初の学校らしい開智学校を見学する。松本はもうこれで3,4回来ているけど、開智学校って入ったことなかったので丁度良かった。松本にやって来たら国宝松本城に行かない訳には行かないが、外からだけ眺める。
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自転車の旅4日目、8月15日
F神父さんと一緒に写真を撮ってから元気に出発する。Uちゃんももう峠越えの苦労は沢山だろうから、予定していたルートはやめて、帰り道は最近開通した三才山トンネルを抜けることにする。 -
このコースは山と山との谷間のルートだったし、おまけにトンネルがあったので来るときの苦労が嘘のように楽ちんだった。初めてのサイクリングはやっぱりこの位の方が楽しさが分かるので良かったと思った。
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鹿教湯温泉は療養所もあったりして有名な温泉らしかったが来たのは始めてだった。こんな時でもなかったら一生やってこなかったろうな。鹿教湯温泉なので後ろに鹿の姿が見えますが、作り物です。怪我をした鹿がこの温泉で治したとか何とかの言い伝えがあるらしいです。
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丸子町から大屋というところで国道18号に出る。小諸の懐古園に寄り、近くにあった火山博物館と言うところにも入ってみる。帰りは暢気になって観光モード爆発だ。
夕方、軽井沢の山荘に到着。行きと同じようにここでまた泊めて貰おう。管理人のTさんは今回はいたので簡単に泊めて貰えることになった。ちょうど、謎のグループがワークショップの最中で、夕食は謎のグループの人達の「あまり」を食べさせてもらった。その夜はTさんと三人で酒を酌み交わしながら、積もる話に花を咲かせることができた。しかし寝る場所に「あまり」はなかったので、謎のグループに参加していた人のライトバンを借りて、中で寝させてもらう。 -
8月16日
5日間にわたる二人でのサイクリングもあとは前橋に帰るだけだ。Uちゃんは初めての長距離サイクリングだったが、苦労はあったものの元気に走り通せたので何とかここまでやれたという充実感があったそうだ。
途中で何人ものサイクリングの人と出会ったのも良い思い出になっただろう。互いに手を挙げ挨拶を交わしながら、お互いに頑張ろうと励まし合うので、Uちゃんは初めのうちは何だか照れ臭かったので、相手のしてくれるのを待ってこっちも手を挙げたのだが、最後の方になると自分からも進んで手を挙げられるようになった。自動車でのドライブと違い、それぞれが自分の身体を使って苦労し、汗を流している自転車同士には、何か清々しい温かい連帯感が感じられたそうだ。サイクリングの醍醐味を体験して貰えて私も嬉しいよ(ちびまるこ風)。 -
碓氷峠も帰りは下り一方なので凄い気楽と言うより凄く楽しみだった。昼間なので明るいし下りだし、行きの時と比べたら天と地との差がある。
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テンションが上がっているので、二人して互いに自転車に乗っている所を撮ることになった。路面に空き缶を置いて、そこがシャッターチャンスの場所だ。
帰りの碓氷峠で出会ったサイクリングの人は、何と六十六才の八百屋のおじさんで、茨城の水戸から一気に走ってきたとのこと。名刺には「明大クラブ○○誠」とあった。明大クラブというのは、明治大正生まれの人達で作っているサイクリングのサークルなのだそうだ。その上、このおじさんは若いときからサイクリングをしていたわけでなく、脳卒中で倒れた後にヤケクソ混じりで始めたというから驚きだ。サイクリングによって言語障害と手の震えが治ってしまったそうで、それ以来病み付きとなって、八百屋の仕事は奥さんに任せ、自分はサイクリングであちこち走り回っているとのこと。良い人生を送ってるなーと思った。 -
太り気味でいかにも格好の悪い六十六才の老人との出会いは、私に比べて「もう年だから」と気弱になっていたUちゃんは「俺なんかまだまだ青二才なんだ。まだまだこれからだ」と思い知らせてくれたそうだ。
サイクリング初めてのUちゃんの感想を聞いてみると「300キロを走り抜けたという充実感で懐かしい前橋の町並みを走るペダルは軽くさわやかだった」とのことです。
Uちゃん初めてのロングツーリング完走おめでとう。
おわり
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