2021/08/26 - 2021/08/28
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ateruiさん
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一日短くなって
よし 二日目はより充実した釧路滞在になるようにしようと気合を込めて
もうそんなに何回も来られないので
太平洋炭礦臨港線 米町駅跡から 知人の昆布星が見られるなんて収穫
近くによって 接写させえ貰えばよかったと反省しきり
知人駅の話も聞けたかもしれないのにね
米町の廃銭湯みつけたり 米町公園から釧路の街や港眺めたり
太平洋炭礦の地下掘削の様子が見られる資料館尋ねたり
内容の濃い半日だった
写真は 太平洋炭礦臨港線米町駅跡 砂利のところに線路が敷いてあった
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩 Peach
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
反対側 並木がいい感じ
歩道も散バラですばらしい
この辺は城山になるのかな?
城山とは モシリヤチャシ のこと
お年寄りは お供え山 と言っている
おじいさんもお供え山と言っていたわ -
友達が朝一番で宅急便出したいからというので
ホテルに迎えに行って クロネコヤマトに着いて
待ってるところ
目の前すぐ釧路川
実際には 朝二番になっちゃったんだけどね ごめんね
気が付かなかったわ -
なんか用事ができて 親戚のうちに 35年振りかな
叔父さんは 私が来ないと思って 出かけたらしい
此処は 武佐(むさ)今は武佐の駅ができたんだよね
根室本線に 花咲線というのか
あたしがいるころには 武佐駅はなかったわ -
友達に 釧路人気一番の拉麺を食べさせたくて
朝 九時からやってるから ありがたいね -
塩ラーメン
-
どーだぁ!!
-
真上から
改めて 器の美しいことに気づく!!☆ -
近くの 米町公園(よねまちこうえん)へ
-
上の→
-
さらに右
東屋は 米町公園 -
下りてきて
捻じれ草発見
灯台のようなものは 展望台
上三枚の写真が 展望台から撮ったものよん -
そうみたいね
東京では見ないから 得した感じ
東京の高尾登山電鉄高尾山駅には
ハスカップアイスクリーム や
ハスカップジャラードが売ってるね
八王子は苫小牧と姉妹都市だからだね -
ここにも
綺麗に捻じれてるよ -
太平洋炭礦臨港線米町駅跡近くの灯台から 知人駅跡眺めて
何かと思ったら 昆布干ししてるわ
知人駅(しりとえき)は太平洋炭礦何線だったのかな? -
アップしてみると昆布がよくわかるわ
知らない人は これみても何してるのかわかんないかもなぁ? -
釧路の灯台と知人駅の間に 崖みちがあったようだわ
四年前に廃線になってからは 通る人もいないようだわね
あの昆布干してるあたりにでるんだわね -
あの先のほうにまで 線路が伸びていて
船に載せたのか ?海底炭鉱口があったところなのか? -
この先突き当り 米町駅跡
このあたりは おじいさんと歩いたんだよね
古い建物があるからみたいからと
おばさんは厭な顔したけどね 今になってその理由はわかったわ -
踏切が見えるところが 米町駅跡
その先 海 白い波がみえるでしょう -
米町駅の垣根 ハスカップかな
当時あったのかわかんないけどね -
在りし日の 米町駅
私がいたころもしこの保育園だかに通っていたら
おそらく 緑ケ岡駅 から乗ってると思う -
素晴らしい
LCCが成田 釧路できる一年前に廃線だからなぁ
もう一年頑張って欲しかったわ
米町駅の踏切の写真だね -
ご覧の通り
-
この駅看板 各駅跡 残して欲しいよね
-
この左側に線路があったのよん
-
この砂利に線路が敷いてあったのよ
大学生のころ 帰省した時 この線路 歩いたよ -
数年前まで営業していたとみられる 銭湯
二年前の釧路の地図にはちゃんと名前があるのよね
釧路の港が栄えてるときには 遊郭があったこの辺りは栄えたんだろうなあと思うわ
お菓子屋や料理屋があったようだよ
あの 高野旅館 はどのあたりだったのか 思い出せない -
ここか
-
広い銭湯 岬湯
名前も素晴らしい -
最新の一般的スタイルみたいね
やっぱりアルミのサッシになっちゃうのよね -
建て直して新しくなったのにね
残念だよ
コロナも影響してるのかなぁ? -
引いてみるとこんな感じ
-
パーキングも広いし
-
隣に
東家もみつけた 蕎麦屋さん
米町は昔は夜の街だから かなり栄えたんだと思う
おじいさんとこの辺り歩いたんだなあと思う
古い建物はなくなってしまったので 残念 -
更地が増えてるんだろうけど
かなりの街だったと思う
通りも広いし
魚が撮れてるときは人で溢れていたんだろうと思う
釧路の駅前中心に 屋台が70台もあったって みいちゃんが言ってたわ -
この食堂も 拉麺美味しいらしい
-
何かにでてたわ
-
これが昭和58年ころ
恐らく米町あたりで撮った遊郭の建物だったと言われていた高野旅館 -
これ 気になって
-
こんな建物が沢山 この辺りにはあったんだよね
おじいさんと歩いたときがそうだったわ
隣の宮本に母の実家があって こんな建物だったよ 長屋だったな
隣が 野々宮サントカイッタナ -
バス停に辛うじて名前が残っていたので
観月園 太平洋炭礦 観月園とつく駅がこの辺りにあった証拠だわ
一昨年 30年以上振りに来たときは コの寿司屋によ夜寄ったな
その時も 隣のセイコーマートで何か買ったよ
厚岸の牡蠣最中だったかな
苦労して簡月園の絵葉書手に入れたので載せようと思ったら
見つからなく残念だわ -
隣の セイコーマートで
コーラになれてるので 味がいまいち合わないな -
ここに 太平洋炭礦の 全天候型遊園地があったのよね
中学生の時 叔母さんが連れてってくれたのよね
くしろはなんもなくて ごめんね と謝っていたのを思い出すわ
ジャングル風呂とかあったけどね
釧路で温水ジャングルプールもね~ -
資料館へ
-
これで ガリガリ
友達は真剣に写真を撮っていたな -
というそうです
-
ドラム缶を半分に割ったような形で
これが180°回転して下に石炭が落ちるようになってるんだね
父は太平洋炭礦で石炭堀してたというから
こんな乗り物も見てるんだろうなあと思う -
貨車
意外と 無蓋車の深みに驚き -
角度かえて
おそらく 20両は繋がっていたんだろうなあと思う 実際海底で -
運転席
-
最先端の線路だったんだね
-
1887年
父のお父さんお母さん(あたしからみて父方のお爺さんおばあさん)が
1889年明治22年生まれなので このくらいの時代は
何時も お爺さん御婆さんの生まれた年を思って計算するようにしてるんだわ
1887年は 明治20年ということになるか -
春採湖と炭鉱口
大正三年 191何年?
釧路の街もまだ
春採や武佐も文字が見えない
聞きなれないカタカナの名前が新鮮
真ん中のチャシが チャランケチャシ
左隅のチャシは 今は表記には地図にはないから
何というチャシなのかわからないな
おそらくチャシはほかにもあったと推測できる
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この旅行記へのコメント (1)
-
- さとぴ。さん 2022/03/02 06:54:53
- 釧路見ました。
- ateruiさん、おはようございます。
2月に釧路へ行って
「太平洋炭礦展示館」見学に行ったんですけど
お休みでした。たぶんマンボウのせい。
こちらで見せてもらって良かったです。
釧路に炭鉱があったの知らなかったです。
鉄道もあったんですね。遊園地も!
米町駅の風景もすばらしいですね。
まるひらのラーメンどんぶりもすばらしい。
ありがとうございました。
さとぴ
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