2022/01/29 - 2022/01/30
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ミズ旅撮る人さん
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最近、岐阜県南部に行くことが多いので、立ち寄り地を探していたら、
木曽川に廃線跡の橋梁が残っていることを知りました。
なかなか立派な橋梁が県道の玉蔵大橋の真横にあります。
調べてみると、付近には他に3つの橋梁が残されていることがわかり、
訪ねてみることにしました。
JR中津川駅に近い、中津川に2つの橋梁が、木曽川に大きな木曽川橋梁が、
少し山の中に入ると上地橋梁があります。
木曽川付近から西側を見ると、岩山の上に城跡が見えます。苗木城跡です。
こちらも、おもしろそうな場所なので、ついでに行ってみました。
普通の城郭を持った城とは違い、岩山と一体化したような造りで、
非常におもしろい山城であるとともに、
天守にある展望台からの眺めが非常に絶景であるので、
「人気山城No.1」なのは大納得です。
冬枯れで木々の葉が落ち、視界が開けて良かったのと、
ちょうど夕暮れに差し掛かる時刻だったので、
木曽川が光り輝いて、綺麗でした。
いずれの場所も人がいなくて、ドローンで撮影をしています。
最後におまけで、明知鉄道のSLをちょっとだけ掲載しています。
珍しいシーンが見られたので、ご紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
岐阜県恵那市を流れる木曽川の観光名所「恵那峡」です。
大正13年に日本初のダム式水力発電所が建設され、木曽川が大井ダムによって堰き止められたことによって、出来た景勝地です。 -
恵那峡の地図です。
木曽川は、地図の右手・西方向に流れて行き、名古屋市の外周を巡って、
やがては長良川・揖斐川とともに伊勢湾に注ぎます。
元は川沿いの高所にあった岩が、ダムによって水位が上がった木曽川の
水面すぐそばに林立することになり、それを川の上から眺める遊覧船が
就航しています。
2022年1月現在、土・日・祝日のみの運航となっています。 -
恵那峡大橋を渡った袂に、展望台があります。
随分前から閉鎖されているようですが、見ることは出来ます。
但し、写真の巨石の上の展望台は立ち入り禁止になっています。恵那峡展望台 名所・史跡
-
恵那峡大橋の下には、金床岩・将軍岩・獅子岩などの
名が付いた大岩が並んでいます。
いくら地図と見合わせても、どれがどれやら・・・ -
橋の向こう左岸には、遊覧船乗り場があります。
右岸は恵那峡ワンダーランドという遊園地があります。 -
ダムが出来る前は、水面ははるか下方にあった筈です。
人造湖が出来たことで、遊覧船で見ることが出来るようになりました。
「自然の造形」が人工的に出来たとは、珍しい場所でした。
そういえば、紅葉の名所、福島県の奥只見湖もそうですね。 -
看板には多くの岩の名称が書かれていましたが、
見渡してもこれくらいしか奇岩の目玉は無さそうで、
観光地としては魅力が薄いようです。
川の水の色はとても綺麗なので、川遊びは楽しいでしょう。 -
さて、場所を木曽川の上流に移動します。
JR中津川駅付近の中津川に架かる妙見大橋の下に、
もう一つ橋が見えます。 -
旧北恵那鉄道の第一中津川橋梁です。
この鉄道は、恵那峡を作った大井ダムの建設によって、木材を水運に
よって運ぶことが出来なくなったため、代替手段として建設されました。
丸太を川に流す代わりが鉄道だったとは、
時代の移り変わりが感じられておもしろいです。
大井ダムを建設したのは、福沢諭吉の義理の息子福沢桃介ですが、
彼は日本の「電力王」と呼ばれる人物で、
特に1920年代に木曽川開発を推進し、大井ダムを建設しました。
彼は、木曽川の上流にある妻籠宿のそばの「読書(よみかき)発電所」の建設にも携わっています。 -
石積みの橋脚は、経年劣化で川に洗われる部分が朽ちてしまっています。
いつか崩れ落ちてしまうのでしょう。 -
さて、すっかり植物に覆われて姿が見えなくなっている
第二中津川橋梁です。 -
対岸は既に道がなく、こちら側もどん詰まりの未舗装道路です。
冬枯れのお陰で、場所をずらすとこんな風に見ることが出来ます。 -
北恵那鉄道は、中津川市の中津町駅(JR中津川駅付近)と、
恵那郡付知町(現在の中津川市付知)の下付知駅を結んでいた鉄道で、
13の駅がありました。
中津町駅 - 恵那峡口駅 - 山之田川駅 - 苗木駅 - 上苗木駅 - 並松駅 - 関戸駅 - 美濃福岡駅 - 栗本駅 - 美濃下野駅 - 田瀬駅 - 稲荷橋駅 - 下付知駅 -
大井ダムの代償として建設されたので、ダム完成と同じ
大正13(1924)年の開業です。
昭和53(1978)年に廃線となりました。
以降、線路は撤去されましたが、橋梁だけが取り残されています。 -
冬枯れの季節なら道路から辛うじて透かし見ることが出来ますが、
それ以外の季節は目視が難しいかもしれません。
上空から見ると、こんな感じです。 -
鉄橋がまるで梯子のように見えます。
-
どん詰まりの道は、砂利業者の採集場となっています。
そこに、次の橋梁があるのです。 -
木曽川橋梁です。
但し、この先は社有地なので立ち入ることは出来ません。
この橋梁を見学するには木曽川の対岸に行かなくてはなりません。 -
対岸のかつて恵那峡口駅だった建物です。
駅舎は途中で移転したようで、その後は恵那峡の遊覧船乗り場に
なっていましたが、それも休止となって久しいようです。
木曽川に沿った小路を車で走っていると見過ごしてしまいそうな
奥まった場所にある小屋ですが、
ここが木曽川橋梁のある場所なのです。
向かって右側に河原に降りる階段があります。
橋梁を見上げて見るには絶好の場所です。
また、小屋の左側の石垣に小さな階段があります。 -
知らなかったら到底登ろうとは思わない小さな階段です。
でも、これは絶対に登らなければなりません。
一番下に踏み段にするためにブロックを置いてくださって
感謝いたします。以前はロープもあったようですが、
2022年1月には無くなっていました。 -
段差の大きな階段を上ると、目の前に見えるのは、
既に半分草に埋もれてよくわからなくなった階段?です。
くじけないで上ってください。
滑りやすいので濡れている時などは注意してください。 -
頂上について振り返ると、こんな感じです。
廃線跡を訪ねる旅というのは、滅多にしませんが、
体力と気力がいるけれど、ワクワク感も半端なくて楽しいものですね。 -
そして、正面にはこれが見えます。
いや~~~、登って来て良かった!!!
まさか、いきなり橋梁の真ん前に出るとは思っていませんでした。
小躍りしたいような喜び溢れる瞬間でした。 -
イチオシ
まるでこのまま歩いて渡れそうな近さです。今回の表紙になりました。
-
橋の天井にはずらっと何か付いています。
北恵那鉄道は当然電車ではないので架線ではないし、まさか電燈?
知らなくても想像することは楽しいです。 -
真っ直ぐに伸びた鉄骨が真ん中とは微妙にずれているのが気になるなあ。
かつてはどんな風になっていたんだろうか。
御料地の木材を積んだ貨物車がたくさん通過したことでしょう。
元気な昭和の風景は、とても力強いものだったでしょう。
昭和の半ばまでは、人は人力で何でもこなして来ました。
それが、蒸気機関車と電車の違いです。
この橋を渡った機関車は、どうしたんだろうなあ。 -
振り返ると、足元に枕木らしき物が見られました。
この先、線路は斜面を登って、苗木城跡の下で東に曲がり、
S字カーブで付知川に達し、そのまま川に沿って北上して行きます。
中津町駅から恵那峡口駅までの1区間にこれだけの橋梁がありました。
ダムが出来る以前は、付知川・木曽川・中津川と
水運が発達していたことでしょう。 -
小屋の右側にある河原に降りる階段を降りて来ました。
遊覧船乗り場だった場所なので、本当に川面に近いです。
あの橋を蒸気機関車が木材を大量に積載して渡って行く様は、
格好良かったでしょうねえ。
木曽川橋梁は、奥にチラッと見えている県道6号線の
玉蔵大橋から良く見えます。 -
ドローンを上げてみます。
木曽川橋梁の先にカーブを描いた道路が見えます。
あれがかつての線路の跡です。 -
橋の先の杭が4本立っている場所まで行きました。
-
北恵那鉄道は、大正13(1924)年の開業ですが、
この鉄橋は当時からこの姿だったのでしょうか。
ダムが造られるくらいなのだから、当然鉄橋も建設したでしょう。
すごいなあ。大正時代は、想像以上に工業が発達していたのですね。
そもそも国産蒸気機関車が大正生まれなのですから当然のことでした。 -
旧恵那峡口駅舎の前の道を西に進むと、やがてカーブを曲がって、
いきなりこの眺めになります。 -
上地橋梁です。木曽川に注ぐ、小さな川を渡っています。
-
橋梁は線路が剥がされ、鉄骨だけになっているのは、
これまでの橋梁と同じです。
線路が敷設されていた筈の部分は、
わずかな鉄骨が斜めに張られているだけで、
かつては枕木などの木材が床を形成していたのではないでしょうか。 -
鉄板と鉄板の間は離れています。ここに、木製の柱があったのかな?
-
川の中に立つ橋脚は当然ながら、足が長いです。
そして形が円柱なのに対して、短い橋脚の方は角柱なのです。
川の水に対して抵抗を少なくするために円柱にしてあるのかな?
第一・第二中津川橋梁も、川の中は円柱でした。
そして第二中津川橋梁の岸に近い橋脚は角柱でした。 -
手前側も川でない橋脚は角柱です。
-
対岸の角柱の橋脚の周りには、遊歩道があります。
-
中津川から下呂に続く南北街道のようです。
-
イチオシ
この先は、苗木城のある岩山なので、迂回しながら付知川に向かいます。
道路はこの先は通行止めです。
元々、車1台が通るだけでも精一杯の狭い道です。
橋梁の所で折り返して、ぐるっと回って苗木城跡を目指します。
通行止めの看板の辺りから、山の斜面に分け入る山道があります。
「四十八曲り」と呼ばれる苗木城に登る道です。
かなり急な山道なので、きついハイキングになりそうです。
車は、かなり大回りをして西側から城跡に向かいます。 -
苗木城跡
鎌倉時代初期に岩村城主遠山氏が、那木(苗木)と呼ばれたこの場所に
進出、末期に高森山に砦を築いたのが始まりです。
標高432mの高森山に城が築かれたのは、1526年。
武田氏に攻略されますが、1600年徳川家康に遠山氏が安堵されて、
以後苗木藩を遠山氏が治めます。
1871年の廃藩置県では苗木県となりました。
と同時に廃城となり、1981年に国の史跡に指定されました。苗木城跡 名所・史跡
-
駐車場から急な坂道の石畳を上って行くと、
右手に「足軽長屋」と書かれた場所があります。
遺構などは何もないのですが、フォトスポットなので立ち寄りましょう。
こんな看板がありました。CGで再現した苗木城です。
苗木城は、白い漆喰ではなく赤土の壁だったので、
別名「赤壁城」と言われていました。
「山城ベストランキング1位」と書かれています。
実際に天守まで上がってみて納得でした。 -
足軽長屋からの眺めです。思わず「おお!」と声が出る眺めです。
あの石積みの見事なこと。これは早く行きたい。 -
足軽長屋から天守までの道のりは綺麗に整備されています。
とは言え、山城なので足元が平らではなく、
気を付けて歩かなければなりません。
辿り着いてみれば、割と丁度いい距離でした。 -
苗木城の特徴の一つは、石垣の積み方にバリエーションがある事です。
正面の綺麗に揃った石積みは「切込接ぎ」で、
石を工具で削って隙間を無くす方式です。
江戸時代に用いられた方式で、天守に近い部分とは異なります。 -
「風吹門跡」。城跡で一番最初に現れる門です。
-
その左手には「大矢倉」があります。
左側の階段を上って行くと「苗木さくら公園」に出ます。
700本ほどのソメイヨシノがあるお花見スポットです。
その季節には中津川駅からシャトルバスが運行されます。
「WC」の看板がありますが、城跡唯一のトイレで、たいへん綺麗です。 -
苗木城跡の最大の特徴は巨岩を取り込んだ石垣です。
恵那峡などでも見られた巨石がこの地域には多く、
それを石垣の一部に取り入れています。 -
「三の丸」です。
駈門があります。その先に「是より四十八曲り」と書かれています。
先程の上地橋梁の傍から、山道を登って来るとここに着くのです。
上から見下ろしても、急斜面で降りるのはごめんだと思うような道です。
山城には、こういう道を使わなくてはならないというデメリットが
ありますが、それが城を守護する重要な利点にもなる訳です。 -
ここからいよいよ天守への道のりが始まります。
先ずは「大門」を通ります。 -
右下に「二の丸」があります。
その向こうに木曽川に架かる城山大橋が見えます。 -
二の丸の先には「不明門」があります。
上地橋梁の先の通行止めの道に降りる道があるのかもしれません。
2022年1月現在、城跡の外郭を巡る道は、落石のため通行禁止です。
中津川市のHPです。通行禁止区域の地図が出ています。
https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/kanko/miru/1/3753.html -
大門からの最初の坂を折り返して、次は「坂下門」です。
まるで空に向かって伸びる階段ですねえ。 -
足元には礎石があります。それにしてもいい眺めだなあ。
-
三の丸の大矢倉が見えます。かなり大規模な建物だったようです。
苗木遠山史料館では、苗木城の復元模型が展示されているので、
城跡を歩いた後に見ると理解が深まることでしょう。 -
天守がぐっと近くなりました。屋根があるのは「千石井戸」です。
最も高い位置にある井戸で、現在でも水が湧き出ているそうです。 -
右上から左下に向かって階段を上って来て現在地です。
すぐそばに井戸があります。
この辺りには2階建ての物置小屋が並んでいました。
地図上部の石垣に囲まれた部分が、これから行く天守です。 -
本丸口門
階段は広くて上りやすく、何より眺めがいいので気持ちよく上れます。 -
この辺の石垣は「野面積み」です。そこに巨石が組み込まれています。
-
木曽川が良く見えるようになって来ました。
-
そして天守の木組みもハッキリわかるようになりました。
-
本丸玄関跡
本丸玄関は、天守台より一段低い位置にありました。
玄関には玉石が敷かれており、復元するにあたり、
それらの石を再利用しています。
居間や次の間、天守の建物の周りに岩がはみ出しているのがわかります。
これらの建物は、巨石の上に木の梁を渡して組み上げてあります。
これを懸造と言い、清水寺本堂と同じ構造です。
これが最も興味深い苗木城跡の特徴です。 -
今の天守平面図で、下側に書かれていた「天守」部分には、
懸造で復元した展望台があります。 -
天守の建物は「天守縁下」「玉蔵」「天守」という地階~2階という
構造になっていました。
3層の広さは、大きく異なり、巨石の上に建物が建っている構造でした。
現在の展望台は、2階の天守部分だけを再現しています。 -
展望台の下の巨石です。
復元する時に、石に穿(うが)たれていた柱の穴を再利用しています。 -
最上階に来ました。上流側の木曽川も見えます。
-
木材の下に巨石があるのがわかります。
そして、柱の穴も見えます。なんてダイナミックな構造物なのでしょう。 -
足軽長屋で見た復元図によれば、ここには屋根も壁もある大きな建物が建っていました。
こんな風に梁が剥き出しというものではなかった筈です。 -
展望台からの眺めは、ものすごいものでした。
木曽川橋梁と玉蔵橋が良く見えます。
北恵那鉄道を走る機関車も良く見えたのでしょうね。 -
木曽川の下流は城山大橋だけでなく、美恵橋まで見渡せます。
-
木曽川から170mの高さにある天守からは、正面に
中山道の中津川宿が望め、その背後に2,191mの恵那山があります。 -
今日の恵那山は雲隠れ中です。
-
こちら側から見ると、展望台が巨石の上に建っているのがわかります。
こんな城があるなんて。平城にはない特別なおもしろさがあります。
建っている場所、建築物の構造、最高の眺望、
どれをとっても素晴らしいです。 -
天守への道は、本丸口だけではなく、裏側にもあります。
しかし、注意看板があるように、1段1段がとても高くて、
降りるのがたいへんでした。
あまりお勧めはしません。 -
「馬洗岩」
かつて戦で敵に水を止められた際に、
この岩の上に馬を乗せて米で馬を洗って、
水に困っていないように見せかけたことが名の由来だそうです。
この巨石の上に馬をどうやって乗せたのでしょうね。 -
笠置矢倉からの眺めです。
ここにはベンチがあり、笠置山と夕日を眺めることが出来ます。 -
下から見た馬洗岩です。
インド・マハーバリプラムにある「クリシュナのバターボール」という
岩は、岩山の上から落ちそうで落ちないことで有名です。
また、ミャンマーにもゴールデンロックという同様の岩があります。
これを日本のゴールデンロックと呼んではいけないでしょうか。 -
どうも私は何よりも岩と建築物の共存が気に入ったようで、
岩ばかり撮ってしまいます。
夕陽が当たって、赤く染まり始めました。 -
石垣に組み込まれた巨石。そこに摩崖仏が刻まれていたら、
もっと嬉しかったな。
この城の城主である遠山家の守り神として、
「八大龍王」が馬荒岩の下に祀られています。
と言っても、明治時代に据えられたものだそうですが。 -
赤く染まった苗木城跡。いい風情です。
-
石畳も夕日に輝きます。ああ、いい時間です。
-
ここからは、ドローンの映像になります。
-
手前の道に沿って赤く塗られた一角に、柱の跡があるのは「武器蔵」
です。武器蔵の左隣には小さな「具足蔵」もありました。 -
上から見ると、展望台は梁のある全体に占める割合が
随分狭いのだとわかります。 -
日本のゴールデンロック(馬洗岩)は、階段の途中で見た時にも
大きな岩だと思っていましたが、
全体を見たらほんの一部分しか見ていなかったことがわかります。
ずり落ちそうなのに落ちない巨石です(周囲45m)。
あれだけ目立つ岩の上なら、敵にアピールするには
持って来いの舞台だったことでしょう。 -
この苗木城跡は、とにかく目立つ場所にあります。
木曽川橋梁からも見えますし、城山大橋からもすぐ近くに見えます。
きっとここを知らない地元の人はいないでしょう。
お花見の時期はすごい人が集まるのでしょうね。
今は、わずか数人しかいません。いいタイミングで訪れました。 -
下の方にも石垣が見えます。「帯郭」と呼ばれる場所と思われます。
三の丸から伸びる四十八曲りはここを通るのでしょうか。 -
右端に千石井戸が見えて来ました。そろそろ一周です。
空中散歩も終わりです。
ドローンの動画は中津川市の観光情報サイトでも公開されています。 -
さて、ここからは本当のおまけです。
岐阜に来る理由は、明知鉄道でSLの運転体験をするためです。
今回は、始発駅である恵那駅に立ち寄りました。恵那駅 駅
-
JRの駅舎の隣にこぢんまりと明知鉄道の駅舎があります。
この駅名表示が、真ん前のバス停の屋根に隠されて、
この位置から以外見えないのが可哀想です。明知鉄道 グルメ列車 グルメ・レストラン
-
「あけてつ本舗」です。改札の一角にあります。
明知鉄道のグッズは、恵那駅と明智駅で販売しています。 -
明知鉄道はいろいろな企画列車を運行しています。
今回は「枡酒列車」が運行される筈でした。
ところがコロナ対策で、お酒はご法度になってしまったようです。
あら、可哀想に。残念でした。(1/29だけが中止で、後は未定です)明知鉄道 グルメ列車 グルメ・レストラン
-
「じねんじょ列車」は元気に運行しています。
明知鉄道 グルメ列車 グルメ・レストラン
-
壁に座席表が掲示されています。
明知鉄道 グルメ列車 グルメ・レストラン
-
駅員さんにホームに入らせてもらいました。
隣はJRのホームです。 -
駅員さんが、これはJRの新型車両で、
今日は試運転で来ているのだと教えてくれました。
8号車は「クハ315-5」、7号車は「モハ315-9」、
6号車は「モハ315-509」、5号車は「サハ315-5」でした。
たまたま訪れた駅で、試運転の車輛に遭遇することは、何故か多いです。
「トランスイート四季島」とは、縁があります。
いつか乗れるといいなあ。 -
7号車は「モハ315-9」。
試運転中だから「Out of Service」 -
JR快速名古屋行きが入線して来ました。
さて、では明智駅に向かいましょう。 -
途中、明知鉄道と遭遇。
いろいろなラッピング列車があるけれど、これはオリジナルですね。 -
明智駅で、SL運転体験を撮影しています。
いつも同じ映像ではつまらないので、
ちょっと違ったところだけを掲載します。
令和4年賀正のヘッドマークは期間限定、そろそろ終わりでしょう。
貴重な3輌揃い踏みです。明智駅 (恵那市) 駅
-
C12244を一般人が運転することが出来ます。
体験できる日が少ないので、毎回すぐに満員になってしまいます。
一日4回で、これは10時半の1回目です。
ところが、1往復した所で止まってしまいました。明智駅 (恵那市) 駅
-
運転室から鉄道員が降りて来て、やおら先頭によじ登りました。
え?煙室の蓋に付いている輪っかを回しているの? -
あや~~、本当に煙室の蓋を開けちゃった。
これは石炭を燃やして運行している蒸気機関車では
絶対に出来ないことです。
明知鉄道のC12244は、コンプレッサーの圧縮空気によって
動くので、運転中にこんな事が出来ます。 -
今、手に持っている鉄棒を、左右に掛けてから蓋を閉めます。
鉄棒の真ん中に開いている穴に、蓋の裏側に付いている突起を嵌めると、
開かないようになっています。
(鉄道員の上着の裾に引っ掛かっているのが突起です。ふふっ) -
鉄棒をセットしました。
しゃがんだので、裾に引っ掛かっていたのが外れて、
突起が見えるようになりました。
これは、運転体験をしている人たちも見られなかった、
千載一遇の好機でした。 -
朝の気温が-5℃だったから、寒くてコンプレッサーの圧が
上がらないのだそうです。
石炭だったら、寒いなんてことはなかったわね。一長一短。
それでは、今回はここで終わりにします。
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