2021/12/25 - 2021/12/28
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しんちゃんさん
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せっかく沖縄に来たのだから、焼け跡の「首里城」を見学に行った。
城壁と眺めが素晴らしい。
今回は首里城跡(しゅりじょうあと)を“急いで”紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー Peach
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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守礼門(しゅれいもん)
【 守礼門(しゅれいもん)
「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味である。首里城は石垣と城門の多い城であるが、中でもデザイン上バランスがとれ、エレガントな雰囲気のある代表的な門がこの「守礼門」である。中国風の牌楼(ぱいろう)という形式で建立されている。】首里城公園HPより -
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」とは…
以下の9資産が沖縄に点在する文化遺産です。
今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
座喜味城跡(ざきみじょうあと)
勝連城跡(かつれんじょうあと)
中城城跡(なかぐすくじょうあと)
首里城跡(しゅりじょうあと)
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
玉陵(たまうどぅん)
識名園(しきなえん)
斎場御嶽(せいふぁうたき) -
「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」
【石門の背後にある森が園比屋武御嶽である。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、また聞得大君が就任する時にまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地だった。王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」を勧請し、祭っている。もともとは今よりも広範な森であったが、現在では小学校の敷地となっている部分もあり、残されているのは一部である。
首里城歓会門と守礼門との間にある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)がこの御嶽の礼拝所である。】Wikipediaより抜粋 -
歓会門(かんかいもん)
【首里城の城郭(じょうかく)内へ入る第一の正門で、「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味である。往時、首里城へは中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」が招かれたが、こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられた。
首里城は外郭(外側城郭)と内郭(内側城郭)により二重に囲まれているが、ここは外郭の最初の門で、別名「あまえ御門(あまえうじょう)」ともいう。「あまえ」とは琉球の古語で、「喜ばしいこと」を意味する。】首里城公園HPより抜粋 -
歓会門(かんかいもん)裏側
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瑞泉門(ずいせんもん)
【「瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味である。】首里城公園HPより抜粋 -
瑞泉門(ずいせんもん)
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瑞泉門より振り返る。
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瑞泉門(ずいせんもん)裏側
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工事中!
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ここからが有料
「奉神門(ほうしんもん)」
【「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門である。1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前である。その後1754年に中国の制に倣い改修した。建物は明治末期頃に撤去されたが、1992年(平成4)に外観が復元された。現在は公園管理のための施設として利用されている。】首里城公園HPより抜粋 -
こんな風に建物があった!
手前の奉神門だけが残っている。 -
首里城正殿跡
裏側の建物しか見えない。
火災の様子
「https://www.youtube.com/watch?v=jHSnxAHesNk」 -
登ってきた道「歓会門」が見える。
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焼け跡
首里城正殿の唐破風正面と屋根瓦の両端に大きな龍の棟飾がありました。
「竜頭棟飾」のひげです。 -
焼け跡
「竜頭棟飾」のひげ -
世誇殿(よほこりでん)
【琉球王国時代、未婚の王女の日常の居室で、国王が亡くなると次期国王の即位の儀礼が行われた建物。国王家族と首里城に勤める女性たちの生活エリアであった御内原(おうちばら)にあり、2019年に外観復元された。現在、建物内の休憩スペースでは4K高画質18面モニターによる首里城ムービーを上映しており、琉球王国の歴史と首里城正殿跡の魅力を紹介している。】首里城公園HPより -
正殿跡から奥、「東のアザナ」東城(観景台)へ登ります。
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白銀門
【「白銀門」は創建年不明であるが、東のアザナ下方にある内郭石積に接して設けられた門で、別名「しろがね御門(うじょう)」とも称される。「白銀門」と「東(あがり)のアザナ」の間には、国王の霊柩を安置する「寝廟殿(しんびょうでん)」があり、「寝廟殿」へ詣でる国王が通る門であると考えられている。それ以外の人びとは、脇門をくぐったと伝えられている。】首里城公園HPより -
寝廟殿跡(しんびょうでんあと)
【寝廟殿跡は、王の遺体を安置する場所でした。】首里城公園HPより -
最後の階段
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「東のアザナ」東城(観景台)
360度、眺めが最高! -
「東のアザナ」東城(観景台)からの眺め
【「西(いり)のアザナ」に対し、城郭の東端に築かれた物見台で、標高約140mの位置にあり城外の町や城内の正殿裏・御内原(おうちばら)一帯を展望することができる場所である。天候によっては久?島を見ることもできる。別名「高アザナ」ともいう。また「漏刻門(ろうこくもん)」や「西のアザナ」とともに時刻を城内に知らせる役割を担った場所でもあった。さらに東側城壁外は「上の毛(いいのもう)」と呼ばれる聖地である。】首里城公園HPより -
「東のアザナ」東城(観景台)からの眺め
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「東のアザナ」東城(観景台)からの眺め
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「東のアザナ」東城(観景台)からの眺め
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「東のアザナ」東城(観景台)からの眺め
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「東のアザナ」東城(観景台)からの眺め
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「東のアザナ」東城(観景台)からの眺め
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「東のアザナ」東城(観景台)からの眺め
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「東のアザナ」東城(観景台)からの眺め
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「東のアザナ」東城(観景台)からの眺め
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「東のアザナ」東城(観景台)からの眺め
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下山します。
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お風呂だったような気がする?
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世誇殿(よほこりでん)内部
4K高画質18面モニターによる首里城ムービーを上映中! -
売店
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売店
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売店
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正殿修復中
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正殿修復中
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正殿修復中
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右掖門(うえきもん)
【国王の親族や女官の生活の場であった正殿裏側エリア(御内原)へと通じる門】説明版からです。 -
右掖門(うえきもん)
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右掖門(うえきもん)
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帰路
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「久慶門(きゅうけいもん)」
【別名「ほこり御門(うじょう)」ともいう。. 歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、ここは通用門で主に女性が利用したといわれている。】首里城HPより -
「久慶門(きゅうけいもん)」
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今回の見学順路
見学時間は約45分位であった。
正殿と宝物が焼失して見学できずに残念であった。
ーー見学終了ーー
この後、空港近くのレンタカー返納場所へ向かうのであるが、那覇市内は大渋滞でした。車での移動は時間に余裕を持って行動したほうが良い。
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