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デルタ株の猛威もあり、8月までは仕事以外はほとんど引きこもり生活。<br />しかし9月以降は何か月も前から楽しみにしていた舞台が目白押し。<br />と言っても、ほとんど(というか全て…)お能関連…<br />ということでこれ以降、怒涛の観能記録が続きます。<br />第2弾は目黒にある喜多能楽堂での喜多流自主公演の観能記録です。<br />

娘の投稿第二弾~喜多能楽堂でお能をみる~

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2021/09/26 - 2021/09/26

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アルデバラン

アルデバランさん

デルタ株の猛威もあり、8月までは仕事以外はほとんど引きこもり生活。
しかし9月以降は何か月も前から楽しみにしていた舞台が目白押し。
と言っても、ほとんど(というか全て…)お能関連…
ということでこれ以降、怒涛の観能記録が続きます。
第2弾は目黒にある喜多能楽堂での喜多流自主公演の観能記録です。

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  • 今回は能の五流派である喜多流の本拠地・喜多能楽堂。<br />目黒駅が最寄で、徒歩5分程度で着く。<br />喜多能楽堂がある通りは通称「ドレメ通り」と呼ばれているが、その由来は服飾系の学校であるドレスメーカー学院 杉野学園がある通りで、「ドレスメーカー」だから「ドレメ」。<br /><br />それにしてもこの喜多能楽堂に向かうには、車だろうと徒歩だろうと基本的に目黒駅側から来ることになると思うので、ぼんやり歩いているとうっかりそのマヌケ面を楽屋入りに向かう演者さんに見られ、後日「アルデバランの娘さん、この間の舞台来てたでしょ?」と言われかねない。<br />能ある鷹は爪を隠したいタイプ笑なので、休日も実は勉強のためにこうして演者さんの舞台を観に行っていることはあまり知られたくない。<br />というか普通にプライベートの日は仕事モードでは当然ないので、仕事関係の人とバッタリ会ってしまった時の頭のスイッチが効かない。<br />けど、お能は見たいし、勉強もしたい。<br />趣味がもはや仕事になっていることは幸せなことだとつくづく思うが、こういう時に困る。<br /><br />ということで、ドレメ通りの写真を撮ることもなく、誰にも見つからないよう足早に能楽堂に向かう。

    今回は能の五流派である喜多流の本拠地・喜多能楽堂。
    目黒駅が最寄で、徒歩5分程度で着く。
    喜多能楽堂がある通りは通称「ドレメ通り」と呼ばれているが、その由来は服飾系の学校であるドレスメーカー学院 杉野学園がある通りで、「ドレスメーカー」だから「ドレメ」。

    それにしてもこの喜多能楽堂に向かうには、車だろうと徒歩だろうと基本的に目黒駅側から来ることになると思うので、ぼんやり歩いているとうっかりそのマヌケ面を楽屋入りに向かう演者さんに見られ、後日「アルデバランの娘さん、この間の舞台来てたでしょ?」と言われかねない。
    能ある鷹は爪を隠したいタイプ笑なので、休日も実は勉強のためにこうして演者さんの舞台を観に行っていることはあまり知られたくない。
    というか普通にプライベートの日は仕事モードでは当然ないので、仕事関係の人とバッタリ会ってしまった時の頭のスイッチが効かない。
    けど、お能は見たいし、勉強もしたい。
    趣味がもはや仕事になっていることは幸せなことだとつくづく思うが、こういう時に困る。

    ということで、ドレメ通りの写真を撮ることもなく、誰にも見つからないよう足早に能楽堂に向かう。

  • 着きました。<br />知っている人でないと絶対に見過ごしてしまいそうな案内板。<br />5年前に初めて訪れた時も、駅から近くで迷うはずもないようなところなのに、何度も往復してやっとたどり着いたのを思い出します。<br /><br />読み方は”きた ろっぺいた”。<br />何だかひらがなで書くと可愛いですが、この能楽堂は喜多流元祖以来の名人と謳われた十四世 喜多六平太の功績を記念して設立された能楽堂。<br />喜多流の元祖は江戸時代初期に活躍した喜多七太夫とのことなので、十四世は江戸時代以来の名人ということで大変な人なのですね。<br /><br />ちなみに喜多流は現在、五流派の中で唯一宗家が不在。<br />というのも別にお家騒動が勃発しているとかそういうことではなく(多分)、この十四世の孫にあたる十六世には実子も養子もいなかったようで、2016年に逝去されてからは喜多流の職分(宗家筋以外のプロ能楽師のこと)達で合議制で様々な取り決めを行って流儀を運営しているのだとか。<br />宗家=お家元という絶対的な存在がいる流儀はもちろん対外的なプロモーションには事欠かないことでしょうが、私は喜多流の能楽師の方々の個人でたっている雰囲気も結構好きです。<br />

    着きました。
    知っている人でないと絶対に見過ごしてしまいそうな案内板。
    5年前に初めて訪れた時も、駅から近くで迷うはずもないようなところなのに、何度も往復してやっとたどり着いたのを思い出します。

    読み方は”きた ろっぺいた”。
    何だかひらがなで書くと可愛いですが、この能楽堂は喜多流元祖以来の名人と謳われた十四世 喜多六平太の功績を記念して設立された能楽堂。
    喜多流の元祖は江戸時代初期に活躍した喜多七太夫とのことなので、十四世は江戸時代以来の名人ということで大変な人なのですね。

    ちなみに喜多流は現在、五流派の中で唯一宗家が不在。
    というのも別にお家騒動が勃発しているとかそういうことではなく(多分)、この十四世の孫にあたる十六世には実子も養子もいなかったようで、2016年に逝去されてからは喜多流の職分(宗家筋以外のプロ能楽師のこと)達で合議制で様々な取り決めを行って流儀を運営しているのだとか。
    宗家=お家元という絶対的な存在がいる流儀はもちろん対外的なプロモーションには事欠かないことでしょうが、私は喜多流の能楽師の方々の個人でたっている雰囲気も結構好きです。

  • こちらが喜多能楽堂の能舞台。<br />こちらも多分に漏れず建物の中に建物スタイルで屋根がついているわけですが、第一弾の宝生能楽堂とは違って…<br /><br />寄棟ですね!!!(どうでもいい?)<br /><br />前回の宝生能楽堂が気になった方はどうぞ前回投稿をご確認いただければと思いますが、宝生は入母屋です。<br />大学では建築史系のゼミに所属していたので、こういうのを見るとおぉ!と思います。<br /><br />また能楽堂・能舞台ごとに異なるといえば、松の絵が描かれているいわゆる鏡板(かがみいた)。<br />これがなぜ「鏡板」というかについて、舞台関係の仕事をしているので、ワークショップなどの場で子どもや初心者向けに説明することがよくあるのですが、いつも説明に苦慮します。<br />一般的には、奈良・春日大社の「影向(ようごう)の松」に由来するとされていて、影向とは神仏が現世に降臨することを意味し、この「影向の松」には春日明神の化身が宿っているとされているそうです。<br />芸能というのは宗教儀礼や祈りと密接に関わっているものですが、能楽でも能舞台の反対側=客席側に神様が降臨していると考えられていて、その神様の姿を鏡のように映した、だから「鏡板かがみいた」。<br /><br />学生時代京都に住んでおり、研究室のゼミ仲間の卒論調査の手伝いで春日大社で毎年12月に行われる「春日若宮おん祭」に何度か行ったことがあるのですが、そのお祭りでは参道途中にある「影向の松」の前で行われる「松の下式」という儀式がありました。<br />これは春日大社に参詣にきた各種芸能者達が、「影向の松」の前を通る時に松に宿っている神様の前で自分の芸を披露してからでないと、前を通るのを許されない…といったようなもので、実際に能楽師の方やその他様々な芸能に携わる方々が、松の前で舞などを披露していたのを覚えています。<br /><br />ま、こういった謂れを子どもたちに話しても大抵「ふーん」といった感じで終わりますが。<br />そういったトリビア的なことが面白いと思うのは我々大人だけなのかもしれないです。<br />ちなみに、鏡板が定着するのは桃山時代になってかららしく、そう考えると客席側にいる神様の姿を映したからという説明も後世の創作では?という説もあるそうです。<br />ただ、そういったみる者を惹きつけるけど、漠としていて核心にいつもたどり着けないたどり着かせてくれないのも、また能楽の不思議な魅力だよねーと自分を納得させています。<br /><br />能楽堂によっては、花が咲いた松、雪がうっすら積もった松をたたえた舞台になっているところもあると、どこか何かで見聞きした覚えがあります。<br />能舞台ごとの趣向の違いを探してみるのも面白いかもしれません。<br /><br /><br />

    こちらが喜多能楽堂の能舞台。
    こちらも多分に漏れず建物の中に建物スタイルで屋根がついているわけですが、第一弾の宝生能楽堂とは違って…

    寄棟ですね!!!(どうでもいい?)

    前回の宝生能楽堂が気になった方はどうぞ前回投稿をご確認いただければと思いますが、宝生は入母屋です。
    大学では建築史系のゼミに所属していたので、こういうのを見るとおぉ!と思います。

    また能楽堂・能舞台ごとに異なるといえば、松の絵が描かれているいわゆる鏡板(かがみいた)。
    これがなぜ「鏡板」というかについて、舞台関係の仕事をしているので、ワークショップなどの場で子どもや初心者向けに説明することがよくあるのですが、いつも説明に苦慮します。
    一般的には、奈良・春日大社の「影向(ようごう)の松」に由来するとされていて、影向とは神仏が現世に降臨することを意味し、この「影向の松」には春日明神の化身が宿っているとされているそうです。
    芸能というのは宗教儀礼や祈りと密接に関わっているものですが、能楽でも能舞台の反対側=客席側に神様が降臨していると考えられていて、その神様の姿を鏡のように映した、だから「鏡板かがみいた」。

    学生時代京都に住んでおり、研究室のゼミ仲間の卒論調査の手伝いで春日大社で毎年12月に行われる「春日若宮おん祭」に何度か行ったことがあるのですが、そのお祭りでは参道途中にある「影向の松」の前で行われる「松の下式」という儀式がありました。
    これは春日大社に参詣にきた各種芸能者達が、「影向の松」の前を通る時に松に宿っている神様の前で自分の芸を披露してからでないと、前を通るのを許されない…といったようなもので、実際に能楽師の方やその他様々な芸能に携わる方々が、松の前で舞などを披露していたのを覚えています。

    ま、こういった謂れを子どもたちに話しても大抵「ふーん」といった感じで終わりますが。
    そういったトリビア的なことが面白いと思うのは我々大人だけなのかもしれないです。
    ちなみに、鏡板が定着するのは桃山時代になってかららしく、そう考えると客席側にいる神様の姿を映したからという説明も後世の創作では?という説もあるそうです。
    ただ、そういったみる者を惹きつけるけど、漠としていて核心にいつもたどり着けないたどり着かせてくれないのも、また能楽の不思議な魅力だよねーと自分を納得させています。

    能楽堂によっては、花が咲いた松、雪がうっすら積もった松をたたえた舞台になっているところもあると、どこか何かで見聞きした覚えがあります。
    能舞台ごとの趣向の違いを探してみるのも面白いかもしれません。


  • 今回の目的は能「半蔀(はしとみ)」<br />半蔀は、源氏物語の「夕顔」の段に依拠した能。<br />今回はお能が始まる前にシテ方喜多流能楽師の大島輝久師の解説がありました。<br />大島師はとても理知的でもユーモアもあるお話上手な方だったにも関わらず、師のお話で覚えているのは…<br /><br />「夕顔は男性人気が高い、一方女性人気が高いのはやはり…六条御息所 笑」というところ。<br /><br />でも、今回のお能の目的であった「半蔀」よりも印象に残っているのは、先に演能された「通小町」。<br />能には小町物と呼ばれる〇〇小町と名の付く能曲があり、今回の「通小町」もその一つ。小町物はそのものずばり小野小町にフィーチャーした作品ですが、今回の「通小町」の主役は小野小町ではなく、小野小町に恋した深草少将。<br />その昔、小野小町に恋していた深草少将、本当は全く相手にする気などない小町に「百日途切れず毎日通ってきたら(百夜通い)、相手してあげる」と言われ本当に毎日通ってくる。<br />でも、あと1回でやっと百日目という日に思いを果たせず途中で死んでしまう。<br />お能は死んだ人の未だ晴れない執念や呪詛?などの人間の業を扱っていることが多いので、「通小町」も二人が亡くなった後の世界に二人が蘇り、地獄に落ちた後も続く苦しみを切々と訴え、ワキ方(僧侶や山伏などが多い)に話を聞いてもらってようやく成仏できる…的なお話です。<br /><br />これはぜひお能に興味のない人にも見ていただきたいのですが、深草少将の登場の仕方が…すごいんです。<br />これから見る人のネタバレになってほしくないので…何というか…執着にまみれてるなぁ…という、深草少将の苦しみ・感情というのはまぁ普遍的なものかと思うのですが、これをこの姿勢・この型で表現しようと思ったのは一体誰なんでしょう。<br />と思ったら、世阿弥でした。やっぱり世阿弥ってすごいですね。<br />

    今回の目的は能「半蔀(はしとみ)」
    半蔀は、源氏物語の「夕顔」の段に依拠した能。
    今回はお能が始まる前にシテ方喜多流能楽師の大島輝久師の解説がありました。
    大島師はとても理知的でもユーモアもあるお話上手な方だったにも関わらず、師のお話で覚えているのは…

    「夕顔は男性人気が高い、一方女性人気が高いのはやはり…六条御息所 笑」というところ。

    でも、今回のお能の目的であった「半蔀」よりも印象に残っているのは、先に演能された「通小町」。
    能には小町物と呼ばれる〇〇小町と名の付く能曲があり、今回の「通小町」もその一つ。小町物はそのものずばり小野小町にフィーチャーした作品ですが、今回の「通小町」の主役は小野小町ではなく、小野小町に恋した深草少将。
    その昔、小野小町に恋していた深草少将、本当は全く相手にする気などない小町に「百日途切れず毎日通ってきたら(百夜通い)、相手してあげる」と言われ本当に毎日通ってくる。
    でも、あと1回でやっと百日目という日に思いを果たせず途中で死んでしまう。
    お能は死んだ人の未だ晴れない執念や呪詛?などの人間の業を扱っていることが多いので、「通小町」も二人が亡くなった後の世界に二人が蘇り、地獄に落ちた後も続く苦しみを切々と訴え、ワキ方(僧侶や山伏などが多い)に話を聞いてもらってようやく成仏できる…的なお話です。

    これはぜひお能に興味のない人にも見ていただきたいのですが、深草少将の登場の仕方が…すごいんです。
    これから見る人のネタバレになってほしくないので…何というか…執着にまみれてるなぁ…という、深草少将の苦しみ・感情というのはまぁ普遍的なものかと思うのですが、これをこの姿勢・この型で表現しようと思ったのは一体誰なんでしょう。
    と思ったら、世阿弥でした。やっぱり世阿弥ってすごいですね。

  • 「通小町」「半蔀」、そしてこれまたお目当ての狂言「腰祈」を堪能して、いやはや期せずして予想外によい舞台だったなぁ、とほくほく気分でこの階段を下りた時に危うく事件が。<br />階段横の駐車場スペース手前が演者さんの喫煙スペースになっているのですが、そこで仕事でお世話になっている演者さん方がもくもく…<br />一瞬目が合ったような気がしたので、とっさにこれらの車の影に隠れながら隠れながらして這う這うの体で帰りました。<br />別にやましいことしてるわけでも何でもないので、そんなに慌てる必要もないのですが。<br />というかこちらはせっかく夢見心地で能楽堂を後にしているんだから、喫煙はもっとお客さんの目につかないとこで吸ってぇ~

    「通小町」「半蔀」、そしてこれまたお目当ての狂言「腰祈」を堪能して、いやはや期せずして予想外によい舞台だったなぁ、とほくほく気分でこの階段を下りた時に危うく事件が。
    階段横の駐車場スペース手前が演者さんの喫煙スペースになっているのですが、そこで仕事でお世話になっている演者さん方がもくもく…
    一瞬目が合ったような気がしたので、とっさにこれらの車の影に隠れながら隠れながらして這う這うの体で帰りました。
    別にやましいことしてるわけでも何でもないので、そんなに慌てる必要もないのですが。
    というかこちらはせっかく夢見心地で能楽堂を後にしているんだから、喫煙はもっとお客さんの目につかないとこで吸ってぇ~

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