2021/09/17 - 2021/09/17
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ガッサンさん
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伊予の小京都と呼ばれる愛媛県大洲市。大洲市の中央を流れる、愛媛県最大の河川「肱川」。肱川あらしは全国的に有名な自然現象です。小京都大洲の二大観光スポット「大洲城」と「臥龍山荘」を訪れた旅の記録です。
清流肱川の畔に建つ大洲城、その天守は明治期に姿を消しました。そして百四年。再び四層四階の木像天守が威風堂々とした往年の姿で甦った。
臥龍院は茅葺屋根の農家風の外観をもつ。桂離宮・修学院離宮・梨本宮御常御殿などを参考に相談役に茶室建築家の八木氏を迎えたとされる。施工は大洲、京都の名大工。建物細部には千家の茶道具職家、絵画は当時の日本画家鈴木松年に依頼して完成させた、類い稀な名建築と言われる。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス JRローカル 徒歩
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大洲市の2大観光スポットと言うべき、大洲城を紹介します。
大洲城は江戸時代初期、藤堂高虎・脇坂安治らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えました。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄しました。
写真は四層四階の復元した木像天守閣と重文の高欄櫓です。大洲城 名所・史跡
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おはなはんの1年間の平均視聴率は45.8%。最高視聴率が56.4%、驚異な数値である。放映当時、その人気故に毎朝放映時間になると水道の使用量が激減する現象が全国で見られたと言う、国民的人気ドラマとなった。故に今も「おはなはん通り」が残っている。
この通りは伊予の小京都、大洲を代表する通り、と言っても過言ではない。おはなはん通り 名所・史跡
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観光列車「伊予灘ものがたり」でJR伊予大洲駅に到着しました。JR伊予大洲駅から観光バスで「大洲まちの駅 あさもや」へ向いました。
伊予大洲駅 駅
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JR伊予大洲駅前のロータリーです。人通りもなく、本当に静かな街です。
伊予大洲駅 駅
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「大洲まちの駅 あさもや」は古き良き町並み散策の拠点です。「大洲レトロタウン」の中心部に位置し、物産品販売コーナーや実演販売コーナー、観光案内所、レストランに加え、大洲の町並みを走る人力車や肱川の遊覧船の予約もすることもできる施設です。
大洲まちの駅あさもや 道の駅
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「大洲まちの駅あさもや」には、愛媛県特産の柑橘類の販売コーナーがあります。
大洲まちの駅あさもや 道の駅
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販売コーナーには、愛媛県特産の柑橘類の加工品、ジュースも販売しています。
大洲まちの駅あさもや 道の駅
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松山へ出張へ来ると決まってお土産に「じゃこ天」をもらいました。じゃこ天は愛媛県人にとって自慢の逸品です。
販売コーナーでは、大洲ならではの商品を一同に揃え、思わずどれも欲しくなるものばかり、と言う。大洲を知るために「大洲まちの駅あさもや」は避けては通れない場所です。大洲まちの駅あさもや 道の駅
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大洲市観光の一番めは、何と言っても大洲市民の誇り「大洲城」です。道標を頼りに大洲城へ向いました。「大洲まちの駅あさもや」から歩きました。
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ここにはかつて「櫓下御門(やぐらしたごもん)」がありました。この門は、二の丸の表門にあたる櫓門です。
大洲城 名所・史跡
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大洲城四層四階の天守閣が見えて来ました。見事な天守閣です。
清流肱川の畔に城が築かれ多くの武将達が主となった大洲城、その天守が明治期に姿を消して百四年…再び四層四階の木像天守が威風堂々とした往年の姿で甦った。大洲城 名所・史跡
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ここは「二の丸御殿」跡です。御殿は、城主が政治を執り行う表御殿と、城主の住まいにあたる奥御殿に分かれていました。下の曲輪は表御殿が、上の曲輪には奥御殿が立ち並んでいました。
大洲城 名所・史跡
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ここは「御門番長屋」です。この建物は、曲輪内の仕切り塀の門に附属する長屋です。
「御門番長屋」の解説の下に大洲市は「男はつらいよ」寅次郎と殿様のロケ地になった、とありました。大洲城 名所・史跡
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この建物は「御門番長屋」です。
大洲城 名所・史跡
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暗り門跡(くらがりもんあと)です。この門は、天守に到る最後の城門で城内でも最も大きい櫓門です。
大洲城 名所・史跡
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四層四階の復元した木像天守閣と重文の台所櫓です。
ここは大洲城をバックに記念撮影する場所でしょうか。大洲城 名所・史跡
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ここは大洲城内に入る入口です。大洲城+臥龍山荘の共通観覧券を購入しました。大人お一人¥880です。見学時間は午前9時~午後5時まで。札止が午後4時30分。
クレジットカードやポイントカードなどは一切使用できません。現金のみです。大洲城 名所・史跡
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梁に使用されたほとんどの木材は樹齢300年を超える国産林です。標高が高く、寒いところで育っているため、年輪が細くその分強度があるのが特徴です。
大洲城 名所・史跡
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元弘元年(1331年)頃か、大洲城が築城された際の様子を再現した模型です。
大洲城 名所・史跡
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甲冑のレプリカの展示もあります。
大洲城 名所・史跡
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大洲城天守は2004年に完成した新しいものです。古い史料などが比較的残っていたので、構造はほぼ昔の状態を忠実に再現しました。従って、階段も当時の急勾配を再現しています。国宝犬山城の急勾配の階段と同じです。
大洲城 名所・史跡
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大洲城の櫓で使用されていた鯱瓦です。
大洲城 名所・史跡
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四層四階の天守閣からの眺望です。下を流れる川は肱川。伊予大洲駅方面を撮影。
大洲城 名所・史跡
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四層四階の天守閣からの眺望です。流れる川は肱川、天然の内堀を兼ねているようです。
大洲城 名所・史跡
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天守閣築城ジオラマです。当時の築城時の様子を再現したものです。
大洲城 名所・史跡
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天守閣築城ジオラマです。生き生きと働く人々の姿が印象的です。
大洲城 名所・史跡
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戦後復元された木造天守としての四層四階は日本初で、19.15mの高さは日本一だそうです。使用された木材はすべて国産材で、天守の内部に足を踏み入れれば、城郭建築特有の迫力ある木組だった。
大洲城 名所・史跡
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ここは本町通り、本町二丁目、戦前の風景そのままに、古い看板や昔ながらのお店が立ち並んでいます。
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本町通りです。古き街並みを残した通りです。
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伊予の小京都と呼ばれる大洲市にある「ひらぢ屋提灯店」です。
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旧裏町三丁目は、NHK連続テレビ小説 第6作「おはなはん」(1966年4月4日~1967年4月1日)のロケ地になり、それ以後「おはなはん通り」と呼ばれるようになった。
おはなはん通り 名所・史跡
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花が生まれ育った町。後にドラマのタイトルが通りの呼び名に。城下町の情緒を味わいながら街並みを散策できる。
おはなはん通り 名所・史跡
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「おはなはん通り休憩所」です。
おはなはん通り 名所・史跡
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「おはなはん通り休憩所」の中に入ってみました。
おはなはんのあらすじは、お見合いで結婚するも陸軍将校の夫と死別。女手一つで子供を育てながら、困難を乗り越えて行く姿を描いた作品です。おはなはん通り 名所・史跡
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石畳のおはなはん通りです。小京都、伊予の情緒を残した通りです。
おはなはん通り 名所・史跡
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大洲城から歩き、臥龍山荘に到着しました。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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「渡辺勘兵衛(わたなべかんべえ)邸跡(やしきあと)」の案内板が立っていました。
渡辺勘兵衛は、藤堂高虎と同じ近江国生まれで、秀吉に従い度々の戦に戦功がありましたが、関ケ原の戦いで敗れ、浪人となりました。1601年(慶長六年)勘兵衛は、武将としての実力により高虎に二万石の大禄をもって召し抱えられ、高虎の城代として大洲に入りました。と、案内板にあった。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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三連打ちの「飛び石」が動線になっていて、その上を渡り歩きました。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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臥龍院です。臥龍院は茅葺屋根の農家風の外観をもつ。桂離宮・修学院離宮・梨本宮御常御殿などを参考に相談役に茶室建築家の八木氏を迎えたとされる。施工は大洲、京都の名大工。建物細部には千家の茶道具職家、絵画は当時の日本画家鈴木松年に依頼して完成させた、類い稀な名建築である。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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臥龍院の縁側を歩いています。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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臥龍院の縁側から見た「飛び石」。飛び石が動線になっていて、その上を渡り歩きながら、散策できます。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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臥龍院です。縁側から「霞月(かげつ)の間」方向を見ています。
農家の侘びた風情を感じさせる茶室です。霞を表す違い棚や月を表現した丸窓など、匠の細やかな心配りを随所に感じることが出来ます。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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「壱是(いっし)の間」です。
格調高い書院座敷で畳を上げれば能舞台となり、床下には音響をよくするための備前壺が並んでいる。本床の松皮菱の花頭窓は、桂離宮新御殿と同じ櫛形の黒漆縁となっている。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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庭園の木々の間から肱川が見えます。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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臥龍院の「壱是(いっし)の間」の縁側です。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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「知止庵」側から見た臥龍院です。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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「不老庵(ふろうあん)」から見た肱川です。
不老庵は臥龍淵を足下にみる崖に舞台造りに建つ数寄屋造りの庵は、建物そのものを船に見立てている。月光反射を狙った竹綱代張り天井や生きた槇の木を使った「捨て柱」など、巧妙な趣向を凝らしている。縁続きには京都大徳寺弧蓬庵に見るような茶室がある。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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不老庵から見る「肱川」です。
肱川は「肱川あらし」で全国的に有名です。「肱川あらし」とは、毎年10月から翌年3月頃にかけて、肱川中流に位置する大洲盆地から河口の長浜にかけて起こる、さまざまな条件がそろうことで発生する自然現象です。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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不老庵から見る肱川の臥龍淵です。淵は深い色をしています。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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不老庵です。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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不老庵に飾ってあった紅葉時の写真です。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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「知止庵(ちしあん)」です。
知止庵はかつて浴室だった建物を昭和24年茶室に改造。陽明学者中江藤樹の教えから「知止」と庵名が生まれた。壁の腰張は、第3代藩主泰恒の「茶方日記」の反古を貼り、侘びた雰囲気を演出している。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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臥龍院の縁側です。
滞在時間が少なく、大洲の二大観光スポットの大洲城と臥龍山荘しか見ることができなかった。
大洲には歴史が息づいている、日本三大鵜飼いの鵜飼いをはじめ「ひじかわ遊覧」「臥龍の渡し」「いもたき」「ポコペン横丁」「大名行列」など四季に渡る、盛り沢山のイベントがある、いつになるかわからないが見てみたいものである。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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