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11月13日は茨城県民の日だそうです。<br /><br />「海が見たいね」という気分の、”海なし県住民”のファーストチョイスは、福島県の海がこれまででしたが、「その日にあやかろう」と茨城県北茨城市、五浦海岸を訪れました。<br /><br />うん?「海岸」というよりは「崖」だな<br />、、いや「崖」って言うな、、<br /><br />そこは古代からの時代の地層が”隆起”ってやつの活動で地上にその層をあらわした風光明媚な土地でして。<br /><br />「岡倉天心」さんという明治時代の方が、日本の美術を発展させるために、弟子(と呼んでいいかは、後述予定)たちとともに、「みやこ、東京」から離れて、居を構えた場所でした。<br /><br />

岡倉天心と茨城県民の日

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2021/11/13 - 2021/11/13

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sally

sallyさん

11月13日は茨城県民の日だそうです。

「海が見たいね」という気分の、”海なし県住民”のファーストチョイスは、福島県の海がこれまででしたが、「その日にあやかろう」と茨城県北茨城市、五浦海岸を訪れました。

うん?「海岸」というよりは「崖」だな
、、いや「崖」って言うな、、

そこは古代からの時代の地層が”隆起”ってやつの活動で地上にその層をあらわした風光明媚な土地でして。

「岡倉天心」さんという明治時代の方が、日本の美術を発展させるために、弟子(と呼んでいいかは、後述予定)たちとともに、「みやこ、東京」から離れて、居を構えた場所でした。

旅行の満足度
4.5
同行者
友人
交通手段
自家用車
  • 土曜日、午前10時 <br /><br />北茨城市。 <br /><br />

    土曜日、午前10時 

    北茨城市。 

  • 茨城県立 天心記念五浦美術館に、入館。

    茨城県立 天心記念五浦美術館に、入館。

  • ロビーを入り、すぐ左手にこの絶景。<br /><br />

    ロビーを入り、すぐ左手にこの絶景。

  • この日、11月13日は「茨城県民の日」ということで<br /><br />入館料がタダでした。(なんと)<br /><br />(いばらき県民じゃないのに!)<br /><br />ありがたや。

    この日、11月13日は「茨城県民の日」ということで

    入館料がタダでした。(なんと)

    (いばらき県民じゃないのに!)

    ありがたや。

  • この美術館は、岡倉天心(おかくらてんしん)さんという明治時代の方が、今に引き継がれる日本美術(とくに絵画部門)の発展に尽力された功績を讃える展示が最初にありました。<br /><br />(写真は、あとから訪れるホテル五浦観光ホテルの展示)<br /><br />

    この美術館は、岡倉天心(おかくらてんしん)さんという明治時代の方が、今に引き継がれる日本美術(とくに絵画部門)の発展に尽力された功績を讃える展示が最初にありました。

    (写真は、あとから訪れるホテル五浦観光ホテルの展示)

  • 「岡倉天心」という名前は聞いたことがあると思うんですが、はて、どんな絵を描いたのか・・・(この問いは後に続く)<br /><br />さて、この美術館は、じつに空間がゆったりしており、見やすく、解説が多すぎない工夫された展示で、わたしたちは十分堪能することができました。<br /><br />日本画の他に、西洋絵画、近代のものまでありますが、<br />中でも、わたしはエッチングの山本容子さんの作品が、クスっとなって良かったです。<br />

    「岡倉天心」という名前は聞いたことがあると思うんですが、はて、どんな絵を描いたのか・・・(この問いは後に続く)

    さて、この美術館は、じつに空間がゆったりしており、見やすく、解説が多すぎない工夫された展示で、わたしたちは十分堪能することができました。

    日本画の他に、西洋絵画、近代のものまでありますが、
    中でも、わたしはエッチングの山本容子さんの作品が、クスっとなって良かったです。

  • 正午まえ、<br /><br />「お昼ご飯はどこにしよう?」<br /><br />美術館の受付の方が、そんな私たちの会話を耳にしたのか、この、るるぶ小冊子版をくれました。<br />親切ぅ~!

    正午まえ、

    「お昼ご飯はどこにしよう?」

    美術館の受付の方が、そんな私たちの会話を耳にしたのか、この、るるぶ小冊子版をくれました。
    親切ぅ~!

  • で、食事処「船頭料理”天心丸”」に行ってみましたが、<br />30分から1時間の順番待ちってことで、<br />周辺をぶらぶら散歩。<br /><br />こちら、「五浦観光ホテル 別館大観荘」のロビーです。<br /><br /><br />

    で、食事処「船頭料理”天心丸”」に行ってみましたが、
    30分から1時間の順番待ちってことで、
    周辺をぶらぶら散歩。

    こちら、「五浦観光ホテル 別館大観荘」のロビーです。


  • 五浦(いづら)海岸の、こんな岸壁に立つホテルなんです。<br /><br />大観荘の「大観」は、横山大観さんという著名な日本画家から取ったと思われます。<br /><br />その横山さんもこの五浦に住んでいたのも、あとに書きます。

    五浦(いづら)海岸の、こんな岸壁に立つホテルなんです。

    大観荘の「大観」は、横山大観さんという著名な日本画家から取ったと思われます。

    その横山さんもこの五浦に住んでいたのも、あとに書きます。

  • ロビーからはこんな絶景が広がる。。。<br /><br />ここは、きっと、そのうち泊まりに来るような気がしてきました。<br />

    ロビーからはこんな絶景が広がる。。。

    ここは、きっと、そのうち泊まりに来るような気がしてきました。

  • <br />お宿は温泉らしく、そこからも当然、こんな絶景を眺められるわけで。


    お宿は温泉らしく、そこからも当然、こんな絶景を眺められるわけで。

  • 12時30分頃だったでしょうか、<br /><br />お昼ごはんのお店まで、歩いて戻ってみることにしました。

    12時30分頃だったでしょうか、

    お昼ごはんのお店まで、歩いて戻ってみることにしました。

  • 13時頃、<br /><br />「船頭料理 天心丸」さん。<br /><br />海鮮丼 (!)

    13時頃、

    「船頭料理 天心丸」さん。

    海鮮丼 (!)

  • 丼の裏側から取った一枚。<br /><br />わたしたちは、、そう、この時は<br /><br />この「巨大な」海鮮丼の”意味”がわかっていなかった。

    丼の裏側から取った一枚。

    わたしたちは、、そう、この時は

    この「巨大な」海鮮丼の”意味”がわかっていなかった。

  • だって、海鮮丼って、すし飯に「お刺身」がのってるんだよね?<br /><br />そのお刺身のサイズは、、これって、、、<br /><br />うちの県では、こういうの、お魚の「切り身」って呼ぶんだけど(!)<br /><br />サイズ感がわかるように、お箸の紙袋置いたから。。。<br /><br />こんなのがね、”折り、畳んで(!)”、丼の器に”詰まってるの!!!

    だって、海鮮丼って、すし飯に「お刺身」がのってるんだよね?

    そのお刺身のサイズは、、これって、、、

    うちの県では、こういうの、お魚の「切り身」って呼ぶんだけど(!)

    サイズ感がわかるように、お箸の紙袋置いたから。。。

    こんなのがね、”折り、畳んで(!)”、丼の器に”詰まってるの!!!

  • マグロのお刺身、いや、これは刺身じゃない、、、<br /><br />とにかく、このマグロなんて、”お習字に使う「文鎮(ぶんちん)」に似てないか?”<br /><br />ってツッコミたいわけです。<br /><br />でもね、そんな笑っちゃうほどの大きさと、驚きでもね、<br /><br />マスク取っているから、「黙って食事」がマナーなわけで言えなかった。<br /><br />帰りの道中に思い出して笑っちゃいました。<br /><br />

    マグロのお刺身、いや、これは刺身じゃない、、、

    とにかく、このマグロなんて、”お習字に使う「文鎮(ぶんちん)」に似てないか?”

    ってツッコミたいわけです。

    でもね、そんな笑っちゃうほどの大きさと、驚きでもね、

    マスク取っているから、「黙って食事」がマナーなわけで言えなかった。

    帰りの道中に思い出して笑っちゃいました。

  • で、結局、わたしはほとんど食べられませんでした。<br /><br />もう、なんか圧倒されちゃったの。<br /><br />このタラの切り身とか、”湯豆腐に入れるやつじゃん”ってのが頭から離れんのです。<br /><br />口に一回で入らないサイズのお刺身をどう扱うのか、とか、もう小さくパニックだった。<br /><br />「海なし県民、日和る・・・」の巻。

    で、結局、わたしはほとんど食べられませんでした。

    もう、なんか圧倒されちゃったの。

    このタラの切り身とか、”湯豆腐に入れるやつじゃん”ってのが頭から離れんのです。

    口に一回で入らないサイズのお刺身をどう扱うのか、とか、もう小さくパニックだった。

    「海なし県民、日和る・・・」の巻。

  • で、<br />お刺身を持って帰るには「保冷剤」が必要ってわけで、<br /><br />食事後に<br /><br />「よーそろー」(”よく揃う”って意味だと思う)という市場まで行きました<br /><br />そこで買い物して、保冷剤もらいました。<br /><br />そこで買ったもの。<br /><br />ひいか、と、網エビの佃煮は2個で500円。<br />イカにしらすが詰まった(なんてことをするんだ、、、)やつは350円だったかな?<br /><br />写真はないけど、おばさんがいい感じの人で癒された。<br />いばらき、好きかも。

    で、
    お刺身を持って帰るには「保冷剤」が必要ってわけで、

    食事後に

    「よーそろー」(”よく揃う”って意味だと思う)という市場まで行きました

    そこで買い物して、保冷剤もらいました。

    そこで買ったもの。

    ひいか、と、網エビの佃煮は2個で500円。
    イカにしらすが詰まった(なんてことをするんだ、、、)やつは350円だったかな?

    写真はないけど、おばさんがいい感じの人で癒された。
    いばらき、好きかも。

  • さて、この日の後半に行きましょう。<br /><br />これを書いていて思ったのですが、この日、この小さくコンパクトにまとまった、おそらく半径2キロ範囲くらいのところに点在する施設を歩いてまわっただけなんですが、なかなかの充実感でした。<br /><br />午前中に訪れた「天心記念五浦美術館」が地図の一番上にありますね?<br /><br />「大津港」と文字の置かれているあたりに、メガ丼を頂いた「天心丸」という食事どころがありまして、<br /><br />これから訪れるのは「五浦六角堂」です。<br />

    さて、この日の後半に行きましょう。

    これを書いていて思ったのですが、この日、この小さくコンパクトにまとまった、おそらく半径2キロ範囲くらいのところに点在する施設を歩いてまわっただけなんですが、なかなかの充実感でした。

    午前中に訪れた「天心記念五浦美術館」が地図の一番上にありますね?

    「大津港」と文字の置かれているあたりに、メガ丼を頂いた「天心丸」という食事どころがありまして、

    これから訪れるのは「五浦六角堂」です。

  • こちらが、「五浦六角堂」です。<br /><br />ここが何かっていうと、岡倉天心さんの住まいだったところです。<br />彼は明治初めに横浜で生まれ、その時代にあって英語が話せて文部省のお役人になったような方でした。<br /><br />東京芸術大学を創設後、学長になりますが、その職をなかばで辞して、ここに居を構えたところなんですね。<br /><br />

    こちらが、「五浦六角堂」です。

    ここが何かっていうと、岡倉天心さんの住まいだったところです。
    彼は明治初めに横浜で生まれ、その時代にあって英語が話せて文部省のお役人になったような方でした。

    東京芸術大学を創設後、学長になりますが、その職をなかばで辞して、ここに居を構えたところなんですね。

  • この五浦(いづら)の景色が気に入って、崖を崩し、土地を平らにするために「ダイナマイト」を使ったというから、凄いですね。<br /><br />そして、これが海に臨む「六角堂」。<br /><br />小さな空間ですが、そこに座り地平線までの海を眺めると、船にのって波に揺られているような気分になれたのでしょう。<br /><br />天心さんは釣りを嗜むひとでした。

    この五浦(いづら)の景色が気に入って、崖を崩し、土地を平らにするために「ダイナマイト」を使ったというから、凄いですね。

    そして、これが海に臨む「六角堂」。

    小さな空間ですが、そこに座り地平線までの海を眺めると、船にのって波に揺られているような気分になれたのでしょう。

    天心さんは釣りを嗜むひとでした。

  • 「六角堂」の左手には、古代からの地層が隆起して侵食され崖となった断面を眺めることができました。<br /><br />

    「六角堂」の左手には、古代からの地層が隆起して侵食され崖となった断面を眺めることができました。

  • ところで、<br /><br />そもそも岡倉天心さんは、、、絵を自ら描いたのか?<br /><br />否、彼自身は画家ではありませんでした。<br /><br />(写真は、”六角堂”敷地内にある再建した天心の住まい)

    ところで、

    そもそも岡倉天心さんは、、、絵を自ら描いたのか?

    否、彼自身は画家ではありませんでした。

    (写真は、”六角堂”敷地内にある再建した天心の住まい)

  • かといって、いわゆる「パトロン」っていうのでもないような気がしました。(や、わからないけれど、この日、見知った知識だけからすると、そう思った)<br /><br />明治最初に日本に連れてこられたアーネスト・なんとかさんという「お雇い外国人」の影響を多大に受けて、日本の美、アジアの美を追求し、その地位を確立しようとした方、だと思いました。<br /><br />天心さんは、この北茨城に居を構えたのは、東京芸術大学の学長を辞め、その意に追随する若い画家たち4人と「日本芸術院」なるものを立ち上げますが、それをこの地に移すのが一番の目的だったようです。<br /><br />でも、まぁ、「みやこ落ち」といわれるわけですね、世間様には。

    かといって、いわゆる「パトロン」っていうのでもないような気がしました。(や、わからないけれど、この日、見知った知識だけからすると、そう思った)

    明治最初に日本に連れてこられたアーネスト・なんとかさんという「お雇い外国人」の影響を多大に受けて、日本の美、アジアの美を追求し、その地位を確立しようとした方、だと思いました。

    天心さんは、この北茨城に居を構えたのは、東京芸術大学の学長を辞め、その意に追随する若い画家たち4人と「日本芸術院」なるものを立ち上げますが、それをこの地に移すのが一番の目的だったようです。

    でも、まぁ、「みやこ落ち」といわれるわけですね、世間様には。

  • この景勝地で、いや、今はそう簡単にその言葉で括っちゃうんですが、<br />当時、開かれていない崖っぷちの、雑木林がボウボウだったであろうこの土地に、<br />家をたて、作業所をたて、自分や画家たちの妻子を呼び、、若い画家たちにとっては大変だった、みたいな事がかかれていました。<br /><br />天心は、アメリカのボストン美術館の日本美術部門に職を得て、半年間毎に、ここに戻り滞在したそうです。

    この景勝地で、いや、今はそう簡単にその言葉で括っちゃうんですが、
    当時、開かれていない崖っぷちの、雑木林がボウボウだったであろうこの土地に、
    家をたて、作業所をたて、自分や画家たちの妻子を呼び、、若い画家たちにとっては大変だった、みたいな事がかかれていました。

    天心は、アメリカのボストン美術館の日本美術部門に職を得て、半年間毎に、ここに戻り滞在したそうです。

  • さて、次に訪れたのが「五浦岬公園」。<br /><br />小高い丘のあります。<br /><br />

    さて、次に訪れたのが「五浦岬公園」。

    小高い丘のあります。

  • この公園の中にも「天心」ゆかりの場所がありました。<br /><br />日本美術院研究所。

    この公園の中にも「天心」ゆかりの場所がありました。

    日本美術院研究所。

  • 横に長い、シンプルで風通しの良さそうな建物。<br /><br />こちらが、「みやこ落ちした」とまで揶揄された、日本美術院を擁立する4人の画家が、天心の意を汲み転居し、日々、絵画表現を切磋琢磨した空間ですね。

    横に長い、シンプルで風通しの良さそうな建物。

    こちらが、「みやこ落ちした」とまで揶揄された、日本美術院を擁立する4人の画家が、天心の意を汲み転居し、日々、絵画表現を切磋琢磨した空間ですね。

  • 横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山、<br /><br />4人がずらりと、畳敷きの、この空間に並んで創作活動に勤しんだのですね。

    横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山、

    4人がずらりと、畳敷きの、この空間に並んで創作活動に勤しんだのですね。

  • 彼らは、眼前の海を臨み、何を考えた事でしょう?<br /><br />決して順風満帆ではなかったはず。<br /><br />でも、たとえば横山大観さんは、それまでの「朦朧派」という、文字どおり、もうろうとした、ぼわわわわ、、とした、線をあらわさない画風から、一気に抜け出したかのように、新しい表現をみいだし、それが国に認められました。<br /><br />しかし、この「五浦時代」は数年で終わることになります。4人のうちのふたり、ひとりは火事で家を失ない、もうひとりが眼病を患いこの地を去ります。<br /><br />天心は、腎臓を患っており自分の死期を悟っていたと思われます。<br />50才という若さで、その波乱万丈な人生を終えます。<br /><br />志は画家たちに引き継がれることになり、現在の日本美術の礎をつくった人として今でもその名を忘れられることは、ないでしょう。<br /><br />====<br /><br />以上、この日に学んだことでした(Finished!)

    彼らは、眼前の海を臨み、何を考えた事でしょう?

    決して順風満帆ではなかったはず。

    でも、たとえば横山大観さんは、それまでの「朦朧派」という、文字どおり、もうろうとした、ぼわわわわ、、とした、線をあらわさない画風から、一気に抜け出したかのように、新しい表現をみいだし、それが国に認められました。

    しかし、この「五浦時代」は数年で終わることになります。4人のうちのふたり、ひとりは火事で家を失ない、もうひとりが眼病を患いこの地を去ります。

    天心は、腎臓を患っており自分の死期を悟っていたと思われます。
    50才という若さで、その波乱万丈な人生を終えます。

    志は画家たちに引き継がれることになり、現在の日本美術の礎をつくった人として今でもその名を忘れられることは、ないでしょう。

    ====

    以上、この日に学んだことでした(Finished!)

  • 笑っちゃったのが、<br /><br />北茨城市観光ナビゲーター(ご当地キャラクター、とも呼ばない?)。<br /><br />こりゃないよなー<br /><br />おじさんで「あん」ちゃん、<br />もうひとつは、ちょっと怖い見た目のお魚アンコウを模した「こう」ちゃん。<br /><br />これはこの日、わたし的に一番笑った。<br />アンコウが名物だからって、安直すぎるでしょ。しかも「おじさん」って。

    笑っちゃったのが、

    北茨城市観光ナビゲーター(ご当地キャラクター、とも呼ばない?)。

    こりゃないよなー

    おじさんで「あん」ちゃん、
    もうひとつは、ちょっと怖い見た目のお魚アンコウを模した「こう」ちゃん。

    これはこの日、わたし的に一番笑った。
    アンコウが名物だからって、安直すぎるでしょ。しかも「おじさん」って。

  • さてさて、この公園には、もうひとつ見所が。<br /><br />この展望台です。

    さてさて、この公園には、もうひとつ見所が。

    この展望台です。

  • 太平洋!<br /><br />地平線を、両目を左右めいいっぱいに、外側を見るようにすると<br />「丸く」みえる、のです。<br /><br />ここに来るのは2度目ですが、また感動してしまった。<br />

    太平洋!

    地平線を、両目を左右めいいっぱいに、外側を見るようにすると
    「丸く」みえる、のです。

    ここに来るのは2度目ですが、また感動してしまった。

  • さきほどの「六角堂」も、眼下に眺められました。<br /><br />ちなみに、この数キロ先は福島県です。

    さきほどの「六角堂」も、眼下に眺められました。

    ちなみに、この数キロ先は福島県です。

  • 帰り道、<br /><br />福島県の勿来(なこそ)海岸。<br /><br />

    帰り道、

    福島県の勿来(なこそ)海岸。

  • <br />浜辺に降りて、砂浜のところを歩きたくなったので寄りました。<br /><br />北茨城から県道にある短いトンネルを越えると、そこは福島県です。


    浜辺に降りて、砂浜のところを歩きたくなったので寄りました。

    北茨城から県道にある短いトンネルを越えると、そこは福島県です。

  • <br />北茨城方向。<br /><br />月が出ています。。。


    北茨城方向。

    月が出ています。。。

  • 「さて、そろそろ日も暮れたんで、帰るか・・・」<br /><br />来た道とは違う道を通って帰りました。北茨城を目的地にして通ってきた道と、それを数キロ北上した福島県から帰る道が全く違うのが、面白いです。<br /><br />山を北に回避する道路が、福島県いわき市勿来(なこそ)から帰る道で、南に回避する道が茨城県北茨城市から帰る道です。<br />帰りも行きと同様、2時間ちょっとかかりました。<br /><br />11月13日、<br />茨城県民じゃない人が、茨城県民の日を楽しく過ごさせていただきました。<br /><br />おしまい。<br />

    「さて、そろそろ日も暮れたんで、帰るか・・・」

    来た道とは違う道を通って帰りました。北茨城を目的地にして通ってきた道と、それを数キロ北上した福島県から帰る道が全く違うのが、面白いです。

    山を北に回避する道路が、福島県いわき市勿来(なこそ)から帰る道で、南に回避する道が茨城県北茨城市から帰る道です。
    帰りも行きと同様、2時間ちょっとかかりました。

    11月13日、
    茨城県民じゃない人が、茨城県民の日を楽しく過ごさせていただきました。

    おしまい。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • nichiさん 2021/11/14 23:34:52
    岡倉天心
    sallyさん
    こんにちは。

    私は横浜の関内に住んでおりますが、自宅のマンションの近くに 横浜市開港記念会館があるのですが、そこに「岡倉天心生誕之地」と言う碑があります。
    よって岡倉天心に親近感があるんです。

    今は、茨城県天心記念五浦美術館と言う美術館があるんですね。
    ちょっと興味ありです。

    東日本大震災の津波で流失した六角堂は、再建後に訪れたことはありません。
    岸壁すれすれに立つ赤い「六角堂」、再訪したいものです。

    sallyさんの旅行記を拝見し、久々に北茨城に行きたくなりました。

    sally

    sallyさん からの返信 2021/11/15 19:43:21
    Re: 岡倉天心
    nihiさん、こんにちわ。

    そうですよね、天心さん、確か福井藩の武士の息子で横浜生まれとありました。親近感が湧きますよね、そういう碑が身近にあると。

    天心記念五浦美術館という眺めの良い、広々ゆったりの美術館がありまして、比較的新しいようでしたので、以前に六角堂を見た時にはなかったのかもしれませんね。

    お墓は東京の確か「染井」とかいうところに埋葬されて、
    亡くなったのは新潟の方だったようです。福井への郷愁を持ちつつ、芸大を離れた後は、アメリカと日本を行き来し、たくさんの方と恋に落ち、たくさんの子孫をなし、豪胆な人だったのでしょうか。
    旅行記にはそれを書き連ねるのもどうかと、「波瀾万丈の人生」としてしまいました。
    ちょっと興味深い人ですよね。

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