2021/08/04 - 2021/08/08
517位(同エリア562件中)
ちゃおさん
県道は山の中腹を切り開いた所を通っていて、この渡瀬温泉郷からは少し斜面を登った上の方にある。昼飯を終え、次のバスが何時になるのか不明だが、兎も角バス停まで行って次のバスを待つことにする。最悪田辺行のバスが無ければ、新宮まで戻り、そこから電車で行っても良いのだ。新宮からは電車の本数も多い、乗れば1時間程度で行ける。
歩行者用の鉄板を重ねた簡易階段を上って県道に出ると、バス停は道路の両側に2カ所あり、方向的には道路を渡った反対側が田辺方面だ。こちら側、新宮へ向かうバス停には30代の母親と、幼稚園児位の二人の少女がバスを待っている。ご主人がいなくて、不憫に思った母親がこの温泉レジャー施設に連れてきたのか・・、母子三人で、流れる温泉を楽しんだに違いない。
新宮行のバスは間も無くやってきて、母子三人は行ってしまって、この県道は時々通り過ぎる車のタイヤ音が響く程度で、又、元の無人の静寂に戻った。次のバスまでには約1時間。幸いに屋根付きの待合ベンチがあって、休むことは出来る。次に来るバスは田辺を通り過ぎて、白浜空港が終点となっているが、飛行機発着の時間に合わせて運行されているのだろう。
バス停の少し先に「玄昉老師墓所跡」との案内板が出ている。はて、玄昉老師? 聞きなれない名前だが、こうして道路沿いに案内板が出ているという事は、昔の高僧の一人なのだろう。バスを待つ間、時間は十分あるのでスマホで調べてみる。自分の知らなかったことがいろいろと出ている。天平時代の僧侶で遣唐使にも選ばれ、在唐は長期に及び、玄宗皇帝からは三品に準ずる紫の袈裟を頂いたとのことである。
帰国後、聖武天皇に使えるが、吉備真備と連携し栄達したが、藤原仲麻呂に排され、大宰府へ左遷され、そこの観世音寺で没したと出ていた。彼の行動の中でここ南紀熊野の記載はないが、死後不遇を恨んで身体が5つに分かれて筑紫から飛来して各所に落ちた、との伝承もあり、その内の一つがここかに飛来した。大宰府観世音寺は随分以前に服部先生と訪ねたことがあり、京都妙心寺と同型の国宝の鐘があり、鐘楼に登って先生と交互に鐘を撞いたことを思い出した。国宝であっても当時は誰でも自由に撞けたのだ。松本清張に玄昉を主人公とした小説「眩人」があるとの事だが、機会があれば読んでみたい。スマホを相手にいろいろ調べていたら、1時間も案外早くに過ぎて、バスがやってきた。
- 旅行の満足度
- 4.5
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