2021/08/04 - 2021/08/08
280位(同エリア593件中)
ちゃおさん
158段の石段を登った台地の上に4棟の社殿が並んで建っている。今まで見てきた那智大社も速玉大社も見事な朱色に塗られていたが、ここの社殿も大鳥居も無垢の木肌のままで、それ等は年を経てくすんだ鼠色をしている。鮮やかな朱色も良いが、こうした木地のままの古びた色合いは、更に深い趣を感ずる。いろいろ全国の神社、神宮を参拝しているが、このような着色のない無地のお宮を見ることは少ない。
しかも4連棟だ。殆ど同じサイズの社殿が4棟水平に並んで立っている。その横幅の長さは150m以上あり、4社はそれぞれ30m程の横幅を持っている感じだ。どの社からお参りしていくのか迷うが、案内によれば、石段を登って真っすぐの正面が本宮誠証殿で、ここには素戔嗚尊(すさのお)の生まれ変わり、当宮の主祭神、余り聞きなれない名前だが家津美御子大神。その左隣が速玉大神、更にその左隣が、これも又聞きなれない名前だが夫須美大神。更にその一番左端が天照大神。夫須美大神は那智大社の祭神で、フスミ→ムスビ→結びを意味していて、この那智大社が熊野巡礼の結び、最終の霊場となる。海南、田辺辺りから中辺路を通ってやって来た巡礼者は、先ずは浜宮で禊ぎをし、那智大社に参宮し、速玉大社の横から熊野川を遡り、河原の中にあった大斎原、熊野本宮に漸くにして辿り着いたのだ。その後、大日越えをして、湯の峰壺湯の湯治湯で、長い旅の疲れを癒したのだろう。
この本宮でもう一人忘れてはならない人がいる。小栗判官と同時代の遊行聖、一遍上人だ。仏の道に悩んでいた一遍は、26歳の時にこの山に参篭し、ここで熊野権現と出会い、その熊野神からの神勅を受け、「南無阿弥陀仏」と唱えることにより、全ての人が往生できる、「六十万人頌」とする教義を得た。熊野権現は阿弥陀如来の垂迹と言われている。その後一遍は時宗を打ち立て、「南無阿弥陀仏」を唱える踊り念仏を全国に広め、後、51歳で亡くなるまでの16年間、全国を遊行し、念仏勧進の旅を続けた。国宝、一遍聖絵にはその時の熊野権現との出会いの図が描かれている。熊野の山を下りた一遍は、その後那智大社に向かい、聖絵の中には、国宝の「那智の大滝」も描かれていた。仏教伝道者が神道の神と出会い、見事な神仏習合の教学を融合させたのだった。
- 旅行の満足度
- 5.0
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