2021/08/04 - 2021/08/08
536位(同エリア917件中)
ちゃおさん
青岸渡寺境内から眺める那智の大瀧とその左手にある三重塔。実に絵になる情景だ。自然と祈る気持ちも湧き出てくる。三位一体、神仏習合。自然の造形に対する崇拝と仏教の人の教え。この青岸渡寺=那智大社は、正にそれが融合したものであり、この寺は明治の神仏分離の時まで、名前はなかった。青岸渡寺とは実に明治になってから付けられた寺名である。それまでは単に那智権現、如意輪堂と呼ばれていた。4世紀、インドから渡来した裸形上人に由来するものである。如意輪観音は今のこの寺のご本尊でもある。
しかし青岸渡寺とは不思議な名前だ。明治の関係者が如何なる事情でこの名前にしたのは、自分には分からないが、矢張りイメージとしては、インド僧裸形上人に関連する補陀落渡海に関係するのではないかと想像する。谷を隔てた山の向こうの大瀧を補陀落と見立てれば、正にこの寺を出て滝に至り、滝行をする。諸行無常の世界だ。この境内には西国三十三観音霊場巡錫の祖と言われる花山法皇の御詠歌が石に刻まれていた。「補陀落や 岸打つ波は三熊野の 那智のお山に 響く瀧津瀬」。先年観音信仰の一大霊場、補陀山に参詣したが、法皇はそうした中国補陀落、インドポータラカ、等々西方浄土を想い、このご詠歌を残したのか・・。
三重塔に向かって下って行く。こちらは車道になっていて歩き易い。那智大社へ登って来た時の石段の参道を又下り降りるのはウンザリだったが、お寺の横からこんなに良い車道が出来ている。車道だから傾斜を緩やかにするためにカーブを大きくして歩行距離がその分長くなるが、それでも歩き易さの方が大助かりだ。
200mも下らない内に三重塔の前に出る。朱色が鮮やかだが、建造されてからは既に半世紀は経っている。最初の建立は今から500年程前の室町時代だったが、ここも又本堂同様に信長の戦禍により焼き討ちに遭い、昭和40年代になって漸く再建されたものである。神社が20年おきに朱の塗り替えが行われるように、この三重塔も同じよなサイクルで塗り替えられているのだろう。いつ塗られたのか鮮やかな朱鷺色をしていた。今はコロナ禍で堂宇の中には入れないが、内部には飛龍権現千手観音が祀られているという。
車道を更に300m程下った場所に少し賑やかな土産店とか食堂が数軒並んでいる場所があり、ここは大瀧に下り降りる石畳の入り口になっている。宗教に関心のない人は、ここまでやって来て上の大社とかお寺はオミットし、滝の真下に降りて、下から滝を見上げるのだ。飛沫のオゾンシャワーを浴びるのだ。自分も滝の下まで降りようとした直前辺りから雲行きが怪しくなり、雨が降って来た。熊野の雨は降りだしたら途端に土砂降りになる。急いで食堂に走り、少し早いがお昼を食べることにした。ここの名物かどうか・・、いずれは養殖だと思うが、アユの塩焼きを食べることにした。
- 旅行の満足度
- 4.5
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この旅行記へのコメント (2)
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- kaze_makaseさん 2021/10/07 11:58:12
- 思い出深いです。Thanks.
- なつかしく鑑賞させていただきました。
- ちゃおさん からの返信 2021/10/07 13:22:15
- RE: 思い出深いです。Thanks.
- えーと、どこの写真でしょうか? 那智の御瀧ですか?
> なつかしく鑑賞させていただきました。
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