2021/08/04 - 2021/08/08
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ちゃおさん
夏休みの今頃の時期、コロナさえ無ければ沢山の参詣客で賑わっている筈の熊野那智大社も人影はまばらで、境内で立ち働く赤袴姿の巫女しか目に付かない。本殿に並んでお札販売の窓口が大きく開けられていて、ここも又巫女さんの販売員は暇そうにしている。折角ここまでやってきた。孫二人に干支のお守りを買うことにした。長女には午、妹には酉のお守りだ。良い記念になるだろう。
この熊野那智大社に並んで、一段低くなった場所に古びた本堂の青岸渡寺がある。大社よりはこちらのお寺の方がむしろ参詣者は多い位だ。ここも又大社と並び称せられる程有名なお寺で、西国三十三観音霊場の第一番札所になっている。参詣者の様子を見るとそのお札参りの巡礼者も多く、何人かのグループで来ている人、夫婦連れ等々。本堂の中に入ると、納経所の辺りは更に人だかりがしていて、御朱印の順番を待っている。この賑わいは一昨年、コロナ禍流行以前の四国霊場、徳島高知の霊場の賑わいと似ている。ここが第一番観音霊場。ここに来る何人かはこの先、西国巡礼に向かうのだろう。
那智山青岸渡寺。寺伝によれば、聖徳太子の頃中国より仏教が日本に伝来してきた遥か以前の仁徳天皇の頃(4世紀)、インドの僧裸形上人がこの山にやってきて、この寺の前方にある那智の大瀧で修業を積み、瀧壺で観音菩薩を体得し、今のこの場所に草庵を結び菩薩を安置したと言われる。それから200年後の推古天皇の頃、奈良から高僧がやってきて、1丈(約3m)の如意輪観音像を刻み、先の観音菩薩像を体内仏とした。その後平安時代中期、花山上皇がやってきて、3年間ここに参篭し、その後、各地の三十三観音霊場を巡礼し、その時、ここが西国霊場の第一番札所になったと言われる。
青岸渡寺。以前からこの寺の名前だけは知っていて、それは当然熊野の海岸近くにある寺とばかりに思っていた。補陀落渡海で有名な補陀洛寺と共に、この寺からも同様に渡海が行われていたとばかりに思っていた。だが今こうしてこの寺にやって来ると、大雲取山の山中にあり、熊野那智大社とは隣同士になっていたとは、実際ここへやって来るまでは分からなかった。信長により焼き討ちにあった本堂はその後、秀吉により再建されたが、その時より既に400年は経っている。重文の本堂は照明も弱く、内陣は薄暗い中にぼんやりと見える程だ。ご本尊の丈六の如意輪観音像を見ようとしたが、薄暗い中でよく分からず、暗い闇に向かって両手を合わせ、取り敢えずは心経をお祈りした。
- 旅行の満足度
- 4.5
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