丹後半島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
青春18きっぷ、最後の5回目の行き先は京都。<br /><br />京都とは言っても市内ではない。丹後半島で<br />ある。<br /><br />浦島太郎の物語は日本人にとっておなじみの<br />おとぎ話だが、どうもこの人、実在の人物ら<br />しいのである。「らしいのである」ではなく、<br />実在していたのである。<br /><br />その出身地は今回の目的地、京都府の日本海<br />側にある丹後半島とされている。<br /><br />現在のおとぎ話では、子供たちがウミガメを<br />つついているのを見て、やめなさいと咎め、<br />海へ逃がしてやった。すると数日後、魚を獲<br />っていた浦島太郎のところにその時の亀がひ<br />ょっこり現れ、竜宮城へ連れていかれ、飲め<br />や歌えや女抱けやの酒池肉林の宴が続き、そ<br />ろそろ故郷が恋しくなってお暇を告げた。<br />帰りしなに肉布団の相手、乙姫から箱を預か<br />り、生まれ育った故郷に帰ったところ、当時<br />の姿は見る影もない。絶望に打ちひしがれた<br />浦島太郎は「絶対に開けないで」といわれた<br />はずの箱を開けたところ、中から煙が出て、<br />浦島太郎はじいさんになっちゃったというも<br />のである。<br /><br />どうやらこの物語は明治以降に国定教科書用<br />に作り変えられたもので、鎌倉から江戸時代<br />に御伽草子として作られたものとはかなり違<br />っている。<br /><br />しかし、御伽草子の浦島太郎も実在の物語と<br />はかなり違うものになっている。<br /><br />実際の浦島太郎はその名を浦ノ嶋子と言い、<br />おそらく船団を組んで大陸へ渡った人物らし<br />いのだ。<br /><br />時は5世紀。ひどく古い時代の物語である。<br /><br />浦ノ嶋子に関しては、奈良時代に編纂された<br />万葉集にも出ており、何百年もの間、大和周<br />辺ではヒーロー扱いされた人物だった。<br /><br />ちなみに金太郎も桃太郎も実在の人物をもと<br />に創られた物語である。この二つも平安時代<br />以前の物語である。<br /><br />今回の目的地、京都府与謝郡伊根町周辺には<br />浦島太郎関連の史跡がいくつかあり、海に面<br />した家屋は船屋と称する2階建てで、海に出<br />っ張った形で、1階部分は船を曳きこめる構<br />造の珍しい家屋群がある。<br /><br />ひょっとして浦島太郎率いる船団はここから<br />漕ぎ出して大陸を目指したのだろうか。<br /><br />古代のロマンに夢をはせ、伝説が生まれたあ<br />の場所へ行ってみることにした。<br /><br />

To That Place Where The Legend Was Born-浦島太郎はここから旅立った!?(京都府与謝郡伊根町)

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2021/09/10 - 2021/09/11

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ハイペリオン

ハイペリオンさん

青春18きっぷ、最後の5回目の行き先は京都。

京都とは言っても市内ではない。丹後半島で
ある。

浦島太郎の物語は日本人にとっておなじみの
おとぎ話だが、どうもこの人、実在の人物ら
しいのである。「らしいのである」ではなく、
実在していたのである。

その出身地は今回の目的地、京都府の日本海
側にある丹後半島とされている。

現在のおとぎ話では、子供たちがウミガメを
つついているのを見て、やめなさいと咎め、
海へ逃がしてやった。すると数日後、魚を獲
っていた浦島太郎のところにその時の亀がひ
ょっこり現れ、竜宮城へ連れていかれ、飲め
や歌えや女抱けやの酒池肉林の宴が続き、そ
ろそろ故郷が恋しくなってお暇を告げた。
帰りしなに肉布団の相手、乙姫から箱を預か
り、生まれ育った故郷に帰ったところ、当時
の姿は見る影もない。絶望に打ちひしがれた
浦島太郎は「絶対に開けないで」といわれた
はずの箱を開けたところ、中から煙が出て、
浦島太郎はじいさんになっちゃったというも
のである。

どうやらこの物語は明治以降に国定教科書用
に作り変えられたもので、鎌倉から江戸時代
に御伽草子として作られたものとはかなり違
っている。

しかし、御伽草子の浦島太郎も実在の物語と
はかなり違うものになっている。

実際の浦島太郎はその名を浦ノ嶋子と言い、
おそらく船団を組んで大陸へ渡った人物らし
いのだ。

時は5世紀。ひどく古い時代の物語である。

浦ノ嶋子に関しては、奈良時代に編纂された
万葉集にも出ており、何百年もの間、大和周
辺ではヒーロー扱いされた人物だった。

ちなみに金太郎も桃太郎も実在の人物をもと
に創られた物語である。この二つも平安時代
以前の物語である。

今回の目的地、京都府与謝郡伊根町周辺には
浦島太郎関連の史跡がいくつかあり、海に面
した家屋は船屋と称する2階建てで、海に出
っ張った形で、1階部分は船を曳きこめる構
造の珍しい家屋群がある。

ひょっとして浦島太郎率いる船団はここから
漕ぎ出して大陸を目指したのだろうか。

古代のロマンに夢をはせ、伝説が生まれたあ
の場所へ行ってみることにした。

旅行の満足度
5.0
観光
4.0
ホテル
4.0
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
利用旅行会社
楽天トラベル
  • ルートとしては、この日のうちに舞鶴まで<br />行き、翌朝、宮津へ行き、バスで伊根へ向<br />かう。<br /><br />帰りは宮津から電車にするか、舞鶴からバ<br />スで大阪空港へ直行するか、まだ決めかね<br />ている。

    ルートとしては、この日のうちに舞鶴まで
    行き、翌朝、宮津へ行き、バスで伊根へ向
    かう。

    帰りは宮津から電車にするか、舞鶴からバ
    スで大阪空港へ直行するか、まだ決めかね
    ている。

  • 前週もやって来た熱海駅。着いたのも同じ<br />時間12時35分。

    前週もやって来た熱海駅。着いたのも同じ
    時間12時35分。

  • 今回の乗り換えは以下の通り。<br /><br />熱海→沼津→豊橋→米原→敦賀→西舞鶴。<br /><br />乗り換えが時間通りにいけば、22時30分<br />に西舞鶴に到着する予定。ていうか、スム<br />ーズに行ってくれないとかなり困る。<br /><br />敦賀発の西舞鶴行きが、終電なので、これ<br />に遅れてしまうと西舞鶴の宿をキャンセル<br />し、敦賀泊となってしまうのである。<br /><br />

    今回の乗り換えは以下の通り。

    熱海→沼津→豊橋→米原→敦賀→西舞鶴。

    乗り換えが時間通りにいけば、22時30分
    に西舞鶴に到着する予定。ていうか、スム
    ーズに行ってくれないとかなり困る。

    敦賀発の西舞鶴行きが、終電なので、これ
    に遅れてしまうと西舞鶴の宿をキャンセル
    し、敦賀泊となってしまうのである。

  • 13時前に沼津に着いた。

    13時前に沼津に着いた。

  • 13時16分発の豊橋行きまで時間があるので、<br />ホームのそば屋でうどんを食べた。

    13時16分発の豊橋行きまで時間があるので、
    ホームのそば屋でうどんを食べた。

  • このあたりはまだだしが濃いな。

    このあたりはまだだしが濃いな。

  • 今日、最も長い時間乗ることになる豊橋行き。<br /><br />豊橋着が16時18分。およそ3時間である。<br /><br />ロングシートタイプだった。

    今日、最も長い時間乗ることになる豊橋行き。

    豊橋着が16時18分。およそ3時間である。

    ロングシートタイプだった。

  • 予定通り豊橋に着き、16時31分発の米原行き<br />に乗り換え。<br /><br />ロングシートの長旅は疲れるなあ。<br /><br />米原到着予定は18時39分。

    予定通り豊橋に着き、16時31分発の米原行き
    に乗り換え。

    ロングシートの長旅は疲れるなあ。

    米原到着予定は18時39分。

  • 予定通り米原着。<br /><br />あたりはもう暗くなっていた。<br /><br />ホームにうどん屋でもないかと探したがなかっ<br />たので、改札のところのセブンイレブンでおに<br />ぎりを買って食べた。

    予定通り米原着。

    あたりはもう暗くなっていた。

    ホームにうどん屋でもないかと探したがなかっ
    たので、改札のところのセブンイレブンでおに
    ぎりを買って食べた。

  • ここから、北陸本線の敦賀行きに乗る。<br /><br />通勤客が多く、結構込んでいた。

    ここから、北陸本線の敦賀行きに乗る。

    通勤客が多く、結構込んでいた。

  • 19時49分、敦賀着。人生初福井である。<br /><br />元おにゃんこクラブで秋元康と結婚した高井<br />麻巳子が福井出身で、テレビで「福井の人は、<br />知らない人同士でも道ですれ違う時『あっ、<br />どうも』という感じで頭を下げる」と言って<br />いた。<br /><br />そんな奥ゆかしい人たちがいるものかと思<br />っていたが、狭い駅のトイレですれ違う時、<br />相手はちょこんと頭を下げて出て行った。<br />やっぱりそうなのか。

    19時49分、敦賀着。人生初福井である。

    元おにゃんこクラブで秋元康と結婚した高井
    麻巳子が福井出身で、テレビで「福井の人は、
    知らない人同士でも道ですれ違う時『あっ、
    どうも』という感じで頭を下げる」と言って
    いた。

    そんな奥ゆかしい人たちがいるものかと思
    っていたが、狭い駅のトイレですれ違う時、
    相手はちょこんと頭を下げて出て行った。
    やっぱりそうなのか。

  • 一瞬変な人がいるのかと思った。<br /><br />そういえば福井は恐竜の化石が出るんだよな。

    一瞬変な人がいるのかと思った。

    そういえば福井は恐竜の化石が出るんだよな。

  • 最後の長丁場。小浜線西舞鶴行き。<br /><br />あと2時間半の旅である。いやあ、疲れるぜ。<br /><br />周囲はすでに闇の中。車窓を楽しむなどとい<br />うことはできない。明るい時に乗りたかった。<br /><br /><br /><br />

    最後の長丁場。小浜線西舞鶴行き。

    あと2時間半の旅である。いやあ、疲れるぜ。

    周囲はすでに闇の中。車窓を楽しむなどとい
    うことはできない。明るい時に乗りたかった。



  • 西舞鶴駅に着いたのは22時26分。<br /><br />降りたのはぼくを含め数人だった。<br /><br />終電ということもあって駅構内は改札のとこ<br />ろ以外は電気を落とされて暗くなっていた。<br /><br />駅を出てすぐ右側に今日の宿舞鶴グランドホ<br />テルがあった。<br /><br />ここで鍵をもらい、別館へ向かった。<br /><br />

    西舞鶴駅に着いたのは22時26分。

    降りたのはぼくを含め数人だった。

    終電ということもあって駅構内は改札のとこ
    ろ以外は電気を落とされて暗くなっていた。

    駅を出てすぐ右側に今日の宿舞鶴グランドホ
    テルがあった。

    ここで鍵をもらい、別館へ向かった。

  • こちらが別館のシャトー。名称だけでなく、<br />外観もラブホっぽい。<br /><br />周囲には舞鶴グランドホテルの別館がいく<br />つかあった。多分、経営不振のビジネスホ<br />テルやラブホテルを買い取って行ったんだ<br />ろう。<br /><br />ここは多分ラブホを買い取ってホテル仕立<br />てに改装したのではないか。<br /><br />ただ、鍵を持っていない人でも内部へ入る<br />ことができるので、保安面が心配になる。

    こちらが別館のシャトー。名称だけでなく、
    外観もラブホっぽい。

    周囲には舞鶴グランドホテルの別館がいく
    つかあった。多分、経営不振のビジネスホ
    テルやラブホテルを買い取って行ったんだ
    ろう。

    ここは多分ラブホを買い取ってホテル仕立
    てに改装したのではないか。

    ただ、鍵を持っていない人でも内部へ入る
    ことができるので、保安面が心配になる。

  • これが部屋。6畳程度で、ベッドが置かれ<br />ていた。

    これが部屋。6畳程度で、ベッドが置かれ
    ていた。

  • 本館の大浴場へ行く前にコンビニでビール<br />と食べ物を買った。本麒麟って、CMでず<br />いぶん大げさに言ってるけど、大してうま<br />くないね。<br />

    本館の大浴場へ行く前にコンビニでビール
    と食べ物を買った。本麒麟って、CMでず
    いぶん大げさに言ってるけど、大してうま
    くないね。

  • ビールを飲んでテレビを見ていたら、スマホ<br />がブンと鳴った。<br /><br />とあるアジア系米国人の女性からだ。<br /><br />airtrippというSNSに登録していると、ア<br />メリカ軍の軍服を着た写真をプロフィールに<br />載せている人物からやたらメッセージが来る。<br />そして、ほとんどが、シリア、イエメン、ア<br />フガニスタンなど、中東の紛争地域に赴任し<br />ていると言っている。<br /><br />この女性の写真を使っている者もその一人<br />で、Kim Castroと名乗り、メッセージを<br />送って来た。<br /><br />かわいいし、こっちもスケベ心があるから<br />相手をするとすぐにLINEのIDを聞いてくる。<br />この時点でおかしい。<br /><br />なぜなら、アメリカ人はLINEなど使わな<br />いからだ。おそらく韓国人か中国人だろう。<br /><br />国際ロマンス詐欺の一種だと思うのだが、<br />なぜアメリカの軍人の写真ばかり使われる<br />のか。<br /><br />このことをインスタに女の写真とともにア<br />ップしたところ写真を使われた当の本人か<br />らメッセージが来た。<br /><br />janecastroというその女性の現在の写真は<br />もっと大人びていて、これは数年前のもの<br />のようだ。<br /><br />「私の写真を使った人からメッセージが来<br />ても、ブロックした方がいいですよ」と言<br />っていた。<br /><br />こんなやり取りをしていると午前零時を回<br />ってしまった。早く寝なければ。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    ビールを飲んでテレビを見ていたら、スマホ
    がブンと鳴った。

    とあるアジア系米国人の女性からだ。

    airtrippというSNSに登録していると、ア
    メリカ軍の軍服を着た写真をプロフィールに
    載せている人物からやたらメッセージが来る。
    そして、ほとんどが、シリア、イエメン、ア
    フガニスタンなど、中東の紛争地域に赴任し
    ていると言っている。

    この女性の写真を使っている者もその一人
    で、Kim Castroと名乗り、メッセージを
    送って来た。

    かわいいし、こっちもスケベ心があるから
    相手をするとすぐにLINEのIDを聞いてくる。
    この時点でおかしい。

    なぜなら、アメリカ人はLINEなど使わな
    いからだ。おそらく韓国人か中国人だろう。

    国際ロマンス詐欺の一種だと思うのだが、
    なぜアメリカの軍人の写真ばかり使われる
    のか。

    このことをインスタに女の写真とともにア
    ップしたところ写真を使われた当の本人か
    らメッセージが来た。

    janecastroというその女性の現在の写真は
    もっと大人びていて、これは数年前のもの
    のようだ。

    「私の写真を使った人からメッセージが来
    ても、ブロックした方がいいですよ」と言
    っていた。

    こんなやり取りをしていると午前零時を回
    ってしまった。早く寝なければ。





  • 朝5時に起き、支度をした。<br /><br />janecastro嬢からまたメッセージが届いてい<br />たのでまたやり取りが始まった。<br /><br />こういうのって、いつどうやって終わらせれ<br />ばいいのかわからない。<br /><br />6時になったのでcastro嬢とのやりとりを強<br />制終了し、本館へ鍵を返し、駅へ向かった。

    朝5時に起き、支度をした。

    janecastro嬢からまたメッセージが届いてい
    たのでまたやり取りが始まった。

    こういうのって、いつどうやって終わらせれ
    ばいいのかわからない。

    6時になったのでcastro嬢とのやりとりを強
    制終了し、本館へ鍵を返し、駅へ向かった。

  • 京都丹後鉄道はJR西舞鶴の奥の方(というい<br />い方がふさわしいのかどうか)にある。<br /><br />ホームには宮津行の電車が停まっていた。<br /><br />運転席が丸っこい関西多い車両である。

    京都丹後鉄道はJR西舞鶴の奥の方(というい
    い方がふさわしいのかどうか)にある。

    ホームには宮津行の電車が停まっていた。

    運転席が丸っこい関西多い車両である。

  • 京都丹後鉄道は宮津を中心に西舞鶴、豊岡、福<br />知山を結んでいる。

    京都丹後鉄道は宮津を中心に西舞鶴、豊岡、福
    知山を結んでいる。

  • 客車の中は材木が使われており、中々渋い。<br /><br />西舞鶴駅からこの車輛に乗ったのはぼくひと<br />りだった。<br /><br />この車輛は観光列車とという感じの豪華版。

    客車の中は材木が使われており、中々渋い。

    西舞鶴駅からこの車輛に乗ったのはぼくひと
    りだった。

    この車輛は観光列車とという感じの豪華版。

  • こちらは地元の人が乗る一両編成のタイプ。

    こちらは地元の人が乗る一両編成のタイプ。

  • 30分ほどで宮津駅に着いた。<br /><br />コンビニでもあればなにか食べようかと思っ<br />たが、何もない。<br /><br />ここから大阪空港行きのバスが出ることが分<br />かった。帰りはできればバスにしたい。

    30分ほどで宮津駅に着いた。

    コンビニでもあればなにか食べようかと思っ
    たが、何もない。

    ここから大阪空港行きのバスが出ることが分
    かった。帰りはできればバスにしたい。

  • 7時過ぎに経ヶ岬(きょうがみさき)行きの<br />バスが来た。<br /><br />とりあえずこれで浦嶋神社まで行くつもり。<br /><br />

    7時過ぎに経ヶ岬(きょうがみさき)行きの
    バスが来た。

    とりあえずこれで浦嶋神社まで行くつもり。

  • 入り江に沿ってバスは走り、右手に絶えず<br />海が見えた。<br /><br />入り江の風景は実に美しく、何時間見てい<br />ても飽きない。

    入り江に沿ってバスは走り、右手に絶えず
    海が見えた。

    入り江の風景は実に美しく、何時間見てい
    ても飽きない。

  • 7時過ぎに乗って、8時半を過ぎて、ようやく<br />伊根町に入った。<br /><br />浦嶋神社はここからまだある。浦嶋神社を<br />見て、伊根の町を見ていると、帰りのバス<br />の時間に間に合わないかもしれない。<br /><br />やむなく浦嶋神社へ行くのはあきらめて、<br />道の駅舟屋の里伊根という停留所で降りて、<br />伊根の町だけ見ることにした。<br /><br />

    7時過ぎに乗って、8時半を過ぎて、ようやく
    伊根町に入った。

    浦嶋神社はここからまだある。浦嶋神社を
    見て、伊根の町を見ていると、帰りのバス
    の時間に間に合わないかもしれない。

    やむなく浦嶋神社へ行くのはあきらめて、
    道の駅舟屋の里伊根という停留所で降りて、
    伊根の町だけ見ることにした。

  • 道の駅は少し高いところにあり、伊根の入り江<br />を見渡せた。<br /><br />入り江に沿って家屋が並んでいるのが見える。<br /><br />坂道を降りて伊根の町の中へ行くことにする。

    道の駅は少し高いところにあり、伊根の入り江
    を見渡せた。

    入り江に沿って家屋が並んでいるのが見える。

    坂道を降りて伊根の町の中へ行くことにする。

  • 立派な日時計が置かれていたが、こんなに曇っ<br />てたんじゃあ完全に役立たずだ。

    立派な日時計が置かれていたが、こんなに曇っ
    てたんじゃあ完全に役立たずだ。

  • 坂の途中にこんな看板があった。<br /><br />ここにも徐福伝説があるのか。<br /><br />この先に新崎神社というのがあり、徐福が祀<br />られているという。<br /><br />徐福伝説は日本各地にあるが、丹後半島なら、<br />大陸から漂着した者たちが住み着き、それが<br />徐福伝説と結びつけられたということがある<br />のかもしれない。

    坂の途中にこんな看板があった。

    ここにも徐福伝説があるのか。

    この先に新崎神社というのがあり、徐福が祀
    られているという。

    徐福伝説は日本各地にあるが、丹後半島なら、
    大陸から漂着した者たちが住み着き、それが
    徐福伝説と結びつけられたということがある
    のかもしれない。

  • おそらく、古来からずっと変わらない風景<br />なのだろう。<br />

    おそらく、古来からずっと変わらない風景
    なのだろう。

  • 海に面したところに建つ家屋はほとんどが<br />このように海面にせり出すように建っている。<br /><br />これが舟屋と言われる家屋である。この形<br />態の家屋は日本にも、またフィリピンやイ<br />ンドネシアにもある。<br /><br />伊根でこのような家屋ができたのは江戸時<br />代だとウィキペディアにはある。<br />

    海に面したところに建つ家屋はほとんどが
    このように海面にせり出すように建っている。

    これが舟屋と言われる家屋である。この形
    態の家屋は日本にも、またフィリピンやイ
    ンドネシアにもある。

    伊根でこのような家屋ができたのは江戸時
    代だとウィキペディアにはある。

  • 海に面した家屋群の真裏を車一台がどうにか<br />通れる程度の幅の道路がついている。<br /><br />これが町唯一の大きな道路である。<br /><br />おそらく、何百年も前に引かれて、そのまま<br />拡張されていないようだ。<br /><br />

    海に面した家屋群の真裏を車一台がどうにか
    通れる程度の幅の道路がついている。

    これが町唯一の大きな道路である。

    おそらく、何百年も前に引かれて、そのまま
    拡張されていないようだ。

  • 海が間近に迫っている。

    海が間近に迫っている。

  • 家と家の隙間に海水が来ている。<br /><br />満潮になるとどうなるのだろう。<br /><br />周囲の家屋も高いところに建てられていな<br />いし、地震もまず起きないので、水害の心<br />配がほとんどないのだろう。

    家と家の隙間に海水が来ている。

    満潮になるとどうなるのだろう。

    周囲の家屋も高いところに建てられていな
    いし、地震もまず起きないので、水害の心
    配がほとんどないのだろう。

  • 浦島太郎、本名浦島子は出身に関してはい<br />くつか説があり、『日本書紀』の雄略紀に<br />は丹波余社(与謝)郡筒川人とあり、『丹<br />後国風土記』にも与謝郡日置筒川村の人と<br />されている。<br /><br />筒川村が、今ぼくがいる現在の伊根町とさ<br />れている。

    浦島太郎、本名浦島子は出身に関してはい
    くつか説があり、『日本書紀』の雄略紀に
    は丹波余社(与謝)郡筒川人とあり、『丹
    後国風土記』にも与謝郡日置筒川村の人と
    されている。

    筒川村が、今ぼくがいる現在の伊根町とさ
    れている。

  • 島子の「子」は、孔子や孟子、あるいは小<br />野妹子のように古代の男子に付けた尊称で、<br />おそらく浦島子もこの周辺の有力者の子息<br />だったと思われる。<br /><br /><br />

    島子の「子」は、孔子や孟子、あるいは小
    野妹子のように古代の男子に付けた尊称で、
    おそらく浦島子もこの周辺の有力者の子息
    だったと思われる。


  • おそらく、浦一族は、海上交易や漁業を生<br />業にし、嶋子はその長の息子だったと思わ<br />れる。<br /><br />中国の『魏志倭人伝』に伊都国の官名に<br />泄謨觚(せまこ?)、奴国の官名を兕馬觚<br />(じまこ)と表記しており、いずれも海に<br />面した国だったから、島子と音が似ている<br />し、何らかの関連性がありそうな気がする。<br /><br />『浦島子伝』(現代思想社1981)を書いた<br />重松明久は泄謨觚、兕馬觚を湾内の交通を<br />取り仕切る権限や漁業の許認可権を持って<br />いた役職ではないかとしている。

    おそらく、浦一族は、海上交易や漁業を生
    業にし、嶋子はその長の息子だったと思わ
    れる。

    中国の『魏志倭人伝』に伊都国の官名に
    泄謨觚(せまこ?)、奴国の官名を兕馬觚
    (じまこ)と表記しており、いずれも海に
    面した国だったから、島子と音が似ている
    し、何らかの関連性がありそうな気がする。

    『浦島子伝』(現代思想社1981)を書いた
    重松明久は泄謨觚、兕馬觚を湾内の交通を
    取り仕切る権限や漁業の許認可権を持って
    いた役職ではないかとしている。

  • 『丹後国風土記』などによる浦嶋子の物語は、<br />雄略22年の出来事だったとされている。<br /><br />西暦478年。翌年に雄略天皇は崩御した。<br /><br />浦嶋子は容姿端麗、雅な振る舞いをわきま<br />えた若者で、ど田舎の丹後地方では相当な<br />イケメンだったようだ。<br /><br />浦嶋子はある日一人で舟に乗り、魚を獲り<br />に漕ぎ出したものの、何日も一匹も獲れな<br />かった。<br /><br />ある時、一匹の大亀がかかり、船に引っ張<br />り上げた。<br /><br />しかし、浦嶋子はそのまま寝てしまった。<br /><br />そして、目が覚めると大亀はどえらい美人に<br />変わっていた。<br /><br />女は「私は蓬莱からやって来た。共にまいり<br />ましょう」といい、浦嶋子は女とともに蓬莱<br />の島へ向かった。<br /><br /><br />

    『丹後国風土記』などによる浦嶋子の物語は、
    雄略22年の出来事だったとされている。

    西暦478年。翌年に雄略天皇は崩御した。

    浦嶋子は容姿端麗、雅な振る舞いをわきま
    えた若者で、ど田舎の丹後地方では相当な
    イケメンだったようだ。

    浦嶋子はある日一人で舟に乗り、魚を獲り
    に漕ぎ出したものの、何日も一匹も獲れな
    かった。

    ある時、一匹の大亀がかかり、船に引っ張
    り上げた。

    しかし、浦嶋子はそのまま寝てしまった。

    そして、目が覚めると大亀はどえらい美人に
    変わっていた。

    女は「私は蓬莱からやって来た。共にまいり
    ましょう」といい、浦嶋子は女とともに蓬莱
    の島へ向かった。


  • 女の御殿に招かれた浦嶋子は彼女の両親、<br />親類縁者に大歓迎され、そのあとは飲めや<br />歌えやの大宴会。<br /><br />それから3年が過ぎた。<br /><br />嶋子と乙姫の夫婦には倦怠期が訪れていた。<br /><br />ベッドから体を起こし、嶋子はたばこに火を<br />点けた。<br /><br />そして横にいる女(イメージは中村アン)に<br />声をかけた「なあ、おれたちもう終わりにし<br />ないか」。<br /><br />女は返事をせず「あたしにもちょうだい」と<br />太郎にたばこをねだった。<br /><br />女はたばこの煙を大きくはき出して言った。<br /><br />「あたしたち何年一緒にいるんだっけ」<br />「3年かな」<br />「もう飽きた?」<br />「いや、そういうことじゃなくて、実家が<br />気になって・・・」<br />「ずいぶん所帯くさいこと言うのね」<br />「おれ一人っ子なんだよ」<br />女はたばこの煙とともに「ふっ」と笑みを<br />漏らした。<br />「もう帰って来ないの?」<br />「帰って来ないことはないと思うよ」<br /><br />女は髪をかき上げ、「わかったわ、亀に言<br />っとく」と帰って来ないことを確信したよ<br />うに小さくつぶやいた。

    女の御殿に招かれた浦嶋子は彼女の両親、
    親類縁者に大歓迎され、そのあとは飲めや
    歌えやの大宴会。

    それから3年が過ぎた。

    嶋子と乙姫の夫婦には倦怠期が訪れていた。

    ベッドから体を起こし、嶋子はたばこに火を
    点けた。

    そして横にいる女(イメージは中村アン)に
    声をかけた「なあ、おれたちもう終わりにし
    ないか」。

    女は返事をせず「あたしにもちょうだい」と
    太郎にたばこをねだった。

    女はたばこの煙を大きくはき出して言った。

    「あたしたち何年一緒にいるんだっけ」
    「3年かな」
    「もう飽きた?」
    「いや、そういうことじゃなくて、実家が
    気になって・・・」
    「ずいぶん所帯くさいこと言うのね」
    「おれ一人っ子なんだよ」
    女はたばこの煙とともに「ふっ」と笑みを
    漏らした。
    「もう帰って来ないの?」
    「帰って来ないことはないと思うよ」

    女は髪をかき上げ、「わかったわ、亀に言
    っとく」と帰って来ないことを確信したよ
    うに小さくつぶやいた。

  • 翌朝、嶋子は起きがけに未練がましく乙姫<br />を抱き、その後裸のままカップにコーヒー<br />を注いだ。(氷室京介か!)<br /><br />素肌にシャツを通し、着替えを終えた。<br /><br />部屋を出ようとした太郎に女は「ねえ、こ<br />れ持ってって」と言って、玉匣(たまくし<br />げ=香箱)を渡した。<br /><br />そしてひと言付け加えた「でも絶対に開け<br />ないでね」。<br /><br />開けたらだめなものを渡すなんて変な女だ<br />なと思いつつ、浦嶋子は箱を受け取り、亀<br />とともに蓬島の門の外に出た。<br /><br />「だんな、あっしを釣り上げた場所でいい<br />んですかい」<br />「ああ、あそこでいい」<br /><br />女は太郎が門を出たのを見届けた後、<br />「あーあ、行っちゃった」とつぶやき、<br />「そうだ、桃太郎に電話してみよ。<br />しもしも? あっ、桃太郎?」(平野ノラ)<br /><br />

    翌朝、嶋子は起きがけに未練がましく乙姫
    を抱き、その後裸のままカップにコーヒー
    を注いだ。(氷室京介か!)

    素肌にシャツを通し、着替えを終えた。

    部屋を出ようとした太郎に女は「ねえ、こ
    れ持ってって」と言って、玉匣(たまくし
    げ=香箱)を渡した。

    そしてひと言付け加えた「でも絶対に開け
    ないでね」。

    開けたらだめなものを渡すなんて変な女だ
    なと思いつつ、浦嶋子は箱を受け取り、亀
    とともに蓬島の門の外に出た。

    「だんな、あっしを釣り上げた場所でいい
    んですかい」
    「ああ、あそこでいい」

    女は太郎が門を出たのを見届けた後、
    「あーあ、行っちゃった」とつぶやき、
    「そうだ、桃太郎に電話してみよ。
    しもしも? あっ、桃太郎?」(平野ノラ)

  • 浜辺に着いた浦嶋子は亀に向かって、<br />「おいてめえ、いい加減なところに連れて<br />来てんじゃねーよ」と怒り出した。<br />「いえいえめっそうもございません。こ<br />こは筒川村ですよ」<br />「おれがいたころと全然違うじゃねーか<br />よ」<br />「はあ、まあだいぶん年月も経っており<br />ますもんで・・・」<br /><br />「じゃあ、あっしはこれで」<br /><br />亀はまるで他人事のように、さっさと海<br />中へ消えて行った。<br /><br />「ちょ待てよ!」とキムタク風に呼び止<br />めたものの、亀の姿はもう見えなかった。<br /><br />太郎はかつて自分が過ごした筒川村との<br />あまりに違う風景に愕然としながら周囲<br />を歩いた。<br /><br />しかし、自分が生まれ育った家は見当たら<br />ない。<br /><br />訳が分からなくなり、通りすがりの男に<br />尋ねた。<br />「この辺に浦という家はありませんかね」<br />「あまり聞きませんなあ。おたくはどな<br />たで」<br />「浦嶋子と申しまして、だいぶん前に漁<br />に出て、久しぶりに戻ったらえらい変わ<br />りようで訳が分からないんです」<br />「そういえば、何十年も前に漁に出たき<br />り戻らなくなった若者がいたという話は<br />聞いたことがありますがな」<br /><br />両親が住む家はもうない、乙姫のところに<br />帰ろうにも亀はいなくなった。<br /><br />途方に暮れた嶋子は、女からもらった箱<br />を開けた。<br /><br />すると紫色の煙が立ち上り、太郎の若さ<br />を奪い取って蓬莱島のほうへ流れて行った。<br /><br />若さを失った太郎はすっかり老人の姿に<br />なってしまった。<br /><br />おじいさんになった浦嶋子は山へ柴刈り<br />に行きました。(無限ループや)

    浜辺に着いた浦嶋子は亀に向かって、
    「おいてめえ、いい加減なところに連れて
    来てんじゃねーよ」と怒り出した。
    「いえいえめっそうもございません。こ
    こは筒川村ですよ」
    「おれがいたころと全然違うじゃねーか
    よ」
    「はあ、まあだいぶん年月も経っており
    ますもんで・・・」

    「じゃあ、あっしはこれで」

    亀はまるで他人事のように、さっさと海
    中へ消えて行った。

    「ちょ待てよ!」とキムタク風に呼び止
    めたものの、亀の姿はもう見えなかった。

    太郎はかつて自分が過ごした筒川村との
    あまりに違う風景に愕然としながら周囲
    を歩いた。

    しかし、自分が生まれ育った家は見当たら
    ない。

    訳が分からなくなり、通りすがりの男に
    尋ねた。
    「この辺に浦という家はありませんかね」
    「あまり聞きませんなあ。おたくはどな
    たで」
    「浦嶋子と申しまして、だいぶん前に漁
    に出て、久しぶりに戻ったらえらい変わ
    りようで訳が分からないんです」
    「そういえば、何十年も前に漁に出たき
    り戻らなくなった若者がいたという話は
    聞いたことがありますがな」

    両親が住む家はもうない、乙姫のところに
    帰ろうにも亀はいなくなった。

    途方に暮れた嶋子は、女からもらった箱
    を開けた。

    すると紫色の煙が立ち上り、太郎の若さ
    を奪い取って蓬莱島のほうへ流れて行った。

    若さを失った太郎はすっかり老人の姿に
    なってしまった。

    おじいさんになった浦嶋子は山へ柴刈り
    に行きました。(無限ループや)

  • 桃太郎と一夜を共にした乙姫は、翌朝、<br />物音で亀が帰ってきたことに気付いた。<br /><br />女はバスタオルを体に巻き、亀の報告を<br />聞いた。<br /><br />女の背中に桃太郎の声が届いた。<br /><br />「おい、何やってんだよ。早くこっち来<br />いよ」<br /><br />乙姫は「どうもお疲れさま」と亀の労をね<br />ぎらい、男が待つベッドへ戻った。<br /><br />「帰って来ない男のことなんてもういいじ<br />ゃねーか。おれともっと楽しいことしよう<br />ぜ」と抱き寄せた。<br /><br />「いや~ん」と言いながら女は男の体に顔<br />を埋めた。<br /><br />ベッドの下では犬と猿がすでに仲違いし<br />ていた。キジは戦力外(水曜日のカンパネラ)

    桃太郎と一夜を共にした乙姫は、翌朝、
    物音で亀が帰ってきたことに気付いた。

    女はバスタオルを体に巻き、亀の報告を
    聞いた。

    女の背中に桃太郎の声が届いた。

    「おい、何やってんだよ。早くこっち来
    いよ」

    乙姫は「どうもお疲れさま」と亀の労をね
    ぎらい、男が待つベッドへ戻った。

    「帰って来ない男のことなんてもういいじ
    ゃねーか。おれともっと楽しいことしよう
    ぜ」と抱き寄せた。

    「いや~ん」と言いながら女は男の体に顔
    を埋めた。

    ベッドの下では犬と猿がすでに仲違いし
    ていた。キジは戦力外(水曜日のカンパネラ)

  • ざっとまあこれが『丹後風土記』の浦嶋子<br />の物語である(多少妄想あり)。<br /><br />我々が知っている浦島太郎の物語とはかな<br />り違っている。

    ざっとまあこれが『丹後風土記』の浦嶋子
    の物語である(多少妄想あり)。

    我々が知っている浦島太郎の物語とはかな
    り違っている。

  • 浦嶋子の物語は『万葉集』の中にも出てくる。<br /><br />春の日の 霞める時に 住吉の 岸に出で居て <br />釣舟の とをらふ見れば いにしへの <br />ことぞ思ほゆる 水江の 浦島の子が 鰹釣り <br />鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海境を <br />過ぎて漕ぎ行くに・・・・<br /><br />と、浦嶋子の物語が長歌として詠まれている。<br /><br />作者は8世紀(奈良時代)の歌人、高橋虫麻<br />呂である。<br /><br />300年も前のことを歌にするくらいだから、<br />浦嶋子の航海はかなり有名な話だったのだろう。

    浦嶋子の物語は『万葉集』の中にも出てくる。

    春の日の 霞める時に 住吉の 岸に出で居て
    釣舟の とをらふ見れば いにしへの
    ことぞ思ほゆる 水江の 浦島の子が 鰹釣り
    鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海境を
    過ぎて漕ぎ行くに・・・・

    と、浦嶋子の物語が長歌として詠まれている。

    作者は8世紀(奈良時代)の歌人、高橋虫麻
    呂である。

    300年も前のことを歌にするくらいだから、
    浦嶋子の航海はかなり有名な話だったのだろう。

  • 浦嶋子の航海で興味深いのは出発した年である。<br /><br />『丹後国風土記』に書かれた雄略廿二(22)<br />年は、西暦478年。この翌年、雄略天皇は崩<br />御するのだが、前年に古代史上重要なことが<br />起きている。<br /><br />それは、倭王武が中国の南朝に使節を送った<br />年でもあるのだ。<br /><br />倭王武とは「倭の五王』で知られる、南朝に<br />使節を送った日本の天皇の一人である。<br /><br />五王はそれぞれ、讃、珍、済、興、武という<br />名で『宋書倭国伝』に記されている。<br /><br />倭王武が使節を送った年に浦嶋子も出航して<br />いるのである。これは偶然の一致なのか。<br /><br />浦嶋子一族は倭王武の使節を乗せて南朝への<br />航海へ出たのではないのか。<br /><br />雄略天皇の使節として海洋交易を生業として<br />いた浦一族が起用されたとしても不思議では<br />ない。<br /><br />実際、4世紀末の高句麗の百済攻撃に対し援<br />軍を出した際、遠征軍の渡海のために、瀬戸<br />内や北九州の海人が動員されているようなのだ。<br /><br />丹後半島から山陰地方沿いに西へ向かえば、<br />朝鮮半島方面へ行くことは可能だろう。<br /><br />倭の五王に関しては、本当に大和朝廷の王<br />だったのか。なぜわざわざ中国風の名前に<br />なっているのか。中国へ使節を送るという<br />ことは一大国家プロジェクトのはず、なの<br />になぜ『古事記』や『日本書紀』に一切書<br />かれていないのかなど、いろいろ謎が多い。<br /><br />中国風の名前になっているのは、讃とされる<br />履中天皇が使節を派遣する際、家臣が「去来<br />穂別尊(いざほわけのみこと=履中天皇の諡<br />号)だと、あっちの人にはややこしいし、野<br />蛮人扱いされるから、ここはあっち風にしと<br />きましょ」とでも進言したのではないかと思う。<br /><br />それに倣って反正天皇らも中国名にしたので<br />はないか。『宋書倭国伝』に書かれている天<br />皇の系図と、実在の天皇の系図を見ても大き<br />な違いはないことから、倭の五王は4~5世<br />紀の大和の王に間違いはないと思われる。<br /><br />『記紀』に使節派遣の記述がないのは、ど<br />うも対外関係に関することは記録しないこ<br />とにしていたのではないか。<br /><br />実際、600年の遣隋使派遣も『記紀』には<br />記されていない。<br /><br />ではなぜ、北の北魏ではなく、南の宋に派<br />遣したのか。<br /><br />当時、現在の北朝鮮に当たる地域を高句麗<br />という国が領有していた。<br /><br />高句麗は周囲の国と絶えず敵対関係にあり、<br />特に半島南部の百済や新羅には圧力をかけ<br />続けていた。<br /><br />高句麗は水軍も有しており、魏へ向かう邪<br />馬台国の使節団を乗せた船もだ捕されていた。<br /><br />当時の航海方法は、常に陸地伝いに進み、<br />数時間漕げば、岩陰などで休止するような<br />方法を採っていた。<br /><br />陸地近くを通るのだから、高句麗の領土付<br />近は通ることができない。それで、百済の<br />仁川あたりから黄海を横断し、南朝へ行く<br />しかなかったのだ。<br /><br />しかし、陸を見ながらゆっくり進むような<br />航海方法で黄海を横断することなどできる<br />ものだろうか。<br /><br /><br />

    浦嶋子の航海で興味深いのは出発した年である。

    『丹後国風土記』に書かれた雄略廿二(22)
    年は、西暦478年。この翌年、雄略天皇は崩
    御するのだが、前年に古代史上重要なことが
    起きている。

    それは、倭王武が中国の南朝に使節を送った
    年でもあるのだ。

    倭王武とは「倭の五王』で知られる、南朝に
    使節を送った日本の天皇の一人である。

    五王はそれぞれ、讃、珍、済、興、武という
    名で『宋書倭国伝』に記されている。

    倭王武が使節を送った年に浦嶋子も出航して
    いるのである。これは偶然の一致なのか。

    浦嶋子一族は倭王武の使節を乗せて南朝への
    航海へ出たのではないのか。

    雄略天皇の使節として海洋交易を生業として
    いた浦一族が起用されたとしても不思議では
    ない。

    実際、4世紀末の高句麗の百済攻撃に対し援
    軍を出した際、遠征軍の渡海のために、瀬戸
    内や北九州の海人が動員されているようなのだ。

    丹後半島から山陰地方沿いに西へ向かえば、
    朝鮮半島方面へ行くことは可能だろう。

    倭の五王に関しては、本当に大和朝廷の王
    だったのか。なぜわざわざ中国風の名前に
    なっているのか。中国へ使節を送るという
    ことは一大国家プロジェクトのはず、なの
    になぜ『古事記』や『日本書紀』に一切書
    かれていないのかなど、いろいろ謎が多い。

    中国風の名前になっているのは、讃とされる
    履中天皇が使節を派遣する際、家臣が「去来
    穂別尊(いざほわけのみこと=履中天皇の諡
    号)だと、あっちの人にはややこしいし、野
    蛮人扱いされるから、ここはあっち風にしと
    きましょ」とでも進言したのではないかと思う。

    それに倣って反正天皇らも中国名にしたので
    はないか。『宋書倭国伝』に書かれている天
    皇の系図と、実在の天皇の系図を見ても大き
    な違いはないことから、倭の五王は4~5世
    紀の大和の王に間違いはないと思われる。

    『記紀』に使節派遣の記述がないのは、ど
    うも対外関係に関することは記録しないこ
    とにしていたのではないか。

    実際、600年の遣隋使派遣も『記紀』には
    記されていない。

    ではなぜ、北の北魏ではなく、南の宋に派
    遣したのか。

    当時、現在の北朝鮮に当たる地域を高句麗
    という国が領有していた。

    高句麗は周囲の国と絶えず敵対関係にあり、
    特に半島南部の百済や新羅には圧力をかけ
    続けていた。

    高句麗は水軍も有しており、魏へ向かう邪
    馬台国の使節団を乗せた船もだ捕されていた。

    当時の航海方法は、常に陸地伝いに進み、
    数時間漕げば、岩陰などで休止するような
    方法を採っていた。

    陸地近くを通るのだから、高句麗の領土付
    近は通ることができない。それで、百済の
    仁川あたりから黄海を横断し、南朝へ行く
    しかなかったのだ。

    しかし、陸を見ながらゆっくり進むような
    航海方法で黄海を横断することなどできる
    ものだろうか。


  • 当時の船にはまだ帆がなく、漕ぎ手がえっ<br />さほいさと漕ぎながら進むものである。<br /><br />これは、埴輪から再現した古代船で、なみ<br />はや号と名付けられた船である。<br /><br />この船は、大阪から韓国の釜山まで航海で<br />きるかどうか、実験するために作られた。<br /><br />結果は不成功。舳先が高いおかげで不安定<br />で、危なっかしくて乗れなかったらしい。<br /><br />重心を下に下げるために重しを積むと今度<br />は重くて前に進まず、結局釜山までディー<br />ゼル船で引っ張ってもらったという。<br /><br />おそらく、埴輪の古代船は祭祀に使うため<br />の飾りのようなものだったのだろう。<br /><br />おそらく、当時の船は細長く、喫水が海面<br />すれすれのものだったに違いない。<br /><br />しかし、それで外洋を航海するには非常に<br />危険だ。<br /><br />奈良時代の遣唐使船はそこそこ大きな船だ<br />ったが、それでも事故は絶えなかった。<br /><br />鑑真を乗せた船が難破したのは有名な話だ<br />し、阿倍仲麻呂を乗せた船は舵が折れ、そ<br />のまま流されてベトナムに漂着した。<br /><br />8世紀の船ですら数隻のうち1隻が帰って<br />来れれば御の字だったのだから、浦嶋子が<br />航海した船団も全部が帰って来れなかった<br />可能性は高い。<br />

    当時の船にはまだ帆がなく、漕ぎ手がえっ
    さほいさと漕ぎながら進むものである。

    これは、埴輪から再現した古代船で、なみ
    はや号と名付けられた船である。

    この船は、大阪から韓国の釜山まで航海で
    きるかどうか、実験するために作られた。

    結果は不成功。舳先が高いおかげで不安定
    で、危なっかしくて乗れなかったらしい。

    重心を下に下げるために重しを積むと今度
    は重くて前に進まず、結局釜山までディー
    ゼル船で引っ張ってもらったという。

    おそらく、埴輪の古代船は祭祀に使うため
    の飾りのようなものだったのだろう。

    おそらく、当時の船は細長く、喫水が海面
    すれすれのものだったに違いない。

    しかし、それで外洋を航海するには非常に
    危険だ。

    奈良時代の遣唐使船はそこそこ大きな船だ
    ったが、それでも事故は絶えなかった。

    鑑真を乗せた船が難破したのは有名な話だ
    し、阿倍仲麻呂を乗せた船は舵が折れ、そ
    のまま流されてベトナムに漂着した。

    8世紀の船ですら数隻のうち1隻が帰って
    来れれば御の字だったのだから、浦嶋子が
    航海した船団も全部が帰って来れなかった
    可能性は高い。

  • 浦嶋子らが南朝への使節団を乗せて山東半<br />島方面に向かい、首尾よく送り届けたとし<br />ても、無事に帰ってくることはできなかっ<br />たのではないか。

    浦嶋子らが南朝への使節団を乗せて山東半
    島方面に向かい、首尾よく送り届けたとし
    ても、無事に帰ってくることはできなかっ
    たのではないか。

  • 物語にもあるように、浦嶋子が帰って来た時、<br />故郷の筒川村は変わり果てていた。<br /><br />おそらく、かなりの老齢になって、子供や孫<br />たちを引き連れてようやく帰って来れたのか<br />もしれない。

    物語にもあるように、浦嶋子が帰って来た時、
    故郷の筒川村は変わり果てていた。

    おそらく、かなりの老齢になって、子供や孫
    たちを引き連れてようやく帰って来れたのか
    もしれない。

  • 平安時代に書かれた歴史書『扶桑略記』をア<br />レンジした鎌倉時代初期の歴史書『水鏡』に<br />は、浦嶋子が300年後に帰って来たという記<br />述がある。<br /><br />その時の彼はまるで少年のようだったと書か<br />れているのだ。<br /><br />物語そのものだ。しかし当然のことながら、<br />浦嶋子本人が300年後に帰って来たなどとい<br />うのはあり得ない。<br /><br />おそらくこれは、中国大陸に渡ったものの<br />帰国できず、やむなく定住していた浦一族<br />の子孫たちが、なんらかの事情で日本に渡<br />って来たということではないのか。<br /><br />それにしても300年とは長い。18世紀に外<br />国へ行った人たちの子孫が令和になって帰<br />ってくるようなものだ。<br /><br />このとき彼らは当時の日本にはないガラス<br />製品など、珍しいものを持ち込んできたよ<br />うだ。<br /><br /><br /><br />

    平安時代に書かれた歴史書『扶桑略記』をア
    レンジした鎌倉時代初期の歴史書『水鏡』に
    は、浦嶋子が300年後に帰って来たという記
    述がある。

    その時の彼はまるで少年のようだったと書か
    れているのだ。

    物語そのものだ。しかし当然のことながら、
    浦嶋子本人が300年後に帰って来たなどとい
    うのはあり得ない。

    おそらくこれは、中国大陸に渡ったものの
    帰国できず、やむなく定住していた浦一族
    の子孫たちが、なんらかの事情で日本に渡
    って来たということではないのか。

    それにしても300年とは長い。18世紀に外
    国へ行った人たちの子孫が令和になって帰
    ってくるようなものだ。

    このとき彼らは当時の日本にはないガラス
    製品など、珍しいものを持ち込んできたよ
    うだ。



  • 入り江のすぐそこまで山が迫る狭い土地に何<br />世代も経た海の移民の物語があったとは驚き<br />である。<br />

    入り江のすぐそこまで山が迫る狭い土地に何
    世代も経た海の移民の物語があったとは驚き
    である。

  • そしてここの人たちは、太古と変わらぬ場所<br />で、海が間近にある生活を続けているのだ。

    そしてここの人たちは、太古と変わらぬ場所
    で、海が間近にある生活を続けているのだ。

  • 伊根の舟屋の中には旅館を経営しているとこ<br />ろがあり、2階が客室になっている。

    伊根の舟屋の中には旅館を経営しているとこ
    ろがあり、2階が客室になっている。

  • このような宿が町の中に数軒ある。<br /><br />旅館というより民宿のようなものだが、1泊<br />1万円以上する。

    このような宿が町の中に数軒ある。

    旅館というより民宿のようなものだが、1泊
    1万円以上する。

  • 伊根の町にいたのはほんの1時間くらいだった。<br /><br />宮津駅から空港行きのバスが11時54分と勘<br />違いしていて、9時半過ぎのバスに乗るつも<br />りだった。<br /><br />バス停までの時間を逆算していたのだが、<br />途中で道を間違えてしまい、バス停にたどり<br />着けなかった。<br /><br />結局、1時間後のバスに乗るしかなかった。<br />これで、宮津から直接空港へ行くのはあきら<br />めた。しかし、これだと西舞鶴からの空港行<br />きバスにも間に合わない。<br /><br />仕方ないから、京都まで電車で行って、そこ<br />からリムジンバスに乗るか。

    伊根の町にいたのはほんの1時間くらいだった。

    宮津駅から空港行きのバスが11時54分と勘
    違いしていて、9時半過ぎのバスに乗るつも
    りだった。

    バス停までの時間を逆算していたのだが、
    途中で道を間違えてしまい、バス停にたどり
    着けなかった。

    結局、1時間後のバスに乗るしかなかった。
    これで、宮津から直接空港へ行くのはあきら
    めた。しかし、これだと西舞鶴からの空港行
    きバスにも間に合わない。

    仕方ないから、京都まで電車で行って、そこ
    からリムジンバスに乗るか。

  • 道の駅に戻って、丹後陸海交通に電話したら、<br />大阪空港行きのバスは12時54分発だった。<br /><br />11時54分発だとばかり思っていて、かなり焦<br />ったが、それを聞いてガックリ来た。<br /><br />次のバスに乗っても十分間に合うじゃないか。<br /><br />これなら浦嶋神社まで行って、戻って来れ<br />たかもしれない。<br /><br />バスの時刻表を見たはずなのに、なんで勝手<br />に11時54分発と思い込んだかなあ。<br /><br />

    道の駅に戻って、丹後陸海交通に電話したら、
    大阪空港行きのバスは12時54分発だった。

    11時54分発だとばかり思っていて、かなり焦
    ったが、それを聞いてガックリ来た。

    次のバスに乗っても十分間に合うじゃないか。

    これなら浦嶋神社まで行って、戻って来れ
    たかもしれない。

    バスの時刻表を見たはずなのに、なんで勝手
    に11時54分発と思い込んだかなあ。

  • ちょっと時間がなさ過ぎた。<br /><br />東京から来るのだから、やはり2泊3日は必<br />要だ。<br /><br />ここに夕方までいられたら、いろいろ見られ<br />たのにと後悔した。

    ちょっと時間がなさ過ぎた。

    東京から来るのだから、やはり2泊3日は必
    要だ。

    ここに夕方までいられたら、いろいろ見られ
    たのにと後悔した。

  • 1時間近く道の駅で時間をつぶし、やって<br />きた宮津駅行きのバスに乗り込み、12時前<br />に宮津駅に戻ってきた。<br /><br />時間があるので、手打ちうどんの店に入っ<br />た。

    1時間近く道の駅で時間をつぶし、やって
    きた宮津駅行きのバスに乗り込み、12時前
    に宮津駅に戻ってきた。

    時間があるので、手打ちうどんの店に入っ
    た。

  • うどんとたまご丼のセット。<br /><br />そういえば関東ではたまご丼というのは<br />見ないなあ。

    うどんとたまご丼のセット。

    そういえば関東ではたまご丼というのは
    見ないなあ。

  • まだ時間があったので、駅前の喫茶店に入<br />った。<br /><br />

    まだ時間があったので、駅前の喫茶店に入
    った。

  • 店内にはアンティーク品が並べられており、<br />いかにも日本の喫茶店という雰囲気。<br /><br />コーヒーもうまかった。やっぱりス○バと<br />かのチェーンとは違う。

    店内にはアンティーク品が並べられており、
    いかにも日本の喫茶店という雰囲気。

    コーヒーもうまかった。やっぱりス○バと
    かのチェーンとは違う。

  • 12時54分にバスはやって来た。乗客は数人。<br /><br />2時間強のバス移動である。<br /><br />宮津から大阪空港まで鉄道で行く場合、<br />乗り換えが多く、時間もかかり料金もバ<br />スより割高になる。

    12時54分にバスはやって来た。乗客は数人。

    2時間強のバス移動である。

    宮津から大阪空港まで鉄道で行く場合、
    乗り換えが多く、時間もかかり料金もバ
    スより割高になる。

  • 予定通りに大阪国際空港、通称伊丹空港に<br />着いた。<br /><br />飛行機は17時過ぎに飛ぶのだが、その前に<br />行きたいところがあった。<br /><br />モノレールに乗り、万博記念公園まで。

    予定通りに大阪国際空港、通称伊丹空港に
    着いた。

    飛行機は17時過ぎに飛ぶのだが、その前に
    行きたいところがあった。

    モノレールに乗り、万博記念公園まで。

  • 見たかったのはこれ。<br /><br />1970年の万国博覧会(EXPO &#39;70)の時に<br />建てられた太陽の塔である。

    見たかったのはこれ。

    1970年の万国博覧会(EXPO '70)の時に
    建てられた太陽の塔である。

  • 製作者は岡本太郎。<br /><br />正面の顔を見るとやはり彼らしい発想とい<br />う感じがする。

    製作者は岡本太郎。

    正面の顔を見るとやはり彼らしい発想とい
    う感じがする。

  • 万博開催時は下の顔のあたりまでが屋根で覆<br />われていて、そこから上が屋根から突き出た<br />形になっている。<br /><br />屋根を制作したのは建築家の丹下健三。<br /><br />全体が屋根から突き出てしまうのはまず<br />いということで、もう少し低くならない<br />かと依頼したらしいが、岡本太郎は拒否。<br /><br />この時、丹下健三と岡本太郎がケンカし<br />たという噂が立ったが、結局丹下健三が<br />折れた。<br /><br />

    万博開催時は下の顔のあたりまでが屋根で覆
    われていて、そこから上が屋根から突き出た
    形になっている。

    屋根を制作したのは建築家の丹下健三。

    全体が屋根から突き出てしまうのはまず
    いということで、もう少し低くならない
    かと依頼したらしいが、岡本太郎は拒否。

    この時、丹下健三と岡本太郎がケンカし
    たという噂が立ったが、結局丹下健三が
    折れた。

  • 一番上が黄金の顔。

    一番上が黄金の顔。

  • これが太陽の顔。

    これが太陽の顔。

  • そして裏側にあるのが黒い太陽。

    そして裏側にあるのが黒い太陽。

  • もうね、はっきり言って通天閣なんかより、<br />大阪が世界に誇っていいモニュメントだと<br />思うわけですよ。<br /><br />空港の近くだし、もっとアピールしてもい<br />いと思うんだけどなあ。

    もうね、はっきり言って通天閣なんかより、
    大阪が世界に誇っていいモニュメントだと
    思うわけですよ。

    空港の近くだし、もっとアピールしてもい
    いと思うんだけどなあ。

  • 再び伊丹空港へ戻ってきた。

    再び伊丹空港へ戻ってきた。

  • 出発まで時間があるので、うどんを食べる<br />ことにする。

    出発まで時間があるので、うどんを食べる
    ことにする。

  • 見た目はうどんだが、なんだこれと言いた<br />くなるような味。<br /><br />よくこんなものに860円の値段をつけるも<br />のだ。<br /><br />なんで空港の食い物って高いだけで大して<br />うまくないのかね。

    見た目はうどんだが、なんだこれと言いた
    くなるような味。

    よくこんなものに860円の値段をつけるも
    のだ。

    なんで空港の食い物って高いだけで大して
    うまくないのかね。

  • 帰りは飛行機でひとっと飛び。<br /><br />行きに12時間かかったのがバカらしくなる。<br /><br />初めて使った青春18きっぷ。電車で長距<br />離旅が好きな人にはかなり使いでのある<br />きっぷだった。<br /><br />

    帰りは飛行機でひとっと飛び。

    行きに12時間かかったのがバカらしくなる。

    初めて使った青春18きっぷ。電車で長距
    離旅が好きな人にはかなり使いでのある
    きっぷだった。

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