2021/08/17 - 2021/09/30
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softail さん
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浜益、江戸時代(1860年)には陣屋が置かれていた。
また、明治時代からニシン漁で賑わった時期もあったようだ。
日本海に面した漁業だけの町かと思っていた。
農業や酪農も盛んなところだった。
札幌からだと厚田の道の駅で休憩してしまい、増毛や留萌へ行くまでの通過点にしかすぎない町。
春から秋までは、その季節の良い風景が見られる。
特に水稲収穫の少し前(黄金色の稲穂)、秋鮭が遡上し始める頃が一番だと思う。
でも、クマが出没するんで要注意。
もちろん、冬は来るところではない(暴風雪注意)。
米も美味いし、牛肉まである。
もちろん、蛸も美味しい。
ヒラメを買おうと漁港に寄ったらイシモチガレイが売っていた。
釣りで言う外道の魚、でも刺身はヒラメより美味いと思う。
早速、捌いて昆布締め。
さて、ワクチンも2回打ったし来月は旅も解禁、今から楽しみだ。
※歴史、由緒、ふりがな、経路は自分のための備忘録。
- 旅行の満足度
- 3.0
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暑寒別天売焼尻国定公園の山並と収穫時期の水稲。
浜益で橋を架けたとき、当時の村長に橋桁の色をどうするか聞きに行ったことがある。
「黄金色の稲に馴染む景観色で」と言われ色見本で選んでもらったが出来上がった橋はどう見ても黄土色だった。 -
北端から。
雄冬岬展望台から見た浜益と増毛の境界。
増毛のカントリーサインは右側の橋、石狩のカントリーサインは左側の橋。
その中間が境界。 -
白銀の滝。
雄冬岬駐車場にある滝?滝に駐車場があるのか。
開通まで20年以上かかった国道231号、今は、ほとんどが海岸線はトンネル。 -
春は休館中だった郷土資料館へ。
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途中に食堂。
昔は海水浴場だったのか。 -
舟形の倉庫?
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はまます郷土資料館(旧白鳥番屋)。
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文化庁認定の日本遺産、北前船寄港地・船主集落「石狩市」の構成文化財登録。
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受付は漁場帳場室。
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白鳥家は、浜益が江戸幕府の直轄地となった翌年の1856年(安政3年)に運上屋の下請負から漁場の経営を始めた。
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親方の居間。
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座敷と親方の書斎。
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アメリカ・コネチカット州より購入したカレンダー時計。
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気圧計。
昔はこれで天気を予測してたのか。
と、思ったら今も売っていた。 -
居間。
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浜益~小樽間の主要交通機関「浜益丸」の青写真。
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入口にあった救命浮輪、浜益丸の物か。
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これも浜益丸のアンカーか。
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明治15年頃までには遊郭もあった。
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残雪が馬の形に見えるらしい。
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御料地の人喰熊。
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修復前の白鳥番屋。
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幌の木村番屋。
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濃昼の番屋。
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使用人の部屋。
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大正7年(1918年)の漁業家番付。
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デルビル電話機。
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保蔵庫。
保冷庫のことか。 -
漁夫溜。
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漁夫溜。
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漁夫の寝床部屋。
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澗印灯。
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この上にあったのか。
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当時のニシン漁。
沿岸で岸寄りの時期だけの漁だったのか。 -
鰊建網定置の模型。
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ボンデンなど精巧に作られている。
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以外に小さな船で漁が行われていた。
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番屋のジオラマ。
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郷土資料館を出て。
右側の岬が馬雪が見れる愛冠岬。
左が浜益漁港。 -
岡島洞窟遺跡。
縄文文化期から擦文文化期までの7期間にわたる住居跡。 -
付近は落石の危険性があるため立入禁止。
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川下から番屋方向。
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川下八幡神社へ。
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鳥居の横からハママシケ陣屋跡へ。
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史跡荘内藩ハママシケ陣屋跡。
安政6年(1859年)、幕府は蝦夷地を奥州6藩に分け与え、その警備を命令した。
荘内藩は浜益を含む日本海に面する西海岸一帯(留萌・苫前・天塩など)40余里に及ぶ地域を拝領した。 -
翌、万延元年(1860年)、家老松平舎人(とねり)を総奉行として現地調査を行い、意見書を提出した。
この調査を基に二代目総奉行酒井了明(のりあき)が赴任し、警備・開拓の本陣を「ハママシケ」(浜益)に設けたのがこの場所で、奉行所をはじめ寺・神社・長屋などを建て、集落が作られた。 -
左側の高台に御徒・足軽目付長屋、右側に北足軽長屋があった。
主要な建物は万延元年(1860年)中にはできていた。 -
この高台には永住郷夫長屋。
文久元年(1861年)には移民による開墾もはじめられた。
永住郷夫とは開墾のため荘内より入植した人たち。 -
石橋。
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とりあえず奉行所の方へ行ってみよう。
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この辺は兵糧庫(米蔵)と御元締長屋。
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奉行長屋跡。
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この石も土台石にするため荘内鶴岡から運搬された花崗岩なのか。
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当時の井戸まで10m。
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井戸。
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これが当時の井戸。
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これ何だ?
当時のものでないような。 -
右端の木の下に石垣の井戸、その直線上に四角い井戸のようなもの。
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近代なものも埋まってる。
酒と言う字は読めるが、その後、何かが建っていたのか。 -
ここだけ陽の光。
石垣のような痕跡、奉行長屋の高台の石垣か。
神社跡まで行きたいがクマが怖いので一人では無理だ、引き返すことにした。
ほんとのところ、今でも怖い。 -
札幌の街中でもクマに襲われるようになった。
スマホの音量を一番上げて音楽をかけながら急ぎ足で下山。
御家中長屋跡と合薬庫。 -
人工的に造られた痕跡。
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神社跡忘れた。
さすがに一人で、これ以上奥に進むのはクマが怖い。
下山。 -
HACのJA11Cだ。
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清水。
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陣屋からの景色。
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五十軒堀。
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千両堀。
陣屋を建設するために浜益川から陣屋まで掘られた運河。
建設するために多大の費用がかかったため「千両堀」と呼ばれた。 -
ハママシケ陣屋から温泉の方向へ。
黄金山、浜益川はかつて黄金川と呼ばれていた。 -
昔の馬車道らしい。
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国道451号に架かる実田浜中橋。
ここに落差工があり鮭の遡上が見られる。 -
秋鮭の遡上が見れる。
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上れるのはわずか。
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これは高い。
背面飛び。 -
どうだ行けるか。
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着水。
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ガンバレ、隣には次の鮭がチャレンジ。
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なかなか前に進めない。
隣りの鮭は上れなかった。 -
ここまで行けば大丈夫。
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落差工から少し上流の浜益温泉付近。
力尽きた鮭たち。 -
生き延びた鮭にもまた堰堤。
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落差工を上れた鮭が結構いる。
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でも、この高さは無理だよな。
雨で増水したときに一気に上がるらしい。 -
向こう側には魚道があるのに。
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川下の馬車道から続いていたのか駅逓所の跡らしい。
駅逓所の潰れた屋根。 -
古い石垣も見える。
この辺りは資料館で見た写真の「人喰い熊」が出た所。 -
「赤いきつね」と「緑のたぬき」の標識。
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今は黒毛和牛市場が盛んらしい。
この子牛たちも1歳になると売られてしまう。 -
母牛が初産で危なく命を落とすところだった子牛。
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カブトムシ発見。
花の蜜を吸ってるのかな、でもカブトムシは北海道では外来種。 -
いい景色。
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早朝から浜益へ向かう。
朝焼け。 -
石狩川の朝焼け。
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当別川の川霧。
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これも当別川の川霧。
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当別町での陽が昇ってくる。
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望来川で陽が沈み。
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当別町でマジックアワー。
いろいろな風景が見られた浜益。
来年、また、タコ買いに行こう。
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