2021/07/13 - 2021/07/16
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Weiwojingさん
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しばらく東京を離れて長野県川上村tと山梨k県の清里高原へ出かけてみた。このところ梅雨が明けてやっと本格的な夏の到来を思わせる時期となってきた。数日間を清涼な空気を求めて川上村と清里へ静養のために滞在した。
川上村には小生が住んでいるM市の自然休暇村があり、安価な値段で(1泊2食付きで5000円ほどで)泊まることが出来た。この施設の周辺では山登り、釣り、ドライブ、自然観察等を楽しむことが出来るが、そうしたものはしなかった。
川上村の後は清里に移動し、KEEP(清里教育実験計画)の清泉寮に滞在した。ここはもう数十年前大学生の時に野外教育活動で一度来たことがあり、大変懐かしさを感じた。その頃は今のような観光地化されておらず、酪農と高原野菜の栽培を主体とした農業実験所のようなところであった。
周囲は全国一の生産を誇るレタス畑が広がり、高冷地のためか水田は全く見られない。休暇村の周囲は深い森林が広がり、今まで見たことがない風景ばかりであった。今回は休養が目的だっので、あまり動き回ることはしなかったが、適度の散歩をして高原の初夏のすばらしさを満喫できた。
- 旅行の満足度
- 5.0
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東京から中央線小淵沢駅を経由して小海線信濃川上駅に到着した。駅は新しく改築されたかのようできれいであったが、無人駅で、この時降りたのは小生たち2人だけであった。
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駅舎はコンクリート造りの立派な建物であるが、無人駅で、小生たちが降りた時は他に誰も利用客はおらず、とんでもないところに来てしまったいう思いがした。
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駅前にはこのような二宮金次郎の像が建ち、何十年もの昔に戻ったような気がした。今こんな像があるところがあるのだろうか。どうしてここにあるのだろうか。確か金次郎の出身地である神奈川県の小田原市にあるのを聞いたことはあるが、不確かである。調べてみると、小田原には確かにある。
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駅ま出迎えをお願いしいたので、車でM自然休暇村に向かった。20分以上もかかったが、ここまでくると周囲は全くの森林ばかりで、人家も観光施設もなかった。
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歌人・若山牧水が詠んだ和歌が刻まれた碑が休暇村入り口に置かれている。牧水はこの辺りを訪れているようである。
「見よ下にはるかに見えて 流れたる千曲の川ぞ 音も聞こえぬ」
(大正12年、第15歌集『黒松』から) -
休暇村の建物の一部。滞在客は小生たち以外に数組いるだけで、静寂に包まれていると言ってもよかった。時折、近くでなくウグイスの声が聞こえてくるだけである。
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バルコニーから見た風景は遠くに山々がそびえ、手前に森が広がり、森林浴を十分楽しむことが出来た。こんなところで長時間座つて景色を見ていたり、本を読んだり、談笑したりと至福の時を楽しむことが出来た。
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宿泊した部屋は8畳の和室で、それほど広いというわけではないが、きれいで快適であった。
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大浴場があり、朝晩と利用することが出来た。しかも、滞在客が少なかったので、自由に動き回ったりして、子供のように楽しんだ。
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敷地のあちこちに白樺の木が生い茂り、高原の雰囲気がたっぷりであった。
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廊下の窓ガラスに奇妙な昆虫がうずくまっていた。なんだかわからないが、かなり大きな体をしている。
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初日の夕食。決して豪華というようなものではないが、地元の野菜や地場産業で得られた食材を用いていて満足のいくものであった。
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特別に桜肉(馬肉)を頼んでみた。長野県は桜肉の生産地として知られているが、小生はこれまで熊本県で食べたことがあるだけであった。そこで、久しぶりに挑戦してみた。臭みもなく、身はやわらかで、食べやすかった。
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別の日の夕食であるが、やはり地のものが中心であった。近くの川でとれた鮎や野菜の漬物等手の込んだ料理はなかったが、大いに満足できた。
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朝食は和食と洋食の2種類あり、これは洋食の方である。ごく普通のメニューであるが、ただパンが大変おいしかった。
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川上村を歩いていると、あちこちでこのような風景が見える。畑が白いもので覆われ、最初遠くから見たときは雪かと思った。しかし、7月のこんな時期に雪が降るとはあり得ない。よく見ると、白いビニールが畑一面を覆っているのである。
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まるで雪が降ったような光景であったが、これはレタス畑で、これからが最盛期のようであった。
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白いビニール畑のあちこちに緑の葉が伸びて、レタスが顔をのぞかせている。レタス畑を始めてみた。
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畑で作業をしている人の姿が見られた。若い女性のようであるが、よく見ると日本の人ではないようである。あとで分かったが、この人はベトナム人農業研修生であった。村を歩いていると、スーパーや駅でベトナム人らしき若い人たちに出会った。聞いてみると、やはりベトナムからの研修生で、この村で農業の研修をしてるとのことであった。思いがけずに、こんな田舎でも日本の縮図を見ることになった。
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歩いていると、森の中に白壁の一軒家が現れた。地図を見ると、「善慶庵」という蕎麦屋であった。ちょうど昼近くになっていたので、ここで昼食をとることにした。
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入り口には「善慶庵」と書かれた暖簾が下がっていて、この日は開店しているようでほっとした。ほとんど情報がなかったので不安であったが、ここまで来て安心した。
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店内の様子。12時過ぎに訪れたが、他に客はおらず、小生たちだけであった。しばらくして他に2組の客がやってきた。大体、1日に数組の客があるだけのようで、あまり商売気がないようであった。
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注文したのは盛りそばであったが、もっともメニューはこれだけしかなく、大と中の2種類だけであった。
そばには3種類の小品が一緒に出てきた。地元のレタス、白菜の漬物そして驚いたのは右側のそばを茹でた茹汁から作ったゼリーである。やや甘みがある程度であるが、柔らかく、初めて食べた。 -
これが注文した盛りそばであるが、地元の「十割川上そば」というもので、割と固めで噛み応えがあるそばであった。素朴な味がし、おいしかった。
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川上村はレタスの生産にかけては日本一の生産量ということで、村中でレタス畑を見かけたが、驚いたことにはスーパーに「レタスアイスクリーム」があったことである。
一個購入して食べてみた。レタスの淡い緑色がし、さっぱりした味と見た目のきれいさにひかれた。ただ、値段はやや高い気がした。 -
こんな風景がいたるところに広がっている。しばらく見ていると、自然に心が和んでくる。
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あちこち歩いていると、実に様々な草花に出会う。しかし、残念なことに、ほとんど名前が分からない。
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まだ秋ではないのにこの辺りではもうあちこちでコスモスの花が全開し、2か月位早いのではないかとさえ思えた。
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ホタルブクロは分かった。というのも、東京の我が家の周辺でもよく見かけているので。
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村内にはわずかながらバスの便があるが、よく見ると、2時間に1本位しか走っていない。そうなると、こういうところでは車がないと生活出来ないということになる。
時間表の上に犬の絵があるが、これは川上村が「川上犬」で知られているところから付けられているそうだ。 -
これが川上犬で、川上犬は、かつて隔絶された山村であった川上村で猟犬として飼育された秘境の純血種であった。一時絶滅の危機に瀕したが、村の保存会の努力により復活し、生きた県の天然記念物に指定されている。
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所々でこんな風景に出会った。もう百年以上も前の石仏だが、今もこうして地域の人々に守られているのだろう。
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また別な場所で古そうな野仏を見つけた。
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全体がかなり擦り切れていて、かすかに胸のところで手を合わせていたり、女性の顔のようなところしかわからない。
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後ろに控えている子仏は柔和な顔つきで、道行く人を微笑んでいるような様子だ。気に入った野仏だ。
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川上村の滞在を終えて、次の目的地の清里へ電車で向かった。信濃川上駅から清里駅まで1時間もかからなかった。
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長野県川上村から山梨県の清里への移動は標高1500メートルを越える野辺山駅を経て。清里駅に到着した。駅舎は高原の駅らしく清楚で、美しかった。
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駅前にはかつて小海線を走っていた蒸気機関車が展示されいる。昭和13年に製造されたC56149号蒸気機関車は戦前戦後を通して輸送の主力として八ヶ山麓を力強く走り続け、地域の発展に大きく貢献し、また「高原のポニー号」たたえられ、多くの人々に愛された。しかし、昭和47年に31年も小海線を走り続けた後、引退した。
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これは現役時代に小海線を走っていたC56149蒸気機関車の雄姿で、一度乗って経験したかったと思う。
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駅前には2台の旧ピクニックバスが展示されている。1999年から2017年までの約20年間、清里のあちこちを運行した観光バスで、トラックを改造したものであった。
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清里での滞在は清泉寮を予定していたが、お願いした出迎えのシャトルバスの到着までかなりの時間があった。そこで駅前の観光案内所で教えてもらった「萌木の村」へ行ってみた。
清里の駅から徒歩15分くらいのところにあり、八ヶ岳の大自然と共存できるナチュラルガーデンを目指して、1977年開園した。2010年、イギリス人ガーディナーのポール・スミザーがガーデン作りに参加した。彼が目指したのはイギリス風ガーデンであった。 -
自動演奏楽器の博物館「ホール・オブ・ホールズ」というオルゴール専門の博物館であるが、入場料が1000円ということもあって、入らなかった。
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「ナチュラルガーデンカフェ」で昼食をとった。
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厚切りのパンにクリームチーズをのせ、この地域で採れた野菜を添えたランチである。合わせてハーブティも頼んだ。
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さらにゆっくり歩き回った。
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本物の猫のようであるが、これはある建物の入り口に掲げられた作り物である。
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これは野バラではないだろうか。
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石を組んだ外壁に別の色を使ったハートマークが作られていて、目を引くようになっている。
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次の目的地である KEEP ( Kiyosato Educational Experiment project )〈 清里教育実験計画 〉内の清泉寮へやって来た。清里駅から送迎バスで到着した。
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KEEP というのは創設者のアメリカ人ポール・ラッシュ( Paul Lush, 18 )が「人類への奉仕」の4つの理念(食糧、保険、信仰、成年への希望)に加えて新たに「環境教育」と「国際協力」を掲げて、自然と触れ合う体験型学習の推奨や環境保護活動を行っている。
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ここが清泉寮の入り口で、清里駅から送迎バスでくると、ここで降りる。駅から15分くらいかかっただろうか。
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レセプションのある背後にはまるでステンドグラスのような照明で飾られている。
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本館内には図書コーナーがあり、清里とこの周辺の動植物に関する本からキリスト教書、一般書までおかれていて、自由に手に取って読むことが出来る。
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宿泊した部屋の様子。ここは本館内にあり、リビングルームと寝室に分かれ、リビングルームには大きな暖炉があり、自由に火を焚くことが出来た。
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朝晩の食事をしたレストランはかなり広めで、その上感染対策はしっかりしていた。入り口での検温、アルコール消毒の徹底、食べ物の取り分ける際のビニール手袋の使用、各テーブル間の広めの空間をとるといった具合である。
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夕食の一例。メインの料理3種類の中から一つ選び、それ以外はブッフェで取るようになっていた。
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大きな浴場があり、のんびり湯に浸かることが出来た。
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露天風呂もあったので、何度か利用してみた。高原のさわやかさを受けて入る外の風呂は気持ちよかった。
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KEEP内には昔からの古い建物もあり、敷地内を歩いていると、このような建物も見っけた。
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「ポール・ラッシュ記念館」は、「清里開拓の父」と呼ばれ、戦後の日本の農村を民主的復興に導いたラッシュ博士の実践と精神を紹介している。生前暮らしていた住居も公開している。
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KEEP の創設にかかわったポール・ラッシュ博士像(1897~1979)がある。
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遠く富士山に向かって像はいつまでもこの山を見つめているかのようである。
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こんな風景が好きだ。ここは敷地が広大で、早朝や夕方ゆっくり散歩をするのは楽しい。
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午後2時半頃清泉寮に着いた時は夕立を伴った大雨が降り、1時間くらい降り続いた。その後、晴れ間をのぞかせ、大きな虹が空に出てきた。
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最近虹を見ることは少ないが、このような高原地帯ではよく発生することがあるのだろう。
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虹が消えて夕闇が迫るころ、南アルプスと木立ちの姿が影絵のように浮かんできた。
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清泉寮と言えば、ソフトクリームが思い浮かぶほど、ここで作られたソフトクリームは一度食べると病みつきになりそうである。
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早朝の清泉寮敷地内を歩いてみた。少々肌寒い感じであったが、清浄で、澄んだ空気が心地良かった。ジャージ牛がたくさん草を食んでいた。
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ジャージ牛は乳牛としてかなり飼育され、アイスクリームもバターもチーズも生産されている。
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牧草地の片隅に自生のサクラソウが咲いていた。
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おそらくアジサイだと思うが、かなり咲くのが遅いのではないだろうか。
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草むらの中に割と大きな、見たこともないようなキノコが顔をのぞかせて、驚かされた。
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清里での2日間の滞在を終えて帰京することにした。ただ急ぐ旅ではないので、かねてから訪れてみたいと考えていた「浅川伯教・巧兄弟資料館」と「平山郁夫シルクロード美術館」を訪ねることにした。
ここは中央線小淵沢駅で、小海線からだと乗り換える必要があった。上記のところを訪ねるために次の長坂駅で、下車することにした。 -
ホームで電車を待っていたら、遠くの電線に野鳥が止まっているのが見えた。写真に収めてみたものの、あまりうまく撮れなかった。
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小淵沢駅構内にあるラーメン店で「山賊ラーメン」なるものを食べてみた。意外にもボリュームがあり、食べ応えがあった。
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北杜市高根町に来た。この建物は高根町生涯学習センターで、この中に「浅川伯教・巧兄弟資料館」がある。
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「浅川伯教・巧兄弟資料館」にはずいぶん前から訪れてみたいと思っていた。というのは、浅川巧が紹介した韓国の焼物とその美しさに魅了されたからである。
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展示されている韓国の白磁の焼き物とシンプルな家具類は、どれも素晴らしい。巧が紹介するまで韓国の民芸品は顧みられることがなかった。
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たくさんの陶器が展示されている。
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磁器だけでなく家具類も展示されていて、素朴なつくりに興味を覚えた。
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白磁の焼き物をどのように焼き上げるのかを示すジオラマもあった。
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さらに移動して「平山郁夫シルクロード美術館」を訪れた。一度来てみたいと思っていたが、今回やっと実現した。
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今ここでは「平山郁夫 故郷の風景」とい展覧会が開催されている。
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「漁夫」(1958年〈昭和33〉
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「大シルクロード・シリーズ」と題した平山郁夫のシルクロードにまつわる作品群を一堂に会して展示している。まさに圧巻である。
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「楼蘭遺跡を行く・月」(2005年)
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「シルクロードを行くキャラバン 西・月」(2005年)
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「パルミラ遺跡を行く・夜」(2006年)
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「アフガニスタンの砂漠を行く・月」(2007年)
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平山郁夫はパキスタン、アフガニスタン、ウズベキスタン、中国等のシルクロード沿いの国々を数多く訪れており、各地で貴重な仏像を入手している。そうしたものがこの美術館では多数展示されている。
「菩薩半跏思惟像(ガンダーラ 2~3世紀) -
「菩薩頭部」(アフガニスタン 2~3世紀)
端正な顔立ちとギリシャ風な作りが目を引き、今回見た内で一番興味を覚えた。 -
「菩薩像頭部」(中國・タムトラ千仏洞 6~7世紀)
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「執金彫像」(アフガニスタン 2~3世紀)
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「菩薩遊座像」(ガンダーラ 2~3世紀)
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「弥勒菩薩交脚倚像」(ガンダーラ 2~3世紀)
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「仏陀座像」(ガンダーラ 2~3世紀)
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「仏陀説法図」(パキスタン 2~3世紀)
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瀬戸内海の故郷でスケッチしている平山画伯。
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鎌倉にあった仕事部屋が再現され、在りし日の平山画伯の様子がしのばれた。
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この旅行記へのコメント (2)
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- norisaさん 2021/08/13 08:49:27
- 以前訪問させて頂いていました!
- Tamegai様
おはようございます。
この御旅行記、確かに拝見し、いいねも押させて頂いていました。
前半いろいろなご紹介があり、特に清里駅のSLに感銘を受けていました。
平山郁夫シルクロード美術館では絵画よりもガンダーラ美術にご興味があったようですね。
平山夫妻はご夫婦ともシルクロード美術に興味と造詣が深かったので収集品も多彩で見事でした。
いずれにしろもう一度訪れたい美術館ですね!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
norisa
- Weiwojingさん からの返信 2021/08/13 08:54:59
- Re: 以前訪問させて頂いていました!
- norisa さん
失礼いたしました。不慣れなためにURL が正確ではありませんでした。その上に再度おかしなメールをお送りしてしまい、申し訳ありませんでした。
今後ともよろしくお願いいたします。
Tamegai
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