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バレンシア(Valencia)からアウトヴィア(Autovia、無料高速道路)A3号(E-901併用)線をバスで西に向かい、途中カウデテ・デ・ラス・フェンテス(Caudete de las Fuentes)で国道N-111号線に下りてさらに西に向かいます。モティリャ・デル・パンカル(Motilla del Palancar)で国道N-320に入って北に向かって約80km走ると、カスティーヤ=ラ・マンチャ(Castilla-La Mancha)州クエンカ(Cuenca)県の県都クエンカに着きます。カスティーヤ=ラマンチャ州とはいっても、クエンカはメセタを有するラ・マンチャと緑が多い丘陵地帯との境界付近に位置し、ラ・マンチャからは外れます。クエンカの東側には石灰岩の丘陵があり、これをウエカル川(Rio Huecar)が浸食した峡谷には奇岩群があります。 <br /><br />本旅行記では、バスから見た奇岩群と1996年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたクエンカの旧市街の一部を報告します。<br /><br />スペインの道路番号、クエンカの歴史については旅行記の最後に付録として載せました。お時間とご興味のある方はご覧ください。<br />

スペイン クエンカ ウエカル渓谷の奇岩群 旧市街

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2015/04/30 - 2015/04/30

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bunbun

bunbunさん

バレンシア(Valencia)からアウトヴィア(Autovia、無料高速道路)A3号(E-901併用)線をバスで西に向かい、途中カウデテ・デ・ラス・フェンテス(Caudete de las Fuentes)で国道N-111号線に下りてさらに西に向かいます。モティリャ・デル・パンカル(Motilla del Palancar)で国道N-320に入って北に向かって約80km走ると、カスティーヤ=ラ・マンチャ(Castilla-La Mancha)州クエンカ(Cuenca)県の県都クエンカに着きます。カスティーヤ=ラマンチャ州とはいっても、クエンカはメセタを有するラ・マンチャと緑が多い丘陵地帯との境界付近に位置し、ラ・マンチャからは外れます。クエンカの東側には石灰岩の丘陵があり、これをウエカル川(Rio Huecar)が浸食した峡谷には奇岩群があります。

本旅行記では、バスから見た奇岩群と1996年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたクエンカの旧市街の一部を報告します。

スペインの道路番号、クエンカの歴史については旅行記の最後に付録として載せました。お時間とご興味のある方はご覧ください。

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  • カウデテ・デ・ラス・フェンテスから国道N-111号線を西に向かうと、丘陵地帯にコントレラス貯水池(Embalse de Contreras)が見えます。

    カウデテ・デ・ラス・フェンテスから国道N-111号線を西に向かうと、丘陵地帯にコントレラス貯水池(Embalse de Contreras)が見えます。

  • コントレラス貯水池。この貯水池がバレンシア州と、カスティーヤ=ラ・マンチャ州クエンカ県の境界となります。

    コントレラス貯水池。この貯水池がバレンシア州と、カスティーヤ=ラ・マンチャ州クエンカ県の境界となります。

  • 丘陵を西に下りると、ラマンチャ地方のメセタですねえ。

    丘陵を西に下りると、ラマンチャ地方のメセタですねえ。

  • 国道N-111号線からモティリャ・デル・パンカル(Motilla del Palancar)で国道N-320に入って80 km 程北に向かうと、カスティーヤ=ラ・マンチャ(Castilla-La Mancha)州クエンカ(Cuenca)県の県都クエンカに着きます。<br />県道CUV9144とPoligono S5 Venta FranceとのT字路。前方がPoligono S5 Venta France。ここからまたバスでウエカル渓谷のウエカル川南側の谷を走るCUV9144を東に向かいます。<br /><br />著作権の関係で適当な地図が入手できませんでしたので、バスのルートは以下のグーグルマップに青線で示しました。<br /><br />https://goo.gl/maps/SAFcM<br />

    国道N-111号線からモティリャ・デル・パンカル(Motilla del Palancar)で国道N-320に入って80 km 程北に向かうと、カスティーヤ=ラ・マンチャ(Castilla-La Mancha)州クエンカ(Cuenca)県の県都クエンカに着きます。
    県道CUV9144とPoligono S5 Venta FranceとのT字路。前方がPoligono S5 Venta France。ここからまたバスでウエカル渓谷のウエカル川南側の谷を走るCUV9144を東に向かいます。

    著作権の関係で適当な地図が入手できませんでしたので、バスのルートは以下のグーグルマップに青線で示しました。

    https://goo.gl/maps/SAFcM

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。うーん、ちょっととカッパドキア風。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。うーん、ちょっととカッパドキア風。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。折り畳んだこうもり傘のような形の緑の木々もいいね。下側の岩は堆積層であることがよくわかる。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。折り畳んだこうもり傘のような形の緑の木々もいいね。下側の岩は堆積層であることがよくわかる。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。でかい岩だね。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。でかい岩だね。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。こいつは柱状か。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。こいつは柱状か。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。電柱と電線が邪魔だけど我慢。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。電柱と電線が邪魔だけど我慢。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

  • 県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

    県道CUV9144を東に走るバスから見た対岸の岩。

  • ウエカル川を越え、左折して県道CUV9141に入り北に向かいます。この道路はウエカル渓谷北側の高台を走る道路(やはりCUV9141)につながっており、しばらく上り坂です。バスから見た岩。

    ウエカル川を越え、左折して県道CUV9141に入り北に向かいます。この道路はウエカル渓谷北側の高台を走る道路(やはりCUV9141)につながっており、しばらく上り坂です。バスから見た岩。

  • 県道CUV9141を北に走るバスから見た岩。

    県道CUV9141を北に走るバスから見た岩。

  • 県道CUV9141を北に走るバスから見た岩。

    県道CUV9141を北に走るバスから見た岩。

  • 県道CUV9141を北に走るバスから見た岩。

    県道CUV9141を北に走るバスから見た岩。

  • この辺でウエカル川の支流であるArroyo de la Cueva del Faileを渡ってさらに上ります。<br />バスから見た岩。<br />

    この辺でウエカル川の支流であるArroyo de la Cueva del Faileを渡ってさらに上ります。
    バスから見た岩。

  • 県道CUV9141を北に走るバスから見た岩。

    県道CUV9141を北に走るバスから見た岩。

  • 坂を上りきったところで県道CUV9141のT字路を左折し、ウエカル渓谷北側の高台を走る道路:CUV9141を西に向かいます。バスから見た渓谷北側。

    坂を上りきったところで県道CUV9141のT字路を左折し、ウエカル渓谷北側の高台を走る道路:CUV9141を西に向かいます。バスから見た渓谷北側。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。

  • 県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。崖の上に建つクエンカの家々が見えてきましたね。

    県道CUV9141を西に走るバスから見たウエカル渓谷。崖の上に建つクエンカの家々が見えてきましたね。

  • クエンカの町。右手前は絶壁ぎりぎりまで家が並ぶ旧市街、遠方平地部分は新市街です。

    クエンカの町。右手前は絶壁ぎりぎりまで家が並ぶ旧市街、遠方平地部分は新市街です。

  • ここでバスを降り、徒歩で台地からの狭い傾斜地につくられたクエンカ旧市街の散策です。<br /><br />著作権の関係で適当な地図が入手できませんでしたので、散策ルートは以下のグーグルマップに青の点線で示しました。<br /><br />https://goo.gl/maps/4bB3F<br /><br />旧市街に入る直前、ラルガ通り(Calle Larga)から見たフカル渓谷(Garganta del Jucar)東側の岩達。<br /><br />

    ここでバスを降り、徒歩で台地からの狭い傾斜地につくられたクエンカ旧市街の散策です。

    著作権の関係で適当な地図が入手できませんでしたので、散策ルートは以下のグーグルマップに青の点線で示しました。

    https://goo.gl/maps/4bB3F

    旧市街に入る直前、ラルガ通り(Calle Larga)から見たフカル渓谷(Garganta del Jucar)東側の岩達。

  • フカル渓谷。

    フカル渓谷。

  • 13世紀の城塞(Castillo Sigro XIII)。クエンカはフカル川(Rio Jucar)とウエカル川の浸食峡谷によって3方を囲まれた絶好の防御の地となっていますが、これまでバスで走ってきた方向だけは峡谷がなくて平坦なため、この城塞によって防御を固めています。ここからが旧市街で、通りの名前がトラブコ通り(Calle Trabuco)変わります。

    13世紀の城塞(Castillo Sigro XIII)。クエンカはフカル川(Rio Jucar)とウエカル川の浸食峡谷によって3方を囲まれた絶好の防御の地となっていますが、これまでバスで走ってきた方向だけは峡谷がなくて平坦なため、この城塞によって防御を固めています。ここからが旧市街で、通りの名前がトラブコ通り(Calle Trabuco)変わります。

  • しばらくトラブコ通りを下るとトラブコ広場(Plaza del Trabuco)があます。

    しばらくトラブコ通りを下るとトラブコ広場(Plaza del Trabuco)があます。

  • トラブコ広場の北西側に展望台があります。展望台の向こうはフカル渓谷です。

    トラブコ広場の北西側に展望台があります。展望台の向こうはフカル渓谷です。

  • トラブコ通りを隔てて展望台と反対側にある17世紀建造のサン・ペドロ教会(Iglesia de San Pedro)。<br />この先通りの名前はサン・ペドロ通り(Calle San Pedro)に変わります。<br />

    トラブコ通りを隔てて展望台と反対側にある17世紀建造のサン・ペドロ教会(Iglesia de San Pedro)。
    この先通りの名前はサン・ペドロ通り(Calle San Pedro)に変わります。

  • 教会を後ろに見てサン・ペドロ通りをさらに下ると、両側に建物が建ち並んできます。

    教会を後ろに見てサン・ペドロ通りをさらに下ると、両側に建物が建ち並んできます。

  • 12世紀頃の建物でしょうかねえ。<br />(付録2参照)<br />

    12世紀頃の建物でしょうかねえ。
    (付録2参照)

  • 家の入口の上に紋章があります。貴族の家だったんですね。

    家の入口の上に紋章があります。貴族の家だったんですね。

  • サン・ペドロ通りにあるマンホールの蓋。真中はクエンカの紋章です。その周りに ”Ayuntamiento de Cuenca Saneamiento” と書かれてますが、「クエンカ市排水設備」ですかね。

    サン・ペドロ通りにあるマンホールの蓋。真中はクエンカの紋章です。その周りに ”Ayuntamiento de Cuenca Saneamiento” と書かれてますが、「クエンカ市排水設備」ですかね。

  • 狭いサン・ペドロ通りをぬけてマヨール広場(Plaza Mayor)に出ました。正面は市庁舎(Ayuntamiento)です。

    狭いサン・ペドロ通りをぬけてマヨール広場(Plaza Mayor)に出ました。正面は市庁舎(Ayuntamiento)です。

  • 左側にクエンカ大聖堂(Catedral de Cuenca、正式名:Catedral de Santa Maria y San Julián de Cuenca(クエンカの聖母マリアと聖フリアン(英語読みではジュリアン)の大聖堂))が見えます。

    左側にクエンカ大聖堂(Catedral de Cuenca、正式名:Catedral de Santa Maria y San Julián de Cuenca(クエンカの聖母マリアと聖フリアン(英語読みではジュリアン)の大聖堂))が見えます。

  • クエンカ大聖堂は1196年に建設がはじまり1257年にほぼ完成しましたが、その後も改装は続けられ、ファサードは20世紀初頭に再建されました。アビラの大聖堂とともにスペイン最初のゴシック建築とされていますが、現在も完成に至る計画が立てられています。<br /><br />この大聖堂は、クエンカのローマカトリック教区の本拠地であり、正式名から分かるように、聖母マリアと教区主教の第二司教でありクエンカの守護聖人である聖フリアンに捧げられています。<br />

    クエンカ大聖堂は1196年に建設がはじまり1257年にほぼ完成しましたが、その後も改装は続けられ、ファサードは20世紀初頭に再建されました。アビラの大聖堂とともにスペイン最初のゴシック建築とされていますが、現在も完成に至る計画が立てられています。

    この大聖堂は、クエンカのローマカトリック教区の本拠地であり、正式名から分かるように、聖母マリアと教区主教の第二司教でありクエンカの守護聖人である聖フリアンに捧げられています。

    カクエンカ大聖堂 (テドラル) 寺院・教会

  • 近づいて。レリーフが美しい。

    近づいて。レリーフが美しい。

  • ファサード上部の聖フリアンの像。

    ファサード上部の聖フリアンの像。

  • クエンカ大世道の横のオビスポ・バレロ通り(Calle Obispo Valera)に入ります。

    クエンカ大世道の横のオビスポ・バレロ通り(Calle Obispo Valera)に入ります。

  • オビスポ・バレロ通りからみたクエンカ大聖堂の南側。

    オビスポ・バレロ通りからみたクエンカ大聖堂の南側。

  • オビスポ・バレロ通りからみたクエンカ大聖堂の南側。側廊部外壁にゴシック建築特有のパットレスはありませんが、翼廊(右側)にはパットレスとバラ窓が見えますね。航空写真を見ますと、側廊の屋根には身廊を支えるフライングパットレスが取り付けられています。

    オビスポ・バレロ通りからみたクエンカ大聖堂の南側。側廊部外壁にゴシック建築特有のパットレスはありませんが、翼廊(右側)にはパットレスとバラ窓が見えますね。航空写真を見ますと、側廊の屋根には身廊を支えるフライングパットレスが取り付けられています。

  • オビスポ・バレロ通りを南へ。アルフォンソ8世の像です。彼は1177年、レコンキスタによってクエンカをイスラム教徒から奪還したカスティーヤ王です。(付録2参照)

    オビスポ・バレロ通りを南へ。アルフォンソ8世の像です。彼は1177年、レコンキスタによってクエンカをイスラム教徒から奪還したカスティーヤ王です。(付録2参照)

  • 階段を南に下りて。絶壁上の建物群が見えます。

    階段を南に下りて。絶壁上の建物群が見えます。

  • バハーダ・サン・マルティン(Bajada (下り坂)San Martin)を南へ下ります。このあたりでよく見られる、不規則な形状の石からなる壁の家ですね。

    バハーダ・サン・マルティン(Bajada (下り坂)San Martin)を南へ下ります。このあたりでよく見られる、不規則な形状の石からなる壁の家ですね。

  • 大きく左にカーブしてバハーダ・サン・マルティン(Bajada San Martin)を北東へ下ります。右に見える広い道路はウエカル通り(Paseo del Huecar)。

    大きく左にカーブしてバハーダ・サン・マルティン(Bajada San Martin)を北東へ下ります。右に見える広い道路はウエカル通り(Paseo del Huecar)。

  • ウエカル通りにでました。この先この通りは名前が県道CUV-9144(さっきバスで通った道路)になります。宙吊りの家(casas colgantes, o casas colgadas )を見るためにこの道路を北東に進みます。

    ウエカル通りにでました。この先この通りは名前が県道CUV-9144(さっきバスで通った道路)になります。宙吊りの家(casas colgantes, o casas colgadas )を見るためにこの道路を北東に進みます。

  • 県道CUV-9144。お二人さん、お散歩の途中で休憩ですかねえ。それともバス停なのかなあ。

    県道CUV-9144。お二人さん、お散歩の途中で休憩ですかねえ。それともバス停なのかなあ。

  • 県道CUV-9144の北上方に見える宙吊りの家。

    県道CUV-9144の北上方に見える宙吊りの家。

  • ズームイン。この宙吊りの家は14世紀に王家の別荘として建てられ、18世紀中ごろまで市庁舎として使われていた(「地球の歩き方 スペイン」)そうで、現在はスペイン抽象芸術美術館(Museo de Arte Abstracto Espanol)やレストランが入っているそうです。

    ズームイン。この宙吊りの家は14世紀に王家の別荘として建てられ、18世紀中ごろまで市庁舎として使われていた(「地球の歩き方 スペイン」)そうで、現在はスペイン抽象芸術美術館(Museo de Arte Abstracto Espanol)やレストランが入っているそうです。

  • 今日の観光はこれで終わり。新市街にある宿泊ホテル NH CIUDAD CUWNCA へ。

    今日の観光はこれで終わり。新市街にある宿泊ホテル NH CIUDAD CUWNCA へ。

  • 夕食。ソパ・カステリャーナ(にんにくスープ)。

    夕食。ソパ・カステリャーナ(にんにくスープ)。

  • メイン:ポークグリル。

    メイン:ポークグリル。

  • デザート:プリン。

    デザート:プリン。

  • コーヒー。どうでもいいか。<br /><br />付録<br /><br />1.	スペインの道路<br />E:欧州自動車道路。ヨーロッパの国際自動車道路網で、欧州経済委員会(United Nations Economic Commission for Europe, UNECE)によってルートが決定されます。<br />AP:アウトピスタ(Autopista、有料高速道路)<br />A:アウトヴィア(Autovia、無料高速道路)<br />N:国道(Carretera Nacional)<br />C:地方道(国管理)(Carretera Comarcal)<br />その他:県(州)道(Carretera Province)。クエンカの場合は主要道路のCMとその他のCUV。<br /><br />2.	歴史<br />711年にイベリア半島にジブラルタル海峡を渡って侵入したイスラム教徒のムーア人は、半島を制圧しながら北上を続け、9世紀には現在のクエンカに到達しました。この地はメセタ平原の東端が石灰岩の台地に変わる場所です。なかでも大きく蛇行して合流するフカル川(Rio Jucar)とウエカル川(Rio Huecar)の浸食峡谷によって3方を囲まれた台地は、外敵の侵入を拒む絶好の防御の地であり、ムーア人はこの台地の中の高台に城塞の町をつくりました。これがクエンカの起源です。このイスラム教徒侵入に対し、早くも718年には半島北部にアストゥリアス王国を建国したキリスト教徒がレコンキスタ(国土回復運動)を始めており、半島の北側から国土を奪還していきました。クエンカを奪還したのはカスティーヤ王アルフォンソ8世で、1177年のことです。その後ムーア人の町はキリスト教徒の町に取って代わられ、その領域は防御台地のなかでも貴族が住む高台から一般市民が住む低い方へと広がって、クエンカは製造業、カスティリャ地方の政治・経済の中心の1つとして繁栄しました。この領域が現在のクエンカの旧市街に相当します。16世紀には紡績業と交易の発展によって人口が急増し、それまでの約3倍の1万6千人程になりました。かつてのムーア人の町はキリスト教施設にとって代わられ、貴族は低い地域に移り、彼らに追い出された一般市民は川を越えた南部の平地に移り住みました。この都市構成は基本的に現在と同じで、要塞化された旧市街は密集した教会や修道院等からなる中世都市地域、平地部分は区画整理された開けた地域となっています。後者が現在の新市街です。17世紀前半、紡績業の崩壊による経済危機により、人口は4千人程度まで激減しましたが、クエンカは修道院の町となって教会建築は比較的無傷に生き残り、新たな建設も続けられて、バロック様式の建物も現れてきました。17世紀後半から18世紀にかけて、教会地区、行政地区、職業地区、商業地区の4つに分けて町の再生が進められましたが、18世紀末には行き詰まりを見ます。町は荒廃し、古い建物は崩壊したり、安全性のために取り壊されたりしました。貴族達は歴史的な要塞地域を捨て、労働者や修道院のものとなりました。1918年の再生計画は数本の通りの拡幅と、いくつかのファサードの修復にとどまりました。1920年にようやくクエンカ市民は良心に目覚め、1945年からは、計画的な旧市街の保全・再生が進められております。<br />

    コーヒー。どうでもいいか。

    付録

    1. スペインの道路
    E:欧州自動車道路。ヨーロッパの国際自動車道路網で、欧州経済委員会(United Nations Economic Commission for Europe, UNECE)によってルートが決定されます。
    AP:アウトピスタ(Autopista、有料高速道路)
    A:アウトヴィア(Autovia、無料高速道路)
    N:国道(Carretera Nacional)
    C:地方道(国管理)(Carretera Comarcal)
    その他:県(州)道(Carretera Province)。クエンカの場合は主要道路のCMとその他のCUV。

    2. 歴史
    711年にイベリア半島にジブラルタル海峡を渡って侵入したイスラム教徒のムーア人は、半島を制圧しながら北上を続け、9世紀には現在のクエンカに到達しました。この地はメセタ平原の東端が石灰岩の台地に変わる場所です。なかでも大きく蛇行して合流するフカル川(Rio Jucar)とウエカル川(Rio Huecar)の浸食峡谷によって3方を囲まれた台地は、外敵の侵入を拒む絶好の防御の地であり、ムーア人はこの台地の中の高台に城塞の町をつくりました。これがクエンカの起源です。このイスラム教徒侵入に対し、早くも718年には半島北部にアストゥリアス王国を建国したキリスト教徒がレコンキスタ(国土回復運動)を始めており、半島の北側から国土を奪還していきました。クエンカを奪還したのはカスティーヤ王アルフォンソ8世で、1177年のことです。その後ムーア人の町はキリスト教徒の町に取って代わられ、その領域は防御台地のなかでも貴族が住む高台から一般市民が住む低い方へと広がって、クエンカは製造業、カスティリャ地方の政治・経済の中心の1つとして繁栄しました。この領域が現在のクエンカの旧市街に相当します。16世紀には紡績業と交易の発展によって人口が急増し、それまでの約3倍の1万6千人程になりました。かつてのムーア人の町はキリスト教施設にとって代わられ、貴族は低い地域に移り、彼らに追い出された一般市民は川を越えた南部の平地に移り住みました。この都市構成は基本的に現在と同じで、要塞化された旧市街は密集した教会や修道院等からなる中世都市地域、平地部分は区画整理された開けた地域となっています。後者が現在の新市街です。17世紀前半、紡績業の崩壊による経済危機により、人口は4千人程度まで激減しましたが、クエンカは修道院の町となって教会建築は比較的無傷に生き残り、新たな建設も続けられて、バロック様式の建物も現れてきました。17世紀後半から18世紀にかけて、教会地区、行政地区、職業地区、商業地区の4つに分けて町の再生が進められましたが、18世紀末には行き詰まりを見ます。町は荒廃し、古い建物は崩壊したり、安全性のために取り壊されたりしました。貴族達は歴史的な要塞地域を捨て、労働者や修道院のものとなりました。1918年の再生計画は数本の通りの拡幅と、いくつかのファサードの修復にとどまりました。1920年にようやくクエンカ市民は良心に目覚め、1945年からは、計画的な旧市街の保全・再生が進められております。

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