2015/04/30 - 2015/04/30
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bunbunさん
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地中海沿岸の国々や島々には、白い村や町がたくさんあります。これは夏の強い日差しを跳ね返し、屋内を暑さから守るためですが、中でもミハスは白い村としてあまりに有名です。その理由はミハスがミハス山の中腹、標高約400mに位置し、コスタ・デル・ソルや地中海を一望できる、といった地勢的条件が大きいと思われます。村はこれを資源とした観光業で成り立っており、通りに面した家々の壁に飾る鉢植えを統一したり、年3回石灰で壁を塗り替える(女性の仕事だそうです)等、様々な施策を取っています。
今回私はガイドブックでは紹介されていない、裏通りを中心に散策しました。
関連情報は旅行記の最後に付録として載せましたので、お時間とご興味のある方はご覧ください。
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高速道路 Autopista del Mediterraneo(オートピスタ・デル・メディテラネオ、地中海高速道路とでも訳すんですかねえ)AP-7号線からおりてミハス=フエンヒロラ自動車道(Ctra. Mijas-Fuengirola)に入りました。ミハス山の中腹に白いミハス村(Mijas Pueblo)が見えてきたぞ。
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近づいて来た。白い建物群の右側は古代の城壁ですね。
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城壁の真下を通過。城壁の右側にも白い村が広がっています。
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ミハスの城壁右側地域。
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近づいて来た。左側は城壁です。
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白い家々が目の前だ。
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白い村と言う感じになってきましたねえ。
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さあ、いよいよ村に入るぞ。
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ロータリーの向こうに村の中が見える。いいんでねえの。
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観光バスの駐車場(Autocares)に着いてバスから降り、北の山側を望む。
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南側を望む。位置関係は後で地図を示します。観光バスの駐車場の向こう側はロバタクシー乗り場ですね。道路をはさんで右側はヴィルヘン・デラ・ペニャ広場(Plaza de la Virgen de la Pena)です。
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ロバタクシー
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ヴィルヘン・デラ・ペニャ広場
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ヴィルヘン・デラ・ペニャ広場の北側道路。左側に観光用馬車が並んでます。
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ヴィルヘン・デラ・ペニャ広場の南東側道路。観光用馬車乗り場(Coches de Caballos)になりますかねえ。
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ヴィルヘン・デラ・ペニャ広場内部。
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ヴィルヘン・デラ・ペニャ広場内部のステージ。
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この広場で添乗員さんからこのガイドマップを渡され、1時間ほど自由行動となりました。とりあえず、憲法広場(PLAZA DE LA CONSTITUCION)経由で闘牛場(PLAZA DE TILOS)へ行き、その後教会(PARROQUIA DE LA INMACULADA)、展望台(MIRADOR)と周って、後は裏通りでも散策するか。っということにして裏通りを散策しましたが、私はどこにでも入り込むたちで、この地図からはみ出してしまい、住民の方々に聞きまくってやっと戻ることができました。
なお、この地図の著作権はアマポーラさんにあるとのことで、了解を得た上で使用しております。 -
後で調べたら、この地図内に赤線で示した部分を散策していたことが分かりました。著作権の関係で正確な地図が入手できなかったため、通路の壁に貼られていたタイルの地図を写真撮影して利用しています。
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この地図も壁に貼り付けられていたタイルで、上の地図の白い□で囲んだ部分の拡大図です。
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まずは憲法広場(Plaza de la Constitucion)へ通じる階段を上ります。
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憲法広場(Plaza de la Constitucion)へ通じる階段。
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憲法広場(Plaza de la Constitucion)へ通じる階段。
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憲法広場(Plaza de la Constitucion)へ通じる通り。
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憲法広場(Plaza de la Constitucion)へ通じる通り。
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憲法広場(Plaza de la Constitucion)へ通じる通り。
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憲法広場(Plaza de la Constitucion)
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憲法広場(Plaza de la Constitucion)
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庭の壁に “RESTAURANTE” と書かれてますね。レストランです。建物の壁の左上に ” HOSTAL DEL MIRLO BLANCO” と書かれていますが、あえて訳せば「白いクロウタ鳥(珍しい)旅館」ですかねえ。”HOSTAL” は日本語でもオスタルで通じますか。ホテルより小規模の宿泊施設です。下の黒い看板には “RESTAURANTE EL MIRLO BLANCO COCINA VASCA” と書かれていますが、あえて訳せば、「レストラン・白いクロウタ鳥・バスク料理」ですか。旅館兼レストランですね。庭の壁の左の茶色い看板には、左矢印方向は “PARROQUIA DE LA INMACULADA” 直訳すると「(聖母の)無原罪の御宿り教区教会」ですが、日本では「無原罪懐胎説教会」と訳しているようですね。”PLAZA DE TOROS” 「闘牛場」と書かれてますね。行ってみますか。
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何やら闘牛場らしいものが見えてきました。
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坂をのぼります。
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綺麗にしてますね。窓のもゼラニウムでオッキ ディ アンジェロ(天使の目)という種類です。
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上ってきた坂道を振り返る。
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壁の上のパネルに “PASEO DE LA MURALLA” と書かれてますね「城壁通り」ですか。
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闘牛場の説明書きです。意訳すると、
「この闘牛場は1900年、民衆の要求によって建設されました。最初に闘牛場が造られようとした場所は起伏が激しかったため、城の一角が建設地に選ばれました。そのため闘牛場はスペインでも非常にユニークな形となりました。闘牛場は楕円形で、客席は楕円の両サイドだけに設けられ、そこからはミハスの壮大な風景を眺められます。
外から見ると、闘牛場は四角で大変小さく見えます。しかし、偉大な闘牛士達がここで戦いを繰り広げてきました。」
なんでもスペインで一番小さい闘牛場だそうです。 -
黒い看板が並んでますね。
「3 ESPECTACULOS EN UNO TOROS, SHOW FLAMENCO Y CABALLOA TODOS LOS DOMINGOS EN VIVO」毎週日曜日に1回3つのショー:闘牛、フラメンコ、馬のショーが行われるようです。 -
地図ですね。”RUTA BOTANICA LA MURALLA”、直訳すれば「ルート 植物 城壁」ですね。城壁に囲まれた場所か。その右側は ”1. Photinia serrulato, 2. Eucalyptus camalaulensis, ・・・“、「1. カナメモチ、2. ユーカリ、・・・」。城壁内にある植物ですね。全部で52種類あるようです。現在地がないなあ。ここは ”PLAZA DE TOROS” だから、あった、中央一番下だ。下側が北ですね。
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無原罪懐胎説教会(英文名:Immaculate Conception Parish Church) に入りますか。
この教会はイスラム時代の城跡に建てられたもので、司教ベルナルド・マンリケ(Bernardo Manrique)の命により、16世紀に建設が開始され、献納されたのは1631年です。南北に2つの翼廊があり、鐘楼は城の塔の1つを利用して1979年に再建したもので、2つの鐘は古く、1980年にさらに3つの鐘が追加されました。鐘楼の2、3階にある小さな窓はどう見ても城塞という感じですね。その後1991~1992年に役所は屋根と木製の天井を含むその他の部分を再建しました。外観はシンプルです。 -
内部に入りました。この教会は3つの身廊からなり、この身廊は中央のもので天井は木製です。この左右にも身廊がありますが、これは17世紀前半のものだそうです。
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主祭壇
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ニッチのキリスト。
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1986年、教会に2つのステンドグラスが取り付けられましたが、このステンドグラスはムリーリョ(Bartolome Esteban Murillo, 1617-1682)の「無原罪の御宿り」(プラド美術館蔵)を基にしております。同画家の同名の絵画は複数ありますが、この絵画はかつてアランフェスのサン・アントニオ聖堂が所蔵していたことから、「アランフェス」の愛称としても知られています
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翼廊にある礼拝堂(チャペル)
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礼拝堂のキリスト像
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礼拝堂の天井。バロック様式ですかね。
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1986年に取り付けられたもうひとつのステンドグラス。ギリシャ語のアルファベットは「A」
が最初で「Ω」が最後です。これから、聖書ではAとΩは万物の最初と最後、すなわち永遠の存在者であるキリストを意味します。 -
十字架のキリスト。後ろのステンドグラス左のPとXを重ねた記号(モノグラム)はギリシャ語のキリスト(XPIΣTOς)を、またMとAを重ねたモノグラムはラテン語の「マリアの庇護の下に」(AUSPICE MARIAE、アウスピケ・マリアエ)を表します。薔薇は聖母の象徴です。
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反対側の礼拝堂
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礼拝堂の死せるキリスト像
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礼拝堂の天井。
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バロック様式建築の装飾に使われたアカンサス(葉アザミ)。ちなみに、ギリシャ建築のコリント式柱頭に使われている葉もアカンサスです。
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教会の外に出ました。随分シンプルは西側ファサードですね。後方の塔は鐘楼です。
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展望台(Mirador)へ。フエンヒローラ (Fuengirola) の街と地中海が見渡せます。視界が良ければアフリカ大陸も見えるそうですが、私にはよくわかりません。
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望遠で撮ってみる。地中海の向こうにダークグレイに見えるの、アフリカかなあ。
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下を見ると綺麗な水が流れている。
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これはカラーかな。
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西の方にカメラを振って。
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少し引いて。
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さらに西へ振って。城壁がみえますね。
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後ろを振り返ると、無原罪懐胎説教会がみえます。私が知る限りどの範疇にも入らない外観ですね。1991~1992年の改修で他の家々との調和をとるために、同じ外観にしちゃったんですかねえ。
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東をみると、城壁を白い家がみえます。
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先ほど上ってきた坂道をおりて、憲法広場へ
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やってきました。
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今度は憲法広場から右側のカンテラス通り(Calle Canteras)へ。
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カンテラス通りを西へ
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カンテラス通りを西へ
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ここで右を見るとコイン通り(Calle de Coin)。
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カンテラス通りとコイン通りの交差点。
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カンテラス通りをさらに少し進んで右前方をみる。フエンテ・デル・アルガロボ通り(Calle Fuente del Algarrobo)です。
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上の写真のズームイン
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右後ろを振り向いて
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カンテラス通りを東に引き返す。
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引き返す。
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引き返す。
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引き返す。
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憲法広場の北側に戻ってきた。
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さらに東へ
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リベルタ広場(Plaza de la Libertad)とサン・セバスチィアン教会(Ermita San Sebastian)。左側の通りはミハスで最も美しいとガイドブックで紹介されている、サン・セバスチィアン通り(Calle San Sebastian)。右はマラガ通り。
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こっちもきれいだねえ。カリル通り(Calle Carril)へ。
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カリル通りを西へ進む。
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カリル通りを西へ進む。
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カリル通りを西へ進む。
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カリル通りを西へ進む。
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カリル通りを西へ進む。
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カリル通りを西へ進む。
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カリル通りを西へ進む。
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途中で右に曲がってピラール通り(Calle del Pilar)へ
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ピラール通りを北に進む。
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大分上った。後ろを振り返る。
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ピラール通りをさらに北に進む。
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ピラール通りをさらに北に進む。
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後ろを振り返る。
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横の家。綺麗にしてますねえ。
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左。こっちにも通りがあるか。
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ピラール通りをさらに北に進む。そろそろ行き止まりかな。
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通りが階段になっている。
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階段を上る。
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綺麗にしてるねえ。
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綺麗にしてるねえ。
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この家も。
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この家も。
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上ってきたピラール通りを振り返る。
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綺麗な玄関だ。
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このアングルもいいな。
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アレグレ通り(Calle Alegre)とサンセバチアン通り(Calle San Sebastian)の交差点にやってきた。
サンセバチアン通りと表示されている。ガイドブックに載ってる有名な通りだな。 -
右を見ると、サンセバチアン通りの山 (西北西) 側。
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左を見ると、サンセバチアン通りの海(東南東)側。ガイドブックに載ってる有名な通りだけあって観光客でごったがえしてるな。やめとこ。
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アレグレ通りから直進するとチャルコネス通り(Calle Charcones)だ。人がいなくて静かでいい。
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チャルコネス通り
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チャルコネス通り
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チャルコネス通り。
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カルバリオ通り(Calle Calvario)へ続く階段だ。
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ちょっとだけ上ってみよう。
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チャルコネス通りへ戻ってさらに進む。
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チャルコネス通り。
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チャルコネス通り。ちょっと右を見る。うーん、広い通りにでちゃうな。
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こっちはカルバリオ通り(Calle Calvario)か。広場に出よう。
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パス広場(Plaza de la Pas)に出てきた。高台だな。
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テラスから下が見える。
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テラスから見た北東側の風景。
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これはマラガ通り(Calle Maraga)。
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行って見っか。マラガ通り南南西側。
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マラガ通り北北東側。
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マラガ通り脇の家。
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添乗員さんに、頂いた地図を旅行記に使ってもいいですか?と聞いたら、これはアマポーラ(amapola)さんに頂いたものなんで、アマポーラさんに聞いてください。と言われた。そこで、アマポーラさんに向かったが、地図がよく理解できていない。また闘牛場に来ちゃった。
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綺麗だからまた写真撮っとこ。
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花も綺麗だからついでに。
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アマポーラさんを探してもどる。
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綺麗だねえ。パチッ。
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また憲法広場だ。
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憲法広場。この近くにあるはずだが。
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見っけ。男女2人の店員さんはともに日本人。スペイン唯一ミハスの押し花を使った手作りアクセサリーのお店。当然日本語は使えるし、円も使えます。お客様ようのトイレもあります。ミハスで何か困ったら、ここに駆け込むのが一番ですね。肝心の地図の使用許可だが、オーナーさんがいないので後日メールで連絡するということで店をでた。日本に帰ってからOKのメールが届いた。
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この建物も綺麗だから、パチッ。
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さてビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場に戻ってきたぞ。これからみんなで昼食だ。
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その前にまた撮影。ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場の東屋?。
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バスの駐車上から北西を望む。
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さて、昼食だ。ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場の南西に位置するカーニョス通り(Calle de los Canos)にあるレストラン・ラ・レハ(Restaurante La Reja)にやってきた。
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レストラン・ラ・レハ
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中に入る。飾りもスペインらしくていいや。
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内部の様子。
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内部の様子。
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お腹も膨れたんで、さあ帰りますか。
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カーニョス通り(Calle de los Canos)にあるミハスの紋章(Escudo de Mijas)
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カーニョス通り
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ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場にもどってきました。
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広場の内部
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ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ通り(Avenida Virgen de la Pena)を渡って駐車場のバスへ。
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バスの駐車上から北西を望む。
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バスの駐車上から北西を望む。
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アディオス(Adios)ミハスよ。
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アディオス。
付録
歴史
ミハスの最初の住人はタルテックスグループに属するTurtedani族とされています。紀元前8世紀ころには、銀や錫鉱山が開拓され、フェニキア人やギリシア人との交易が始まりましたが、その後は他のスペインの都市と同様、カルタゴ人、ローマ人、西ゴート族に支配されました。8世紀初頭にはイスラム教徒であるモーロ人によってミハスを含むスペイン全土が征服されましたが、これに対し、キリスト教徒による国土回復戦争(レコンキスタ)が起こり、スペイン北部から南部へと国土回復が進みました。1485年にはミハスもカトリック王の攻撃を受けますが、ミハスは抵抗を続けました。1987年にはマラガが開放され、それを知ったミハスの人々は降服を宣言しますが、2年間の抵抗故にそれは受け入れられず、奴隷となりました。1492年、最後まで残されていたグラナダが開放され、レコンキスタは終了しましたが、その2年後ミハスの人々も奴隷から解放されました。19世紀までミハスの経済は農業で成り立っていましたが、1960年代初頭にコスタ・デル・ソルが観光地化されるに及んで、ミハスも観光地され、現在は観光で成り立つ村となっています。
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