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 4月1日、上野芸大美術館で始まった渡辺省亭展を見に行きます。<br />明治から大正に掛けて活躍した日本画家で、赤坂離宮(現迎賓館)花鳥の間七宝額の原画を担当した人、浮世絵の流れを組む画風で日本より欧米で有名な画家、作品の多くも海外所在です。<br />展覧会見学後、先日に続き寛永寺の建物群を回ります。<br /> 江戸時代を通じ寛永寺は将軍家菩提寺として隆盛を極め、上野全山を占める広大な敷地に巨大な建物が林立していました、しかしその多くを上野戦争で焼失、又戦災により華麗な将軍家墓所の殆ども失います。<br />その僅かに残された遺物や面影を訪ね昔を偲ぼうという算段です。<br />花の上野、桜も愛でながら回ります。<br />では御一緒に回りましょう。<br /><br />        表紙は寛永寺根本中堂<br /><br />

花の上野・寛永寺(徳川将軍家菩提寺)を巡る

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2021/04/01 - 2021/04/01

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愛吉

愛吉さん

 4月1日、上野芸大美術館で始まった渡辺省亭展を見に行きます。
明治から大正に掛けて活躍した日本画家で、赤坂離宮(現迎賓館)花鳥の間七宝額の原画を担当した人、浮世絵の流れを組む画風で日本より欧米で有名な画家、作品の多くも海外所在です。
展覧会見学後、先日に続き寛永寺の建物群を回ります。
 江戸時代を通じ寛永寺は将軍家菩提寺として隆盛を極め、上野全山を占める広大な敷地に巨大な建物が林立していました、しかしその多くを上野戦争で焼失、又戦災により華麗な将軍家墓所の殆ども失います。
その僅かに残された遺物や面影を訪ね昔を偲ぼうという算段です。
花の上野、桜も愛でながら回ります。
では御一緒に回りましょう。

        表紙は寛永寺根本中堂

同行者
一人旅
交通手段
私鉄

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  •  寛永寺正門。<br />本日はここからスタート。<br /> 寛永寺は天台宗別格大本山、寛永二年(1625)徳川幕府の安泰と万民の平安を祈念して、江戸城の鬼門であるここ上野山上に慈眼大師と天海僧正により建立されました。<br /> 合わせて徳川将軍家の菩提寺となり、当初は上野全山を占める広大な敷地を誇りましたが、上野戦争と戦災によりその殆どを失います。<br /> 旧根本中堂の跡地は国の博物館用地として接収され、再興根本中堂の建つこの地は元は子院大慈院の跡なのです。<br />

     寛永寺正門。
    本日はここからスタート。
     寛永寺は天台宗別格大本山、寛永二年(1625)徳川幕府の安泰と万民の平安を祈念して、江戸城の鬼門であるここ上野山上に慈眼大師と天海僧正により建立されました。
     合わせて徳川将軍家の菩提寺となり、当初は上野全山を占める広大な敷地を誇りましたが、上野戦争と戦災によりその殆どを失います。
     旧根本中堂の跡地は国の博物館用地として接収され、再興根本中堂の建つこの地は元は子院大慈院の跡なのです。

  •  根本中堂の建物自体も、明治に入り川越喜多院から移築しました。

     根本中堂の建物自体も、明治に入り川越喜多院から移築しました。

  •  八重桜と根本中堂。

    イチオシ

     八重桜と根本中堂。

  •  境内を回ります。<br />春爛漫ですね、こんな石碑があります、何と書いてあるのでしょう。

    イチオシ

     境内を回ります。
    春爛漫ですね、こんな石碑があります、何と書いてあるのでしょう。

  •  上野戦争記碑、徳川側より見た上野戦争記になります。

     上野戦争記碑、徳川側より見た上野戦争記になります。

  •  鐘楼

     鐘楼

  •  緒方乾山墓碑と深省蹟、後方は慈海大師の墓。

     緒方乾山墓碑と深省蹟、後方は慈海大師の墓。

  •  お地蔵さんも居られます。

     お地蔵さんも居られます。

  • 旧本坊表門と根本中堂の鬼瓦。

    旧本坊表門と根本中堂の鬼瓦。

  •  塀際に立つ六地蔵。

     塀際に立つ六地蔵。

  •  渡り廊下でつながる別書院、将軍慶喜が謹慎した葵の間が残されています。

     渡り廊下でつながる別書院、将軍慶喜が謹慎した葵の間が残されています。

  •  境内を一巡、根本中堂前に戻って来ました。

     境内を一巡、根本中堂前に戻って来ました。

  •  最後に灯篭を入れて1枚。

     最後に灯篭を入れて1枚。

  •  徳川将軍家墓地に向います。<br />花の向こうに豪華な門が。<br />

     徳川将軍家墓地に向います。
    花の向こうに豪華な門が。

  •  5代将軍綱吉公の霊廟前に建つ勅額門です。

     5代将軍綱吉公の霊廟前に建つ勅額門です。

  •  正面から眺めてみましょう、立派ですね。<br />ここから先には入れません、霊廟は戦災で焼失、青銅製の宝塔のみが残されているそうです。<br /> 尚こちら北の墓所には5代綱吉、8代吉宗。13代家定の霊廟がありました。

     正面から眺めてみましょう、立派ですね。
    ここから先には入れません、霊廟は戦災で焼失、青銅製の宝塔のみが残されているそうです。
     尚こちら北の墓所には5代綱吉、8代吉宗。13代家定の霊廟がありました。

  •  2百米程離れた処、道路に面してもう一つ門があります。<br />4代将軍家綱公霊廟の勅額門です。

     2百米程離れた処、道路に面してもう一つ門があります。
    4代将軍家綱公霊廟の勅額門です。

  •  こちらも正面から眺めます。

     こちらも正面から眺めます。

  •  塀に沿って大回りをして、墓地の中に入ります。<br />門を内側から見た処、昔霊廟への参道だった処が一般墓地として売り出され、墓で埋まっています。<br /> 細道を辿っていくと。

     塀に沿って大回りをして、墓地の中に入ります。
    門を内側から見た処、昔霊廟への参道だった処が一般墓地として売り出され、墓で埋まっています。
     細道を辿っていくと。

  •  灯篭の並ぶ参拝広場があります。<br />石垣の奥が南の将軍墓所。

     灯篭の並ぶ参拝広場があります。
    石垣の奥が南の将軍墓所。

  •  広場の片隅に水盤舎があります。<br />二つの門とこの水盤舎は重文です。

     広場の片隅に水盤舎があります。
    二つの門とこの水盤舎は重文です。

  •  この石垣の奥が南の将軍墓所、4代家綱、10台家治、11代家斉、3人の墓所になりますが戦災により霊廟は焼失、宝塔のみが残ります。

     この石垣の奥が南の将軍墓所、4代家綱、10台家治、11代家斉、3人の墓所になりますが戦災により霊廟は焼失、宝塔のみが残ります。

  •  次は清水観音堂。<br />月の松が復活しました。

     次は清水観音堂。
    月の松が復活しました。

  •  早速清水の舞台に上がります。

    イチオシ

     早速清水の舞台に上がります。

  •  舞台から月の松を通して弁天堂を望みます。

     舞台から月の松を通して弁天堂を望みます。

  •  弁天堂。

     弁天堂。

  •  舞台では花まつりのイベントが。<br />甘茶を掛けて世界の平和とコロナ撲滅を祈願します。

     舞台では花まつりのイベントが。
    甘茶を掛けて世界の平和とコロナ撲滅を祈願します。

  •  手水舎の竜。

     手水舎の竜。

  •  観音堂の本尊は千手観音、厄除けと開運を司とります。<br />次は東照宮に向います。

     観音堂の本尊は千手観音、厄除けと開運を司とります。
    次は東照宮に向います。

  •  東照宮石の鳥居。<br />家康を祀る神社。1627年天海僧正と藤堂高虎により創建。 <br />1651年3代家光により造営替え。これが現在の社、重文です。

     東照宮石の鳥居。
    家康を祀る神社。1627年天海僧正と藤堂高虎により創建。
    1651年3代家光により造営替え。これが現在の社、重文です。

  •  山門を潜り参道を進むと、両側に全国の大名が寄進した灯篭が並びます、全部で250基あるそうです。

     山門を潜り参道を進むと、両側に全国の大名が寄進した灯篭が並びます、全部で250基あるそうです。

  •  五重塔。<br />1631年土井利勝が寄進、1639年火災で焼失、同年再建。<br />明治の神仏分離令により寛永寺の所管、昭和33年東京都に寄付、現在は動物園内に取り込まれています。

     五重塔。
    1631年土井利勝が寄進、1639年火災で焼失、同年再建。
    明治の神仏分離令により寛永寺の所管、昭和33年東京都に寄付、現在は動物園内に取り込まれています。

  •  神楽殿。

    神楽殿。

  •  桜と唐門。

     桜と唐門。

  •  灯篭と唐門。

     灯篭と唐門。

  •  唐門、奥に拝殿。

     唐門、奥に拝殿。

  •  お参りを済ませ帰路に付きます。

     お参りを済ませ帰路に付きます。

  •  桜と五重塔。

     桜と五重塔。

  •  最後に彰義隊戦死者の墓。<br />上野戦争で戦死した彰義隊士266人の墓、明治16年に建てられました。<br /> 桜に隠れて字が読めませんね。

     最後に彰義隊戦死者の墓。
    上野戦争で戦死した彰義隊士266人の墓、明治16年に建てられました。
     桜に隠れて字が読めませんね。

  •  それでは改めて一枚。<br />当時の明治政府に遠慮して戦死の墓とのみ記しています。<br />揮毫は山岡鉄太郎。<br /> これで寛永寺巡りは終了、お付き合い下さり有難う御座いました。<br />                              終

     それでは改めて一枚。
    当時の明治政府に遠慮して戦死の墓とのみ記しています。
    揮毫は山岡鉄太郎。
     これで寛永寺巡りは終了、お付き合い下さり有難う御座いました。
                                  終

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