2021/02/10 - 2021/02/10
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ペコちゃんさん
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1月~2月にかけて秩父・長瀞に行くと、美しい可憐な宝登山のロウバイが、訪れる観光客を甘い香りで包んでくれます。
今回は、荒川の上流に位置する埼玉県西北部の《秩父 ⇒ 長瀞 ⇒ 寄居 ⇒ 花園》を回り、ロウバイの鑑賞と共に由緒ある寺社も訪れてみました。
秩父夜祭が有名な秩父神社、日本武尊ゆかりの宝登山神社、3番目は寄居町にある正龍寺・・・この中で、正龍寺の雲中供養菩薩像に興味を持ち、本堂の長押上に祀られた写真の「雲中供養菩薩像」をじっくり鑑賞してきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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10時に自宅を車で出発し、最初に「秩父神社」へ。
秩父神社は2018年に秩父夜祭を見に来た時に訪れたことがあり、二度目の参拝です。
宝登山神社・三峰神社と共に「秩父三社」と言われる秩父神社は、秩父市内のほぼ中央に鎮座しています。 -
駐車場から大鳥居に向かう途中の看板に描かれているのは、新型コロナ感染の沈静化を願うアマビエではなく、本殿の北側に彫刻された「北辰の梟(フクロウ)」・・・梟は「不苦労」に通じ、開運招福の神としても崇められているとか。
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そしてマンホール蓋には、秩父を舞台にした2011年放送のTVアニメ『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない(通称:あの花)』のキャラクター・ゆきあつがデザインされています。
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縁起書によると、秩父神社の創立は第十代・崇神天皇の御代(BC97~30年)に、知知夫国の初代国造に任ぜられた知知夫彦命が、祖神である八意思兼命(オモイカネ:知恵を司る神)をお祀りしたことが始まりと伝えられ、2014年には創建2100年を迎えています。
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大鳥居の狛犬もマスクでコロナ対策。
鎮座2100年の奉祝事業として、2019年から社殿彫刻の保存修理を行っています。 -
手柄杓が取り除かれた手水舎で清めて・・・
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神門を通って社殿へ。
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拝殿手前のおみくじを縛る場所は、ハートが立体化されたようなオブジェ。
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秩父神社の社殿は、1569年に武田信玄の手により焼失した後、1592年に徳川家康の寄進で再建されました。
1970年に解体復元し、当時の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。 -
ソーシャルディスタンスをとって順番に参拝。
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徳川家「葵の御紋」が飾られる権現造り様式の社殿には、東西南北に見事な極彩色の彫刻が施されています。
向拝には大黒様と恵比寿様。 -
徳川家康は「寅の年・寅の日・寅の刻」生まれで、関東入国も庚寅年(かのえとらどし)であったことから、拝殿正面の上部には家康公の威厳とご祭神を守護する神使いとして四面に虎の彫り物が施されています。
左から二つ目の、子虎と戯れる親虎の彫刻は、左甚五郎の作とされる『子育ての虎』・・・一豹に群虎という狩野派の手法で、母虎があえて豹として描かれ、江戸時代の文化を今に伝えています。 -
「子育ての虎」の下に書かれた「親の心得」・・・「赤子には肌を離すな 幼児には手を離すな 子供には眼を離すな 若者には心を離すな」
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拝殿右側の上部には虎の彫り物、その下には秩父のお酒。
右端のウィスキー樽は「イチローズモルト」・・・野球のイチローの関係かと思ったら、(株)ベンチャーウイスキーの創業者・肥土伊知郎さんのブランド名だったのですね。 -
拝殿正面から右に回ると、鮮やかな鳳凰図が。
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その先の本殿にあるのが「つなぎの龍」・・・東方を守護する青龍で、この彫刻も左甚五郎作と言われています。
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その昔、秩父札所15番・少林寺近くに「天ヶ池」という池があり、その池に棲みついた龍が夜ごと田畑を荒らし、暴れた際には、必ずこの彫刻の下に水溜まりができていたことから、この彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、その後龍は現れなくなったという不思議な伝説があり、その鎖で繋がれた青い龍の彫刻がこの「つなぎの龍」と伝えられています・・・今にも飛び出してきそうな龍ですが、しっかりと鎖につながれています。
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本殿と拝殿をつなぐ「石の間(いしのま)」の壁(「つなぎの龍」の左側)に彫られた彫刻。
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本殿の北側中央に彫刻された「北辰の梟(ふくろう)」・・・体は本殿(南)を向いているのに、顔だけは反対側(北)を向いていてます。
これは、祭神である妙見菩薩(異名:北辰菩薩、北辰:北極星を神格化したもの)を守護するためで、体は本殿を見守り、顔は北の妙見様を見つめているとか。 -
本殿の西面には「お元気三猿」の彫刻があり、保存修理中のため今回は見れませんでしたが、これは前回の時の写真。
日光東照宮の三猿は「見ざる・聞かざる・言わざる」ですが、秩父神社の三猿は「よく見・よく聞いて・よく話そう」ということで、日光とは表情も違う ” お元気三猿 ” として親しまれています。
「サル」は、「魔がさる」の語呂合わせから「災い除け・病除け」として信仰されています。 -
「乳銀杏」・・・昭和8年に秩父宮勢津子妃殿下がお手植えになられた銀杏が、女性のふくよかな乳房の様な形に育ったことから「乳銀杏」と呼ばれています。
枝をよく見ると鍾乳石のように垂れ下がっており、この部分は柔らかい細胞の組織に大量の澱粉が含まれているそうです。 -
神楽殿の方を見ると、空に飛行機雲が・・・
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秩父神社の参拝を終えて国道140号線で長瀞へ向かい、長瀞駅前交差点を渡ったすぐの所にある「寳 ‐TERAS‐」で昼食。
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入り口の反対側には、噴水のある広々としたガーデンテラス・・・ここから宝登山も望めます。
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秩父グルメと言えば「わらじかつ」・・・ご飯が見えないほど、丼いっぱいに広がるカツは、まさにわらじサイズのカツ・・・タレが決め手の「わらじ丼」を美味しく頂きました。
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お腹もいっぱいになったところで「宝登山神社」へ。
今から約2000年の昔、日本武尊が東国平定の折に突然の山火事に遭った際、山犬たちが現われ瞬く間に火を消し止めたことから、日本武尊は山の神が使者の山犬を遣わして自分たちを救ってくれたと悟り、神を祀って創祀したのが「宝登山神社」の始まりです。 -
二の鳥居をくぐり、社殿へ続く34段の石段を登ります。
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日本武尊が山の名を「火を止める山:火止山=ほどさん」と定めたことから、宝登山神社は、火災盗難除け・諸災厄除けや家内安全・商売繁盛・金運などの開運招福にご利益があるとされています。
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新型コロナの影響で、手水に変えて、宝登の神山から流れ出る神水の霊気を足元から浴び、「祓え給へ、清め給へ」と念じながらこの「禊の門」を潜ることで心身が浄化され、神前に進むことが出来ます。
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西暦110年に創立されたと言われる宝登山神社・・・現在の社殿は1847~1874年に造り替えられた本殿・幣殿・拝殿からなる権現造り。
社殿の随所には多くの彫刻がなされていて、御鎮座1900年を奉祝した大改修により鮮やかな美しさを取り戻しています。 -
拝殿正面の向拝には鶴が飛び、5体の龍が渦巻いています。
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向拝の左右の欄間には、中国に昔から伝わる「二十四孝」から8話の親孝行の彫刻が施されています。
東側の欄間を見ると、左側には老婆に乳を吸わせる唐夫人・・・姑に歯がないので唐夫人はいつも乳を与え、毎朝姑の髪をすいて孝行しました。
その隣は舜王・・・両親と弟に虐げられた舜でしたが、ひたすら孝行を尽くし、最後には王位に就いた舜・・・彫刻には、孝行息子を助けて畑を耕す白象も描かれています。
右側は王祥・・・極寒の冬に、鮮魚を食べたいという継母のために、氷上で裸になって氷を解かしながら大漁を祈ると、氷が解けて魚を獲ることが出来ました。 -
西側の欄間にある4話は、右側から順に、郯子(たんし)・・・目を患う両親のため、効能がある鹿の乳を得ようと鹿皮を被り群れに近づき、鹿狩りの猟師に誤射されかかりながらも、これを得て孝を尽くしました。
子路・・・孔子十哲の一人で貧しく暮らす子路は自身は粗食しながらも、日々の稼ぎで米を買い求め、遠路を厭わず親に届けて孝を尽くしました。
楊香・・・山仕事をする父親と楊香の前に虎が現れ、今にも親を食らおうとする虎の前に躍り出て身代わりになろうとする捨て身の孝心に虎も感じ入って、親子は助かります。
孟宗・・・死の病床にあった孟宗の母は、厳寒の冬ではあったが、筍を食べたいと願い、これを適えるために竹林に筍を探す孝心に天も感じ入り、雪中に筍を生じさせました。 -
また、社殿の四隅にある脇障子には、三国志などの中国古典の逸話が描かれています。
これは「赤兎馬を駆る関羽」・・・関羽は劉備の臣でしたが訳あって曹操に仕え、一日に千里を駆る名馬・赤兎馬を授かり、劉備に対する忠義の心を持ちつつ活躍。
後に孫権によって処刑ますが、その才覚が霊験あらたかとして「廟」に祀られ信仰を集めたとのこと。 -
これは「西王母と東方朔」・・・前漢の武帝は不老不死を願い、ついに仙人の西王母と会うことが適い、不老不死の仙桃を授かることとなり、武帝に仕える東方朔は三千年に一度しか実らない仙桃を盗んで雲に乗って逃げ出し、八百歳の歳を数えたとのこと。
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これは「長坂坡(ちょうはんは)に戦う趙雲(しょううん)」・・・三国志に登場する趙雲は、愛馬・白龍と長槍を持って活躍。
劉備が曹操軍と戦う「赤壁の戦い」に先立つ「長坂坡の戦い」で、劉備の子・阿斗(あと)を預かった趙雲はこれを守り奮戦し、死後は諸葛孔明から ” 蜀の柱石であった ” と讃えられました。 -
これは「黄石公と張良」・・・秦の打倒を企てる韓の張良の前に黄石公という老人が現れ、老人は張良の器を見定めるため何度も沓を拾わせるなど試練を与え、いくつもの試練に耐えた張良は太公望不敗の兵法書を授けられ、劉邦の軍師として漢の建国を助けました。
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本殿の裏側にある上部の黒い板は懸魚(げぎょ)で、左右の雲形は鰭(ひれ)・・・懸魚とは、破風板の下に付けられた装りで、火に弱い木造の建物を火災から守る火除けのまじないとして取り付けられたもの。
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本殿の横にある「日本武尊みそぎの泉」。
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日本武尊が身を清めて宝登山に参拝したといわれる伝説の涌き水です。
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橋を渡った先にあるのは「宝玉稲荷神社」。
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1822年に伏見稲荷大社から倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を勧請して祀られた神社です。
五穀豊穣・商売繁盛・家内安全のほか、物を失くした時にお参りすると紛失物が出てくるとか・・・本当かな? -
拝殿の左側に祀られた「藤谷淵神社」・・・大黒様が鎮座しています。
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拝殿の左側にある「神楽殿」。
神楽とは、神座(かみくら)を設け神を招いて慰めめるために舞楽を奏上すること・・・「神人和楽」の額がその本義を伝えています。 -
樹齢80年以上の「相生乃松」・・・昭和天皇のご成婚を奉祝し、大正13年に氏子の青年団が植えた黒松・赤松で、相共に寄り添う樹の姿から、恋愛成就・縁結びの御利益があるとされています。
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これは、長崎平和祈念像で有名な北村西望の作品「神馬の像」・・・躍動感がありますね。
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境内から山道を登って、宝登山ロープウェイへ向かいます。
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宝登山ロープウェイの「宝登山麓駅」・・・標高は212.7m。
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改札口の案内板・・・ロープウェイの定員は50名ですが、乗車人員を減らして1時間に4本が運行中。(往復料金:830円)
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標高497mの宝登山に架設された宝登山ロープウェイは、 山麓駅から山頂駅までの全長832mを約5分で結びます。
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私たちが乗った「ばんび号」と、もう1台の「もんきー号」が途中ですれ違い。
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山頂駅前の広場。
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山頂駅前に広がる「梅百花園」には、約170品種・約470本の梅が植えられています。
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紅白の梅は、もう少し先が見ごろですね。
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ロウバイの原産地は中国で、17世紀頃日本に来ました。
蝋梅の名前の由来は、花が蝋細工のように光沢があり梅に似た花からきていると言われ、また臘月(12月)に花を咲かせることからきているとも言われています -
宝登山の臘梅園に咲くロウバイは三種類。
A:和臘梅(基本原種で花芯部は紅紫でやや小型)
B:素心臘梅(早咲きで香りがよく花芯部も黄色なのが特徴)
C:満月臘梅(素心臘梅から選抜された品種で花は濃色の大輪) -
和蝋梅。
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素心蝋梅。
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満月臘梅。
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ロウバイと白梅・紅梅・・・その先には秩父の街並みが広がっています。
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多くの人がマスクをしてロウバイを楽しんでいます。
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辺り一面に漂う、ロウバイの甘い香り・・・蝋梅の英名は「winter sweet」、花言葉は「慈愛」。
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2,000平方mの敷地には、約3,000本が植えられています。
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西ろうばい園から宝登山神社・奥宮へ。
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宝登山山頂に鎮座する奥宮。
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宝登山神社の神の使いであるオオカミの狛犬が社を護っています。
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秩父の街並みと武甲山もよく見えます。
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山頂駅前広場の見晴台には、世界の平和を願って設置された『OASISの鐘』があり、鐘の先には両神山が見えます。
OASISとは ” O:おはよう、A:ありがとう、S:すみません、I:いってらっしゃい、S:さようなら ” ・・・挨拶から平和が始まります。 -
帰りは「もんきー号」で。
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長瀞から関越・花園ICに向かう途中、寄居町にある「正龍寺(しょうりゅうじ)」に立ち寄りました。
正龍寺1155年に花園城を築いた猪俣政行(のちに藤田に改称)が創建し、1532年に花園城主だった藤田氏15代目・藤田康邦が開基した曹洞宗の寺院で、1591年に正龍寺と改号されました。
総門の先に山門と本堂が見えます。 -
山門の右には鐘楼、左には六地蔵が。
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堂々たる山門。
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左右の仁王像も見事です。
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鐘楼と昭和47年に鋳造された大梵鐘。
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本堂。
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本堂の屋根には、藤田氏の「登り藤紋」と北条氏の「三つ鱗紋」があります。
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本堂の内部。
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長押上の小壁には、25躯の「雲中供養菩薩像」が懸けられています。
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雲中供養菩薩像と言えば、1053年に作られた宇治・平等院の52躯が有名ですが、正龍寺の像も見事なものです。
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雲に乗って音楽を奏で、踊る菩薩様・・・平安時代の人々が夢見た極楽浄土の世界が偲ばれます。
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菩薩像を見ていると、何か安らぎを覚えます。
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25躯の雲中供養菩薩像は、一体一体が違ったポーズや表情で、思わず見入ってしまいました。
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本堂の左側には ” 智慧授け・ボケ封じ ” の「延命地蔵王菩薩」が祀られています。
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墓所の一番高いところにある廟宇・・・中には、左側に北條氏邦とその夫人の宝篋印塔、右側に藤田康邦(氏邦の義父)とその夫人の宝篋印塔があります。
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正龍寺の西の山に築かれた花園城を中心に当地を支配した藤田康邦は、関東管領・山内上杉氏の重臣でしたが、1546年の河越夜戦で北条氏康に降伏してその家臣となり、1558年に北条氏康の三男・氏邦を養子に迎え、娘の大福御前を娶らせて藤田氏の家督を譲った後、用土城に隠居します。
藤田氏を継承した氏邦は、1568年に鉢形城を改修して居城としますが、1590年の小田原征伐で豊臣秀吉に降伏して正龍寺に蟄居。
その後、前田利家に預けられて能登・七尾で晩年を過ごし、1597年に50歳で没したと伝わります。 -
寄居町から花園に向かい、「花園フォレスト」でショッピング。
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広々とした店内には、プルメリアが花をつけています。
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名物のバウムクーヘンや焼き立てパン・お菓子などを買って帰路につきました。
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