2020/12/31 - 2021/01/05
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omiwaさん
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沖縄城跡巡り3日目。今日はいよいよ首里城へ。
12/31 夜に那覇へ到着。レンタカーで瀬良垣のホテルへ。
1/1 安慶名城跡、勝連城跡、海中道路を通り、アマミチューとシルミチュー(浜比嘉島)
果報バンタとぬちまーす工場(宮城島)、仲原遺跡(伊計島)、中城城跡、座喜味城跡
1/2 名護市役所、名護城跡、古宇利大橋と古宇利島、今帰仁城跡、海洋博公園と美ら海水族館
1/3 首里城跡、玉陵、識名園
1/4 万座毛、ASOVIVA(三線店)、残波岬、浦添ようどれ、浦添城跡、アメリカンビレッジ
1/5 斎場御嶽、知念城跡、波の上宮と波の上ビーチ
レンタカー返却、沖縄出発し帰宅。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
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三種類の朝のプレートの一つ、オムレツプレートです。ハム(ベーコン?)が分厚くて、結構がっつりです。
もちろん美味しかったです。ロワジール リビングスイーツ 瀬良垣 宿・ホテル
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高速道路で那覇へ向かいつつ、首里城の駐車場のリアルタイム状況を見て、もし満車なら識名園へ先に行く予定でした。が、空車だったので到着してみるとガラガラ。正月なんですが、正月のイベントが昨日までだったからか、新型コロナのせいか、首里城が焼失して無いせいなのか。。
写真は入口、守礼門です。この通りはかつて、中国皇帝の使者である冊封使などのお客様を迎える道。「コーグー道」とも呼ばれ香りが立つ素材を敷き詰めていたそうです。首里城 名所・史跡
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園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門。世界遺産です。
国王が城外へ外出する際に無事を祈願した場所だそう。首里城 名所・史跡
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歓会門。歓迎するという意味だそうです。
石垣の隅が反り返っています。魔よけの隅頭石です。首里城 名所・史跡
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瑞泉門。修復中でした。。外郭ができる以前の、古い時代の首里城の玄関口です。
手前右側に湧水「龍樋(りゅうひ)」があります。首里城 名所・史跡
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龍樋(りゅうひ)。龍頭の形をした石は、もとは1523年に中国から持ってきたものだそうです。沖縄戦で破壊された城内から見つかり、ここに復元されました。
きれいな水でした。当時も、冊封使へ毎日ここの水が届けられていたそうです。
左側の石垣の下へと水が流れていきます。首里城横の龍潭へと流れ込むのでしょうか。首里城 名所・史跡
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次は漏刻門。この櫓には水時計があったそうです。
首里城 名所・史跡
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漏刻門をくぐると、視界が開けます。奥に通ってきた歓会門が見えます。手前は久慶門。
首里城 名所・史跡
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万国津梁の鐘のレプリカ。
この鐘には、船をもって中国はじめ万国との架け橋となるといったことが書かれています。琉球時代のグローバルな交易に誇りを持っていたことが感じられます。首里城 名所・史跡
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広福門。福をいきわたらせるという意味だそうです。
首里城 名所・史跡
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下之御庭にある首里森御嶽(すいむいうたき)。
首里城 名所・史跡
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奉神門。ここから有料エリアです。中央の門は、国王など身分の高い人だけが通れる門でした。
首里城 名所・史跡
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奉神門をくぐると復元された首里城正殿が見えてくるはずが。。。2019年に焼失し、何もありません(泣)。
奥正面の簡易な建物が、世界遺産の遺構。左側が女官居室。さらに奥に少しだけ見えるのが世誇殿。首里城 名所・史跡
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礎石が残っています。
首里城公園 中秋の宴 祭り・イベント
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世界遺産の、正殿遺構です。
石積みが何度も建て替えられていることがわかります。首里城 名所・史跡
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焼け残った屋根の龍の棟飾りの欠片などが展示されていました。
正殿跡の奥に、ビデオが上映されている建物があり、正殿遺構や復元についての説明がされていて勉強になりました。2019年に、何十年にもわたる復元が完了したばかりで焼失してしまったのですね。。首里城 名所・史跡
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奥に進み、東(あがり)のアザナへ向かいます。
首里城 名所・史跡
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何かの建物があったと思われます。
首里城 名所・史跡
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物見台へ上っていきます。
首里城 名所・史跡
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東のアザナ。標高140m。那覇一帯を見下ろす眺望です。
首里城 名所・史跡
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首里側を見たところ。手前の赤屋根は、世誇殿ですね。次期国王の即位の例が行われた場所だそうです。
首里城 名所・史跡
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北城郭のあたり。
首里城 名所・史跡
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淑順門手前の、女官居室のあたり。風呂だそうです。
首里城 名所・史跡
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淑順門から出ていきます。
首里城 名所・史跡
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北城郭。奥へ行って階段を上ってみます。
首里城 名所・史跡
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古い石垣が残っています。
首里城 名所・史跡
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階段を上って東のアザナを回りこむと、経世門のある側が見えました。
下りても後で戻るのが大変そうだったので、ここで終わりにして戻りました。首里城 名所・史跡
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古いもともとの石垣と、復元されたものとの境目がわかります。プレートが設置されています。
首里城 名所・史跡
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西(いり)のアザナへ行くために、また有料エリア手前の下之御庭へ戻ってきました。正殿の正面にかつてあった、阿吽の龍が焼け残って保存されていました。
首里城 名所・史跡
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京の内へ向かう門。
首里城 名所・史跡
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奥正面にガジュマルの木。まるで異世界へ向かうかのよう。
首里城 名所・史跡
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京の内。次第にうっそうとした森になっていきます。
首里城 名所・史跡
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かつて男子禁制の祈りの場だったそうです。西の端まで進んでいきます。
首里城 名所・史跡
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京の内を抜け、西のアザナ(物見台)からの展望。
首里城 名所・史跡
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一時期、ここに琉球大学があり、首里城復元のため移転しました。その碑がありました。
首里城 名所・史跡
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歩いて玉陵に行きました。世界遺産です。まずこの建物、奉円館で勉強してから向かいます。
玉陵 名所・史跡
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ガラスの反射でわかりにくいですが、玉陵の中の模型です。
東室、中室、西室があります。遺骨の入った厨子がいくつも安置されています。
中室は洗骨前の遺体を安置する部屋だそうです。東(左)が王と王妃、西(右)が家族用です。東室で40人が眠っているそうです。
ひとつだけ中室に残っているのは、間違って処刑されてしまった超能力者だとか。
建物のつくりがアンバランスですね。。玉陵 名所・史跡
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拝所から見たところ。
玉陵は、尚真王が父の尚円を祀るために築いた陵墓です。玉陵 名所・史跡
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東の御番所が再現されていました。墓の番人がいたところです。西にも同じ造りの建物があったそうです。
玉陵 名所・史跡
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門をくぐって外庭。
玉陵 名所・史跡
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1501年創建時の碑が残っています。
尚真王と8名の葬られるべき王族の名前が書かれ、それに背くならば祟るべし、と書かれているのだそうです。尚真王の一部の子供の名前がありません。玉陵 名所・史跡
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中庭に入りました。とにかく大きいです。
沖縄戦で激しく損傷したのを修復したものです。奉円館の写真では、特に東室(手前)が形も残らず吹っ飛ばされていました。。玉陵 名所・史跡
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さて、玉陵を出て首里駐車場に戻ってきました。
レストセンター首里杜館に、首里城近辺のジオラマがありました。
次は車で識名園へ向かいます。首里城 名所・史跡
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識名園。世界遺産です。
王家の別邸で、外国使臣の接待などに使われました。
木々に覆われた道を抜けると、池が見えてきます。識名園 公園・植物園
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池が見えてきました。
識名園 公園・植物園
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池の見渡す木造の建物、御殿からの眺め。
正面に六角堂と石橋が見えます。識名園 公園・植物園
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御殿の中。
識名園 公園・植物園
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ぐるっと池を回って、反対から御殿を眺めたところ。
この識名園も、沖縄戦で破壊され、長い年月をかけて復元したものです。
この美しさが、いつまでも損なわれないことを祈ります。識名園 公園・植物園
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帰りがてら、嘉手納基地の横にある道の駅かでなに寄ってみました。
滑走路を見渡す展望台があります。飛行機は飛んでいませんでした。
厚木基地の戦闘機の爆音エリアで育っているので、私にとっては特に米軍の戦闘機は珍しくはないんですけどね。。道の駅 かでな 道の駅
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