2020/11/20 - 2020/11/20
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akkiy363672さん
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天気予報は『曇り時々雨』。雨の紅葉もいいかな…と言いながら、三重県いなべ市から石榑峠を越えて、滋賀「永源寺」と「西明寺」の紅葉を訪ねてきました。
今年の紅葉は早くて、この日、永源寺はもう盛りを過ぎた風情でしたが、西明寺にはまだしっかりと葉を広げた赤や黄色のモミジが私たちを迎えてくれました。
表紙の写真は、「西明寺」入り口の紅葉です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日は、石榑(いしぐれ)トンネルを抜けて、滋賀県に入ります。
三重県の北勢地方から滋賀県湖東を結ぶ国道421号は、ここいなべ市大安町の「石榑峠」で県境を越えますが、かつてこの道は幅2mほどの曲がりくねった急勾配の山道で、峠には大型車の通行を制限する大きなコンクリート塊がやはり2mほどの間隔で置かれていた「酷道」でした。
私は15年ほど前にコンクリートの間をすり抜けてこの峠を越えたことがあるのですが、2008年9月の豪雨によって複数個所で土砂崩れを起こし通行止めとなっていました。
2011年3月に全長4158mのこのトンネルとともに山道は大型トラックが通る道路として改修され開通、流通に大きな役割を果たすようになりました。 -
滋賀県側の道も整備された道が続きます。
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道端の木々も色どりあでやかに迎えてくれました。
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大型トラックも余裕で走る道路です。
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ちょっと狭いところも残っていますが、ここでは向こうから車が来れば、少し広いところで待機して、対向車が行き過ぎるのを待ちます。
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421号は、愛知川(えちがわ、上流部は茶屋川から神崎川に合流し、さらに愛知川に合流)を渡り、戻りしながら下っていきます。
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永源寺ダムのダム湖です。渇水期なのでしょう、湖底が見えています。
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永源寺ダム堤
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ダム堤から、下流をパチリ!
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川に沿って、さらに下ります。
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このあたりも、まだ道幅が狭いですね。
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午前11時、永源寺前のこの橋(旦度橋)を渡ったところの左手に車を止めました。
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階段下の広場
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山門へ昇っていく階段の横に立つメガネ地蔵様も、マスクを着用されています。
このお地蔵様は、交通事故に逢い修行半ばで世を去ったある雲水(修行僧)の供養のため、遺族の方によって建立されました。生前の姿と雲水装束を模して造られています。【永源寺HPより抜粋 以下同】 -
総門が見えてきました。
境内最初の看門、料金所。 現在の門は延享7年(1746)に再建されました。 門の右側にある石碑は結界石(けっかいせき)と呼ばれ、「不許酒肉五辛入門内(酒肉、五辛は門内に入ることを許さず)」と刻まれています。【同】 -
ここで入山料を納めます。
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参道の右下には、愛知川が…。
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山門です。
「三解脱門(さんげだつもん)・三門」ともいいます。五間三戸、二階建ての大門で、享和2年(1802)7年の歳月をかけ完成。 平成10年(1998)に、基礎の補強などをふくむ大修理が行われました。 楼上には釈迦三尊(釈迦如来・月蓋長者・善財童子)と十六羅漢を祀っています。【同】 -
山門をくぐって…。
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右の白い建物には、土産物売り場、休憩所などがあります。
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モミジに彩られた石鉢
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本堂・方丈。本尊「世継観音(子宝・安産守護)、秘仏(25年毎ご開帳)」
方丈とは「一丈四方(約3×3m)」の意で、住職の居住する小庵をいうが、現在は本堂や書院をかねた大建築もこう呼ぶ。 当山の方丈は『安心室(あんじんしつ)』と号し、本尊 世継観音をお祀りしています。【同】 -
本堂縁側から鐘楼をパチリ。
『華鯨楼(かげいろう)』と称する二層袴腰(はかまごし)の鐘つき堂。【同】 -
法堂前にある鏡池
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開山堂前の紅モミジ
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開山「寂室元光禅師(正燈国師)」お手植えの木とは、このモミジのことでしょうか。
「寂室禅師」は、時の天皇や室町幕府から京都天龍寺・鎌倉建長寺などへ拝請されましたが、受けることなく永源寺に隠棲されたとのことです。 -
「標月亭」で、抹茶をいただきました。
本山法要時に賓客を接待する客殿。 名前の由来は「経典は月を標ずる指の如し」という語からの引用と言われています。 鈴鹿の山々を借景とし、青苔にサツキと紅葉が四季を彩る含空院庭園、眼下に愛知川の清流を望む佳景です。【同】 -
この庭は、左に立つ「含空院」の庭園ですが、ここでお茶をいただきながら眺めるのも興趣ある風景です。
お茶をいただいていると、ザァーッという音を立てて雨が降ってきました。傘も持たずに来た私たちは足止め!
20分ほど雨宿りさせてもらっていたら、雨も上がって、傘なしで山を下ることができました。 -
モミジの葉越しに「含空院」が見えています。
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「標月亭」から、右に開山堂・法堂、左に経蔵・禅堂を見ながらの下り道「白鹿坂(びゃくろくざか)」を本堂へ…。
かつて開山寂室禅師の時代に「白い鹿があらわれて遊んだ」という言い伝えがあります。【同】 -
本堂前から山門へ下る階段です。
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総門(料金所)が見えてきました。
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戦国時代、争乱の火の粉はついに当地にもおよぶところとなり、明応(1492)、永禄(1563)と二度にわたって寺に火を放たれ、伽藍はことごとく焼け落ち寺運は衰退しました。
江戸時代、寛永8(1631)年、京都妙心寺の僧であった別峰紹印禅師(べっぽうじょういん)は、自らも石を曳き土を運んで寺観の復興に尽くされました。東福門院(徳川和子)と彦根藩(井伊家)の外護を得て伽藍が再興され、再び法燈が輝き、今に至っています。【同】 -
12時50分、永源寺を後にして、西明寺に向かいました。
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午後1時50分、西明寺に到着。この日は休日の中日、それに雨模様の天気予報で訪問客は少なく、山門前駐車場から本堂まで300mある石段を200mほど登ったとこの受付前駐車場に車を止めることができました。
山門からこの受付までの石段が、結構キツイのですよね。
団体客の皆さん、傘をさしてみえますが、雨は降っていなかったですよ。 -
上の写真の門(表門)をくぐると、本坊の庭園。
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色づいた紅葉、雨に濡れた緑の中に、不断桜の白い花が鮮やかでした。
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ドウダンツツジの赤色が鮮烈です。
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「西明寺」の開基は古い。伝承によれば承和元年(834年、平安時代)、琵琶湖の西岸にいた三修(伊吹山を開いたという伝説的行者)は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。
そこで神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていた。三修がその池に祈念すると、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、十二神将が出現したという。(Wikipedia抜粋 以下同) -
三修に帰依していた仁明天皇はこの話を聞くと、その地に勅願寺として寺を建立するように命じた。そして三修はそれらの像の姿を刻んで祀った、これが当寺のはじまりであるという。寺のある場所の地名を「池寺」というのは、この伝説に基づいている。
承和3年(836年)には仁明天皇により寺領が寄進され、諸堂が建築されたという。「西明寺」の寺号は前述の紫の光が西の方へさしていたことによる。 -
やがて寺領は2千石、17の諸堂に僧坊3百を有する大寺院になっていた西明寺だが、元亀2年(1571年)、延暦寺の焼き討ちを行った織田信長は、近江国にある比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを命じ、西明寺も信長の家臣である丹羽長秀と河尻秀隆によって焼き討ちの運命にあった。しかし、寺僧の機知により、山門近くの房舎を激しく燃やして、全山焼失のように見せかけたため、山奥に位置する本堂や三重塔は焼失をまぬがれたという。
この兵火の後は荒廃していたが江戸時代に入り、天海、公海や望月友閑が再興させた。さらに徳川将軍家などの庇護を受けて徐々に復興し、近代に至っている。 -
右の門をくぐると名勝庭園「蓬莱庭」が現れます。
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「蓬莱庭」は池泉回遊式庭園、国の名勝。
江戸時代中期に、西明寺を再興した望月友閑(もちづきゆうかん)が小堀遠州の庭を手本にして作庭したといわれる池泉回遊式蓬莱庭園です。
山の斜面を上手に利用し、枯滝を中心に刈り込みや心字池を配し、池の中には折り鶴の鶴島や亀島がみごとな調和を見せています。
また、斜面に配された石組みは、薬師如来をあらわす立石、日光・月光の三尊仏、十二神将など仏を表現しています。
園内には石屋弥陀六の作と伝えられる燈篭などがあり、国指定の名勝庭園となっています。(滋賀県観光情報 抜粋) -
左奥の石段を上って本堂へ…。
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石段を上ったところから、池を振り返りました。
この庭園は、米CNNのウェブ特集「日本の最も美しい場所31選(Japan’s 31 most beautiful places)」にも選ばれています。 -
苔むした斜面に敷かれた敷石道をさらに奥へ…。
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おっ、また池が! でも、これも薬師如来が現れた池ではありません。
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苔の上に散ったモミジの黄色が美しい。
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本堂、三重塔が見えてきました。
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本堂(国宝)です。鎌倉時代初期に建立された建造物で、釘を一本も使わない純和風建築です。鎌倉の様式がよく保存され、国宝第一号に指定されています。
薬師如来が現れたという「閼伽池」は、この本堂の向こう側にありますが、今回は足を延ばしていません。 -
二天門(重要文化財)。
桁行(間口)3間、梁間(奥行)2間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語。以下の本文においても同様)。入母屋造、杮(こけら)葺きの八脚門。部材の一つである巻斗に応永14年(1407年)の墨書があり、同年の建立とみられます。 -
本堂右手の三重塔(国宝)は、総檜(そうひのき)の優美な姿の塔といわれます。
初層内部に極彩色で金剛界の三十二菩薩など鎌倉時代の極楽浄土が描かれています。本堂と同じく釘を一本も使わない純和風建築、20.1mの高さで、国宝に指定されています。 -
もう一度、本堂を振り返って…。
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表参道(階段)を避けて、右側のゆるやかな坂道を下ります。
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鐘楼
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樹間の道を降りてきます。
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歩行路の傍らにある「十一面観音像」。
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石段の下三分の一ほどの所に出ます。
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受付のところです。
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午後3時、受け付けのところから、ニ天門をもう一度振り返って、「西明寺」を後にしました。
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午後4時10分、近江八幡の「たねや」に着きました。
写真は、たねやの前から撮った「近江八幡観光物産協会 白雲館」です。
「白雲館」は、明治10年、近江八幡の商人たちによって子どもたちのために建てられた、かつての八幡東学校です。、 -
「ひむれ神社」(中央の木立のところ)の方向です。
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たねや日牟禮本店
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クラブハリエ日牟禮館。 バームクーヘンを買いました。
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そのあと「たねや」に寄って「ふくみ天秤」を買い、
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店頭で焼いていたあんころ餅を食べてきました。
甘い、美味しい、… 熱い!
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日牟禮八幡宮の祭礼太鼓が飾られていました。
午後4時45分、「たねや」を後にし、6時過ぎ、無事帰宅しました。
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