2020/11/16 - 2020/11/16
6位(同エリア171件中)
旅猫さん
讃岐路の旅の最終日は、古い街並みが残るという仁尾を訪れた。
早朝に丸亀を発ち、列車を乗り継いで宅間駅へと向かい、駅からはコミュニティバスに揺られて仁尾の中心へ入った。
歩いた仁尾の街は、そこかしこに古い民家などがあったが、街並みと言うほどでは無かった。
それでも、微かに残る歴史の息吹が感じらられ、散策は楽しいものだった。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
6時50分に丸亀駅を出発。
そして、二つ先の多度津駅で、7時4分発の予讃線の伊予西条行普通列車に乗り換えた。
平日と言うことで、車内は学生たちで混んでいた。多度津駅 駅
-
多度津駅から10分で詫間駅に到着。
駅前から、三豊市のコミュニティバスに乗り換える。
目指す仁尾へ向かうのは、7時20分発の仁尾線の三豊総合病院行。
蜜柑色のバスは、駅から西へと走り、20分足らずで仁尾南バス停に到着した。詫間駅 駅
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とりあえず、地図を頼りに近くにある吉祥院へと向かう。
その途中に、伊藤製パン所と言う渋い店を見つけた。
やっているようには見えなかったが、外から覗いてみると、食パン一斤と総菜パンらしきものが少しあった。伊藤製パン所 グルメ・レストラン
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歩いていると、今度は古い民家を見つけた。
二階部分には海鼠壁も施されている。
民家と言うより、商店だったのではないだろうか。 -
その並びにも、そこそこ古そうな建物が残っていた。
今はバス通りが中心のようだが、かつてはこの通りが目抜き通りだったようだ。 -
辿り着いた吉祥院には、立派な仁王門があった。
吉祥院は、虚空蔵菩薩と吉祥天を祀る古刹でだそうだ。 -
境内には、樹齢400年と言う大きな盆栽のような樹があった。
説明板には『万寿はく』とあり、ビャクシンの仲間のカイヅカイブキだそうだ。
枝ぶりも見事で、なかなか見応えがあった。 -
吉祥院からしばらく歩くと、石垣の上に建つ寺院が見えてきた。
覚城院と言う寺で、まるで城郭のような感じだった。
入口の石段脇には、仁尾城跡と言う石柱も建っていた。 -
本堂は、一番高い所に建っていた。
ここが仁尾城の本丸かと思ったが、城跡は背後の八紘山も含むらしい。
と言うことは、ここは郭のひとつであろう。
土佐の長曾我部元親が讃岐に侵攻した天正7年(1579)に仁尾城は落城し、城主細川頼弘は討ち死にしたそうだ。仁尾の街が見渡せる城跡 by 旅猫さん仁尾城跡 名所・史跡
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城跡からは、仁尾の街並みが眺められた。
瓦屋根の民家が多く、なかなか良い眺めである。 -
麓に続く道沿いには、大きな商家が建ち並び、この辺りがかつての仁尾の中心だったことが伺える。
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覚城院を後にして、さらに街を散策。
その北側には、常徳寺と言う寺があった。
境内に建っていた円通殿と言う建物は、室町時代の初期、応永8年(1401)に建立されたもので、禅宗様式の仏殿としては四国唯一のものだそうだ。 -
常徳寺の近くには、崩れかけた民家があった。
平屋のようだが、屋根裏があるような造りだった。
人が住まなくなると、建物は朽ちていく。 -
特産の仁尾酢を醸す中橋造酢の脇を通ると、鉤の手となった道の角に大きな屋敷があった。
築100年以上経つ邸宅で、商家であった旧塩田忠左衛門邸とあった。
建材には、屋久杉などが使われているそうだ。
不定期で公開されているらしいが、この日は観ることはできなかった。 -
旧塩田邸の裏手には、作家菊池寛の母の生家跡と言う場所があった。
そこからさらに北へと進むと、大きな鳥居が見えてきた。
京都の上賀茂神社から分霊した賀茂神社だった。
元は、仁尾の沖合に浮かぶ大蔦島に鎮座していたそうで、今でも元宮が建っているそうだ。 -
石造の太鼓橋を渡り、随身門を潜ると、注連縄が掛かった二つの大きな岩があった。
注連縄岩と言うその岩は、入江の入口にあった岩で、船の往来に邪魔だったため、撤去され、ここに置かれたそうだ。
そこを潜り、拝殿で参拝する。
由緒ある神社だが、参拝者の姿はまったくなかった。 -
以前、賀茂神社の境内西側まで海が迫っていたらしく、角には仁尾の湊を照らす高燈籠が建っていた。
そこから道沿いに南へと歩くと、金毘羅灯篭と言うものもあった。
江戸中期の寛政12年(1800)に建てられたものだそうだが、石の台座以外は復元されたものだそうだ。 -
帰りのバスの時間が近付いて来たので、バス停へと戻る。
途中に白壁の大きな建物があった。
これは、旧塩田邸の建物の一つのようである。
かなりの規模で、豪商だったことが伺える。 -
バス通りに出てしばらく歩くと、普門院と言う寺があった。
その門前に、辻の札場と呼ばれる場所があった。
江戸時代に御触書などを掲示した場所で、いわゆる高札場である。
ほぼ原形を留めているらしい。辻の札場 名所・史跡
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その先に、仁尾酢の蔵元である中橋造酢の大きな蔵が建っていた。
奥には、煉瓦造りの煙突も見えている。
讃岐における酢の醸造は、江戸時代の寛保元年(1741)に、ここ仁尾において、田野屋中橋仁右衛門が始めたと云われているそうだ。
多くの蔵があったそうだが、今では、最初に始めた中橋造酢だけが残っている。 -
9時3分発の詫間駅行のバスに乗り、仁尾を後にした。
詫間駅からは、9時30分発の快速『サンポート南風リレー号』に乗り多度津駅へと向かう。
ところが、詫間駅で行き違う予定の下りの特急が遅れているという。
多度津駅での乗り換え時間が4分しかないので焦る。 -
車掌に尋ねると、無線で確認をしてくれ、多度津駅で待ってくれるという。
結局、6分遅れで詫間駅を出発。
多度津駅に着くと、今度は、乗り換え予定の土讃線からの特急『南風6号』も遅れているという放送があったが、2分ほどの遅れでやってきた。
定刻の9時44分を3分遅れで出発し、終着の岡山駅を目指す。 -
岡山駅には、何とか定刻通りに到着。
乗り換え時間で、新発売と言う駅弁『たこと牛しぐれ煮弁当』を購入。
そして、10時58分発の東京行『のぞみ16号』で旅を締め括る。
京都駅を発車後、買い込んできた駅弁を味わう。
開けてみると、ほとんど茶色い。
茶色いものは旨いというとおり、この駅弁はとても美味しかった。 -
名古屋駅を過ぎた頃には寝てしまった。
そして、ふと目を覚ますと、車窓には富士山が見えていた。
今回の旅は、終始天気が良く、最後には富士山の姿まで拝めた。
つい1週間前に河口湖から観たばかりだが、雪がさらに消えてしまったようだ。
修学旅行で訪れた懐かしい場所を巡る旅も終わり。
久しぶりに訪れた讃岐路は、またひとつ思い出を作ってくれた。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ポテのお散歩さん 2021/06/03 01:33:27
- 思い出の旅
- 旅猫さん こんばんは。
讃岐路の旅にお邪魔しています。
修学旅行に関東から四国へだと中学校の時でしょうか?
私の中学の時の修学旅行は信州だったのですが、蓼科などへ行ったと思うんですが ず~っと雨で、何を見たのか記憶に無いほど お天気に恵まれませんでした(^-^;
鳴門・高知・愛媛へは行ったのに、香川だけ未訪です。
何度か金毘羅参りへ行く計画は立てるのですが消えてしまいます。
金毘羅さんの階段の事を思うと 一日でも早く行かなければ! (^-^)
仁尾の街並みは渋いですね。
立派な建物が多く、かつては賑やかだった事が想像出来ます。
こういった建物が 人が住まなくなって消えていくのは忍びないです。
カフェにリフォームされるのも複雑だし。。。悩ましいです。
ポテ
- 旅猫さん からの返信 2021/06/04 08:06:18
- RE: 思い出の旅
- ポテさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
四国への修学旅行は高校の時です。
通っていた高校は、まさに修学旅行そのもので、班ごとに学ぶことを事前に決めて、保門先にも事前に連絡をしてからお伺いしました。
私の班は、丸亀の団扇ついてで、制作現場を訪れ、話を訊いたりしました。
それを帰ってからまとめ、後日発表会をしたのです。
懐かしい思い出ですが、旅行という感じでは無かったですね。
修学旅行でずっと雨と言うのは切ないですね。
思い出が、少し薄くなってしまうような。
香川は未訪ですか。
金比羅さんの階段は、なかなか手強かったです。
奥社までだと1300段以上ありますからね。
でも、平坦な場所もありますし、ずっと階段ではないので、休みながら登れば意外と行けますよ。
仁尾は気になっていた街です。
立ち寄ってみましたが、なかなか渋い街で気に入りました。
古い建物が失われていくのは寂しいですね。
とは言え、観光地のように変に再生利用されるのもどうかと思いますよね。
旅猫
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