三豊旅行記(ブログ) 一覧に戻る
讃岐路の旅の最終日は、古い街並みが残るという仁尾を訪れた。<br />早朝に丸亀を発ち、列車を乗り継いで宅間駅へと向かい、駅からはコミュニティバスに揺られて仁尾の中心へ入った。<br />歩いた仁尾の街は、そこかしこに古い民家などがあったが、街並みと言うほどでは無かった。<br />それでも、微かに残る歴史の息吹が感じらられ、散策は楽しいものだった。

秋の讃岐路を行く【3】~仁尾逍遥~

130いいね!

2020/11/16 - 2020/11/16

6位(同エリア171件中)

旅行記グループ 【讃岐国】

2

24

旅猫

旅猫さん

讃岐路の旅の最終日は、古い街並みが残るという仁尾を訪れた。
早朝に丸亀を発ち、列車を乗り継いで宅間駅へと向かい、駅からはコミュニティバスに揺られて仁尾の中心へ入った。
歩いた仁尾の街は、そこかしこに古い民家などがあったが、街並みと言うほどでは無かった。
それでも、微かに残る歴史の息吹が感じらられ、散策は楽しいものだった。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 6時50分に丸亀駅を出発。<br />そして、二つ先の多度津駅で、7時4分発の予讃線の伊予西条行普通列車に乗り換えた。<br />平日と言うことで、車内は学生たちで混んでいた。

    6時50分に丸亀駅を出発。
    そして、二つ先の多度津駅で、7時4分発の予讃線の伊予西条行普通列車に乗り換えた。
    平日と言うことで、車内は学生たちで混んでいた。

    多度津駅

  • 多度津駅から10分で詫間駅に到着。<br />駅前から、三豊市のコミュニティバスに乗り換える。<br />目指す仁尾へ向かうのは、7時20分発の仁尾線の三豊総合病院行。<br />蜜柑色のバスは、駅から西へと走り、20分足らずで仁尾南バス停に到着した。

    多度津駅から10分で詫間駅に到着。
    駅前から、三豊市のコミュニティバスに乗り換える。
    目指す仁尾へ向かうのは、7時20分発の仁尾線の三豊総合病院行。
    蜜柑色のバスは、駅から西へと走り、20分足らずで仁尾南バス停に到着した。

    詫間駅

  • とりあえず、地図を頼りに近くにある吉祥院へと向かう。<br />その途中に、伊藤製パン所と言う渋い店を見つけた。<br />やっているようには見えなかったが、外から覗いてみると、食パン一斤と総菜パンらしきものが少しあった。

    とりあえず、地図を頼りに近くにある吉祥院へと向かう。
    その途中に、伊藤製パン所と言う渋い店を見つけた。
    やっているようには見えなかったが、外から覗いてみると、食パン一斤と総菜パンらしきものが少しあった。

    伊藤製パン所 グルメ・レストラン

  • 歩いていると、今度は古い民家を見つけた。<br />二階部分には海鼠壁も施されている。<br />民家と言うより、商店だったのではないだろうか。

    歩いていると、今度は古い民家を見つけた。
    二階部分には海鼠壁も施されている。
    民家と言うより、商店だったのではないだろうか。

  • その並びにも、そこそこ古そうな建物が残っていた。<br />今はバス通りが中心のようだが、かつてはこの通りが目抜き通りだったようだ。

    その並びにも、そこそこ古そうな建物が残っていた。
    今はバス通りが中心のようだが、かつてはこの通りが目抜き通りだったようだ。

  • 辿り着いた吉祥院には、立派な仁王門があった。<br />吉祥院は、虚空蔵菩薩と吉祥天を祀る古刹でだそうだ。

    辿り着いた吉祥院には、立派な仁王門があった。
    吉祥院は、虚空蔵菩薩と吉祥天を祀る古刹でだそうだ。

  • 境内には、樹齢400年と言う大きな盆栽のような樹があった。<br />説明板には『万寿はく』とあり、ビャクシンの仲間のカイヅカイブキだそうだ。<br />枝ぶりも見事で、なかなか見応えがあった。

    境内には、樹齢400年と言う大きな盆栽のような樹があった。
    説明板には『万寿はく』とあり、ビャクシンの仲間のカイヅカイブキだそうだ。
    枝ぶりも見事で、なかなか見応えがあった。

  • 吉祥院からしばらく歩くと、石垣の上に建つ寺院が見えてきた。<br />覚城院と言う寺で、まるで城郭のような感じだった。<br />入口の石段脇には、仁尾城跡と言う石柱も建っていた。

    吉祥院からしばらく歩くと、石垣の上に建つ寺院が見えてきた。
    覚城院と言う寺で、まるで城郭のような感じだった。
    入口の石段脇には、仁尾城跡と言う石柱も建っていた。

  • 本堂は、一番高い所に建っていた。<br />ここが仁尾城の本丸かと思ったが、城跡は背後の八紘山も含むらしい。<br />と言うことは、ここは郭のひとつであろう。<br />土佐の長曾我部元親が讃岐に侵攻した天正7年(1579)に仁尾城は落城し、城主細川頼弘は討ち死にしたそうだ。

    本堂は、一番高い所に建っていた。
    ここが仁尾城の本丸かと思ったが、城跡は背後の八紘山も含むらしい。
    と言うことは、ここは郭のひとつであろう。
    土佐の長曾我部元親が讃岐に侵攻した天正7年(1579)に仁尾城は落城し、城主細川頼弘は討ち死にしたそうだ。

    仁尾城跡 名所・史跡

    仁尾の街が見渡せる城跡 by 旅猫さん
  • 城跡からは、仁尾の街並みが眺められた。<br />瓦屋根の民家が多く、なかなか良い眺めである。

    城跡からは、仁尾の街並みが眺められた。
    瓦屋根の民家が多く、なかなか良い眺めである。

  • 麓に続く道沿いには、大きな商家が建ち並び、この辺りがかつての仁尾の中心だったことが伺える。

    麓に続く道沿いには、大きな商家が建ち並び、この辺りがかつての仁尾の中心だったことが伺える。

  • 覚城院を後にして、さらに街を散策。<br />その北側には、常徳寺と言う寺があった。<br />境内に建っていた円通殿と言う建物は、室町時代の初期、応永8年(1401)に建立されたもので、禅宗様式の仏殿としては四国唯一のものだそうだ。

    覚城院を後にして、さらに街を散策。
    その北側には、常徳寺と言う寺があった。
    境内に建っていた円通殿と言う建物は、室町時代の初期、応永8年(1401)に建立されたもので、禅宗様式の仏殿としては四国唯一のものだそうだ。

  • 常徳寺の近くには、崩れかけた民家があった。<br />平屋のようだが、屋根裏があるような造りだった。<br />人が住まなくなると、建物は朽ちていく。

    常徳寺の近くには、崩れかけた民家があった。
    平屋のようだが、屋根裏があるような造りだった。
    人が住まなくなると、建物は朽ちていく。

  • 特産の仁尾酢を醸す中橋造酢の脇を通ると、鉤の手となった道の角に大きな屋敷があった。<br />築100年以上経つ邸宅で、商家であった旧塩田忠左衛門邸とあった。<br />建材には、屋久杉などが使われているそうだ。<br />不定期で公開されているらしいが、この日は観ることはできなかった。

    特産の仁尾酢を醸す中橋造酢の脇を通ると、鉤の手となった道の角に大きな屋敷があった。
    築100年以上経つ邸宅で、商家であった旧塩田忠左衛門邸とあった。
    建材には、屋久杉などが使われているそうだ。
    不定期で公開されているらしいが、この日は観ることはできなかった。

  • 旧塩田邸の裏手には、作家菊池寛の母の生家跡と言う場所があった。<br />そこからさらに北へと進むと、大きな鳥居が見えてきた。<br />京都の上賀茂神社から分霊した賀茂神社だった。<br />元は、仁尾の沖合に浮かぶ大蔦島に鎮座していたそうで、今でも元宮が建っているそうだ。

    旧塩田邸の裏手には、作家菊池寛の母の生家跡と言う場所があった。
    そこからさらに北へと進むと、大きな鳥居が見えてきた。
    京都の上賀茂神社から分霊した賀茂神社だった。
    元は、仁尾の沖合に浮かぶ大蔦島に鎮座していたそうで、今でも元宮が建っているそうだ。

  • 石造の太鼓橋を渡り、随身門を潜ると、注連縄が掛かった二つの大きな岩があった。<br />注連縄岩と言うその岩は、入江の入口にあった岩で、船の往来に邪魔だったため、撤去され、ここに置かれたそうだ。<br />そこを潜り、拝殿で参拝する。<br />由緒ある神社だが、参拝者の姿はまったくなかった。

    石造の太鼓橋を渡り、随身門を潜ると、注連縄が掛かった二つの大きな岩があった。
    注連縄岩と言うその岩は、入江の入口にあった岩で、船の往来に邪魔だったため、撤去され、ここに置かれたそうだ。
    そこを潜り、拝殿で参拝する。
    由緒ある神社だが、参拝者の姿はまったくなかった。

  • 以前、賀茂神社の境内西側まで海が迫っていたらしく、角には仁尾の湊を照らす高燈籠が建っていた。<br />そこから道沿いに南へと歩くと、金毘羅灯篭と言うものもあった。<br />江戸中期の寛政12年(1800)に建てられたものだそうだが、石の台座以外は復元されたものだそうだ。

    以前、賀茂神社の境内西側まで海が迫っていたらしく、角には仁尾の湊を照らす高燈籠が建っていた。
    そこから道沿いに南へと歩くと、金毘羅灯篭と言うものもあった。
    江戸中期の寛政12年(1800)に建てられたものだそうだが、石の台座以外は復元されたものだそうだ。

  • 帰りのバスの時間が近付いて来たので、バス停へと戻る。<br />途中に白壁の大きな建物があった。<br />これは、旧塩田邸の建物の一つのようである。<br />かなりの規模で、豪商だったことが伺える。

    帰りのバスの時間が近付いて来たので、バス停へと戻る。
    途中に白壁の大きな建物があった。
    これは、旧塩田邸の建物の一つのようである。
    かなりの規模で、豪商だったことが伺える。

  • バス通りに出てしばらく歩くと、普門院と言う寺があった。<br />その門前に、辻の札場と呼ばれる場所があった。<br />江戸時代に御触書などを掲示した場所で、いわゆる高札場である。<br />ほぼ原形を留めているらしい。

    バス通りに出てしばらく歩くと、普門院と言う寺があった。
    その門前に、辻の札場と呼ばれる場所があった。
    江戸時代に御触書などを掲示した場所で、いわゆる高札場である。
    ほぼ原形を留めているらしい。

    辻の札場 名所・史跡

  • その先に、仁尾酢の蔵元である中橋造酢の大きな蔵が建っていた。<br />奥には、煉瓦造りの煙突も見えている。<br />讃岐における酢の醸造は、江戸時代の寛保元年(1741)に、ここ仁尾において、田野屋中橋仁右衛門が始めたと云われているそうだ。<br />多くの蔵があったそうだが、今では、最初に始めた中橋造酢だけが残っている。

    その先に、仁尾酢の蔵元である中橋造酢の大きな蔵が建っていた。
    奥には、煉瓦造りの煙突も見えている。
    讃岐における酢の醸造は、江戸時代の寛保元年(1741)に、ここ仁尾において、田野屋中橋仁右衛門が始めたと云われているそうだ。
    多くの蔵があったそうだが、今では、最初に始めた中橋造酢だけが残っている。

  • 9時3分発の詫間駅行のバスに乗り、仁尾を後にした。<br />詫間駅からは、9時30分発の快速『サンポート南風リレー号』に乗り多度津駅へと向かう。<br />ところが、詫間駅で行き違う予定の下りの特急が遅れているという。<br />多度津駅での乗り換え時間が4分しかないので焦る。

    9時3分発の詫間駅行のバスに乗り、仁尾を後にした。
    詫間駅からは、9時30分発の快速『サンポート南風リレー号』に乗り多度津駅へと向かう。
    ところが、詫間駅で行き違う予定の下りの特急が遅れているという。
    多度津駅での乗り換え時間が4分しかないので焦る。

  • 車掌に尋ねると、無線で確認をしてくれ、多度津駅で待ってくれるという。<br />結局、6分遅れで詫間駅を出発。<br />多度津駅に着くと、今度は、乗り換え予定の土讃線からの特急『南風6号』も遅れているという放送があったが、2分ほどの遅れでやってきた。<br />定刻の9時44分を3分遅れで出発し、終着の岡山駅を目指す。

    車掌に尋ねると、無線で確認をしてくれ、多度津駅で待ってくれるという。
    結局、6分遅れで詫間駅を出発。
    多度津駅に着くと、今度は、乗り換え予定の土讃線からの特急『南風6号』も遅れているという放送があったが、2分ほどの遅れでやってきた。
    定刻の9時44分を3分遅れで出発し、終着の岡山駅を目指す。

  • 岡山駅には、何とか定刻通りに到着。<br />乗り換え時間で、新発売と言う駅弁『たこと牛しぐれ煮弁当』を購入。<br />そして、10時58分発の東京行『のぞみ16号』で旅を締め括る。<br />京都駅を発車後、買い込んできた駅弁を味わう。<br />開けてみると、ほとんど茶色い。<br />茶色いものは旨いというとおり、この駅弁はとても美味しかった。

    岡山駅には、何とか定刻通りに到着。
    乗り換え時間で、新発売と言う駅弁『たこと牛しぐれ煮弁当』を購入。
    そして、10時58分発の東京行『のぞみ16号』で旅を締め括る。
    京都駅を発車後、買い込んできた駅弁を味わう。
    開けてみると、ほとんど茶色い。
    茶色いものは旨いというとおり、この駅弁はとても美味しかった。

  • 名古屋駅を過ぎた頃には寝てしまった。<br />そして、ふと目を覚ますと、車窓には富士山が見えていた。<br />今回の旅は、終始天気が良く、最後には富士山の姿まで拝めた。<br />つい1週間前に河口湖から観たばかりだが、雪がさらに消えてしまったようだ。<br /><br />修学旅行で訪れた懐かしい場所を巡る旅も終わり。<br />久しぶりに訪れた讃岐路は、またひとつ思い出を作ってくれた。

    名古屋駅を過ぎた頃には寝てしまった。
    そして、ふと目を覚ますと、車窓には富士山が見えていた。
    今回の旅は、終始天気が良く、最後には富士山の姿まで拝めた。
    つい1週間前に河口湖から観たばかりだが、雪がさらに消えてしまったようだ。

    修学旅行で訪れた懐かしい場所を巡る旅も終わり。
    久しぶりに訪れた讃岐路は、またひとつ思い出を作ってくれた。

130いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • ポテのお散歩さん 2021/06/03 01:33:27
    思い出の旅
    旅猫さん こんばんは。
    讃岐路の旅にお邪魔しています。

    修学旅行に関東から四国へだと中学校の時でしょうか?
    私の中学の時の修学旅行は信州だったのですが、蓼科などへ行ったと思うんですが ず~っと雨で、何を見たのか記憶に無いほど お天気に恵まれませんでした(^-^;

    鳴門・高知・愛媛へは行ったのに、香川だけ未訪です。
    何度か金毘羅参りへ行く計画は立てるのですが消えてしまいます。
    金毘羅さんの階段の事を思うと 一日でも早く行かなければ! (^-^)
    仁尾の街並みは渋いですね。
    立派な建物が多く、かつては賑やかだった事が想像出来ます。
    こういった建物が 人が住まなくなって消えていくのは忍びないです。
    カフェにリフォームされるのも複雑だし。。。悩ましいです。

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/06/04 08:06:18
    RE: 思い出の旅
    ポテさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    四国への修学旅行は高校の時です。
    通っていた高校は、まさに修学旅行そのもので、班ごとに学ぶことを事前に決めて、保門先にも事前に連絡をしてからお伺いしました。
    私の班は、丸亀の団扇ついてで、制作現場を訪れ、話を訊いたりしました。
    それを帰ってからまとめ、後日発表会をしたのです。
    懐かしい思い出ですが、旅行という感じでは無かったですね。

    修学旅行でずっと雨と言うのは切ないですね。
    思い出が、少し薄くなってしまうような。

    香川は未訪ですか。
    金比羅さんの階段は、なかなか手強かったです。
    奥社までだと1300段以上ありますからね。
    でも、平坦な場所もありますし、ずっと階段ではないので、休みながら登れば意外と行けますよ。

    仁尾は気になっていた街です。
    立ち寄ってみましたが、なかなか渋い街で気に入りました。
    古い建物が失われていくのは寂しいですね。
    とは言え、観光地のように変に再生利用されるのもどうかと思いますよね。

    旅猫

旅猫さんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP