2007/09/01 - 2007/09/06
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まさとし 国連加盟国全て訪問済さん
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2007年9月。チベットへ行くことにした。
2006年7月。いよいよチベットにも鉄道が開通したということでチベット自治区のラサは10年ぶりの訪問となる。
かつてチベットへ陸路でとなるとかなりの苦痛を強いられてきた。
それがまた一つ伝説となってしまった。
今回の旅行は珍しくパッケージツアーだ。理由は北京からラサまでの列車のチケット手配が困難なこと。短期間で確実にこの列車に乗るにはパッケージツアーが一番効率的でなおかつリーズナブルだと確信したからだ。
パッケージツアーといっても我々以外に同行する客はおらず、完全な手配旅行といった感じだ。もし個人手配旅行で同じ日程を組み、中国国内線や空港送迎、宿、食事の手配をし、観光名所の入場料を含む車のチャーター料金を見積もってみるととてもじゃないがこのような安さ(総額20万円弱)で旅行するのは不可能だ。
今回のパッケージツアーが大阪発になってしまったのは東京発で同じ条件のものを探すと値段の差が10万円近くあったのが唯一の理由であり、最大の理由だ。東京から大阪までの往復交通費30000円を払っても十分元が取れるのだ。
8/31(金) 東京 → 大阪 ホテル新ばし
9/1(土) 関西(14:00) → 北京(16:00) 北京(2130) → 車中(軟臥)
9/2(日) → 西安 → 蘭州 → 西寧 → 車中(軟臥)
9/3(月) → ゴルムド → 安多 → ナクチュ → ラサ(2002) ラサ/雄巴羅拉曲大酒店
9/4(火) ラサ市内観光(ポタラ宮/ノルブリンカ/ジョカン) ラサ/雄巴羅拉曲大酒店
9/5(水) 出発までラサ市内観光(セラ寺)▼ラサ(15:40) →(成都)→ 北京(20:30) 北京/前門建国飯店
9/6(木) 出発まで自由行動(五道口/北朝鮮料理)▼北京(16:20) → 関西(20:00) -
9/7(金) 大阪 →新幹線→ 東京
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関西空港で今回一緒に旅行するGさんを待つことにした。
東京からの始発便で到着する。
8時前Gさんが到着、航空券と団体受付カウンターで受け取り、チェックインに向かった。 -
大阪から利用するのは北京行きの中国国際航空。けっこう行列ができている。手続きはなんとか済んだが出国ゲートもけっこう混雑していた。遠い方の北側審査場は比較的すいていたので遠回りして出国をすませゲート前で出発を待つことにした。
北京行きはB737-800。国際線にもかかわらず小型の飛行機を使うのは日本発ではあまりない。しかも先日沖縄・那覇空港で燃えた台湾の中華航空(チャイナエアライン)と同じ機種でもある。
それはさておき世界で最も多く飛んでいる機種の最新鋭800型機なので機内は比較的快適だ。北京まで3時間のフライトだ。荷物はなくなるといやなので機内へ持ち込むことにした。 -
関西国際空港を離陸。むこうに運用を開始した第二滑走路が見える。
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機内食。
12時過ぎには北京首都国際空港に到着した。入国審査場は相変わらず長蛇の列。しかも列がぐちゃぐちゃだ。何とか突破し到着ロビーで出迎えの現地旅行社の人と合流した。中国国際旅行社の趙(ちょう)さんというおじさんだ。日本に留学経験もあり、日本語は比較的ナチュラルな感じだ。
早速駐車場に案内され、車で市内へ向かった。
今回のツアーは急遽出発便が午後便から午前便に変更されたのだ。理由はつい先日同種のツアーで北京へ向かう午後便の遅延により、そのまま乗り継ぐはずだったラサ行きの列車に乗り継ぐことができないという事態が発生した。それにより以後のツアーは大事を取って午前便に変更されることになった。
そんなわけで初日の北京での滞在時間にゆとりができ、少し観光できることになった。もちろん追加料金はかからない。 -
とはいえ北京は3回目。基本的な場所は行き尽くしている。とりあえずガイドの趙さんに任せることにした。
とりあえず天安門へ行った。とりあえず中国に来たと実感できる場所だ。 -
人民英雄紀念碑(天安門広場)
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その後、観光名所は任せるとガイドに言ったらお茶屋に案内された。
小姐のお茶を入れる実演販売があった。しかしお茶に数千円は高い。ツアーでよくありがちな当然の流れだが、1カ所くらい土産物屋に連れて行かれるのは我慢の範囲内だ。
結局一つ買ってしまった。列車の中で飲むのも悪くないだろう。 -
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お茶屋の小姐と。
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そのあとオリンピックを前に取り壊されつつあるフートン(胡同)に連れて行ってもらうことにした。
そんなわけでやってきたのは鼓楼。周辺は国内外からの観光客でにぎわっている。 -
ただし鼓楼周辺のフートンは北京の新たな観光名所にしようと新しく作り直している感じがして味気ない。
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初めて北京へ来た2001年はまだまだ至る所に残っていたように思うが、今では案内された場所も取り壊しの波にさらされていた。
古き良き時代の北京はもはや消えようとしている。 -
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フートンの民家に入ってみた。あれ放題だ。取り壊しも時間の問題だ。はたして住民がどれほど補償を受けているのか知るよしもない。
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すぐ近くには前海と後海という風光明媚な場所があり、ボートに乗る観光客でにぎわっていた。
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北京動物園に行くことにした。パンダ館。中国語では熊猫と書く。
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北京の動物園にはパンダがたくさんいる。
パンダ以外この動物園に来た意味はない。上野動物園にもいるが、中国の固有種のため北京で見ることに意味がある。元々は四川省に生息する希少動物だ。 -
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北京動物園は広大な敷地を持っているが時間がないので全部見ている暇はない。
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アライグマ?
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食事は北京の目抜き通りである「王府井」近くでとるらしく車で向かった。
王府井の北にある東安門大街の夜市で車を降りた。この夜市はくせ者で前回北朝鮮帰りに立ち寄った際、ここでイカ焼きを食べたら見事にあたり、帰国しても一週間近く下痢が止まらなかった。そんなわけで今回は屋台での買い食いはパス。 -
こちらは王府井の大通り。北京の目抜き通りだ。歩行者天国になっている。常に近代的なビルの建設が行われている。
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夕暮れの王府井
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通りにあったコカコーラのショップ。
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夕食は夜市沿いにある四川料理のレストラン「四川飯店」に入った。ネオンが派手で外観は立派なレストランだ。
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店内は歴代要人の来店の写真が掲げられ、二階へ案内された。有名な店らしいが客層はツアー客ばかりで味はいまいち。しかも無駄に量が多い。別料金のビール(30元/450円)はぼったくりでアイスクリーム(10元/150円)は出てきた時点で半分溶けていた。食事代はツアー代に含まれているので気にならないはずだが、少しやられた感じだ。
食後、出発までの間に風呂に入りたいと思い風呂に案内された。中国版健康ランドっぽくサウナはないが、入浴後ゆったりとすごせるラウンジが併設られていた。ただ値段は高く78元(1248円)もした。今夜から48時間列車に乗りつづけるのでしばらく風呂に入れない。今日の北京は暑く汗だくだ。出発前にどうしてもシャワーを浴びておきたかった。そんなわけですっきりして北京駅へ向かった。 -
北京から列車で出発するのはモスクワ、平壌以来3回目。ただ今回は北京西駅(前回まで北京駅)の出発となった。空港を思わせる出発ロビーを備えたモダンな駅だ。しかしそれが徒となってこの時間出発ロビーへ向かう車で大渋滞だ。あまり効率がよくない。この駅は地下鉄の駅から離れているため公共の交通機関はバスしかない。
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駅に着いたのは出発40分前。軟座/軟臥待合室と思われる場所に案内された。まだ時間に余裕があるので駅の売店でカップとお茶を購入。北京西駅からは主に西部へ向かう国内列車が発着する。
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ここで趙さんからラサまでの列車の切符とラサから北京への航空券を受け取った。駅の改札で見送りを受けホームに向かった。趙さんはまた北京に戻ったとき世話になることになる。
これがラサまでの切符。最上級クラスで料金は1262元(20000円)だ。かつて陸路でチベットに入る際、正規のバスでゴルムドから18000円くらいかかっていたことを思うとずいぶん安く感じる。
ずいぶん気軽にチベットに入れるようになったと実感。10年前のバスでのチベット行きはまさに地獄だった。もうあの苦痛を味わえないのは少し寂しい気もする。もはやあの旅は伝説になり歴史の一部になってしまった感じだ。
21:30。ラサ行きは定刻通り北京西駅を出発した。4人個室コンパートメントは我々2人と中国人のおっさんで一人分ベッドが空いている。途中から乗ってくるのだろうか。とりあえず出発後やることもなく、腹も減ってないのですぐに就寝。
中国の列車はいつもながら快適だ。 -
北京西発ラサ行き。
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夜が明けた。列車はほとんど停車することもなく、西安に向け走り続けている。
写真は快適な最新の軟臥(一等寝台)。 -
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9時過ぎに西安駅に到着した。
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ここで機関車の付け替え作業が行われた。
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新たに連結された機関車は同じ種類のものだ。おそらく所属が違うだけだろう。
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列車はノンストップで蘭州に向かう。
昼食は食堂車に行ってみた。
食券をカウンターで買い、席に着いた。 -
ウエイトレスが食事を運んできた。
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2品注文しライスとビールを付けた。
食堂車はちょっと時間をずらすとそれほど混雑していない。 -
16時に蘭州に到着した。まだ日が出ているが半袖では寒いくらいの気候だ。気温は20度そこそこだろう。
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ここから非電化区間に入るのでディーゼル機関車に付け替えられる。ここまで牽引してきた電気機関車が切り離された。
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蘭州駅の連結作業員。
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蘭州駅から非電化区間のため電源車も増結される。
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蘭州駅を出発。共同住宅の谷間を快走する。
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しばらくすると人民解放軍輸送の列車とすれ違った。
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夕食は同室の中国人のおっさんと一緒に弁当ですませた。値段は20元。(320円)。
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夜7時頃西寧駅に到着した。この駅までは10年前にも来ている。前回はこの駅で下車し、数日滞在した後バスでゴルムドを経てチベットへ向かったのだ。
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反対側のホームには別の列車が到着した。
動力集中方式で流線型の全車二階建てのモダンな列車だが、蘭州からの全車硬座の列車だった。 -
西寧はかなり西にあるので7時を過ぎてもまだ明るいが標高2280mということで涼しいというよりは寒い感じだ。
しかし高度を上げるのはこれからだ。 -
西寧で機関車の付け替えがあり、別のディーゼル機関車が連結された。
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この駅で北京から空いていたベッドに中国系の女性が乗ってきた。
彼女は25人のシンガポール人ツアー客の添乗員で出身はマレーシアだとのこと。
中国語と英語が堪能な彼女のおかげで中国人のおじさんも含めコンパートメント内の意思の疎通がしやすくなった。
19時半に西寧を出発。ほとんど人の住んでいない青海湖畔を快走。夜は更けていった。
夜明け前の5時半頃、列車はゴルムドの駅に停車していた。ホームは屋根もなく真っ暗で人の乗り降りする気配はない。ゴルムド駅周辺は街から離れているので周囲も真っ暗だ。 -
その後列車は静かにラサへ向けは走り出した。かなり西に来ているので北京時間で統一されている中国では日の出は当分先だ。空を見上げると天気はいいようで星空は広がっている。東の空は明るくなりつつある。わずかな光が周辺の山影を鮮やかに映しだしている。
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やがて外は明るくなってきた。同室の中国人のおっさんが興奮気味で雪山が見えるとかいろいろ話しかけてくる。しかし中国語ではなにを言っているのかさっぱりだ。地味なおっさんかと思っていたが、そこまで必死になることはないのではと思うぐらい大はしゃぎだ。初めて見る雪山なのだろうか。
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列車は信号所らしき場所で停車。ラサからやってくる対向列車と行き違いをした。
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朝日が照りつける。
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7時10分。クンルン山脈の標高6178m名峰の名が付いた「玉珠峰駅」に到着した。
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クンルン山脈の雪山。
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時折吹雪になったり気候の変化は激しい。厚い雲に覆われ視界が全くないかと思うと突然クンルン山脈の山々が見えたりする。
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列車は標高4500メートル地帯を快走する。
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この日の朝食は車内販売の饅頭とおかゆのセットで10元(160円)。
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列車は揚子江や黄河、メコン川の源流となる河川にさしかかった。
遙か向こうはクンルン山脈の雪山。 -
このあたりは大きな河が多い。10年前は陸路で向かう際、川を渡るのが最大の難所だった。
しかし今回はいとも簡単に通過してしまった。 -
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青蔵公路は相変わらず壊れた橋が目に付くが、すぐ隣に新しい橋が完成していた。
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タングラ峠に向け、トラックががんばっている。
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標高5072メートル。鉄道最高地点のタングラ峠の記念碑。
まさに48時間の列車の旅で最大のクライマックスである。単調な風景の中を時速100キロで快走する車内から記念碑を写真に納めることができたのは奇跡に近い。 -
12時28分。世界最高所に駅である唐古拉(タングラ)駅を通過した。駅には停車することもなくうっかり見逃してしまうところだった。
駅の標高は峠と同じ5072メートルとなっているが5068メートルとの噂もある。
またバスで青蔵公路を利用してタングラ峠を通過すると5231メートルを通過することになる。10年前はこちらを通過した。 -
唐古拉(タングラ)駅の駅舎。
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タングラ山脈の氷河を眺める。
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羊が放牧されている。
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13時38分。安多(アムド)駅に到着した。扉は開かず列車の行き違いのみだ。
欧米人が扉を開けてくれと車掌に詰め寄っていたが断られていた。この駅で2本の列車と行き違い1時間近く停車した。 -
錯那(ツォナ)湖を眺める。
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湖畔の錯那湖駅を通過。
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16時に那曲(ナクチュ)駅に停車。
標高は4500メートル。 -
立派な駅舎があり、青蔵鉄道でゴルムド駅以来唯一扉が開きホームに降りることができた駅となった。
そのままラサに近づくにつれ、天候は崩れてきた。楽しみにしていたニェンチェンタンラ山の絶景を見ることもなく、ラサに向け高度を下げ始めた。雨がけっこう強く降っている。せっかくラサまで来てこの天気ではがっかりだ。明日明後日とあるが、少しでも青空を見たいものだ。
写真は同室の中国人のおっさんとマレーシア人添乗員のジュンさん。 -
20時にラサに到着。
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Gさんは高山病で完全にダウンだ。かろうじて歩いて迎えの車に乗れる感じだ。ジュンさんのシンガポール人客四、五人が高山病で体の不調を訴えているとのことだ。
とりあえず北京西駅から48時間の旅は終了。 -
ホームで同室のおじさんとも別れ、みんな改札へ流れる人の波にのまれていった。我々も改札を抜け駅舎へ向かった。
ラサで世話になる出迎えのガイドはすぐに見つかった。チベット人のガイドかと思ったら四川省出身の漢民族の人だった。名前はリュウさん。運転手はチベット人だ。 -
中国の見栄を感じさせるモダンで無意味に立派な駅舎。
ワンボックスカーに乗り、駅を出発8キロほど離れたラサ中心部のホテルに案内された。 -
ホテルの名前は「雄巴羅拉曲大酒店」。今回の旅で日本を出て以来初めての宿となる。
裏には旧市街の中心地で大昭寺(ジョカン)もあり、なかなかのロケーションだ。
また部屋の窓からはポタラ宮がよく見える。夜はライトアップされ、幻想的な雰囲気だ。
ホテルのレベルはそこそこだが、それ以外の条件は最高だ。 -
夕食を食べに食堂に向かった。チベット料理かと思ったが普通の中華料理だった。昼間ともに食べていないので腹が減っていたが、量が多いので食べきれない。しかも今軽度の高山病でいったん体調を崩すと大変なことになるので腹八分目にしておかなくてはならない。
部屋に戻り二日ぶりのシャワーを浴び、あまり眠たくないが就寝。 -
ホテルの名前は「雄巴羅拉曲大酒店」。外観は立派だが中級ホテルだ。
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ホテルの部屋から朝のポタラ宮を眺める。
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ホテルの窓からの眺めは最高だ。中国茶を飲みながら窓を開けるとさわやかな空気が入ってくる。
Gさんは体調が回復しないので今日は一人で観光することになった。
ホテルの外へ出た。十年ぶりのチベットラサ。
第一印象は十年前と雰囲気が変わっていないこと。鉄道ができ急激に近代化が進んでいるようでも旧市街のチベット人はどことなく穏やかでのんびりした雰囲気だ。ホテル周辺はジョカンも近く旧市街のど真ん中でチベット人が多くすむ地域だ。 -
ポタラ宮へ向かった。チベットを象徴する建造物としてあまりにも有名だ。十年前20元ぐらいだった入場料は100元(1600円)に跳ね上がっていた。(話によると来年から350元(5600円)に上がるらしい)。アンコールワットやマチュピチュ、ペトラと肩を並べる世界有数の入場料の高さになろうとしている。それでも今後観光客は増え続けるのだろう。
今回はポタラ宮を始めラサでの入場料はすべてツアー代金に含まれているので支払いは一切ない。なのでラサ滞在中はお金を使うことがあまりなさそうだ。 -
入場時間が決まっているのは知っていたが、見学時間も60分に制限され、超過するとそれなりの罰金が科せられるらしい。今回はガイド付きでの入場だが個人だといろいろ手続きが面倒くさそうだ。
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ポタラ宮からラサ市街地を眺める。
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ポタラ宮は外観の眺めがすばらしいが、内部はチベット仏教に興味がないと中を見学してもよくわからない部分が多い。
歴代ダライラマの霊廟や曼陀羅など有名なものは目にとまるが、ほとんどその場で忘れてしまうものばかりだ。内部は撮影禁止になっているのでほとんど記憶に残ることはない。
ポタラ宮の屋上(デヤン・シャル)から見た白宮。 -
ポタラ宮は周囲をマニ車が取り囲んでいる。
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昼前にはポタラ宮を見終わり、ポタラ宮広場からポタラ宮の全貌を眺めた。
ラサに来たと実感できる眺めのよい場所だ。 -
昼前にはポタラ宮を見終わり、ポタラ宮広場からポタラ宮の全貌を眺めた。ラサに来たと実感できる眺めだ。明け方雨交じりの天気で憂鬱だったが、昼前には青空が見え、太陽が顔を出すと強烈な日差しとともに急激に気温が上がる。これぞチベットという気候になってきた。
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昼食は餃子の専門店に連れて行かれた。
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ゆっくり昼食を食べたあと、午前中に行く予定だったノルブリンカに向かった。歴代ダライラマの離宮。
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ダライラマ14世の離宮。タクテン・ミギュポタン。
この中にはダライラマ14世が亡命直前まで使用していた部屋の備品などが見所になっている。 -
建物は一面花が植えられ色鮮やかできれいに整備されている。それがチベットの中国による観光化された時間の経過を感じさせる。
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池に囲まれたツォキル・ポタン。
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ラサ中心部に戻り大昭寺(ジョカン)を見学する事になった。
周辺では五体投地を行う巡礼者があちこちに見られる。 -
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ジョカンの屋上はポタラ宮と八角街(バルコル)と呼ばれる旧市街を見下ろす絶好の景勝地になっている。
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ジョカンを取り囲むバルコル(八角街)を散策してみた。
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夜はチベット民族舞踊のディナーショーがある。それまで一人でラサの一人歩きをすることにした。
十年前泊まったヤクホテルは今でも健在だ。おそらく今でもネパールへ抜ける長期旅行者でにぎわっているのだろう。
1泊10元から20元(360円)に値上げされているようだ。
ラサは近代化が進んでもコンビニやファーストフードは皆無で昔の素朴さはそのままだ。変わったのは中国人観光客が増えたことだろうか。 -
旧市街の路地裏で遊ぶ子供たち。
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夜6時民族舞踊を見るためホテルを出発した。
Gさんも体調が改善しつつあるようで同行することになった。ステージのあるレストランへ連れて行かれた。 -
午後7時から約1時間ショーが行われた。食事はビュッフェ形式でチベット料理と中華料理が半々の割合で並んでいた。
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せっかくなのでチベット料理を多めに食べようと思ったが、中華料理に味はかなわない。ビールはタダだったが、高度障害が悪化しないように控え目にした。
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チベット舞踊が始まった。
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夜ポタラ宮の夜景を見に行くことにした。リキシャで夜のラサの街を眺めるのも悪くない。雨交じりだがひんやりとした風が清々しい。ラサは日没が9時前と遅いのでライトアップは9時から152時までだ。
日が暮れるとどういうわけか急激に天気が悪くなる。これも高山性の雨期独特の気候なのだろうか。 -
翌日10時に出発の準備を整えフロントに降りたら今日一日お世話になるがガイドが現れた。名前はツンさん。四川省出身の女性だ。
今日はラサで最後の観光目的地であるセラ寺へ向かった。セラ寺は今でもたくさんの僧侶が修行している。簡単な説明が行われ、寺の境内を少し歩き回り、車に戻った。日中は青空が広がりさわやかだ。 -
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その後のんびりラサ川沿いの道路を空港へ向け走った。途中岩をくりぬいた涅槃(ネハン)仏を遠くから眺めることができた。
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その後のんびりラサ川沿いの道路を空港へ向け走った。
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最近空港への幹線道路に橋とトンネルが完成し、ラサ市内と空港との時間が大幅に短縮された。ラサから空港までの所要時間は50分ほどだ。
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トンネルを抜け再び川を渡る。
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ラサの空港に着く前昼食をとることになった。味はなかなか。しかし量が多い。
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ラサの空港は立派な建物が完成していた。今では一日に何十便も発着するにぎやかな空港になっている。
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ラサから北京へは成都経由の直行便で機材A330型機。機内は満席だ。北京までは所要5時間半。
成都で1時間ほどのトランジットがある。
中国国内線の電子チケット。
ラサから北京までの航空運賃は2560元(40960円)。距離の割には安い? -
ラサ空港を離陸。
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成都へ向かう際、眼下には雪山が広がる。
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ラサから成都の間に出た機内食。
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成都でのトランジット。
搭乗券とトランジットカード。ほとんどの乗客はそのまま北京へ向かう。 -
成都空港ターミナル内に怪しいコーヒーショップを見つけた。「上島珈琲」なのだがUCCのロゴはなく、よく見たら「UBC」だった。あからさまな偽物だ。勘弁してもらいたい。日本のUCCコーヒーとは一切関係ないようだ。
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成都から北京へは案外まともな機内食が出た。
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夜10時に北京首都空港に到着した。ターミナルビルには横付けされず遙か彼方でバスに乗せられターミナルビルに運ばれた。到着ロビーではガイドの趙サンの出迎えを受ける。
空港からホテルに向かう際、天心の専門店で夕食を食べることになった。結構人気店らしく北京の中流の若者でにぎわっている。さっき機内食を食べているのであまり腹は減っていなかったが、量はそれほど多くなく、満足のいく内容だった。それにしてもラサから北京に戻ってくると東京に戻ったような気分になってしまう。
その後ホテルへ案内された。北京で滞在するホテルは前門建国飯店。規模の大きい中級ホテルだ。ラサのホテルに比べ設備はかなり充実している。でも遅いのですぐに就寝。 -
宿泊した前門建國飯店。
昨夜到着が遅かったのと北京で行きたい場所がないという理由から8時過ぎまで寝てしまった。とりあえず朝食をとりに食堂へ下りた。チェックアウトをすませたあと荷物をベルボーイに預け外へ出ることにした。
とりあえず地下鉄の駅に行こうと思ったが歩くと結構ありそうなのでバスに乗ることにした。 -
地下鉄和平門駅には簡単に来ることができた。とりあえずインターネットがしたいということで北京大学周辺へ行くことにした。西直門駅から最新の地下鉄13号線(写真)に乗り換え五道口駅に向かった。
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駅を降りたらそこには意外にも韓国人の街が形成されていた。といっても商店や本屋などの看板が目に付いた程度で規模がどれほどのものかはよくわからない。インターネットカフェの店はすぐに見つかり、1時間ほど情報を集めることにした。
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ネットで北朝鮮政府直営のレストランがあるということでタクシーで向かってみることにした。場所は全く正反対の方向でタクシーに乗ること30分。途中北京オリンピックのメインスタジアムになる鳥の巣をイメージした競技場をの横を通過した。
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やってきたのは朝暘区。周辺には北朝鮮大使館や北朝鮮人経営の商店が存在する。ここまでの代金は45元(720円)。けっこう走ったので運転手に5元の釣り銭をチップとして渡そうとしたら拒否された。まじめな運転手なのか北朝鮮の関係者だと思われ早く降りてくれと思われたのかはわからないが、悪い気はしない。
とにかく目的の店は簡単に見つかった。 -
店内は韓国の高めのレストラン風で落ち着いた雰囲気だ。客は韓国人はもちろん北朝鮮政府関係者も多いとのこと。
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とりあえず冷麺を注文。20元(360円)。料理は見た目も味もかなりレベルが高い。平壌で食べたものと同じだ。さすが北朝鮮が国を挙げて商売しているだけのことはある。
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すぐ近くに北朝鮮大使館があった。
北朝鮮にとって最大の友好国だけあり、立派な建物だ。 -
13時にはホテルに戻らなくてはならない。北朝鮮大使館前からタクシーを拾い、ホテルへ向かった。
途中旧北京駅舎の前を通過。現在はショッピングセンターになっている。 -
ホテルに戻り、荷物を受け取りロビーでガイドの趙さんを待つことにした。趙さんは車が渋滞していたせいで少し遅れてきた。一路空港へ。
北京市周辺はどこへ行っても建設現場だらけだ。
出発の2時間前には北京首都空港に到着した。相変わらず北京の空港は大混雑だ。ターミナル2ができればしばらくの間は混雑が解消されるのかもしれないが、これからますます中国人の飛行機利用が増えるだろう。
空港の手続き関係は人の多さの割にスムーズに対応できている。すんなりゲートへ向かうことができた。
さて問題は今夜関東地方を中心に台風が上陸するということだ。明日の朝から通常通り仕事があるので今日中に東京に戻りたい。
中国系航空会社は今日の東京行きをすでに全便欠航にしている。
大阪行きは何とか通常運行で安心した。しかし大阪から東京に飛べるかは現時点ではまだわからない。でも日本に戻ればあとはどうにでもなるだろう。とりあえず大阪に飛ぶことができそうでよかった。
心配した北京空港の離陸が遅れることもなく、順調に飛行を続け、2時間半で関西空港に到着した。
関西空港から東京羽田行きの出発までは1時間半弱。時間的には全く問題なかった。しかしエスカレーターで国内線のチェックインカウンターに向かったら妙に乗客が少なく閑散としていた。
案の定、今夜の羽田行きは全便欠航とのことだ。がっかりだ。
明日の早朝には東京に戻らなくてはならない。どうしたものか。
とりあえず空港にいても話が進まない。列車で大阪市内へ出ることにした。しかし手持ちの現金は1000円しかない。明日の朝までには東京に戻りたい。クレジットカードの使えるみどりの窓口は長蛇の列。2分後に出発する関空快速に乗りたい。適当に切符を買いホームへ急いだ。
急いでホームに入ったものの関空快速まだ到着しておらずしばらく待つことになった。
けっこう時間がかかったが午後10時過ぎに大阪駅に到着した。しかし切符は中途半端な場所までしかなく改札の駅員に事情を説明したらみどりの窓口で精算してもらうようにと改札を通してくれた。みどりの窓口でクレジットカード精算をすませ、一応今夜の夜行バスの席があるか確認したが満席らしい。仕方なく明日の新幹線の予約を入れることにした。
しかし始発便は満席だが、自由席では早めに駅行けば座れるだろう。明日のため今夜中に新大阪駅に移動することにした。新大阪でどこに泊まるか考えよう。 -
新大阪駅で列車を降り、ふと新幹線の改札方面の出発案内の電光掲示板を見たら東京の文字が見えた。明日の列車なのか近づいて確認したら今日これから出発する予定の列車らしい。出発は20時23分発のひかりで今22時半なので2時間半遅れだ。台風の影響で遅れているらしい。駅員に聞いたらわからないが一応出発の可能性が高いということだ。とりあえずさっき買った切符で改札を通してもらい、列車に乗り込み出発を待つことにした。
結局新幹線は22:55に新大阪を出発した。これはラッキーだ。 -
動き出したら進むのは早く、2:15には東京駅に到着してしまった。もっとゆっくり移動していたかった気分だ。
結局東京駅では別のホームに準備された列車ホテルを利用し、朝5時まで休みことになった。
2時間以上の遅れということで(僕自身は2時間遅れどころは1日早く帰れたのだが)特急料金は払い戻しができ、半額近い金額で東京に戻ってこられた。疲れたが運が悪いのかよいのかわからない。
翌朝も始発から新幹線は運転を見合わせるという情報が入ってきた。新大阪で泊まっていたら午前9時までには東京に戻れないところだった。つかの間の運転再開の時間帯に東京に戻ってこられたのは運がよかった。
翌朝からは通常通り仕事に向かうことができた。
【おわり】
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ateruiさん 2020/12/02 18:38:55
- 北京の昔 素晴らしい
- まさとしさん こんばんは
何時も貴重な写真 ありがとうございます
今回も北京の近代化前の路地の街 フォーテン
じっくり見させていただきました
住人たちが 補償金が 足りてるといいですね
もっともっと路地の風景見たかったですわい
ありがとうございました aterui
- まさとし 国連加盟国全て訪問済さん からの返信 2020/12/03 19:43:33
- RE: 北京の昔 素晴らしい
- aterui様
コメントありがとうございます。
中国の開発の流れは速く、全くついていけません。行けるときに行っていたのは結果的によかったように思います。
> まさとしさん こんばんは
>
> 何時も貴重な写真 ありがとうございます
>
> 今回も北京の近代化前の路地の街 フォーテン
> じっくり見させていただきました
> 住人たちが 補償金が 足りてるといいですね
>
> もっともっと路地の風景見たかったですわい
>
> ありがとうございました aterui
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旅行記グループ 2007年 チベットへ鉄道で(青蔵鉄道)北京~ラサ
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