2018/06/09 - 2018/06/09
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frau.himmelさん
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昨夜はボーデン湖から帰り着いたのが遅かったので、今朝はゆっくりいたします。
今日の予定はニンフェンブルク宮殿とノイエピナコテーク、それに夜はホーフブロイハウスと、かなり緩いスケジュールです。それなのにまたまたアクシデントが発生して、予定変更を迫られる場面が。
まあシニアの旅にはよくあることです。
ところでニンフェンブルク宮殿は、妖精の城という乙女チックな名前のヴィッテルスバッハ家の夏の離宮です。
ここは歴代のバイエルン選帝侯バイエルン皇帝、その妃たちの思い出が詰まっている宮殿です。
また例によって似たような君主の名前の連続、私の頭は大パニック!
ベルリンのホーエンツォレルン家でもさんざん悩まされましたが、ここヴィッテルスバッハ家も負けてはいません。
私の覚え書きとして、歴代の君主にナンバーを付けて整理し、文中にもそれを書き込みました。
下記参照。
______________
☆バイエルン選帝侯
在位 妃
①マクシミリアン1世 1623-1651
②フェルディナント・マリア 1651-1679 ②a アデライデ・エンリエッテ
③マクシミリアン2世エマヌエル 1679-1726 ③a テレーゼ・クニグンデ
④カール1世アルブレヒト 1726-1745 ④a マリア・アマーリエ
⑤マクシミリアン3世ヨーゼフ 1745-1777 ⑤a マリア・アンナ・ゾフィア
⑥カール・テオドール 1777-1799 ⑥a エリーザベト・アウグステ・ ⑥b マリア・レオポルディーネ
⑦マクシミリアン4世ヨーゼフ 1799-1806 ⑦a アウグステ・ヴィルヘルミーネ、 ⑦b カロリーネ・フォン・バーデン
☆バイエルン国王
⑦マクシミリアン1世(同上) 1805-1825 (同上)
⑧ルートヴィッヒ1世 1825-1848 ⑧a テレーゼ・フォン・ザクセン
⑨マクシミリアン2世 1848-1864 ⑨a マリーフォン・プロイセン
⑩ルートヴィヒ2世 1864-1886
以下 オットー1世、ルートヴィヒ3世と続くが省略
*文中ではマクシミリアムを省略してマックスと呼んでいます。
-
6月9日。
昨夜はコンスタンツからの列車が遅れてミュンヘン着が遅くなったので、今朝はゆっくり朝食をとってゆっくり出かけます。
今日の予定は、まずニンフェンブルク城に行き、その後ノイエピナコテークで絵画鑑賞をし、夜はホーフブロイへ繰り出そう!という緩い計画になっています。
まずはミュンヘン中央駅から始まります。
ホテルが近くてほんとに助かります。 -
駅前のトラム乗り場から17番に乗ってニンフェンブルク城へ参ります。
チケットは市内1日乗り放題のターゲスカルテ、一人6.7ユーロです。 -
シュロス・ニンフェンブルクで下車して、みんなの後に着いていきます。みんな目的はいっしょですから。
今回のシニア3人旅、いろんな都市で宮殿やお城をいくつも見学しました。さすがにこのニンフェンブルク宮殿が今回の見納めですね。 -
程なく、お堀の向こうに左右対称の美しい宮殿が見えてきました。
「ニンフェンブルク」とは妖精の城という意味、ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮です。 -
ニンフェンブルク宮殿
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1664年に建てられたバロック様式の本館の入り口には大勢の観光客。
ミュンヘン市内から近いこともあり、大変人気があるお城なのです。 -
入り口で入場券を購入、シニア割引で(だったと思います)5ユーロ。
ついでに日本語の小冊子を購入しました。
これが今回の旅行記作成に大変役立ってくれました。 -
足を一歩踏み入れるなり、豪華絢爛なロココ調に飾られた室内が目に飛び込んできました(部屋番1)。
ここは大理石の大広間、シュタイナーザール。
祝祭広間として使われました。 -
特に豪華な天井のフレスコ画、花の女神フローラに仕える妖精(ニンフ)たちを描いた「女王フローラに敬意を表するニンフ」。
世界遺産のヴィース教会の天井画も手掛けたヨハン・バプティスト・ツィンマーマンの制作です。 -
ところでフローラはどこに?
何も考えないで撮った天井画、180度回転したら見つけました。
中央にいるのが花の女神フローラですね。 -
天井からは煌びやかなシャンデリアが下がり、黄金で縁取られた彫像や装飾模様、巨匠ツィンマーマンによるフレスコ画、
見事なロココ調の祝祭ホールです。 -
私の拙いカメラ技術では豪華な祝祭大ホールを一望に見渡すことはできませんので、小冊子よりコピーしました。
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そんな中に物騒なTシャツを着た若者。意味が判ってきているのでしょうか。こんなところで暴動なんて起こさないでくださいね(笑)。
最近ヨーロッパで、漢字やひらかな・カタカナの文字を印刷したシャツを目にします。 -
資料よりコピーした見取り図。
宮殿は祝祭大ホール(部屋番1)を挟んで北側と南側に分かれています。
北側はバイエルン選帝侯(後の皇帝も)の住居、南側は選帝侯妃と王妃の住居などがあります。 -
私たちはまず北側から見て参ります。
部屋番2,3,4~と見学します。 -
控えの部屋(部屋番2)。
バイエルン選帝侯マックス(マクシミリアン)・エマヌエル(③)の肖像画。
マックス・エマヌエル(166-1726)は、バイエルン選帝侯のフレディナント・マリア(②)とイタリアのピーモント・サヴォイ家からお輿入れした母、ヘンリエッテ・アデライデ(②a)(1636-1676)の長男として生まれました。
ニンフェンブルク宮殿は、後継ぎとしてマックス・エマヌエルが誕生したことへの、選帝侯から妃へのプレゼントでした。 -
マックス・エマヌエルの2度目の妃テレーゼ・クニグンデ・フォン・ポーレン(③a)。
彼女は31歳の時には既に10人もの子供に恵まれていました。 -
赤いコブラン織の間(部屋番3)
豪華なコブラン織の控えの間にはマックス・エマヌエルの子供たち。
この絵は長男マックス・ヨーゼス3世(⑤)が従者たちと共に狩りを楽しんでいるところ。 -
小さい額は彼の兄妹たち。
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豪華な家具。
テーブルはイタリアのメディチ家由来のものだとか。
それに寄木細工のキャビネット。 -
寝室(部屋番4)。
ゲスト用の寝室として使われていました。壁は薄いクリーム色のシルク素材。
大きな絵は、マックス・ヨーゼフ3世(⑤)が家族や友人たちと共に、音楽やカード遊びに興じているところ。彼はマックス・エマヌエル(③)の孫になります。
絶対君主主義だった祖父と異なり、マックス・ヨーゼフ3世は家庭的な人物で、国民に愛され尊敬されていました。 -
絵の一部分。
中央はマックス・ヨーゼフ3世、右前面の女性は彼の姉マリア・アントーニア(1724-1780)ザクセン選帝侯妃、彼の左は姪で子供のころのマリア・アマリア。 -
壁の女性像は、マックス・エマヌエルの時代のもの。
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鮮やかな天井画は、雲の上の貝の船に乗っている海の女神「テティス」。
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北側のキャビネット(部屋番5)。
落ち着いた小さな部屋です。
1764年にロココ様式で改装されました。
壁の絵は、マックス3世ヨーゼフの姉マリア・アントニアとその家族。 -
細かい漆喰細工の天井。
ここは珍しく妖精(ニンフ)ではありません。 -
北側通路ギャラリー(部屋番9)。
通路にそった3室(部屋番⑥・⑦・⑧)に出入りできます。
この3室はマックス・エマヌエルの住居でしたが、後に選帝侯カール・テオドール(⑥)により増築されました。
壁にはニンフェンブルク宮殿の絵がいろいろ飾られています。 -
マックス・エマヌエルの美人画ギャラリー(部屋番6)。
フランスのルイ14世(太陽王)に仕えた宮廷の女官たちの5名の肖像画。 -
フランスの画家ピエール・ゴベール(1662-1744)により1715年ごろ描かれました。
-
紋章の部屋(部屋番7)
紋章の部屋のはずですが肝心な紋章はどこに?
大理石の胸像はカール・テオドール選帝侯(⑥)をギリシャ神話の英雄ヘラクレスに見立てて造られたものだそう。
そう言えば顔が似ている・・。
次室のカール・テオドールと見比べてください。 -
カール・テオドールの住居(部屋番8)。
前代バイエルン選帝侯マックス3世ヨーゼフ(⑤)には世継ぎがなかったので、遠縁にあたるプファルツ選帝侯のカール・テオドール(1724-1799)(⑥)がバイエルン選帝侯の継承者となりました。
カール・テオドールはハイデルベルクのカール・テオドール橋などに名を残しています。
写真は聖ゲオルク騎士修道会会長の衣装をつけているカール・テオドール。 -
カール・テオドールの最初の妃エリザベート・アウグスタ(1721-1794)(⑥a。
結婚20年目にしてようやく長男を出産するものの1日で死去。
それ以降二人の中は悪く、長年別居していました。 -
カール・テオドールの2度目の妻マリア・レオポルディネ(⑥b:1776-1848)。
マリア・テレジアの孫にあたります。
子宝に恵まれなかったカール・テオドールが70歳の時に、18歳で結婚しますが、彼女は夫を拒否、結局カール・テオドールは後継ぎには恵まれませんでした。
しかし彼女は事業の才能はあったようで、農園や醸造所で成功を収め多くの財産を作りました。 -
宮殿南側に移動します。。
当時公式的には、宮殿の北側は選帝侯の、南側は選帝侯妃と後の王妃の住居と決められていました。 -
控えの間(部屋番10)
カール1世アルブレヒト(④)(1697-1745)。
マックス・エマヌエル(③)の息子。
後に神聖ローマ帝国のローマ皇帝に即位する。ローマ皇帝としての名はカール7世。
ヴィッテルスバッハ家からローマ皇帝の即位は初めてのこと。
カール7世の右手には皇帝の象徴である王冠、宝珠、王笏が描かれています。また肖像画の下には王冠を被った双頭の鷲の大きな紋章も。 -
カール・アルブレヒトの妃マリア・アマーリエ・フォン・エスタライヒ④a(1701-176)、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の娘。
二人の間には7人の子供が生まれた。 -
天井のフレスコ画は水の妖精(ニンフ)。
主な部屋の天井画はニンフです。ここがニンフェンブルクだということを強調しています。 -
赤いダマスク織の部屋は謁見の間(部屋番11)。
やっとこの宮殿の創始者の二人が登場しました。
左側の二人はフェルディナント・マリア(②)と妃ヘンリエッテ・アデライデ(②a)。
この宮殿は、選帝侯マリアから世継ぎのマックス・エマヌエル(③)の誕生を記念して妻アデライデに贈られたもの。
隣の子供たちはマックス・エマヌエルと姉のマリア・アンナ。 -
トリノのサヴォイ家から輿入れしてきたヘンリエッテはイタリアから第一線で活躍している芸術家を呼びよせ、イタリアのルネッサンス様式の夏の離宮を造らせました。
彼女はバイエルンに初めてイタリア・オペラを紹介した人でもありました。
宮殿はその後、息子のマックス・エマヌエール(③)によって拡張されました。 -
次の部屋は寝室(部屋番12)。
豪華なグリーンのダマスク織の壁、それにもまして豪華な銀糸刺繍の天蓋つきベッド。
両脇にはマックス・エマヌエル(③)とポーランド王室から輿入れしたテレーゼ・クニグンデ(③a)。 -
天井にはここにもニンフ(妖精)。
花の神フローラです。 -
次は中国風漆の小部屋(部屋番13)。
ヨーロッパの王侯貴族の間で流行したシノワズリ(中国趣味)。 -
エキゾチックな中国の風景・風俗が漆絵で描かれています。
-
ニンフェンブルク宮殿で最も有名な部屋はここではないでしょうか。
ルート-ヴィッヒ1世(⑧)の美人画ギャラリー(部屋番15) -
本当に全員見惚れてしまうほどの美人揃いです。
-
ルートヴィッヒ1世が愛した美人たち36名、圧巻です。
王は、あらゆる階級の美しい女性をロマン主義の画家ヨーゼフ・シュティラーに描かせました。 -
こんな美人たちに取り囲まれた幸せな王さまって?
この方ルートヴィッヒ1世(⑧)。
私は最初勘違いしていました。この美人36名は王の愛人たちだと。
違ったのですね(そりゃーそうですね)。
中にはルートヴィッヒ1世の娘や妹、それに息子の嫁もいますから。
気になった女性を個別に見て参ります。 -
マリアンナ・フロレンツィ。イタリア・ラヴェンナ出身。
哲学書を翻訳するなど聡明な女性。長年にわたりルートヴィッヒ1世の愛人であり親友でした。心を許した王は、政治的なことまで彼女にアドヴァイスを求めました。
二人の間に3000通の往復書簡が残っているということです。 -
ヘレーネ・セドゥルマイヤー。
まだあどけない顔、美しいというより可愛いと言った方がいいかも。
靴職人の娘。ミュンヘンでおもちゃ屋の使用人として働いていた時、宮殿へおもちゃを届けに行き、そこでルートヴィッヒ1世に見初められ美人画のモデルになったそうです。
「ミュンヘンの美」と言われています。 -
マリー・フォン・プロイセン。
美しいですね。
ルートヴィヒ1世の息子マクシミリアン2世(⑨)の妃。
ノイシュヴァンシュタイン城を建築したあの狂王ルートヴィヒ2世(⑩)の母です。
のちほどルートヴィヒ2世が生誕した部屋を見学します。 -
上:アレクサンドラ・アマリエ・フォン・バイエルン。
ルートヴィヒ1世の娘。
下:ゾフィー・フォン・バイエルン。
ルートヴィヒ1世の妹。
オーストリア皇帝のフランフ・ヨーゼフ1世の母親で、皇妃エリザベートをいじめた(笑)お姑さんです。 -
ジェーン・ディグビー
英国の貴族。恋多き女性。その中の一人がルートヴィヒ1世だった。
ミュンヘンでルートヴィヒ1世と並行してフェニゲン男爵とも関係を持ち、結婚して子供をもうけますが、その後も彼女の恋の遍歴は続きます。ギリシャの伯爵が新しい恋人になった時は、フェニンゲン男爵は彼に決闘を挑み、負傷します。
その後、男爵とジェーン・ディグビーは離婚しましたが、一生友人として親交があったそうです。 -
カタリナ・ボッツァリス。
ギリシャの英雄の娘で、アマリア女王の女官でした。
女王に随行してヨーロッパの王室を訪問したおり、ルートヴィッヒ1世の目に留まります。
彼女の美貌と共に、英雄の娘であることも、国王に注目される要因だったのでしょうね。
彼女だけ他の美女とは違う服装ですね。当時の女性記者か何かと思いました。 -
最後はやはりこの女性でしょう。
踊り子ローラ・モンテス。
彼女にのめりこんだルートヴィヒ1世が国王の退位を余儀なくされた魔性の女。
元々富裕な男性の間を渡り歩き、ローラを巡る決闘がもとでパリにいられなくなり、ミュンヘンへ。そこでルートヴィヒ1世に見初められる。
しかし王とローラとのスキャンダル(一説には彼女のために公爵夫人という特別待遇をしたとか、莫大な年金を受け取るようにしたとか)、国民が怒り暴動に発展、王は退位せざるを得なくなったそう。
ミュンヘンを追われたローラは、相変わらず男性を渡り歩き、落ちぶれて、若くして病死したそうです。 -
王妃の控室(部屋番19)。
初代バイエルン王ママクシミリアン1世(⑦)の2番目の妃カロリーネ・フォン・バーデン(1776-1841)以降の王妃が使用しました。 -
美しいブルーの壁、同色の壁に沿って置いてある椅子。
この控室はブルーサロンと呼ばれています(19)。
家具はパリで製作されました。
当時ナポレオンと同盟を結んでいたバイエルン王国がナポレオンに忖度したのでしょうか。
椅子の脚はフランスの王侯貴族で流行したネコ脚(獣脚)です。(○印) -
壁の肖像画は、夫の初代バイエルン王マクシミリアン1世(マックス1世)でしょうか?
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その隣は王妃の寝室(部屋番20)。
あのルート-ヴィヒ2世が誕生した部屋として有名です。
初代バイエルン国王妃カロリーネが、こだわりを持って室内を飾りました。家具はミュンヘンで作られたマホガニーの豪華なもの。そして私物を置いて部屋をプライベート空間ということを強調していました。 -
中央の天蓋付きのベッドは昼間は同色のグリーンのカバーが降ろされて、すっきりとしていました。
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グリーンでまとめられた豪華な室内。
テーブルの上には家族の肖像画が描かれた磁器セット。
1842年皇太子だったマクシミリアン2世(⑨)とその妻マリー・フォン・プロイセン(⑨a)がここに居住。
1845年8月25日にここでノイシュヴァンシュタイン城を築いたルートヴィヒ2世(⑩)が誕生するのです。 -
ちょっと見難いですが、ルートヴィヒ2世とオットー1世の兄弟を抱いたマリー・フォン・プロイセン。ルートヴィヒ1世の美人画ギャラリーに彼女の絵がありました。
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部屋のキャビネットの上にはルートヴィッヒ2世とその弟オットー1世の胸像が飾られています。
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部屋に飾られた豪華な品々。
双頭の鷲の紋章の横には壺が。伊万里焼きでしょうか。 -
宮殿見学を終えて出てきました。
空は青い!いいお天気です。 -
きれいに手入れされた庭園の中には、ギリシャ神話の神々の像が規則正しく飾られています。
-
ニンフェンブルク宮殿の敷地内には、馬車博物館やいくつもの小宮殿が見学可能で開放されているのです。
みなさんそちらの方に向かっているのですね。 -
こんなに広いのです。私たちが見学したのはほんの序の口だけ。
体調がまだ本調子でない私は、「この近くのベンチで座って待っていますから、見学してきてください」ってお二人に言いましたが、私に気遣って「いいよ、いいよ」と。
私がお二人の足を引っ張っていますね。 -
お花畑に遊んでいるアヒルたち。
虫でも啄んでいるのでしょうか。 -
では、ブラブラとトラムの停留所に向かいますか。
結婚式を挙げたカップルを祝福して・・・。 -
宮殿があんな遠くに。
完全に見学できなくてちょっと心残りですが、トラムに乗ります。 -
さて、次はノイエピナコテークです。
まず17番でカールスプラッツまで行き27番に乗り換えて・・・と。
カールスプラッツまで来たら、何やら民族衣装の人が集まって、楽しそうな雰囲気。 -
そのうちペアになって踊り出した。
思いがけないハプニングに大喜びのシニアたち、パシャパシャ写真を撮ります。 -
私とI女史、イケメンの若者をつかまえて、「写真撮っていい?」。
もちろんOK。
二人を撮ったり、私たちも一緒に入ったりしているうちに、あれぇ~K氏の姿が見えない。
近くをアチコチ捜すけど見つからない。 -
「こういうときは闇雲に動かない方がいいわね、himmelさんここで待ってて、私ちょっと探してくるわ!」とI女史。
しば~らく経って帰ってきたI女史、
「大通りの向こう側でK氏の姿を見て手を振ったらわかったみたい。この辺でもう少し待ってみましょう」と。 -
こういう時、海外でスマホを使えないシニアは悲惨ですね。
20、30分も待ったでしょうか。K氏の姿は依然として見えない。
ホテルに帰ったかもね。ホテルで待っていましょう。
連絡が付かない場合のシニア3人の取り決めがあります。
移動の途中の街歩きで迷子になったら駅で待つこと。ホテルが決まっている場合はホテルで待つこと。 -
幸いホテルは歩いて帰れる距離。
ホテルに帰ってフロントに訊ねたら、まだ202号の鍵は預かったままですと。
では仲間が帰ってきたらこれを渡してと急いでメモを書く。
『Kさま いったんホテルへ帰ってきました。帰られましたら部屋をノックしてください。I女史、Himmel」 -
その頃K氏は。
ノイエピナコテーク行のトラムの停留所を探しに行ったそうです。
すぐ見つかると思ったけどなかなか見つからない。そのうち道が判らなくなった。
親切な人が「あそこであなたの仲間が手を振っているよ」と教えてくれたけど、かなり距離があるし声は届かないし。
ともかく姿が見えたほうに行ったけど、とうとう見失ってしまった、と。 -
私は、お部屋に帰ってちょっと横になったり、洗濯をしたりしているうちに5時半になった。
I女史の部屋に電話をして、「このままではK氏がいつかえってくるか判らないし、食事にも行けない。もう一度メモを残して私たちだけでかけましょうか。」と。
そしてK氏にもう一度手紙を書いた。
『Kさま お部屋で1時間半待ちましたが、お帰りではないようなので、食事に出かけます。予定していたホーフブロイは探しづらいと思いますので市庁舎下の「ラーツケラー」(前にも行ったことがあります)に行きます。
6時半ごろにはいると思いますので、そちらに来てください。
Sバーンで2つ目、マリエンプラッツ駅下車。地上の市庁舎右側、地下です。I女史、Himmel』 -
6時ごろ、私の部屋をノックする音。I女史だわ。
扉を開けるとそこにはK氏の姿も。
ビックリしている私にI女史曰く。
出かける前に念のためにK氏の部屋をノックしたら帰っていたのだそう。
K氏は、フロントから鍵と一緒に渡されたメモを何だろうと思いながらも気にせず見なかったとのこと。
K氏も1時間以上前に帰ってお部屋で洗濯をしていたとのことでした。 -
あ~~、でも良かった。
これで予定通りホーフブロイハウスに行けます。
3人で2年前にも訪れたホーフブロイです。時間的なものもあり超満員。 -
しかし簡単に諦める私たちではございません。
空いていそうなところは片っ端から「ここ、いいですか?」と聞いて回り、なんとまぁ~、ブラスバンドのすぐ近くの席に座らせていただきました。
同席の皆さん、ありがとうございました。 -
私たち運がいいのです。2年ぶりのホーフブロイハウス。
前回も混んでいたけど親切なシニアに、あのシュタムティッシュ(常連席)に呼んでいただいて座ることができました。 -
そのうち、賑やかなブラスバンドも始まり・・・。
-
私たちの前にもビールが運ばれ・・・、ホーフブロイに来たら定番のシュヴァネハクセとヴァイスブルスト(白ソーセージ)も運ばれ・・・。
-
同じテーブル同志、合図があると乾杯の歌を歌い、グラスを合わせる。
♫ アイン・プロジット・アイン・プロジット・ゲミュートリヒカイト♪
アインス! ツヴァイ! ドライ! プロースト!!(乾杯!)
楽しい時間は過ぎていきます。 -
迷子になる(どちらが迷子だったのか??)というアクシデントのお蔭で、ノイエピナコテークには行けなかったけど、今回もホーフブロイハウスでは楽しむことができたし・・・。
-
旧市庁舎の時計が8時を指しています。
もうこんな時間なのにまだ明るいドイツの夜。
マリエン広場には大勢の人々。私たちもほろ酔い気分でそぞろ歩き。 -
新市庁舎。
この街はこれからもっと賑やかになるのでしょうね。
さあ~~、私たちシニアはホテルに帰って早く寝ます。
明日はツークシュピッツェに行きますので、朝が早いのです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- salsaladyさん 2020/10/24 01:12:02
- ニンフェンブルク~妖精の様な~
- ☆ブルクって~みたいな~って形容ですかしら?
☆いつも高尚な美術鑑賞の旅を経験されて、気持ちも中世に有り?
☆お笑いですが、salsaladyが漸くちっぽけな旅を公開為ました。笑って~
- frau.himmelさん からの返信 2020/10/26 21:18:53
- RE: ニンフェンブルク?妖精の様な?
- salsaさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
> ☆ブルクって?みたいな?って形容ですかしら?
ブルクってお城という意味です。ニンフェンブルク、そのものずばり 妖精の城。
しかしそもそも妖精って何?ですよね。
日本では「天女」のことかしら。
でも、あの城に飾ってあった美人画の国王の愛人たち、妖精って呼ぶにはあまりにも妖精さんに失礼ですね。
考えすぎて判らなくなった私です。
himmel
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