2020/10/10 - 2020/10/11
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nichiさん
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七沢温泉の盛楽苑をチェックアウトし、七沢観音寺から林道を抜けて伊勢原の日向地区に行ってみることにしました。
そもそも今まで、厚木や伊勢原は通過点で、ちゃんと訪れるのは初めて。
両方とも江戸時代には大山詣りで賑わったエリアで、それぞれに歴史がありました。
伊勢原の日向地区は、源頼朝のゆかりのあるエリアで、大山詣りで賑わった頃は、門前町として発達したようです。
そのいくつかを家内と車で巡ってみました。
神奈川県内で、それも横浜からこんなに近い所に、こんな場所があったなんて驚きでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
盛楽苑をチェックアウト後、七沢観音寺に向かいます。
途中、旅館福松、福元館、元湯玉川館 と七沢温泉の老舗旅館の前を通りました。 -
車で5分もかからず七沢観音寺に到着。
ココに七沢城についての説明書きがありました。 -
思わず熟読。
室町中頃のお話です。
つまり戦国時代よりは少し前のお話ですね。
1,450年、関東管領・山内上杉と鎌倉公方・足利成氏との争いである「 享徳の乱」が起きました。
足利成氏はいったん江の島に逃れました。
その直後の湘南の七里ガ浜の戦いで再び対戦。
上杉憲忠はココ厚木の七沢に要塞を構えました。
これが七沢城の始まりのようです。
1,488年、上杉内で争いが起こりました。
山内上杉と扇谷上杉の争いです。
当時の七沢城は、扇谷上杉の城。
山内上杉顕定が七沢城を襲来します。
この時、扇谷上杉定正が川越から駆け付け、少数の兵で山内上杉を打ち破ります。
これが実蒔原の戦いです。
日本史で受験した方は記憶にあるかもしれないですね。
扇谷上杉定正の名前でピンと来たらかなりの歴史好きです。
「南総里見八犬伝」の扇谷定正のことです。
扇谷定正といえば関東管領として八犬伝の敵役の代表格ですね。 -
七沢城の画
今では遺構は何も残っていません。
現在AOI七沢リハビリテーション病院があるあたりに七沢城はあったようです。
この病院は、昨夕にお世話になった宿の部屋から正面少し見上げた山の中腹にありました。
その山がこの画の山なんですね。 -
七沢観音寺に到着。
村中寺観音寺 -
こんな階段を上がっていきます。
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このお寺、至る所にニワトリが放し飼いになっています。
住職が保護したニワトリらしいのです。 -
本堂です。
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馬頭観音を拝見することはできませんでした。
馬頭観音が祀られているのは、七沢城主上杉定正の愛馬「月影」を供養したことによると伝えられています。
先ほど七沢城についての説明文を読んできたばかりだったので、これにはビックリ! -
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本堂の隣のこちらの御堂には、
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大仏様
ご挨拶 -
墓地の高い所に観音様。
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階段で上まで上がってみました。
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奥深い森の中のお寺であることが判ります。
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さあさらに林道を奥に進んで、伊勢原の日向薬師に向かいます。
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林道を走る途中、薬師林道展望台 と言う所に出ました。
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車を停めて夫婦で登ってみます。
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緑の向こうに厚木の街が見えます。
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望遠で。
高層の建物は、東名厚木インターにあるビルですね。 -
左に目をやると、なんと横浜のランドマークタワーが見えるではありませんか。
自宅からすぐの所にある超高層ビルです。 -
林道を進みます。
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突然現れた「日向薬師」の看板。
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これから廻ろうと思っている日向の名所旧跡。
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さあ日向薬師へ。
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鎖が、、、、
今日はクローズ??
昨日が台風だったからかな~?
716年、東大寺の大仏建立で知られる僧・行基が開いたとされる日本三大薬師の一つ。
鎌倉時代、源頼朝や夫人の政子が信仰し、度々参拝していたようです。
茅葺屋根のの本堂は鎌倉時代の部材を再利用しながら江戸時代に建立され、2,016年に大改修を終えた建物です。
見たかったな~~
入れず残念。。。
浄発願寺に向けて車を走らせます。 -
奥深い山道を走っていると、いきなり三重塔が現れました。
これには驚き! -
浄発願寺に到着。
「浄発願寺」をググっていた家内が、
「このお寺の墓地、半沢直樹のロケに使われたみたい。」
えっ?
本当?
東京中央銀行 元副頭取. 牧野治のお墓がこのお寺にある設定で、東京中央銀 頭取中野渡謙(北大路欣也)が牧野元副頭取の墓参りに来ていたシーンでココがロケ現場になったようです。
旧東京第一銀行時代に行われていた不正融資の事実を隠すため、全ての責任を負い、自ら命を絶った牧野元副頭取。
半沢直樹、面白かったな~~
ちなみに私達因みに夫婦は、池井戸潤の大ファンです。 -
駐車場に車を停めてお詣りします。
1,608年、木食遊行の僧・弾誓上人によって開山されました。
徳川家康は深く弾誓上人に帰依し、浄発願寺領として一ノ沢の土地 16 万 5 千坪を寄進しました。
そのほか、尾張徳川家や佐竹氏、藤堂氏といった大名家からも厚い信仰を受けました。 -
橋を渡ります。
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橋の下に流れるのは日向川。
この先、厚木市に入ってから多摩川と合流し、次に相模川と合流し、相模湾に流れていきます。 -
奥深い山の中のお寺であることが判ります。
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お詣り
入ってすぐ左にあったこのお像は?
江戸時代、浄発願寺はまたの名を「駆け込み寺」といい、殺人と放火以外の犯人はこの寺に逃げ込めば助けられたといいます。
この像は、宝暦 5(1755)年に江戸浅草の人々の発願によって鋳造された丈六の銅像地蔵菩薩坐像です。 -
このお寺のシンボルとなっている三重塔。
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本堂です。
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浄発願寺をあとにして、浄発願寺の奥之院に行って見ることにしました。
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浄発願寺に向かう途中、道路上にこんな看板がありました。
大友皇子のお墓???
何でこんな所に?
車を停めて、夫婦でチラッと見に行きました。 -
大友皇子は天智天皇の長男。
天智天皇を補佐し、弘文天皇となりましたが、壬申の乱で叔父の大海人皇子(天武天皇)に敗れて25歳で自害。
と言うのが歴史の定説だと思います。
つまり、近江あたりで起こっていた話で、何でまたここに大友皇子の墓?
遠く東の伊勢原まで来て自害したの? -
ググり続けて判りました。
あくまで言い伝えだそうですが、、、
大友皇子は百済の若者を身代わりに自害したと偽り、本人はこの伊勢原の日向に逃れ、静かに生涯を閉じたとか。。。
で、その皇子のために開基したお寺が石雲寺とのこと。
ふ~~ん。
本当かいな?
日本・百済の連合軍が新羅・唐の連合軍に敗れ、多くの百済の人たちは日本に逃げてきました。
よって百済の方々は天智天皇にかなりの恩義を感じていたはずだから、大友皇子を匿ってここまで逃げ延びた可能性はあります。
お墓に着いた。 -
本物は石雲寺にお移設して、ココにあるのはレプリカとのこと。
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大友皇子のお墓のレプリカです。
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では、その石雲寺に向かいます。
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石雲寺に着きました。
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718年に開創。
諸国行脚の華厳妙瑞法師と言う方が、大友皇子の冥福を祈り建立したと言うお寺。
大友皇子伝説だ~~~ -
ここに移設された大友皇子のお墓。
これはレプリカではありません。 -
石造五層塔です。
大友皇子と言えば672年の壬申の乱の頃。
7世紀ですよね~~
本当かな~~? -
伊勢原市指定の文化財に指定されています。
令和2年にココに移設されたんですね。
これは最近のお話。 -
石雲寺の本堂です。
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山号は「雨降山」。
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おっ!
魚梆 -
そうそう。
これ、知ってました。
随分前に、京都のお寺にイギリスの方をお連れしたとき、説明するのに凄く苦労していたら、そのお寺の僧侶の方が英語が堪能で、凄く判りやすく丁寧に説明してくださったので印象が深いです。
でも、今、英語で説明しろと言われるとかなり苦労します。 -
借景は豊かな緑です。
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さあ浄発願寺奥之院を目指してさらに山奥に車を進めます。
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途中、渓流の釣り場を通り過ぎ、奥之院の入口に着きました。
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この先の日向川を渡った先です。
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奥之院は浄発願寺の旧跡です。
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閻魔堂があった所です。
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ここにあった閻魔堂は、大正12年(1,923年)の関東大震災後の山津波で流出したようです。
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宝篋印塔
元禄5年(1,692年)に名古屋城主徳川綱誠の正室宝珠院を弔うために建立された。
大正12年(1,923年)に関東大震災後の山津波で流出しましたが、昭和5年(1,930年)に再建されました。 -
この奥の奥には弾誓修行の岩窟があるとのことですが、そこまでは行かず。
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ここに山門があったようです。
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浄発願寺をあとにします。
山を降ります。 -
日陰道の入口まで降りて来ました。
日陰道とは、源頼朝が娘の病気が治るのを願い、日向薬師へ参拝する際に、家臣が通ったと言う古道です。
大山参りの昔のルートでもあったようです。 -
この橋を渡る所から日向道です。
日向道は橋の先を左に延びています。 -
橋の名前は神明橋。
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さらに道を下っている途中の景色。
田んぼでは稲刈りが終わった所。
遠くに見えるのは、 -
横浜のみなとみらいです。
わが家の方ですね。 -
さらに降りてきたら道端に庚申塚。
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そこにこんな表示。
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享保2年建立。
享保とは徳川吉宗の頃ですね。
右は薬師道 つまり日向薬師に向かう参道。
左は大山道 つまり大山参りの道です。 -
これが大山に向かう道です。
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日向神社です。
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日向神社は8世紀に日向薬師を開いた行基に協力を惜しまなかった渡来人、高麗王若光を讃えて創建され、長い間白髭神社として知られていました。
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お詣り~~
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参道の柿。
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近くには日向薬師の駐車場。
ココから歩いて登るんですね。
ココにトイレがあり夫婦共にお借りしました。 -
さらに山を下り、
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諏訪神社へ。
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全国各地にある諏訪神社ですね。
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ココの諏訪神社はいつからあるんだろう?
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諏訪神社の前の道は、源頼朝の一行が日向薬師詣りの為に通ったことから、「お通り坂」と呼ばれています。
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「お通り坂」の下の方。
この先の左側で、農家から無農薬野菜を購入しました。 -
ドンドン山を降りて来ました。
日向エリア最後の見所。
鎧塚古墳です。 -
7世紀前後の円墳です。
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明治14年、道路の拡幅工事を行っていた時、石室から直刀が見つかりました。
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室町時代、上杉同志の戦いであった扇谷上杉と山内上杉の戦死者を祀った塚と言われています。
1,988年の市道の拡張工事に伴い発掘調査が行われましたが、盗掘により大半が失われていました。 -
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この周辺には6つの古墳があったようです。
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これが1号古墳です。
直径21m
高さ3m -
今は畑になっているこの辺りにも古墳の跡があったようです。
伊勢原の日向岡をあとにし、横浜に帰りました。
ココから自宅まで車で40分でした。
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