2002/09/18 - 2002/09/19
242位(同エリア244件中)
まさとしさん
フィジーから帰国の途へ。
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フィジーに到着。僕はとりあえず両替をすませ、宿を探さなくてはならない。空港の職員か宿の客引きか知らないがメラネシア系のおばさんがどこへ行きたいのか聞いてきたので、空港の裏のトラベラーズビーチにあるホテルがいいというとマナローズという宿を紹介してくれた。宿の代理店が空港の2階にあるらしく案内された。
どうも高級リゾートのマナ・アイランドリゾートの関連の宿らしく、事務所ではインド人の女性が眠そうな顔をして出てきた。ここで予約をすませ、支払いも済ませることになった。
部屋はドミトリーでも良かったが、もう帰るだけだしシングルに泊まることにした。一泊50フィジードル(3000円)とちょっと高いがゆっくり眠りたい。空港から宿へはタクシーを使わなくてはならないが、タクシー代は予約した代理店が出してくれた。事実上無料送迎だ。それにしてもインド人とフィジー人は仲良くやっているようなので少しホッとした。南の島で見たインド人はなんか懐かしい気分にさせてくれる。インド人を前にすると気を張ってしまうがこの国のインド人は穏やかで素直で親切だ。せこいことは考えてないのだろう。 -
連れて行かれた宿は高級住宅街の民家で旅行者は僕しかいないようだ。ドミトリーでも良かった、少し失敗。まあいい、とりあえず寝よう。
宿泊した宿。
4時間ぐらい寝て目が覚めた。午前中は天気がいいのだろうか。フルーツ盛りだくさんの朝食を食べビーチへ行ってみた。しかしドロドロで伊豆並みに汚かった。ここはとてもくつろげる浜辺ではなかった。ナンディ湾にきれいな砂浜を求めたのが失敗だった。
でも近くにダイビングショップがあったので明日天気が良ければ潜ってみよう。宿はビーチを優先したため、街に出るのが不便だ。15分ほど歩いたところをバスが通るらしいが、いつ来るかわからない。結局ヒッチハイクでメインロードへ出て、そこを頻繁に通るミニバスで街に向かうのが確実で安い。 -
ヒッチハイクと公共バスを乗り継ぎ、ナンディの中心部へやってきた。
ナンディは予想通り観光客のための街だ。これだけ土産物屋がひしめいているのも珍しい。明日の朝東京行きの便があるためか、街を歩く日本人も多く目につく。しかしどの店も客がいない。メインストリートから一歩離れるとインド人向けの安いカレー屋などがあり、庶民的な雰囲気にホッとさせられる。
市場の横にバスターミナルがあり、ここからどこかへ出かけたい。特に行きたい場所はなかったので首都スバに次ぐフィジー第二の都市であるラウトカへ行こうとバスに乗り込んだ。何があるのか知らないが行くことに意味がある。空港を通り過ぎ、途中ビサヤ諸島の島影やサトウキビ畑を見渡しながらバスは走り続けた。また海とは逆の方向に目をやれば3千メートル以上の山々が連なっている。フィジーにこんな高い山があったとは全然知らなかった。
道路に面してサトウキビ運搬用の線路が平行していて時折交差する。あまり使われてないのかと思っていたが、結構頻繁に走っているようで短時間のうちに2回も列車を見た。やがてラウトカに到着。 -
サトウキビの積出港ということで港はそれなりの港湾設備が整った感じで街もナンディーに比べ、土産物屋がなく庶民的な感じがする。フィジーに来て初めて見た普通の街だ。この街もインド人が多く、インドによくあるインディアン・スイートの店に入ってみた。
ここで甘いお菓子とラッシーを飲みながらくつろぐことにした。店内にはインド音楽、フィジーに来た目的の一つがこの雰囲気を味わうことだった。
ここにいるとフィジーにいる気が全くしない。 -
1時間ほど街を見学して再びナンディーへ戻る事にした。
ナンディのヒンドゥー寺院。 -
ナンディの街から宿へ戻るのは大変だ。ホテルに戻ってしまうともう食べられないので、街中のベーカリーでパンを買ってから戻ることにした。バスでトラベラーズビーチへの分岐点まで行き、そこからヒッチハイクしか方法はない。オーストラリア人の車に乗せてもらいあっさり宿に戻る事が出来た。今夜もこの宿には客がいないようだ。ホームスティをしている感じでそれはそれでよし。バルコニーから見た夕日がきれいだ。昨日あまり眠れなかったので今日は早めに眠ろう。
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フィジー滞在最終日、8時半にダイブショップに行くことになっている。今日の朝食もフルート盛りだくさんだが、食べ過ぎると問題が生じるかもしれない。近所にあるダイビングショップなので徒歩で出向いた。
天気は昨日に続いて最高だ。今回の旅はサモアやトンガでは雨に降られることが多かったが最後の最後で運がめぐってきた。ただ太陽が出ているが気温は30度以下で少し肌寒い。
出発の準備が始まった。
ナンディ各所から参加者がピックアップされ、ダイビングショップに集合した。日本人はいないがイギリス人とアメリカ人たち6人と一緒に出発することになった。ボートに乗ると予想通り寒く、朝食で出たフルーツのせいかトイレに行きたくなってきた。しかしもう我慢するしかない。 -
今日は1ダイブのみだ。一応飛行機に乗る12時間前からダイビングはしてはいけないという決まりがある。どうしてダメなのか理由は詳しくわからないが、守るべき事は守らなくてはならない。そんなわけでギリギリの1ダイブトリップだ。とはいえ僕以外の参加者も午前中2ダイブして同じボートで戻ることになる。
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船で沖合へ。
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久々のダイビングだが、前回沖縄に潜った時のような焦りはない。今回のバディはイギリス人のアンディでダイブ経験は30本とそんなに多いわけではない。ちなみに僕はこれで10本目だ。今回はバランスを崩すこともなくスムーズに水底に沈むことが出来た。深度25メートル。透明度は抜群だ。
早速ウツボが目の前に現れた。珊瑚礁は多彩で小さな魚がたくさん泳いでいる。今回もデジカメを持参したが、被写体となる大きな魚がいないのでシャッターチャンスはあまりなかったが、目の前にはすばらしい世界が広がっている。途中洞窟の中を通り抜けたり、地形的にも大変スリリングで面白い。 -
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他の人が2本目を潜っているとき僕はシュノーケルをすることにした。オーストラリア並みの鮮やかなリーフで小魚がたくさんいる。太陽の光がふんだんに届くのでこちらの方がきれいだ。でも結局大きな魚を見ることはなかった。とにかく今回は海外で一人で潜ることが出来たということに意味がある。とりあえず言葉に関して問題はなかったのでこれからいろいろな場所に潜れそうだ。
ボートの上にて。
午後1時にダイブショップに戻った。紅茶を飲んでログブックに記入して解散だ。今日はもうナンディの街に出る気はないので午後はトラベラーズビーチのレストランで海でも見ながらくつろぐことにした。
しばらくすると今朝のダイビングでバディだったイギリス人のアンディとダイブショップのフィジー人スタッフがレストランに現れた。仕事帰りにここで一杯やっていくのだろうか。しばらく雑談。しかしイギリス人が自分のペースで話をはじめると何を言っとるのかまったくわからん。彼らが帰った後もビーチでボーとし6時前荷物をまとめるために宿へ戻ることにした。しかし宿の人がいない。
今日からオーストラリア人の二人組が同じ宿のドミトリーに泊まってるようだ。結局宿の人には挨拶なしで出発することになってしまった。オーストラリア人の二人と食事をすることになったが、トラベラーズビーチのレストランしか行く場所がない。彼らは今夜、街に出るようなのでその時僕は空港へ行く事にし、タクシーをシェアしようということになった。オーストラリア人の英語はイギリス人よりわかりやすい気がするがこいつらの話題はシモネタばかりだった。まぁそれはそれでいいが。
9時前空港へ向かった。トラベラーズビーチのホテルのおやじがタクシーを呼ぶくらいならその金で送ってやると言ってきたのでホテルの車で空港へ向かうことになった。フィジーのインド人のがめつさか、それともタクシーを呼ぶと時間がかかるからと気を使ってくれたのか。まぁ深く考えないようにしよう。
空港で彼らとはお別れだ。大韓航空はリコンファームをしていないが席はあるか心配だったが問題なかった。
ナンディ空港の免税店は成田より充実していそうなぐらい品数豊富だ。しかもここは雑貨まで免税なのか市中の店より値段が安いモノがある。あわてて土産物を買う必要はなかった。今後の教訓にしよう。2250発。大韓航空はソウルに向かって飛び立った。 -
ソウルには翌朝5:30に到着した。この便にはかなり多くの日本人が乗っていたようで、ソウルから地方都市へと乗り継いでいく。成田行までの待ち時間は3時間。まだ朝早いので免税店は開いてない。エスカレーターを上ったところにあるカフェテリアの横に長めのソファーがあったのでここで横になり出発を待つことにした。
仁川国際空港の大韓航空機。
9:20東京に向けて出発した。東京までは2時間半なのであっという間だ。それと同時に今回の旅行もあっという間に終わってしまった。
たった2週間の旅でたくさんの島に行け、当初の計画より内容も充実していた気がする。
【終わり】
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旅行記グループ 2002年 南太平洋島巡り
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