2001/02/05 - 2001/02/26
1358位(同エリア1748件中)
まさとしさん
エジプトからヨルダンに入りました。滞在中イエメンへ往復しました。
PR
-
エジプトのハルガダからシナイ半島を経て紅海に面したヨルダンの港町、アカバにやってきた。
しかしトラブル発生。パスポートに挟んでおいたクレジットカードを抜き取られてしまった。実は乗船前にパスポートチェックだけかと思っていたらそのまま預けることになり、うっかりパスポートケースの中にはさんだまま渡してしまった。渡してしばらくしてからクレジットカードをはさんでいたことを思い出した。実はヌエバからアカバに向かうフェリーに乗っている間、ずっと気になっていたのだ。
結果、案の定抜き取られていた。悪い奴らはどこにでもいる。すぐに悪用されることはないと思うが、早めに日本に電話をしてクレジット機能を停止してもらわなくてはならず面倒だ。
アカバ港で日本人2人とドイツ人2人と知り合った。彼らはヌエバを2時間遅れで出発したスピードボートで今到着したようだ。ちょうどアカバ到着の時間が重なった。そんなわけで一緒にパスポートを受け取ることになった。
しばらくこの5人で一緒に行動することにした。アカバにいても物価が高い割に何もすることがなさそうなので今夜中にペトラのあるワディムーサに移動することにした。しかし交通機関はない。一台のマイクロバスの運転手が「一人5ディナール(\840)でどうだ」と言ってきた。ちょっと高いんじゃないかと思いもう少し様子を見ることにした。30分待って運転手は「一人4ディナール(\672)でどうだと値段を下げてきた」
とりあえずこの値段で納得し。30人乗りのマイクロバスを5人でチャーターすることになった。運転手の懐には20ディナール(\3360)入るが、けっこう距離はあるので妥当な値段なのかもしれない。
ワディムーサに近づくにつれ寒さが一層厳しくなってきた。ここはもう日本の冬と変わらない。ついさっきまで常夏の地にいたことがウソみたいだ。
それにしても今日1日でハルガダからここワディムーサ(ペトラ)までダイレクトで来られるとは思ってもいなかった。 -
ワディムーサでは安い宿に泊まることができたが、かなり不便な場所にある。中心部の町から数キロ坂を上ったところにある。ペトラまでは朝だけ無料でピックアップしてくれるらしいが、気軽に町を歩けないのはつらい。
とりあえず今夜はヒッチハイクをして街の中心部に下り、ちょっと高めのビュッフェ形式のディナーを取ることにした。写真はアカバから一緒に行動した人たち。 -
食後シーシャ(水たばこ)と試してみた。
食事を終え、帰りは近道をしようと思ったら道に迷い、崖をのぼる羽目になったが無事ホテルにたどり着くことができた。それにしても今日は実に長い一日にだった。つかれた。 -
ワディムーサで滞在したホテル。「MUSA SPRING HOTEL」3人部屋で1人3ディナール(\506)。ヨルダンは宿が高い。というかエジプトから来るとすべてが高く感じる。
朝6時に起きる約束をしていたが、全員が出発の準備を整えたのは7時半になってからだった。早朝のワディムーサは凍えそうな寒さだ。無料のピックアップでペトラの正門まで送ってもらいチケットを買うことにした。入場料20ディナール(3360円)。ペトラは世界で最も高い水準のエントランスフィーを取ることで有名だ。ただ一度中に入ればそれ以上の追加料金を払う必要はないのでルクソールのように各墓に対して入場料を払わなくてはならない場所より割安だと考えることもできる。何がともあれそれなりの価値がある場所だと期待しよう。 -
ハリソンフォード主演の「インディージョーンズ最後の聖戦」の舞台になったことでペトラはバックパッカーの中ではあまりにも有名だ。またここは中東有名3P遺跡と呼ばれ、イランのペルセポリスとシリアのパルミラとともにあこがれの地になっている。
「スィク」と呼ばれる回廊をへてその先のペトラのシンボル的存在であるエルハズネにむかった。 -
-
エルハズネに向かう途中にもたくさんの石窟があった。日差しが出てきてだんだん暑くなってきた。崖に掘られた石窟を見ているとインドのアジャンターやエローラを思い出す。でもここペトラの石窟はそれぞれがでかい。
-
エルハズネ。ペトラを象徴する石窟遺跡。生で見るととてもでかい。
-
-
さらに奥を目指す。
-
らくだがあちこちにいる。
-
-
-
エルディルという山の上の修道院まで行ってペトラ観光は終了だ。往復で10キロ以上歩いた。多少疲れたが少し寒いくらいの気候なのでさわやかに見学ができた。しかしずっと一緒だったドイツ人はバテてしまったようだ。
この日は疲れて午後4時には宿に戻った。
8時アンマンに向けマイクロバスに乗り込んだ。ヨルダンの道路はきれいに整備され、アンマンに近づくほど街並みも近代的になってきた。3日間一緒だったドイツ人とはアンマン到着後別行動を取ることになった。目指すホテルが違ったのがその理由だが、アンマンは外国人の行動範囲が限られているのでまた会うかもしれない。
僕たち日本人3人はベニスホテルに泊まることにした。ドミトリーで一人2.5ディナール(422円)とまずまずの値段だ。でも最悪なことに我々の部屋には暖房設備がない。とりあえず2、3日の我慢だ。 -
アンマンに来て細かい小銭を手にする機会が増えた。ペトラでは1ディナール(168円)単位でお金を使っていたため妙に物価が高く感じたが、アンマンに来てヨルダンの物価はあまり高くないことに気がついた。
アンマンでは天気が悪く、気温も低いままだ。寒くて雨というのは最悪だ。部屋にいても仕方ないのでアカバで知り合った旅蔵さんと観光に出かけることにした。
とりあえずアンマン旧市街を一望できるアンマン城へ行ってみた。 -
丘の上からは円形劇場などを見下ろせる。寒いのですぐに丘を下ることにした。
-
アンマン城の麓にて。
-
このあとアンマンからシリアに北上するのですが、少し寄り道をすることにしました。そんなわけでアンマンからイエメンのサナアへ飛ぶことにしました。イエメン航空で往復507US$。イエメンの滞在期間は17日間でその旅行内容は「2001年 中東旅行-D(イエメン編)」を参照してください。
イエメンから戻った当日、アンマン郊外のマタバという街に行ってみた。ヨルダンの中でもキリスト教徒が多く教会の多い場所だ。写真は教会の礼拝所。
久々のアンマンは天候が回復していてポカポカ陽気だった。春になったような感じだ。 -
ヨルダンのアンマンからシリアへは列車で向かうことにした。アンマンの駅は街の中心部から離れているため下見をすませ、出発時間等は確認済みだ。列車は月曜と木曜の週2便で朝8時に出発する。(2001年2月の話です)
出発当日。駅構内にはSL(廃車)や転車台などもあり、これから乗り込む客車は百年ぐらい使っているのではと思わせるアンティークさだ。ここだけタイムスリップしたみたいな雰囲気だ。
アンマンの駅舎。 -
ヨルダンの鉄道の機関車。
-
出発前、チケットを買いパスポートを車掌に預ける事になった。パスポートは常に自分で持っていたいので不安だ。列車は定刻通り出発。ゆっくりホームを離れた。
写真は車内。日本の近距離型電車風の長いすのため少し落ち着かない。
アンマンからダマスカスまでのこの列車の運賃は2.5ディナール(420円)。5.5ディナール(924円)の乗り合いタクシーと比べ格段に安い。しかしスピードは遅く乗り合いタクシーの倍はかかる。でも中東で鉄道に乗る機会は限られるのでたまには気分転換にゆっくり移動するのも悪くない。
そんな中4時間後の12時にシリア国境のダラーという駅に到着した。ここでシリア側の車両に乗り換えることになった。今まで客車だったがここからは一両編成のディーゼルカーだ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ヨルダン の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2001年 中東旅行
0
21