2020/09/27 - 2020/09/29
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Weiwojingさん
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今年になってこの半年以上も旅行らしきものは全くすることが出来ず、家に引きこもりの毎日であった。体がうずうずするような感じで、どこかに行きたくなってきた。いろいろ調べたところ、福島県裏磐梯で格安で泊まれるホテルを予約でき、あまり人が集中することもなさそうなので、その周辺を巡る小旅行を考えてみた。これを称して Retreat とし、2泊3泊の旅に出かけた。
今回の旅行では裏磐梯レイクリゾートに宿泊(2泊)し、猪苗代湖、桧原湖(えばらこ)、五色沼周辺を散策したり、野口英世の遺徳を偲び、さらに戦前の皇族の別荘を訪ねるなど、のんびり、ゆったりの数日間を過ごすことが出来た。
今回訪れたところは次の通りである。いずれも過去の歴史を偲ばせるところで、初めての訪問であったが、心身の休息と共に、大いに学ぶところがあった。
〇 「天鏡閣」(旧有栖川宮威仁親王別邸)
〇 「福島県迎賓館」(旧高松宮翁島別邸)
〇 「野口英世記念館及び生家」
- 旅行の満足度
- 5.0
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東京から東北新幹線を利用して郡山駅へ、さらにここで磐梯西線に乗り換え、猪苗代駅まで来た。ここは小さな駅だが、観光客の利用が多いようだ。しかし、電車の運行本数は1時間に1本程度しかなく、電車がない時は人の姿は全くない。
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電車が出てしまうと、ホームには全く人の姿がなくなり、ひっそりしている。
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駅正面の入口を見上げると、「猪苗代駅」と書かれた文字とその左右に明治32年の設立と書かれた看板が掲げられている。
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駅の待合室にはこの方の写真や紹介文があり、一体どんな方だろうかと思った。この写真からは最初分からなかった。普段目にしてる写真とは異なり、これは若かりし日の写真であった。しかし、この人物はこの猪苗代の出身で、世界的に知られた人物であって、すぐ分かった。皆さんはこの方をお分かりですか。
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この方はこの猪苗代町出身で、正に著名な細菌学者・野口英世であった。この町には野口記念館と生家があり、明日にでも見学に行くつもりであった。
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ホテルに向かうシャトルバスを待っている間に時間があったので、駅前にあった食堂で遅めの昼食をとった。「喜多方ラーメン」を食べてみた。
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先ずは、駅前から宿泊の予約してある裏磐梯レイクリゾートの送迎バスでホテルに向かった。30分ほどで到着した。
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これが宿泊したホテルであるが、白い外観が青空に映えて輝いている風であった。
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ホテルの敷地から見た遠くの磐梯山。初めて見るが、美しい姿をしていた。
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ホテルのロビーは豪華ではあるが、華美な感じはなく、落ち着いた雰囲気である。
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ホールの写真をちょっと遊び心で撮ってみた。
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ロビーの一角には中国の西安で発掘された兵馬俑のレプリカが飾られ、何やら中国のホテルにでもいるような気になった。
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宿泊した部屋は広々として、快適であった。設備も十分完備していた。
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部屋の窓からは美しい桧原湖が眺められ、これまた満足のいくものであった。
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夕食はブッフェ形式であったが、コロナウイルス対策のためにいくつかの注意点を要求された。
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最初の晩の夕食はこんな具合で、ビッフェには数多くの料理が並んでいたが、和食を中心に数種類を選んでみた。
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さらに地元で採れた野菜料理(漬物、あえ物、てんぷら等)を少しずつ取ってみたが、これで十分満足できた。そういえば、肉類を全然取らなかったのに後で気が付いた。
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この地には温泉があり、ホテルにも大きな浴場があった。久しぶりにのんびり浸かり、リラックスすることが出来たことは言うまでもない。滞在中何度も入ってしまった。
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露天風呂もあり、少々肌寒い気がしたが、いざ入ってみると快適そのものであった。目の前に桧原湖が広がり、雄大な景色を同時に楽しむことが出来た。柵や囲いが全然ないので解放感にあふれていた。
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ホテルのすぐそばにある桧原湖ではもうこの時期ボートを漕いだりする人はおらず、全く静寂そのものであった。周辺をしばし散策してみた。澄んだ空気と静寂さがあたりを覆い、都会では味わえないし清浄さを感じた。
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バスに乗り、猪苗代湖方面に出てみた。湖面には風があるわけではないのに、大きな波が立ち、海のような感じであった。
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この時期は営業はしていない遊覧船が岸壁に係留されていて、あたりには人の姿はほとんどなかった。
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湖畔を歩いていると、見たこともないような美しい花にたくさんに出会った。
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これも初めて見た花である。
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少し歩いて行くと、猪苗代湖を見下ろす高台に白亜の洋館が建ち、瀟洒な外観を見せている建物のあるところに出た。ここは「天鏡閣」という旧有栖川宮威仁親王別邸であったところで、1908年(明治41)に完成したものである。
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二階建て天然ストレート葺きの八角塔屋を持つ、ルネッサンス風西洋建築外観の本館である。
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建物の中央部分が玄関である。
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ここが正式な玄関であるが、見学者用の出入り口は別なところにある。
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庭に銅像が建っていた。有栖川宮親王の銅像である。この銅像はもともと東京築地の海軍軍医学校前にあったものが1984年(昭和59)に移築再建された。
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正装した有栖川親王の肖像画があり、なかなか立派である。
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こちらは同夫人の洋装の写真である。
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1897年(明治30)、女王即位60年祝典参加の折の有栖川宮親王(中央椅子に座る)と随行員の写真。伊藤博文(左から4人目)や木戸孝正、加藤定吉等の姿が見える。
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館内を見て回った。玄関からすぐそばにダイニングルームがあり、ここで来客をももてなしたのだろう。
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ダイニングルームの片隅にこのような古るそうで、重厚な作りのボードが置かれている。
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食堂の隣にある客間。家具類は新たに誂えたものである。
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客間は陽の光がふんだんに入り、明るく、気持ちの和む部屋である。
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天井に施された天井飾りと電灯は白い天井に美しい光の陰影を作り出している。
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撞球室(ビリヤード室)があり、客をもてなすために使われたのであろう。
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1886年(明治19)岩手県生まれの洋画家上野広一の作品。彼はフランスでジャン・ポール・ローランスに師事し、帰国後肖像画家として活躍した。
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廊下の壁にこのような初めて見るような器具が置かれている。
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この階段から2階に上がってみた。
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階段手摺はなかなか手が込んでいる。
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2階居間の一部。
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ここは御座所という部屋であるが、殿下の書斎として使われていた。
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資料室があり、有栖川宮威仁殿下に関する様々な資料や記念品が展示されている。このガラスケースの中には諸外国から贈られた勲章が置かれている。
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これはイギリスから贈られた勲章である。
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天鏡閣には各部屋にマントルピース(暖炉)があり、それぞれ形や意匠が異なる。ただし、どれもアール・ヌーヴォ―風で、大変美しい。タイルはマジョリカ・スタイルのイギリス製で、チューリップがモチーフになっている。
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洋風便器の置かれた殿下用のトイレットがあった。
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洗面所にある手洗い所は温水両方出るようで、当時としては西洋の技術をいち早く取り入れた画期的なもののようであった。
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洗面所の窓から見える2階の一部。
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この風呂場をのぞくと、割と質素な感じで、質素な生活振りがうかがえた。
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浴室の天井。熱気が抜けるようになっているのだろうか。
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玄関の上に設けられたバルコニーの手すり。2階居間のすぐ外にあり、ここからは猪苗代湖がよく見渡すことが出来、殿下もここで楽しんだのであろう。
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敷地の一角に同じような作りの外観を持つ小さな建物がある。説明によると、この建物は別館で、管理事務所兼宿泊所であったそうである。
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別館の中を見てみると、玄関わきにこのような部屋があり、ここは台所だったそうである。
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庭の片隅に「御製」と彫られた石碑がある。これは昭和天皇が1962年(昭和36) に来訪された時に詠まれた歌である。
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この歌は次のように詠まれた。
なつかしき
猪苗代湖を
眺めつつ
若き日を思う
秋の
まひるに -
天鏡閣の見学を終えて、少し離れたところにある県迎賓館(旧高松宮翁島別邸)へ向かった。樹木で覆われた小道を6,7分歩いた。
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しばらくすると、前方に立派な長屋門が現れた。ここが旧高松宮翁島別邸入り口である。
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庭園内には様々な植物が植えられ、秋の花々を見ることが出来る。これは「ナナカマド」だろうか。
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鮮やかな色のキノコも自生している。
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さらに黄色い色のキノコもあったが、どちらも初めて見るものである。
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この可憐な花は・・・? よく見かけるが、名前は分からない。
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長屋門からしばらく歩くと、建物が見えてきた。ここが玄関棟で別邸の入り口であるが、通常は入ることは出来ない。外観と庭園のみが見学可能である。
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本館居間棟。ガラス戸からしばし中を見てみた。
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台所棟。
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園内散策路から見た建物は木造平屋建てで、178坪(589.7㎡)あり、江戸時代の上層武士住宅を彷彿させる佇まいである。
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猪苗代湖を見下ろすところに東屋があり、しばし休憩した。
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松の木々の間から猪苗代湖が見える。建設当時はもっとよく湖を見ることが出来たものと思われる。今は周囲の松の木が大きくなり、湖の眺望を妨げている。
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バスに乗って「野口英世記念館」へ移動した。ほんの5,6分であった。
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子爵松平保男所「野口英世博士誕生地」と刻まれた石碑がある。ここで野口英世(1876年/明治9~191928年/昭和3)が生まれたと思うと、少々感動した。
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ここが野口英世の生家なのか。もちろん再建したものであろうかが、思っていたよりも大きな家であった。建物の保存のために大きな屋根で覆われていて、ちょっと異様な感じがし、このようなものは初めて見た。
英世が16才まで過ごしていたこの家は当時ままで保存され、現在国の登録有形文化財に指定されている。 -
内部は見学できるようになっていて、先ずは土間のところから見て回った。すぐ隣に囲炉裏のある部屋が再現されている。よく見ると、囲炉裏の側に幼児らしき子供のパネルが置かれていて、説明によると英世が1才の時に囲炉裏の火で左手に大やけどを負ったことを再現しているそうである。
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土間の片隅には様々な生活道具や農機具ガ置かれていて、明治期の生活振りを見ることが出来る。
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居間の片隅にも生活用具が置かれている。今はもう見ることがないようなものも多い。
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英世の生涯を支えた人々。
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英世は1901年(明治34)アメリカに留学した際、フィラデルフィアで記念に写真を撮ったが、これは左右が反転して焼かれてしまったと言う。
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これは1904 年(明治37)、デンマーク国立血清研究所に留学した際、コペンハーゲンで撮影した写真である。
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英世の胸像。製作者は誰であるか失念した。
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英世の英語による自筆の文があるが、説明に「欧文の書 Calligraphy texts written by Hideyo in Latin fonts.」とある。
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蔵のまちステンドグラス工房蓮沼九美子制作の「Dr. Noguchi」が掲げられていた。
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「野口英世アンドロイド」なるものがあり、ボタンを押すと、アンドロイドが身振り手振りで質問に答えてくれたり、人を励ますようなメッセージをも伝えてくれる。
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母親シカとの母子の絆を伝える母の手紙が残されている。これは母シカがアメリカにいる英世に宛てた、唯一残された直筆の手紙である。長い年月会うことが出来ない英世に、一目合いたいという切実な気持ちが綴られた、愛情あふれた手紙を読むことが出来る。
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この手紙を読んで、万感思うものがあった。母親の子に対する大きな愛情、いくつになっても子への変わらぬ気持、遠く離れた地にいる子への心配、読んでいて迫るものがあった。
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別な日にホテルの周辺を歩いてみた。五色沼散策コースというのがあり、1時間くらいで柳沼、青沼の2つの沼を回ってみたが、適度な運動となり、快適であった。
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鬱蒼とした森の中を歩いた。明るい日差しが差し込むので、気持ちよく歩くことが出来た。
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森の中に美しい妖精のような花を見つけた。
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森に入ってすぐ現れたのは「柳沼」である。
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静かに水を湛えた柳沼は周囲の樹木を水面に移し、まるで神秘的な佇まいをしている。
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さらに15分位歩くと、木々の間に青く澄んだ「青沼」が姿を見せた。コバルトブルーの色が大変美しい。
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