2012/12/27 - 2013/01/03
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ミャンマー中南部を回ります。年越しはチャイティーヨパゴダの麓のキンプンに滞在。
①12/25(火) 羽田(020)~TG661~バンコク(520) Abloom Exclusive SA
②12/26 バンコク Abloom Exclusive SA
③12/27 バンコク(1300)~TG301~ヤンゴン(1345) Jewel Hotel
④12/28 ヤンゴン(2100)~ バス
⑤12/29(土) ~モーラミャイン Breeze Guest House
⑥12/30(日) モーラミャイン(タンピュッザヤ) Breeze Guest House
⑦12/31 モーラミャイン(800)~チャイトー SEASER HOTEL
⑧1/1 キンプン(1230)~ヤンゴン ソイアウン宅
⑨1/2 ヤンゴン ソイアウン宅
⑩1/3 ヤンゴン(950)~TG304~バンコク(1145) Cape House SA
⑪1/4(金) バンコク(1450)~TG660~羽田(2230)
TG航空券(成田~バンコク~ヤンゴン)111,500円(航空券総額)
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ヤンゴンまでは1時間10分のフライトだ。A300とかなり古い機体だ。
時差はタイより30分遅れと中途半端な設定となっている。 -
ミャンマーは2年半ぶりの訪問となる。以前も利用したヤンゴンの空港は新しくガラス張りの入国審査場になっていて出迎えの人をすべて見渡すことができる。
その中に迎えに来てもらっているソイアウンの姿をすぐに確認することができた。
入国審査を終え、荷物を受け取って到着ロビーに出た。ソイアウンと再会。
とりあえず空港を出る前に少額の現地通貨チャットに両替することにした。ミャンマーが経済解放して大きく変わったのは闇両替が消滅したことだろうか。なので空港の両替所には行列ができている。今まであり得なかった光景だ。しかしそのため空港の両替所は手際が悪い上、紙幣の新旧で平気で受け取り拒否してくる。僕の20ドル紙幣も2001年発行で気に入らなかったらしく両替をかたくなに拒否された。隣で両替していた欧米人は数百ドルをすべて両替拒否されて怒り心頭だ。そりゃ全財産両替できないとか言われたらパニクるだろう。実際は町中へ行けば古い紙幣でも使えるはずだ。なので空港の両替所が使えないのは昔と変わっていないということか。
また町中ではATMが登場したらしいので最悪お金が足りなくなったら引き出すことも可能だ。 -
そんなわけでソイアウンに予約してもらった宿は40ドルと高めだ。
宿はジュエルホテルという名前で部屋はインレー湖のレイクビューだ。場所はアウンサンスーチーの家のすぐ近くになる。
確かに経済開放でビジネスマンが増えたヤンゴンのホテル代は急騰している。それと同時にホテル不足は深刻なのは予想の範囲内だ。ソイアウンの友人の紹介での宿泊だが、ある程度の水準の宿を選んでくれたのだろう。この水準の宿はビジネス客に需要が増えていて確かに予約は取りにくいかもしれない。でも実際自分の足で歩いて探せばダウンタウンにもっと安い宿に空室があるような気もする。
だが今日だけはせっかく予約してくれたので紹介された宿に泊まることにする。
ホテルの部屋に荷物を置き、まず駅に向かった。しかし切符売り場は閉まっていて列車は満席らしい。切符売り場が閉鎖されているので列車が運行されているのかも怪しい。なのでバスしかないようだ。 -
町中の切符売り場でモーラミャインまで3列シートのバスが10ドル(8500チャット)だ。
夜行なので宿代も節約でき、明日一日ソイアウンにヤンゴンを案内してもらえる。
この店でバスチケットを購入。 -
切符売り場のすぐ近くの道ばたで少しお茶することになった。
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右はソイアウン。右から二人目の白髪のおじさんは政治犯として4回投獄されたらしい。アウンサンスーチー率いるNLD(国民民主連盟)の主要メンバーでアウンサンスーチーとはよく会っているらしい。
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そういえばソイアウンも2004年に2ヶ月ほど刑務所に入れられたらしい。あのとき僕に助けてくれというメールが来ていたがどうしてやることもできなかった。
みんな大変だ。
16年前もミャンマーASEAN加盟など投資ブームが起こていった。が、その後暗黒の時代が最近まで続いていた。
今後はこの国がどのように進んでいくのか大変興味深い。 -
日が傾く頃、シュウェダゴンパゴタへ向かった。ヤンゴンで一番有名な観光地だ。ミャンマー訪問の際は毎回ここに来ている。夕暮れの境内は風も涼しく夕涼みには最適だ。
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日が暮れライトアップされた黄金のパゴダが美しい。この時間ますます訪れる人が増え始める。
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ライトアップされたシュウェダゴンパゴダ。
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日が落ちた境内とライトアップされたパゴダ。
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シュウェダゴンパゴダの駐車場でソイアウンの知り合いに明日向かうモーラミャインの宿を確保してもらうことができた。
ヤンゴン以外の宿事情はわからないが宿泊先が1泊7ドル。この値段で泊まれるかは確信できないが安いことには変わりない。
それにしてもミャンマーは日本の携帯のローミングサービスが長く使えない珍しい国だった。それが今ではやっと使えるようになったのだが、ミャンマーの携帯事情はすでにアイフォンをはじめスマホが主流になっている。携帯のインターネットは町中でも自由に接続できるようになっている(ただしかなり遅い)。日本だけが独自の規格を使い、日本の携帯を外国に持ち出すと不便な思いや高額の通信費を必要とするなどもはや世界から取り残されているのではと改めで嘆かわしく思う。タイでもそうだが携帯分野では常に劣等感を感じてしまう。 -
ソイアウンの家に向かった。
ヤンゴン市内は街灯もなく真っ暗だ。
夕食はソイアウンの奥さんの手作りだが信じられないくらい本格的な料理が出てきて驚いた。それもそのはずソイアウンの奥さんは料理を作って市場で売っているいわばプロだったのだ。なので味も本物だ。僕のためにたくさんの食材を使ってくれたのはうれしいが量が多すぎて残すことになりもったいない。
ミャンマーの食料事情はつくづく豊富だと感じる。ミャンマーは北朝鮮と比較されがちだが、食に関して云々の差があるのはもっといろんな人に伝えなければいけないと前から感じていた。 -
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食後、ソイアウンの知り合いでシンガポールに留学していたエリートのロボット技師のウィンさんの家に遊びに行くことになった。ここでインターネットさせてもらったがスピードはかなり遅く切断されてしまった。ミャンマーのネット回線はまだまだ問題が多い。
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【12月28日(金)】
お湯が出てエアコン完備で快適だ。40ドル出せばこのレベルに泊まれるのだ。
水回りは悪いがベッドと空調は快適でぐっすり眠ることができた。 -
テレビは「NIPPON」とかいうメーカーだが中国製だろうか?
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宿はインヤー湖ビューだ。
朝、インレー湖畔のアウンサンスーチーの家に散歩に行ってみた。家の門にはボージョーアウンサンの肖像が掲げられている。これといった目立った雰囲気はなく、ひっそりとしている。かつて家の前の道路は封鎖されていたこともあるが、今では普通に車が行き交っている。 -
朝食は名前はわからないが麺を食べることにした。
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9時にソイアウンに迎えに来てもらうことになっている。ソイアウンの車でホテルを出発した。今夜は夜行バスなのでこのままチェックアウトすることになる。
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路上で賽銭を集める女性。
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ガソリンは888チャット(88円)だ。チャットのレートは10チャット1円なので計算しやすい。
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独特のスタイルで乗客を乗せたトラックが行き交う。
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バスを待つ乗客たち。
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寝釈迦像があるチャウッタージパゴダに行ってみた。
ここはヤンゴンで一番大きな寝釈迦像で有名だ。もっと大きいのがバゴーにある。 -
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チャウッタージパゴダの寝釈迦像の表情。
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ソイアウンの家に立ち寄ることにした。ソイアウンの仕事は車の運転手だが、画家でもある。なので家の近くの寺院にアトリエがあり、ソイアウンの絵がたくさんおいてあった。その中でもこの絵はインパクトが強い。ソイアウンの絵にスーチーをイメージしたものは多い。。
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荷物を頭に乗せた女性たち。
ソイアウンの家の近くに鉄道の駅があるので鉄道で町の中心へでることにした。 -
最寄り駅は「PAREMI」駅になる。ここはヤンゴンの近郊列車の駅になっている。
切符(上)は外国人料金で1ドルだ。 -
列車は環状線になっていてヤンゴン近郊を一周しているが列車は1時間以上来ない場合もある。
でも今回運がよくほとんど待たずに列車が到着した。 -
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インド製の列車内。
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途中の駅。
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一部の路線では複々線になってほかの列車と併走することになったが、これは珍しい。
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ヤンゴン中央駅に到着。我々はこの隣の駅まで向かう。
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PHA YAR LAN駅に到着。ここはボージョーアウンサンマーケットの最寄り駅でもある。
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活気のあるヤンゴン中心部。
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ミャンマーの基点、スーレーパゴダ。
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港へ向かうことにした。
ヤンゴンの港湾地区には植民地時代からの重厚な建造物が残っている。 -
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港には線路の後も残っている。メートルゲージとインドサイズの広軌だろうか。
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この船でヤンゴンの南の対岸へわたる。比較的大きな船を使った渡し舟で頻繁に行き来している。
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ヤンゴンの港は大型のコンテナ船が停泊している。
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対岸に到着。
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ヤンゴンの対岸は交通量も少なく、人力のサイカーが主な移動手段だ。サイカーに乗って一通りの名所を回ることにした。
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人々も素朴な感じで気さくだ。
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人々も素朴な感じで気さくだ。
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ここから舟に乗ることにした。
ここも2008年のサイクロンの影響を受けたらしい。そしてスマトラの津波もきたらしい。 -
クルーズは15分ほど。10ドル。しかし眺めもインパクトもいまひとつ。これといった収穫はなかった。
暑いだけだった。 -
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対岸はかつては純粋な人がいたらしいが観光客が急激に増えてきたようだ。
最後にサイカーと値段でもめた。こちらがはっきりと値段交渉しなかったのがいけないのだが、町一周3000チャット(300円)だと思っていたら30分3000チャットとか言い出した。
1時間半以上たっているので12000(1200円)チャットらしい。
ミャンマーの物価ではあり得ないだろう。後日モーラミャインでバイクをチャーターして40キロ走ったが7000チャットだった。
結局港で待っているソイアウンのとこに連れて行って適正なのか聞きに行ったが、結局8000チャット(800円)で話がまとまったが不愉快な思いをすることになった。 -
タクシーでソイアウンの家に戻った。ソイアウンの家の近くで昼食。
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この通りの裏にソイアウンの家がある。
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ここがソイアウンの家。
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夕方まずカバーエーパゴダへ行くことにした。
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各国の僧侶のスタイルと絵が描かれ興味深い。まずアフガニスタンスタイル。
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カンボジア。
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そして日本。
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パゴダ内の礼拝所。
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その近くに聖洞窟というのがあるが、時間が遅くしまっていた。
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入り口近くには日本の除夜の鐘がぶら下がっていた
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あちこち移動に使わせてもらったソイアウンの車。
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その後マンダレーから運ばれてきた大理石の仏像を見に行った。まだ新しい名所でローカチャンタ・アーバヤ・ラバムニ大仏という。サガインヒルで発掘され船で運ばれてきたらしい。仏像は劣化しないように空調設備が施されている。なのでガラス越しに眺めることになる。
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今夜、ミャンマー南部、モン州の中心都市モーラミャインへ向かう。ソイアウンの家で夕食をよばれ、バス乗り場に送ってもらった。
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バス乗り場は町の中心部に近いバス会社の前から出発するようだ。出発は午後9時だ。
【12月29日(土)】
バスは途中休憩を十分に取り、5時にモーラミャインに到着した。バス停からバイクタクシーで宿に向かった。宿はソイアウンの知り合いの紹介のブリーズゲストハウスだ。
どうやらモーラミャインで一番有名な安宿のようで外国人旅行者もたくさん泊まっているようだ。場所は川沿いのナイスロケーションだ。ここまでバスターミナルからかなり走ったが1000チャット(100円)ですんだ。宿の値段は6ドルと安いがお湯シャワーが使える。 -
ブリーズゲストハウスの外観。
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朝食は川沿いのレストランでモヒンガーだ。50円。
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そして食後は甘い南インド風の紅茶は10円だ。(10チャット=1円として計算)なんだかんだでミャンマーの物価はまだまだ安い。
レストランからの眺め。 -
数年前までモーラミャインはヤンゴン方面とは川に阻まれ鉄道やバスは連絡船を使用していた。その船着き場がここだ。
橋が完成してからここはローカルな船のみが発着する。 -
船着き場の横はマーケットになっていてトゥクトゥクが待機している。色は違うがタイ製だ。
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この巨大な橋でモーラミャインへのアクセスが格段に向上した。
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モスク。
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「すいか」とかいう商店を発見。
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モーラミャインのセイジー市場(中央市場)周辺。
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午前中はだらだらしてしまったが午後は北へ22キロ。もう一つのゴールデンロック・ノアラボー寺院へ行くことにした。
ゲストハウスの前で客待ちしているバイクタクシーで向かうことにした。往復70000チャット(700円)だ。ここでガソリンを給油。1リッター600チャット(60円)。 -
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女の子がガソリンを入れてくれた。
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いざ、ノアラボーパゴダへ。
すぐにヤンゴン方面へ向かう橋にさしかかった。左から合流する橋は鉄道だ。 -
鉄道との併用橋だ。
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川の中州にもパゴダがある。
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ノアラボーパゴダの参道の入り口に到着した。
ここで軽く腹ごなし。
チャイティーヨパゴダは有名になりすぎたがここはまだまだ素朴な感じだ。午前中は巡礼客用のトラックが往復しているようだが、この時間はないらしい。なので歩いて向かうことになるが片道徒歩2時間とけっこうある。
僕の脚力だと1時間半くらいだろうか。とりあえず日が暮れるまでに戻ってきたい。 -
1時間ほど山を登ると向こうの山の山頂に寺院が見えてきた。
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見えてからが遠いとよく言うがその後30分ほど歩いた。
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ノアラボーパゴダのゲートに到着した。ただでさえ外国人の旅行者が少ないこのパゴダだが、この時間はひっそりとしている。でも無人というわけではなく寺院の施設内はそれなりに人はいる。
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これがノアラボーパゴダのゴールデンロック。
チャイティーヨに比べると小さく、岩は丸くない。 -
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ノアラボーパゴダの境内。
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ノアラボー寺院のゴールデンパゴダ。
眼下の大平原から山を登ってきたことになる。またあそこまで戻ることを考えると気が重い。 -
ノアラボー・パゴダにいた人たち。住んでいるらしい。
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ノアラボーパゴダを離れ、山を下ることにした。来た道を戻ることになる。
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歩いていたら途中でバイクをヒッチでき、夕方5時半には参道ゲートに戻ってきた。たった2時間半で戻ってきたので待たせていたバイクタクシーの運転手は驚いたようだ。
待ち時間が減ったからご機嫌のようだ。 -
モーラミャインへ戻る。
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橋を渡り、モーラミャインへ。
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モーラミャイン。サルウィン川の夕暮れ。
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夕食はもつ煮込みの屋台ですませた。
【12月30日(日)】
今日はモーラミャインの南にあるタンビュザヤへ向かう。モーラミャインへ来た目的の一つがこのタンビュッザヤ訪問だ。 -
モーラミャインから南へ約65キロに位置する。バイクタクシーで行くには少し遠いので乗り合いバスで向かうことにした。といってもトラックだが、快適な助手席に座ることができた。
タンビュッザヤは第二次世界大戦中に突貫工事で完成した泰緬鉄道のミャンマー側の起点となった町だ。短い期間であったがここからスリーパゴダパス(三塔峠)を経てカンチャナブリー、バンコクへと鉄路が続いていた。
モーラミャインからタンビュッタヤへのトラックで乗り合わせた現地の人に到着してからバイクで町を案内してもらうことになった。 -
町の中心には貧相ではあるが時計塔が建っている。
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町には日本軍が犠牲者を弔うために建てたパヤー(パゴダ)や、連合軍の兵士の墓がある。そこへ向かう途中C62が置き去りにされていた。ミャンマー国鉄として使われていたのかMRのロゴが残っている。
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かつてここには戦争博物館があったようだが今は廃墟になって跡形もない。
残された上半身のない日本兵の人形が不気味だ。 -
戦争博物館の石碑だが、もはや何が書かれている認識できない。
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日本製のC62。泰緬鉄道では主力の機関車としてたくさん運び込まれた。
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機関室。
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あまり立派ではないがジャパンパゴダとういのが線路沿いにある。
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ここに戦没者の慰霊碑が建っていた。
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タンビュッザヤの現在の駅などを見学。モーランミャインへは夕方1本あるだけらしい。
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駅にいた子供たち。
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タンビュッザヤ駅舎。
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町をバイクで案内してくれたココ(名前)。
1時間ほどだったがお世話になりました。どうもありがとう。 -
モーラミャインへ戻り、明日の切符を買いに駅へ向かった。昨日ノアラボー寺院まで利用した悪人顔のバイクタクシーだが今日も低姿勢で親切だ。
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列車は明日の8時出発で目的地のチャイトーまでは6ドルだ。
駅に張られていたタイムテーブルと料金表。 -
駅に行った後、山の上にあるモーラミャイン最大のマハムニ・パゴダまで乗せてもらうことにした。ここでバイクタクシーにはかえってもらうことにした。
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その後徒歩でもっとも標高が高い場所にあるチャイタンラン・パゴダに向かった。
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チャイタンラン・パゴダの境内は開放感があり、ここからの眺めはすばらしい。
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そのままビューポイントまで歩いてみた。夕焼けを見るため観光客が続々やってくる。
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ビューポイントからの夕焼け。
歩いて帰ろうかと思ったが、バイクで戻ることにした。
モーラミャインはこれといった有名は見所はないが、山間の緑が多い町で入り江のようなタンルウィン川の眺めなど風光明媚だ。町並みは植民地時代からの建物もちらほら残っていて興味をそそられる。静かでのんびりした街だ。明日出発するのがもったいない。もう少し滞在したい気分だ。また来たい。 -
【12月31日(月)】
朝食をとり、7時過ぎにモーラミャインの鉄道駅へ向かった。モーラミャイ駅は川沿いの町から山を越えた場所になる。
駅舎は中国色が濃い無機質で巨大だ。まだ完成してから数年しかたっていないはずだがすでに老朽化している。これは中国製と言うよりはミャンマー人のメンテナンス能力が低すぎるのだろう。マンダレー駅の新築のはずがずいぶん老朽化していたのを思い出す。 -
駅舎内は殺風景だ。
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乗車するのはヤンゴン行きの列車だ。
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ヤンゴン行きの列車はアッパークラスの3列シートで僕は一人席に座ることになる。同じ車両には他にも欧米人の姿がある。
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出発を待つ列車。
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列車はモーラミャイン駅を定刻通りに出発。
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モスクとパゴダ。町中には教会やヒンドゥー寺院もあり、ミャンマーではあらゆる宗教が混在する。
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ゆっくり高架橋を走り、川を渡る橋にさしかかった。
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川を越えた後、橋が完成するまで交通の要衝としてモーラミャインへの連絡船が出ていたモッタナ駅の跡地を見下ろすことができた。もはやモッタナの町の存在意義がなくなり一帯は廃墟になっている。機関車なども放置されている。
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しばらく廃線になった鉄路を降下から見下ろしながらやがて合流。しかしスピードは上がらずのんびりヤンゴンを目指した。
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途中の駅で対向列車との行き違いのため長時間停車することになった。線路はグニャグニャだ。
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対向列車が到着、目的地のチャイトーはすぐだ。
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モーラミャインから目的地のチャイトーまでは6時間かかった。チャイトー駅で降りる乗客はミャンマー人も含めほとんどいない。なので駅前は閑散として客引きの姿もない。
そんな中、一台のバイクタクシーが現れたのでチャイティーヨパゴダの拠点の町キンプンまで乗ることにした。キンプンまでは20分ほどだ。 -
キンプンの町は巡礼客でごった返していた16年ぶりの訪問だが、当時は広場にピックアップトラックが点在しているだけで大型バスの姿もなかったように思う。そして宿泊したシーザーゲストハウスはホテルと名を変え、広い敷地を有するモーテル風の宿に替わっていた。16年前は木造2階建てのアパートのような建物だったが、当時の面影は全くなくどこに建っていたのかも思い出せない。
宿の値段は10ドルでお湯シャワーが出る。この時期寒いので非常に助かる。シーザーハウスの隣には同経営なのかレストランもあり、たくさんの客でにぎわっている。まさに一大リゾート地に変貌している。
チャイティーヨパゴダへのトラック乗り場は屋根付きのシェルター状になっていた。参拝客が激増したのだろう。しかしその裏で山頂へ徒歩で登る人のための参道は巡礼客が歩いて登らなくなっているためか茶屋など店が消滅していた。その代わりにバスターミナル周辺に街が膨張している。バスターミナルからはヤンゴンへのバスが頻発している。一応明日のバスを予約しておくことにした。
参道の奥の方で16年前世話になった人との再会は難しい。あのおみやげ物屋があったであろう場所は今では更地になっている。
当時の写真を近所の人に見せたところであの人たちの消息がつかめるわけではない。ミャンマーでの16年はあまりにも長すぎる。ここでも再会を少し期待したが、永遠にかなうことはなさそうだ。 -
とりあえず朝食を食べることにした。観光地だがミャンマー人観光客が多いので値段は良心的だ。
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でも参道の入り口付近の商店は昔ながらの雰囲気でなつかいしい。
チャイティーヨパゴダのゴールデンロックには夕日を見に行くのが良いようだが、大晦日の夕日よりは初日の出に惹かれる。なので登頂は明日の朝にして今日はキンプンの街でゆっくりしよう。明日の早朝、一番に宿を出れば初日の出が見られるかもしれない。 -
この町は遅くまで巡礼客でにぎわっている。
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宿主催の年越しイベントがあり、つまみとアルコールが無料提供された。
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欧米人が数人でキャンプファイヤーを囲む。ホテルの外ではこれといった騒ぎはなく、この宿も客が5人ほどしかおらず、いつの間にか年は明けていた。
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旅行者同士新年の挨拶と握手をして就寝だ。
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生演奏。
【1月1日(火)】
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。新年をチャイティーヨ・パゴダの麓の町キンプンで迎えました。キンプンは標高が高いからかこの町は冷え込み厳しい。なので蚊に悩まされることもなく熟睡でき、目覚まし時計の音で目を覚ました。時間は5時。すでにトラック乗り場は騒がしい。始発のトラックで出発などと考えていたが、トラックの運行は24時間態勢だったのだ。急いでシャワーを浴び出発の準備を整えた。朝食を食べるか聞かれたが、9時まで大丈夫なようで山から下りてから食べることにした。何とか朝日に間に合いたい。 -
トラックターミナルでは人でごった返し、客を満載したトラックが数台止まっていてどれに乗っていいかわからなかったが、行列は出来ておらず詰めてもらいすぐに出発しそうなトラックに乗り込むことが出来た。トラックには40分ほど揺られることになる。乗り心地は最悪だ。
トラックは山頂直下の町ではなく、一気に山頂まで行ってくれるようだ。山頂までトラックを降りてから1時間歩くことを覚悟していたので助かった。 -
チャイティーヨパゴダのゲート。
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ライトアップされたゴールデンロックが見えてきた。何とか日の出には間に合いそうだ。
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しかし見えてからが結構遠い。参道は人も多い。
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岩に到着。周辺ではお祈りをする人やお供え物が並べられている。
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境内の様子。
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2013年の初日の出はチャイテイーヨパゴダで見ることになった。
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雲が多く日の出は見られなかったが、朝日が照りつけるゴールデンロックは幻想的だ。
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それにしても有数の観光地で元旦ということもあるのか人は多くあまりゆっくりする場所はない。朝日を見たらすぐ山を下りることにした。
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超満員のトラックに再び乗り込み下山。
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12時半のバスでヤンゴンに戻ることなる。韓国製の中古バスだ。
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ヤンゴンまでは4時間の予定だが、ミャンマーのバスお得意の故障に巻き込まれた。
故障が長引くことはなかったが、結局ヤンゴンのアウン・ミンガラー・バスターミナルに到着したのは6時前だ。
完全に日がくれてしまった。自分の携帯でも電話はつながるのだが高いのでバスターミナルの電話屋でソイアウンに電話することにした。
近くにいたミャンマー人に今の場所を説明してもらい、迎えに来てもらうことになった。1時間ほど待ってソイアウンが現れた。バス乗り場までハイエースが入り込んできた。 -
一度家へ戻り奥さんの手料理のごちそうで出迎えられた。
今日明日はソイアウンの家に泊めてもらうことになった。
【1月2日(水)】
今日はソイアウンの車でウィンさんと一緒にバゴー観光に出かける。今まで何度かバスでバゴーを通り過ぎてはいるが、ミャンマー4回目にして初めてのバゴー訪問となる。 -
朝のヤンゴン。日野の中古バス。
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朝食はモヒンガーを食べ一路バゴーへ。
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ヤンゴンからバゴーまでは道は広く1時間ほどだ。
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バゴーの中心部。ミャンマーの都市には必ず時計塔がある。イギリス植民地時代の名残か。
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まずミャンマーでもっとも高いストゥーパを持つシュエモードパゴダへむかった。パゴダの前はなにやらパレードの練習が行われていて通行規制がかかっていた。
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シュエモードパゴダに到着。
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シュエモードパゴダでバゴーの入場券を購入。バゴーでは10ドルの共通入場券があり、一度購入するとほかの観光名所ではもう入場券を払う必要はない。
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シュエモードパゴダ。ミャンマーで最も高い仏塔を有する
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再びバゴー中心部を通過。
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王宮発掘現場にむかった。復元工事は完成している。
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復元された王宮。
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王宮の本物の材木は保存されている。
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王宮の砲台。
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復元された王宮を見学。
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王宮をあとに。
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その後NLDのバゴー支部に立ち寄った。アウンサンスーチーをマスコットにここも観光化されている。
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ヒンタゴン・パゴダにむかった。
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高台にあるため見晴らしがよく、シュエモード・パゴダの仏塔を見下ろせる。
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バゴー最大の見所である最大級の寝釈迦像があるシュエターリャウン寝仏へむかった。
バゴー最大の見所であり、ミャンマー最大の見所のひとつといってもいいくらい有名な仏像だ。 -
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巨大な仏像。全長55メートルある。
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寝仏の表情。
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ミャンマー有数の見所だけあり、パゴダの周辺にはたくさんの土産物屋があり、食堂もあるのでここで食事をとることにした。
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食事はいつものようにミャンマー料理だ。
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その後、すぐ隣にあるミャタリャウン・パゴダへ立ち寄ることにした。ここは新しい仏像でミャンマー人の仏教徒には人気がない。なので境内の中は閑散としている。
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たくさんの人が行き交う隣のミャタリャウン・パゴダと大違いだ。ウィンさんも待っているから勝手に見てきてくれと不機嫌になり、車から降りようともしない。いきなりこのような巨大な仏像が現れバゴーの町を破壊されたような気になって不愉快に思っているようだ。
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表情もふてぶてしく態度が悪く不気味だ。
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最後にチャイプーン・パゴダによってバゴーを後にすることにした。
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午後の早い時間にはヤンゴンに戻ってきた。夜はまたごちそうをよばれ、インターネットをしてのんびり過ごすことになった。この日の夕食。ミャンマーでたくさん食事をしてきたがソイアウンの奥さんの料理が一番洗練されてるように感じた。
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【1月3日(木)】
ミャンマー人は起きるのが早い。5時にはみんな動き出す。
6時に家を出発した。朝食はモヒンガー。ミャンマーの食堂ではテーブルに並べられたメニューで手をつけた分だけ料金を払うシステムだ。 -
朝食を済ませ、ヤンゴン空港へ向かった。ヤンゴン滞在中お世話になったソイアウンの見送りを受けチェックインカウンターへ向かった。
タイ国際航空のチェックインカウンターで手続きを済ませた。今日のこの時間帯はミャンマー人の出国客は多いが、外国人はあまりおらず、出国審査は並ばずに済ますことが出来た。
バンコクまでは往路同様A330の古い機体だ。1997年1月。2度目のミャンマーに行ったとき大阪からバンコクに利用したものと同じ機種だが16年たつとずいぶんくたびれるものだ。当時はもちろん最新鋭だった。バンコクまでは1時間。
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