2020/09/08 - 2020/09/09
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コロナ下で旅行するという英断をしたのは、自身が年を取ったと思うことが多いからだ。台湾で行こうとした3つのダムの内、訪問していない鳥居信平氏の足跡をたどるにしても、台湾へ行くことができなくなった。
さらには同じ袋井市の浅羽医師の碑を見たいと思っていたことも重なった。go to # のおかげで旅行費用は格安になった。幸い、出張慣れした僕にはレンタカー利用は苦ではなかったことで両者の関係場所へ訪問できた。宿はセットで新幹線+ホテルで掛川になったけれど、beer レストランも見つけた。
この旅行の基本経費は \11,900- JR +hotel 。go to * の恩恵だ。
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思い立った支えの一つが、僕の就業状態もかかわっている。午前中で仕事が終わるのだ。ローテの休みの日と加算すれば、1.5日の旅行時間を確保できる。日本の正確な鉄道に助けられて、まさに予定通りの旅行ができることがどれほどの幸せなのかを海外旅行をした御仁は十分認識していることだろう。
出発点は千葉県白井駅。一年ぶりの旅行となったが、わくわく感より、やり残しを裁くという義務感も漂っていたと思う。まるでかつて何度も出張した続きのようにさえ思えたのは、そんな仕事をやり続けてきたからだろう。白井駅 駅
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東京へ向かう武蔵野線の床に、見たこともない巨大な表示が目を引いた。そうか、予定通りならオリンピックやバラの期間だということに思いが行った。こうゆう表示の発明国である我が国の真骨頂かもしれない。
この旅行はまさにコロナ下の旅行の現実をも伝えるものともなるだろう。そんな予感はこの時点では全くなかった。 -
東京駅、新幹線ホーム。掛川に降りることのできるには「こだま」である必要がある。しかも JTB の企画旅行であり、きっぷの性格として早いのに乗るなんてことはできなかった。
ところで僕は PASMO を利用している。新幹線の改札口で搭乗券を入れて PASMO チェックで難なく入れた。でもこのことで帰りは痛い目を見た。船橋での乗り換えを帰りの搭乗券切符と PASMO チェックしたら、エラー表示された。音声で「乗り越し清算をしてください」とのこと。つまりは改札機には種類があって対応済とそうでないものがあるのだという現実だ。同様の旅行を企画中の人は注意。
さらにコロナ下の環境だ。09分の「のぞみ」のお客数を見て JR 関係者にお礼を言いたくなった。ガラガラの列車はまるで空気を運んでいるかのようだ。それでもいつもと変わらぬ仕事を続けている。 -
事前に調べていた駅ナカの「祭り」という弁当屋さんで、遅い昼食をゲットした。2缶のビールを購入したが、そのうちの1缶。待ち時間20分の間にいただいた。日本では駅構内で飲食できるというのも、この国の自慢できるところかもしれない。海外なら、逮捕される危険もあると言ったら信じるだろうか。特に東南アジアは汚されることを嫌ったのだろう、日本は列車内の飲食は、待ってくれよと言いたくなるほど放漫だと思う。
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ホームで目を引いた旅行バックの予約対応ちらし。台湾の新幹線では最初から用意されていたと思うし、確か無料だったと思う。これもオリンピック、つまりは国際的大運動会開催の良かった点かもしれない。
僕はなんども新幹線の出張で座席を占拠する大型バックを見たことがある。置き場がないのだから仕方がないけれど、満席状態でこれは非難される対象だった。 -
もっとも、近くの旅行者が棚に上げていたバック。これほど頑丈ならば、大型でない限りは新幹線は素晴らしい。まるで飛行機と同じ配慮がされていると思う。しかも、飛行機のようなドア鍵が支えてなんかいない。
予約席だったが、交互に隙間を作為的に入れていた。コロナ下の事情なんだろう。こうすれば、リスクは減るし、指定席チェックに回る車掌さんの仕事も軽減されるのだろう。 -
「こだま」と言っては昔の0系を思い出すが、いまや退役した関係か、列車は N700A すなわち電源コンセット付きだ。携帯の充電ができることはとてもありがたい。窓際に座るという条件はあるが、コロナ下では全員窓際に鎮座していた。
E 席は富士山を見れるかもしれない座席なので多少の期待ももった。 -
で、遅い昼食。「祭り」のネット情報では\980の呑み助弁当があるとのことだったが、時間もピークを越えたのか残り物1つ \1300- の弁当になった。ビールはこれまた地ビール。
考えてみれば、周りににおいを振りまいて食べる駅弁も、コロナ下では恐ろしく改善された可能性がある。換気システムが一新されたはずである。その意味では、車内で飲食も周りに迷惑かける度合いは減ったのかもしれない。こうゆう企業努力は実は終わった後に、劇的に評価されたりするから、この国の企業人にも感謝。 -
お楽しみの富士山はこの状況。太平洋高気圧の強烈さで落雷警報がでるくらいなのであきらめるしかない。もちろん、三島駅からの写真。残念無念と思うのは僕が日本人だからかもしれない。雲のない富士山に憧れがある。海外から帰国した時の富士山の姿が神々しいと感じる単純な僕だ。
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「こだま」は何度も高速列車に追い抜かれたが、面白いというか上下線とも「こだま」が停車して追い抜きがかかるということだ。東京へ向かう「こだま」も N700A だ。時代を感じるといえば、僕の年齢がバレそうだ。
それと、、新幹線free WiFiってしってましたか?こだまでも、使えてる。しらなかった。第一、啓蒙していないし、もしかすると国際的には当たり前で宣伝する必要もないのかもしれない。 -
さて、掛川駅に到着、駅ナカの観光案内で「袋井ほっと観光」の観光パンフをゲット。最後のページは袋井市の地図が折りたたんであり、これってお金をかけたパンフだと思った次第。〇で囲った場所は訪問する予定の場所、わかりやすい地図で感謝・。
その意味では、掛川のパンフは目的別でした。新幹線のない袋井市の真骨頂かもしれない。 -
それでもって1泊させてもらった駅前のホテル。ビジネスホテルとして地元静岡のチェーンホテルらしい。口コミはいろいろだったけれど、ビジネスで出張を繰り返した僕にすればこの程度で十分と判断した。
コロナ下であり、翌朝朝食時に10名程度かもしれない。僕以外は仕事かもしれない。従って部屋も7階の端部屋をいただき、快適でした。文句なし。ただし、朝食時のバイキングは手袋付けて食材をピックアップとのことで、日本食の僕は味噌汁をお玉でとるとき、滑りそうで難儀した。でもこれも致し方ないのだろう。用意してくれたスタッフに感謝。
そういえば、チェックイン時のフロントはそっけなかった。結構評判のフロントの口コミだったけれど、すべてコロナの影響だろう。これからのホテル宿泊は、当然そのような覚悟が必要だということだと思う。くれたけイン掛川 宿・ホテル
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さて、ビール好きになった僕は、事前に駅周辺のおいしいビアホールを物色。
BUCKET HERE & CORNER で、満喫。地ビールは、深蒸し茶エールをお代わり。流石お茶どころでした。英国流のフィシュアンドチップではなくて、ハムアンドチップ、ボリューム有りました。相変わらず、食べ終わった空の写真で恐縮。
メロックスエール2020が美味だけども、1杯のんだら、sold outになった。メロンの味が半端ない。おまけに楽しい話もできました。5時前の早い時間なのでマスターには失礼したかも。 -
翌朝、そんなに猛烈な暑さではないので、窓を開けて掛川城を拝見。結構な高台になっていて、市内を見渡せる作りになっていた。残念というか、そこへ訪問する予定はないので掛川観光のメンイイベント写真かもしれない。
もっとも城下のお土産屋さんには、レンタカーの最後の寄り道となった。掛川城天守閣 名所・史跡
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掛川市の観光掲示板。駅前に掲げられている。
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掛川駅。新幹線のために新設された駅だと思う。二階のホームはガラス張りでよく見える。新幹線の駅がある理由は、掛川城がある理由と同じなのだと思う。
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そして、レンタカー手配した日産レンタカーの看板が見える。南側の駅前のロータリー。きれいに整備されており、さすがにお茶で財を成してきた街なのかもしれない。道路も比較的わかりやすいとおもう、北側は十文字の道路でさらにきれいだ。
日産レンタカーにした理由は、8:00から借りられる・、さらに安いという事実に過ぎない。他はどこも9時からだったので・・。訪問先に9時につくということがどんなに大事かはルートセールスした営業マンだけが知る現実だ。朝一は訪問先の会社の現実に接触できる。だからこの日の日産レンタカーを8:00時に借りたのは僕だけではないということを申し述べておく。僕にすれば、 別に借りた彼らに日本の未来が大丈夫だと思った次第でした。 -
さて最初の訪問地。袋井の「月見の里学遊館」まだ9時前だから開館していないが、目的のものが野外にあるということは事前にメールで確認していたので勝手に駐車場へ入れて探索したら、すぐに見つかった。
月見の里学遊館 名所・史跡
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鳥居信平氏の胸像。同じものが高雄の浄化ダムの近くの森林公園に展示されているということだ。2体作成されるのが許さんのやり方だから送られた袋井市のほうがたぶんびっくりしたことだろう。
ご子息の鉄平氏のほうが地元では有名らしい。南極へ何度も足を運んだ功績が地元の自慢だからと思う。むしろ、信平氏のことは寝耳に何とかだったことは想像の域を出ない。仕方がないのは、戦前の台湾について僕らは正しい教育を受けてこなかったことだ。日本の教育者の不勉強を何とかしてほしいと思うのは僕だけではないだろう。 -
隣にある照会文の掲示板。
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戦前の台湾では珍しくない、金沢四校経由で東大を卒業している。台南の巨大なダムを造った八田与一氏と同じ経路だ。地下ダムの完成は八田氏よりも早く 1923年。
この地下ダムの原理を知ろうとすれば、宮古島の地下ダムが最も参考になるようだ。現実、高雄のダムは数回の地震でがれきが積もってかつての原型を見ることはできないようだ。次の旅行予定にしたいが、今の沖縄地方の実態を見れば簡単には行けそうもない。 -
次の目的地、常林寺の入り口、左の奥に目的の浅羽医師への追悼碑がある。思ったほど大きなものではなかったけれど、当時の村民とチャウの交流を思う。
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常林寺には、上皇陛下の訪問碑が並んでいる。たぶん、ベトナムでのチャウの記念館訪問がここへつながったのだろう。
暑い。まだ9時なんだけど。 -
入口にある説明版。浅羽医師が果たした役割は今のベトナムにとって恩人の一人だと思う。ベトナムの教科書に載る偉人だと思う。日本の教科書には一切記載されない。日本の歴史教科書って自虐史観を植え付けるためのものだとすれば、まだしばらくは若者らは覚醒しないかもしれない。
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その碑。ベトナム留学生の聖地。日本滞在中に必ず一度は訪ねるという場所だ。文言の内容については、この後訪問した近藤記念館での写真を参照。
隣の祠にパンフもあった。訪問を記帳してきたのは僕にもこの歴史の重要さは畏敬の念を感じるからだ。 -
裏側の関係者の名前。これも近藤記念館の写真に詳しい。
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近藤記念館の全容。入館時に体温の検査をされた。コロナ下での運営は確かに影響が大変だ。
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上皇陛下はこの近藤記念館も訪問されている。当時はベトナムとの特集展示をしていたからかもしれない。
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館内の展示の一部。現在のベトナムとの交流が書かれている・。こうした国際交流は若い人らにとっては大切だ。フエと袋井の姉妹都市提携も生きてくると思う。
僕はフエでチャンの顔像をすでに拝見した。袋井市がすでに国際都市であることを教えてくれる。ただ、断っておきたいこともある。日本人の1/4 しかパスポートを持たない。井の中の蛙であることを懸案とすれば、この交流は素晴らしいと思う。 -
ファン・ボイ・チャウの年表。数奇な運命だったに違いない。しかし、ホーチミンの閣僚らを生み出したのは、彼だった。
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追悼碑の文言の内容を記載している。
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隣の大きな公園に鎮座する機関車。袋井から海へ向かう軽便鉄道があったそうだ。現在は跡形もない。
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1時にレンタカーを返却後に立ち寄った駅の食堂。結構な人が昼食をしていた。ぼくはといえば、返却したらもう運転しないからビールだと直結した。
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そこでいただいたまぐろ定食。おいしかったです。
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閑散とした駅構内。「こだま」のみの停車駅。
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したがって通貨列車が猛スピードで彼方に消える。
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乗り込んだ帰路の列車でも富士山は拝めず。残念。
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当地の清酒の種類が多いのに驚いた。山田錦の生産量も多いようだ。この9月、田んぼが黄色い絨毯ではないのは、稲穂が首を垂れているからだ。台風が直撃しなければ、今年は大豊作かもしれないと思ってしまった。
だが台風はこれからだから、その前に刈り取りできるか競争なのかもしれない。今年の清酒は飲みかもしれない。
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