2012/10/11 - 2012/10/12
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SamShinobuさん
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毎年、業界各社の社長が出席する会合が奈良ホテルで開催されており、この年は何故か僕がうちの社長のお供として同行することになった。社長とずっと一緒という煩わしさよりも、奈良ホテルに泊まれる嬉しさの方が勝っており、行きの新幹線の中でもワクワクしていた。
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2012年10月11日(木)
憧れの奈良ホテルに到着。明治42年(1909年)開業の老舗ホテル。日本クラシックホテルの会に加盟している9つのホテルのひとつだ。ちなみに僕の大好きな横浜のホテルニューグランドも加盟している。 -
美しすぎる正面階段の存在感は半端ない。
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本館は二階建て。その設計は東京駅駅舎を手掛けた辰野金吾らだ。階段の手すりの擬宝珠や和風なシャンデリア等、名建築マニアにとって垂涎もの。
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この翌年、旧満州の旧ヤマトホテル(ハルピン、瀋陽、長春)を泊まり歩く旅をしたが、それ以前に宿泊した大連の旧ヤマトホテルも含め、奈良ホテルとの類似点が数多く発見されて萌えキュンだった。あの銅鑼は1929年から宿泊客に食事の時間を知らせていたそうだが、そういえば旧ヤマトホテルにも同様の銅鑼が置いてあった。
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1935年に満州国のラストエンペラー・愛新覚羅溥儀が宿泊している。その際に新調された食器類が展示されており、僕は複雑な思いでそれらの調度品を眺めていた。
満州国皇帝に返り咲いた溥儀は、1935年4月6日に昭和天皇の招待で初来日している。大連港を出港した溥儀は横浜港に着いた後、そのまま専用列車で東京駅に向かった。東京駅では、なんと昭和天皇ご自身が溥儀を迎える歓待ぶりだった。溥儀はその後靖国神社を参拝して、専用列車で奈良・京都・広島等日本各地を訪問している。そして4月23日に横浜港より帰国した。
その時滞在したのが奈良ホテルだったので、溥儀フリークの僕としては、かねてより一度泊まってみたいと思っていた。今まで溥儀の足跡を辿って北京の紫禁城から始まり、宣統帝退位後暮らした天津の静園、満州国皇帝になる前に逗留した旅順の旧ヤマトホテル、長春の偽満皇宮博物院、やはり滞在歴のある大連旧ヤマトホテル208号室など、溥儀にゆかりのある所ならどこでも出掛けた。興味は溥儀だけにとどまらず、溥儀の実弟である溥傑が日本人女性嵯峨浩と新婚時代に暮らした家が遺されていると知ると、千葉県稲毛まで見学に行ったほどだ。
溥儀が奈良ホテルに滞在した頃が、彼の人生における最盛期だったのではないだろうか。日本の天皇が自ら東京駅まで迎えに来たことで、天皇と自分の地位は平等なのだから、日本人は自分を天皇と同じように扱うべきだと本気で考えてしまう。まさか自分が日本軍の操り人形に過ぎないなどとは、思ってもみなかったのだろう。時代に翻弄されたひとりの人間としての溥儀を思うと、その数奇な運命に言葉を失ってしまう。 -
1936年3月7日には、新婚旅行で日本を訪れていたチャーリー・チャップリンとポーレット・ゴダード夫妻が宿泊している。二人の共演した「モダンタイムズ」が、同年2月に米国で公開されたばかりだ。
奈良ホテルに宿泊した翌日3月8日に神戸港からクーリッジ号で出航するが、なんとその時に僕の敬愛してやまない淀川長治先生が、船上でチャップリンに会っている。当時ユナイトの宣伝部にいた淀川先生は、甲板で5分だけのインタビューを許されるが、子供のころから憧れていたチャップリンを前に舞い上がって、どんなに自分がチャップリンのファンか喋りまくり、挙げ句の果てにチャップリンの物真似までした。チャップリンはそんな若き淀川先生を面白がって、ポーレットのいる船室に招き入れ、40分もインタビューに応じてくれたそうだ。ポーレットが港で見た貝に入った真珠を買いに行きたいと言い出すと、チャップリンは会ったばかりの淀川先生に連れていってくれないかとお願いした。もちろん快諾した淀川先生は、あのポーレット・ゴダード!をエスコートする。ところが淀川先生、真珠のお店で楽しそうなポーレットを見て、それが人工真珠だと言えない。そしてたくさん買ってきた真珠を見て、チャップリンが「これは本物?」と尋ねたそうだ。困り果てた淀川先生は、「舐めてみて冷たければ本物だそうです」と言うと、チャップリンには分かったのだろう。そっと真珠を口に入れ、「冷たい」と言ったという。ずいぶんと年下の新妻の喜ぶ顔が見たくて、チャップリンと淀川先生は共犯者になった。
僕の大好きなエピソードだが、その前日にここに泊まっていたのかと思うと感慨深いものがある。 -
他にアインシュタインやヘレン・ケラー、マーロン・ブランド、オードリー・ヘプバーンらも宿泊者として記録されている。
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奈良ホテルの荷札やトランクステッカーなど。これは萌えでしょう。当時に思いをはせると、いにしえの旅ロマンを感じざるをえない。
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夜は宴会場でフランス料理のフルコースだった。社長がフォアグラが食べられないといって僕にくれたけど、さすがに二人分はカロリー高すぎでしょう。と言いつつペロッと食べてしまった。その後、ホテルのバー「The Bar」で飲んだ。
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2012年10月12日(金)
ロビー桜の間。
翌日、社長はゴルフコンペ。僕はゴルフはやらないので、前もって社長から、「先に帰っていいよ。なんなら奈良見物でもして行ったら」と言って貰っていた。という訳で朝から無罪放免になったので、お言葉に甘えて奈良・京都を少し観光することにした。 -
奈良ホテルのフロント。
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奈良ホテルは奈良公園の中にあるので、徒歩で東大寺、春日大社、興福寺と回れる。
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奈良公園と言ったら、やっぱり鹿!
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ここでは人間より鹿のほうが偉い。
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堂々としたいい顔してるなあ。
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東大寺の南大門は鎌倉時代に建てられた日本最大の山門だ。
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大仏殿。立派!
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奈良の大仏さんは、宇宙そのものを現してる宇宙仏。聖武天皇の命により、752年に大仏開眼式が行われた。聖武天皇は、巨大な大仏を造立し仏教を信仰することで、当時大流行していた天然痘から国を救おうとした。この恐るべき天然痘ウイルスは遣唐使によって日本に持ち込まれ、国中を恐怖のどん底にたたき落とした。って、新型コロナウイルスと同じじゃん!
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高さはおよそ15メートル。
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工事に関わったのは、延べ260万人。なんと当時の日本の人口の約40%にあたる。国民の4割が駆り出されたって、マジか。費用は現在のお金にして4657億円という試算もある。
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柱くぐり。大仏の鼻の穴と同じ大きさの柱の穴をくぐると、無病息災のご利益があると伝えられている。
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長閑な時間を過ごす。
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二月堂に向かう裏山道。美しい!
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二月堂。江戸時代に再建された。
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ここからの眺望は素晴らしい。
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しばし寛ぐと心が洗われて穏やかな気持ちになった。
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鐘楼は鎌倉時代に再建されたもの。梵鐘は創建当時のもので、日本三大名鐘のひとつ。
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鹿せんべいを買うと、持っているだけで鹿が集まってきた。
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奈良公園の鹿は春日大社の神使。1300年の昔から保護されてきたので、わがままなお嬢さんのようだ。
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神鹿たちは我が物顔で歩いている。
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明治維新の混乱で一時は38頭まで減ったが、その後大切に守られて現在は1200頭もいる。
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鹿のお尻を追いかけて、春日大社に向かう。
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石燈籠がずらっと並ぶ見事な参道。ちなみに春日大社は日本一燈籠の数が多い神社だそうだ。
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春日大社南門。
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参拝所で参拝。日本でも有数のパワースポットとして知られている春日大社で、運気アップをお祈りする。
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興福寺。669年に創建され、往時には僧兵が4000人もいたって言うんだから恐ろしい。
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日本を代表する五重塔のひとつ。730年に建立され、その後何度か再建されて、現在の塔は1426年に建てられたもの。高さは東寺の五重塔に次いで2番目の50.8m。日本には22の五重塔があるそうだが、この豪快な造りは圧倒的だ。
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南円堂。興福寺にある八角形のお堂。中に安置されている一言観音は、一言のお願いだけ叶えてくれるそう。多分昔から観音様にあれもこれもお願いする人がいたんだろうなあ。観世音菩薩が人間の欲深さにうんざりして、「ええ加減にせーよ、ひとり一個までね」と言ったとか言わなかったとか。
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近鉄奈良駅のせんとくん。駅の近くでお好み焼きを食べ、それから京都に向かった。
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さて、5ヶ月ぶりの京都だが、どこに行こうか。大好きな三十三間堂か、大原三千院か?少し迷ったが、銀閣寺に決めた。丁度この時の僕は、趣味に走り銀閣寺に引きこもった足利義政な気分だったのかもしれない。京都駅からはバスに乗って銀閣へ。京都はバスの路線が無数にあるので、どこに行くにも便利だ。
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銀閣寺は、10年に渡る戦乱によって京都を灰燼と化した「応仁の乱」に嫌気がさした足利義政が世を逃れた場所だけあって、落ち着く寺だ。
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境内マップ。
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観音殿銀閣の手前には見事なサンドアートの向月台。
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東求堂。元々は阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂で、浄土信仰の象徴だった。
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展望所からの眺望は素晴らしい。
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上から見る銀閣。
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銀閣寺というのは俗称で、本当は慈照寺という。この観音殿を銀閣と言ったので、江戸のころから銀閣寺と呼ばれるようになった。金箔が貼られた金閣寺と違い、銀箔が貼られているわけではない。だから金閣寺の後に訪れた修学旅行生の二人に一人は、「銀じゃないじゃん」と文句を言う(僕調べ)。
室町文化は現在の日本文化の原型でもあり、例えば畳や湯船に入る習慣も室町時代に始まった。義政はこの室町文化に最大の貢献をした芸術オタクで、国を治めたり、政治をする将軍には向いていなかった。 -
一階と二階の様式が全然違うのは有名だが、その正面も一階と二階では違っている。一階は庭がよく見えるように東向きで、二階の正面は南向きになっているのだ。引きこもりの義政、一日中ひたすら庭を眺めていたかったんだろうな。
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この当時、思うところあって僕の心境はまさに
「あら楽し思いは晴るる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし」
だった。そんな僕に仏教的厭世観の漂う銀閣寺は沁みた。 -
京都タワー。1964年竣工。高さ131mは当時の市の人口が131万人だったからだそうだ。
京都は撮影所があった関係で仕事でよく訪れたが、この日以来行っていない。
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