2019/12/10 - 2019/12/20
543位(同エリア658件中)
urufeeさん
- urufeeさんTOP
- 旅行記214冊
- クチコミ48件
- Q&A回答2件
- 214,009アクセス
- フォロワー12人
本州側での日本酒資料館などの見学を終わって、関門海峡を越えて大分県中津市へ移動して来ました。
大分では夕食時こそ居酒屋で日本酒飲みましたが、日中は青の洞門、中津城、宇佐神宮などまじめに観光しました。
全体の日程は下記です。
12月10日 自宅→清水へ移動し、いつもの健康ランドで3泊ほどノンビリ。
12月13日 清水→名古屋。健康ランドにチェックアウトギリギリまでいたので移動だけ。
12月14日 ホテルに荷物預かって貰い、半田の国盛り資料館へ。ホテルで荷物受け取ってから、三宮へ移動。
12月15日 三宮から阪神電車を使い、灘界隈の日本酒資料館など見学。
12月16日 三宮08:09→西条13:17で移動し、ホテルに荷物預かって貰い、西条の蔵巡り。
12月17日 西条08:09→中津16:39で移動。途中、徳山で駅外に出て昼食しましたが基本移動だけ。
12月18日 路線バスで耶馬渓に行き、青の洞門、五百羅漢など見学。
12月19日 徒歩で中津市街の中津城、諭吉記念館など見学。
12月20日 宇佐観光協会で荷物預かって貰い宇佐神社見学。その後、大分空港17:05→羽田18:35で帰宅しました。
福沢諭吉は中津藩士の息子として生まれました。写真は中津駅前で福沢諭吉の大きな銅像がお出迎えしてくれる駅前広場です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
中津に到着した翌18日は、路線バスで耶馬渓へ行きました。紅葉の季節ではありませんが、青の洞門や羅漢寺などを見学してきました。路線バスで下車したのは。オランダ橋のすぐ近くです。
-
このオランダ橋は、日本唯一の八連アーチ石造橋ですが、何故オランダ橋と呼ばれるようになったかはハッキリしてないのだそうです。長崎に多い石積だからという説は有るみたいです。
-
オランダ橋からすぐの所に青の洞門が有ります。
-
禅海和尚が自力で岩盤を掘り進めたと伝わる青の洞門を早速見学します。
もっとも、菊池寛の「恩讐の彼方に」のように一人で掘ったのではなく、托鉢勧進で得た資金を使って石工を雇い一緒に掘ったみたいです。どちらにしても頭が下がります。 -
禅海和尚手掘りの跡と説明の有った明かり窓。
-
洞窟内には禅海和尚の手掘り中の像が有りました。
-
青の洞門を抜けて耶麻渓を眺めます。
-
青の洞門といえば、菊池寛の”恩讐の彼方に”ということで、菊池寛の碑が有ります。
-
そして菊池寛の碑の後ろ側に、禅海和尚の像が建っています。
-
青の洞門の見学を終わって羅漢寺へ向かいます。
事前計画では駐車場近くの表参道から登るつもりだったのですが、途中で旧参道の標識を発見。こちらの方が面白そうなので旧参道から登り始めました。 -
苔が生えた石畳でチョット滑り易かったですが、雰囲気が有って旧参道を進んで正解でした。
-
やっと羅漢寺の山門に到着。
-
山門の前には曼荼羅石が有ります。
この曼荼羅石から羅漢寺側が聖域になっています。 -
山門から先は聖域で撮影禁止との事なので、少しでも奥まで撮ってみました。
-
羅漢寺は撮影禁止でしたがバス停へ向かう途中に在る、耶馬渓風物館を見学してホテルへ戻りました。
-
12月19日は徒歩で中津市街の観光です。
まずは大江医家史料館から。
中津藩主の御典医であった大江家の旧宅が利用されています。 -
ここの一番の目玉”解体新書”。
-
でも私の興味を引いたのはこの掛け軸。
明治期の当主・大江億司が学生時代に筆写したのだそうです。当時は解剖実習が一般的ではなかった為、こんな風にして勉強したのだそうです。 -
資料館の奥は薬草園になっています。
-
次は400mほど離れた所に在る、福澤諭吉旧居・福澤記念館。
-
記念館内は撮影禁止です。こちらは諭吉が青年期まで住んでいた旧宅です。
-
こちらが内部の様子です。
-
こちらは諭吉が長崎へ遊学に行く19歳頃まで勉学にいそしんだ土蔵です。
-
こんな感じで一生懸命勉強していたんでしょうね。
-
一旦駅前に戻って昼食を取って、村上医家史料館から観光再開。
1640年の初代宗伯から医家を続けているそうで、多くの所蔵品が展示されています。 -
大江医家資料館には血管図が有りましたが、こちらは骨格図の掛け軸が有りました。
-
ビリケンさんと言えば大阪通天閣ですが、アメリカの神様だったんですね。
これは大正時代の財界人・和田豊治のアメリカ土産です。村上家に医者を目指して寄食していた関係からここに展示されているみたいです。 -
内部には沢山の薬瓶や、
-
昔の医療器具が展示されています。
-
村上資料館から中津城址へ来ました。一帯は中津城公園になっています。
-
公園の一角に西南戦争で亡くなった中津隊の顕彰碑が建っています。中津藩士を中心として西郷軍に参加したのだそうです。
-
こちらは中津大神宮。
前に置いて有る砲弾は203高地で使われたもので、日露戦争記念みたいです。 -
中津城へ入ります。
-
1600年にオランダ船が大分県黒島に到着しました。当初は5隻で日本を目指したらしいのですが、到着したのはリーフデ号の一隻のみ。その上、110人の乗員の内到着時生存者は24人という苦難の航海だったみたいです。
この中に徳川家康に重用された、写真の二人がいます。ヤン・ヨーステンが八重洲の語源だったとは知りませんでした。 -
天守閣からの中津市街の眺めです。
-
中津川の先には瀬戸内海も見えます。
-
2014年の大河ドラマ・軍師官兵衛の資料館がまだオープンしていたので、チョット覗いてみました。
-
最後に中津市歴史博物館を見学して本日の観光を終了。
-
12月20日は夕方の飛行機を予約しているので、中津から大分空港へ向かう途中に有る宇佐神宮に立ち寄ります。
18切符は使い終わってますので、通常切符で宇佐駅まで移動しました。
落語家・桂文治が冒頭の自己紹介で、「出身はユーエスエーです」と言ってますが、確かにローマ字表記だとUSAです。ホームからUSAの文字が見えるのですが、もっと大きいのかと思ってました。ほぼ中央に写ってるのですが、分かりますか? -
駅名表示板も何となく星条旗のようなデザインになってます。
-
宇佐駅前10時発の路線バスで宇佐神宮まで来て、この観光案内所で荷物預かって貰います。300円でした。
-
広い参道を通って宇佐神宮へ向かいます。
-
宇佐神宮はお神輿発祥の地みたいです。
-
そして、神様と仏様が最初に出会った場所でもあるそうです。
どちらも由来・経緯などの説明書きを見つけられなかったのですが、何処かに有ったんでしょうかね? -
やっと宇佐神宮へ到着。
-
神社は何処も内部へは入れないので、チョットだけ内部の様子を。
-
次に若宮神社の所から下宮へ行きます。
-
下宮に到着しました。
先ほどの上宮と同じ、主祭神はどちらも応神天皇ですが、上宮が国家の神で、下宮は民衆の神ということみたいです。 -
下宮の内部も覗いてみました。
-
一柱騰宮跡の石碑。
神武天皇東征の途中、宇佐に上陸した時に饗宴の宴を催した地なのだそうです。 -
西参道に掛かる呉橋。
昭和初期まではこちらが表参道だったらしいのですが、現在は渡ることができません。 -
宇佐神宮を一通り見学したので、表参道の食堂で昼食。
大分名物の”だんご汁”。今日はリッチに海老天入りにしてみました。 -
昼食も終了したので、宇佐神宮に隣接する大尾神社と護皇神社へも行ってみました。
769年に僧道鏡が天皇に対し謀反を企てた時、勅使として来た和気清麻呂が宇佐神宮の八幡大神からご託宣を受けた場所が大尾神社。
そして、和気清麻呂が僧道鏡の野望を打ち砕いたことを祝して護皇神社が建てられたのだそうです。 -
結構階段を登って行きます。
-
階段を登りきったところに、和気清麻呂の顕彰碑が建ってました。
-
大尾神社に到着しました。
-
こちらが護皇神社。
-
空港行きのバス時刻まで時間が余ったので、宇佐神宮宝物館も見学しました。内部は撮影禁止です。
この後、観光案内所で荷物受け取り、宇佐神宮のバス停から14:52発の大分空港行きに乗ります。空港までは一時間5分かかり、大分発17:05→羽田18:35で帰宅しました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
耶馬溪・中津・玖珠(大分) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
58