2020/08/14 - 2020/08/14
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風 魔さん
明日・8月15日は、太平洋戦争の終戦記念日です。
本日は、郷土の陸軍・「静岡・歩兵第34連隊の従軍写真家」でした故柳田芙美緒氏の「戦争の出征風景・訓練~戦地での生活~遺骨での帰還」など、戦争の歴史の記録を写真で伝える写真展を見学するため静岡縣護國神社へ行きました。
護國神社では、毎年8月15日を中心に戦没者慰霊のための「万灯みたま祭」が開催され、多くのご遺族や関係者が参拝に訪れます。
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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広い境内に提灯の列。
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当神社の神紋は、「丸に桜」印です。
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ご神紋の、「丸に桜」印です。
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当神社には、明治維新から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る静岡県出身の戦没者・殉死者の御霊・76,219柱が祀られています。
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涼しい緑陰の境内を散策する。
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ここでお会いしたお年寄りの方は、親兄弟や親族を戦争で亡くされたと話していました。
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つつじ会館・別館には、「柳田芙美緒写真室」が常設されています。
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しかし「つつじ会館」は経年により老朽化したため、本年度をもちまして廃止されることとなりました。
「新遺品館・新つつじ会館」が新設され、社務所前の駐車場の一角に開館しました。 -
「柳田芙美緒写真室」の入り口。
故柳田芙美緒氏は、「静岡・歩兵第34連隊所属の従軍写真家」となりました。 -
伝統ある静岡・歩兵第34連隊は、静岡市の中心部に位置する駿府城の敷地全体に配置されていました。
駿府城はかって徳川家康公の居城でしたが、その跡地は「市民憩いの駿府城公園」として整備されました。 -
かって第34連隊本部のあった「駿府城外堀」の中の広大な敷地内には、現在文教地区として幼小中高校 6校の校舎があり、さらに県庁舎(県警)~税務署~市立病院~市民会館~体育館~地方裁判所~法務局などがあり、中心部は市民憩いの「駿府城公園」として市民に親しまれています。
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当時の連隊練兵場。
昔の城郭内の敷地が「いかに広大か」と、各地の連隊がその地を活用して連隊や師団本部を設置したことからも分かります。 -
「帰らざる行進」=昭和17年の南支那戦線の風景。
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昭和12年8月、第二大隊の営門出発風景。
初戦は昭和12年(1937年) 9月、上海事変での戦いに参加する。 -
第34連隊は、主に「中支戦線」へ派遣されました。
日中戦争の目的は、「中国を懲らしめる=膺懲」と云う主張で初めましたが、19~20世紀の欧米列強によるアジア諸国の植民地獲得競争に遅く参入した後発組の日本の焦りが感じられました。 -
中国での戦地の風景写真。
「暴支膺懲 (ぼうしようちょう) 」=暴虐な支那(=中国)を懲らしめる(=膺懲)とは ⇒「日中戦争の切っ掛けになったいくつかの事変を経て、中国との宣戦布告なき戦争を正当化するために日本の軍部が頻用した用語です。
暴虐な中国を懲こらしめる ⇒ 日中戦争中の日本において「何故支那と戦っているのか」を正当化するため頻繁に用いられた。 -
練兵場・岳南神社前での兵士整列風景。
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かって練兵場の二本松の脇にあった石鳥居は、当神社へ移築されました。
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太平洋戦争開戦に伴い、昭和17年3月連隊旗を掲げて第34連隊の出陣式。
旧陸軍の時代、日清戦争後の軍備拡張に伴い静岡歩兵第三十四聯隊が誕生し、駐屯する土地は静岡市が陸軍省に献納して、明治30年(1897年)静岡県出身の郷土部隊として発足しました。 -
昭和17年3月、出陣式における東海林部隊長の訓示。
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「写真展」の数々の写真の展示。
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ご遺族および関係者が来場する。
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来場者が、熱心に戦争の記録写真を見つめる。
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故柳田芙美緒氏は、詩人としての一面も持っていました。
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多くの声援で見送られた、元気な出征の兵士たちは営門を出発して(上図)、その数年後には白い遺骨箱となり帰還する(下図)。
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多くのご遺族が見守る中、兵士が白い遺骨箱を胸に掲げて中堀の橋を渡る。
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「お国のためという戦争」に招集されて、白い木箱となり家族の元に還る。
歴史的には1931年を起点として、1945年の日本の敗戦までを「十五年戦争」として捉えれば、日中戦争は全く生産性のない多くの戦費を費消したため、毎年国家予算を圧迫して「大義なき戦い」により両国民に多大な犠牲を強いて、未だに「日・中・韓の諸問題」の原点となっているものです。
「十五年戦争」とは、1931年の柳条湖事件勃発から1945年のポツダム宣言受諾(日本の降伏)まで、足掛け15年 (実質13年11ヵ月)にわたる日本の対外戦争、満洲事変、日中戦争、太平洋戦争の全期間を一括する呼称のことです。 -
日本の陸軍軍人で、日露戦争における遼陽の戦いで戦死し、以後軍神として尊崇され第34連隊「第一大隊長の橘中佐」は郷土の英雄として崇められました。
また本連隊の第一大隊長の橘中佐の活躍から、「橘連隊」との通称もありました。 -
御霊を慰霊する提灯。
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長い提灯列。
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石鳥居から本殿へとつづく参道。
当社では毎年8月には、「御霊を慰霊」する「万灯みたま祭」が開催されます。 -
今日は昭和20年8月の敗戦日のように、快晴の真夏日。
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右手にある社務所の二階は遺品館になっており、戦没者の遺品約4千点が展示されています。
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境内の芝生上には、寄贈者名を記された献灯が整然と並んでいます。
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☆ 現在まで継承される第34連隊の系譜 ☆
現在、陸上自衛隊の「第34普通科連隊」は静岡県御殿場市の板妻駐屯地に駐屯し、主に静岡県の防衛・警備・災害派遣を担任しています。
連隊は過去に静岡県に駐屯していた「旧陸軍歩兵三十四聨隊の部隊番号」を、地域の方々からの要望により、そのまま受け継ぐ形で創設された郷土部隊としての特色を持ち、軍歌にも歌われた、橘中佐が生んだ岳南精神「矢弾飛び交うもとで人間愛、戦友愛、難局における献身的行動」を継承し創設以来、地域と密着した34連隊を目指して日々の訓練に励んでいます。
連隊は、災害発生時の各自治体等関係機関との連携を常に保持するため、静岡県や各市町村等での防災訓練などに積極的に参加し、自隊でも防災図上訓練や総合防災競技会などを行い、災害対処能力の一層の向上に努めています。
連隊はこれからも地域に根差し、有事に即応する部隊であり続けるために努力していきます。(以上は、連隊の広報による)
⇒ 最近の災害多発例に対して、県民としては心強い組織です! -
昭和天皇の弟君・「三笠宮崇仁親王殿下」による記念植樹の欅(ケヤキ)。
全国のすべての御霊に、謹んで合掌する!
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