2020/05/30 - 2020/05/30
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くまねこさん
去る5月の終わり。
自転車で御所まで行ってきました。
陰陽道の大家・賀茂氏や勘解由小路氏の祖神である事代主神を祀った鴨都波神社と、
葛城山の麓にある「千体石仏」で有名な九品寺に行きました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
よし、御所まで自転車で行って、帰りに日本酒を買って帰ろう!
と意気込んだのですが、
さっそく息が上がってしまったので、ちょっと休憩。
新沢千塚古墳群という所で、
ちょっとした公園になっているので、ここで休憩です。
総数約600基からなる古墳群で4世紀の終わり頃に造られた古墳だと言われています。
日本は古墳時代。当時は倭(わ)と自称し、東晋に朝貢していた頃ですね。
ちなみに卑彌呼(ヒミコ)は、240年代の人物なので、3世紀の出来事になります。新沢千塚古墳群 名所・史跡
-
中央にはちょっとした水場があり、中央には龍がまるでよだれのように水を口から出していました。
キリッとしたイケメンの龍ですね。新沢千塚古墳群 名所・史跡
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顔のアップ。
どうやっても、口から流れる水がよだれにしか見えませんね。
よっぽどお腹が空いているようです。
近づくとキケンなので、ちょっと遠くからズームで写真を撮ります。新沢千塚古墳群 名所・史跡
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龍の背中側。
首のあたりもきちんと作って欲しいです。
まあ、近くは涼しいので涼むには最適です。新沢千塚古墳群 名所・史跡
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東屋もあって、日差しを気にせずに休憩できました。
新沢千塚古墳群 名所・史跡
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そして東屋のベンチには、子供にもわかるようにでしょうか。
ひらがなで
間を空けて遊ぶよう、
ソーシャルディスタンスに気をつけるよう注意書きが貼ってありましたが……、
いらすとや……っ!
と、お笑い芸人の粗品さんでなくてもツッコんでしまいそうです。
独特の、ほんわかしたタッチが、すぐに分かりますね。
話がそれますが、令和の発表の時の手話がかぶって見えないとか、
水を吐く河豚とか、素早い仕事が個人的には好きです。 -
謎のミラーボールや、アスレチック施設もあって、子供も大喜びです。
-
龍の向こう側には池がありました。
-
池では鴨が二匹、気持ちよさそうに泳いでいました。
兄妹でしょうか、それともカップルか。
一緒に泳ぎたい気持ちを抑え、自転車へと戻りました。 -
道路の向こうは、歴史に憩う橿原市博物館や、
シルクの杜というミズノグループが運営する
トレーニングジムや温浴施設があります。
そしてその連絡通路の壁面には、古墳時代こんなんだったんじゃないか?みたいな明るいキレイな壁画があります。 -
そこから自転車で走る事、約2時間。
途中コンビニで休憩しながらようやく鴨都波神社に到着しました。
場所的には、御所駅(近鉄とJR)の少し南になります。
鴨都波神社(かもつばじんじゃ)は、
鴨氏(賀茂氏、加茂氏とも)の祖神として知られ、
大国主神と神屋楯比売命との間に生まれた事代主神(ことしろぬしのかみ)と、下照比売命(したてるひめのみこと)を祭神としています。
全国にある事代主神を祀る神社たちの本源と言われています。
そのせいか、古より霊験著しいとされる名神大社に列せられています。 -
両側にいる狛犬の手前には、
神社のお名前である鴨都波神社と彫られた石碑がありました。
かなり時間が経っているのか、読みづらくなっています。
創建は、実在した可能性がある最初の天皇と伝わる第10代・崇神天皇の
時代(紀元前97年~同29年)と伝わるので、その頃の物ではないにしろ、
だいぶと古そうですね。 -
緑に包まれた涼しそうな手水舎。
ここは特にコロナウイルスの感染防止のため、
杓子を撤去したり、使用禁止にはしていませんでした。 -
手水舎のアップ。
ここは、竹の筒から水が出ています。
重し代わりでしょうか。ギターのような石がいい味出してます。 -
手水舎の向かい辺りだったかな。
ここにも祓戸神社がありました。春日大社にもありましたね。
まずはここにお詣りして清めましょう。 -
本殿の手前にある石灯籠たち。
石自体は古臭くないものの、一番上にある苔が歴史を感じられます。
先程の石ぐらい古さがあれば完璧なんですけどね。
あと数十年経てばいい感じになりそうです。 -
これも本殿の手前だったと思いますが、
お百度石。
百度参りする時の目的地となる目印で、
元々は、一日に一回百回神社仏閣に詣でて、心願成就を祈願する
というものでしたが、百日もかけてられない! という事で、
一日に百回詣でる形に変わっていきました。
「吾妻鏡」に記述がある事から、少なくとも鎌倉時代初期には
百度参りが行われていたと言います。
ああ、あの白装束でコンロを逆さにしたような鉄輪をかぶって
するやつか!と思ったのですが、それは「丑の刻参り」でした。
ドえらい間違いで自分でびっくりしてしまいました。 -
石柱で囲われ、幹にはしめ縄がかけてあるので、
御神木だと思うのですが、何も説明はなかったです。
カメラの画角に入らないほどの背の高い木で、見上げたら首が痛くなりました。 -
末社なのでしょうか。お稲荷さんもありました。
続く赤鳥居がまるで伏見稲荷の千本鳥居を連想させますね。 -
ちょっと白飛びしてしまいましたが、大鳥居。
本来はこっちからが正式なルートなのかもしれません。 -
本殿。
棟札によると、天保12年(1841年)の建立とされているそうです。
第12代徳川将軍・徳川家慶の時代。
老中首座であった水野忠邦が行った天保の改革と同い年。
また、伊藤博文とも同い年という事になりますね。
水戸偕楽園は翌年。
歴史の教科書で習った大塩平八郎の乱が4年前になります。
木造で簡素な作りながら、どことなく偉容を感じます。
春日大社や興福寺のような大きな敷地を誇る神社仏閣もいいですが、
こういうこじんまりとした神社もいいですね。 -
それでは九品寺に向かいましょう。
その前に、少し足を伸ばしてJR御所駅にお邪魔しました。
古き良き田舎の駅って感じでしょうか。
次の列車までまだ時間があるのか、ホームにも人の気配がありません。
それがまた田舎っぽさを助長しているようにも思えます。
自宅の最寄り駅に雰囲気が似てるので、ちょっと親近感を覚えます。
Wikipediaによると、明治時代の創建当初の駅舎がそのまま残っているんだそうで、駅舎を新設する計画があるそうなのですが、なるべくこのまま残す方法が良いです。
近鉄の御所駅も近くにあるので、地元の方は、
奈良駅みたいに、「じぇーごせ」と「きんごせ」と
区別しているのでしょうか。そんな訳は ないかな。 -
駅前の観光地図でルート確認してから先へと進みます。
道中、キレイなお社があるなと思ったのですが、
恵比須神社のようです。 -
時代がかった石鳥居の向こう側に、巨大な石碑があって、
<恵比須神社>と達筆で書かれてあります。
横の由緒書によると、
元々集落の氏神として御所神社というお名前でした。
創建が奈良時代というから、約1300年前でしょうか。
それから後、関ヶ原の戦いの功績で、桑山伊賀守元晴氏が城を構え、
御所藩初代藩主に。そして、商工業を奨励しました。
その結果、大小の商家が軒を並べ、
商売の神様を勧進しようぜ! って事になり、
蛇穴(さらぎ)村にあった木彫恵比須座像を移して安置され、恵比須神社とお名前が変わったようです。
棟札によると、本殿は嘉永7年(1854年)に建てられたようです。
なので、ペリー来航と同じ年ですね。
老朽化が進んだため、平成3年に新しくされたようです。
元々予定ではなかったこともあって、
鳥居の外からご挨拶だけして、先へと進みます。 -
御所駅から九品寺へは、葛城山の麓まで行かなければいけません。
ものすごい坂道という事です。
歩くには遠すぎるし、自転車でもかなり頑張らないといけない距離。
地元のコミュニティバスがあるので、それを利用するか、
いっその事、駅からタクシーをお勧めします。
駅から葛城山方面の上り坂。
登りきって駅方向を撮ったものです。さほど勾配はキツくはないのですが、
距離が長い! ただ、帰りはあっという間で、風が気持ちよかったです。 -
ここら辺りは、歩道がとても狭く、また舗装状態も良くないので、とても苦労しました。
九品寺まで後少しのところにある交差点。
交差点名が「櫛羅南(くじら みなみ)」です。
こんな海から離れた所にクジラ!? とちょっとビックリしました。
昔はこの近くまで海で、鯨をたまに見かけた。とかの由来ではないはずです。海無し県ですもん。
調べてみたのですが、
・「急傾斜」を意味する「くしら」が濁音化したとするもの。
たしかに、この辺りは急傾斜地です。
二度と来るかって思ったほど疲れました。
・猿田彦大神や天照大御神が来たはったから、
「御霊(クシヒト)」または「奇人(クシヒト)」と呼んでいたのが、訛化したという物。
来たはったかどうかは、見た事がないのでわかりませんが、
古都奈良らしいロマンあふれる由来ですね。
この2点が有力のようです。 -
クジラに別れを告げて、ひょっとして行き過ぎたかな?
と思った瞬間、九品寺の案内看板が。
ようやく到着のようです。 -
右の石碑に、
<戒那山 九品寺>と書かれてあります。
左側には、
<千躰地蔵尊>と書かれてあります。
千体のお地蔵さんがいたはるのでしょうか。
気になるところですが、お寺っぽいものが一切見当たりません。
本当にここであっているのでしょうか? -
一抹の不安を抱えながら、坂を登っていきます。
すると、突如山門が現れました。やっぱりここであっているようです。
戒那山 九品寺(かいなさん くほんじ)は、
創建年代は不明なものの、
聖武天皇の詔により、行基が開基したと伝えられています。
そして1500年代に浄土宗に改宗したそうです。
山号の戒那山は、背後に広がる葛城山の別名だそうです。
九品は、中国から伝わった仏教の考え方の一つで、
極楽浄土に往生するのに9つのパターンが有ると
「観無量寿経」という経典に説かれています。
上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)
の3つがあり、それぞれ、
上生(じょうしょう)、中生(ちゅうしょう)、下生(げしょう)
の3つがあります。
上品上生のように、この組み合わせで9パターンあります。
一番上のランクの上品上生だと、
無量の仏、菩薩、飛天らが現れ、金剛台に乗らしてもらって、1日~7日で往生できます。
一番下の下品下生だと、
お迎えは来ず、たんなる金色の蓮がやって来ます。
そしてその中に入ると、蓮の花が閉じて出られません。
12大劫というとんでもなく長い時間が経ってやっと往生できます。 -
<京都・金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀仏>
12大劫とはどれくらいの時間なのでしょうか?
調べてみると、
まず、劫という仏教的な時間の単位があります。
100年に一回、天から天女が降りて来て、一辺8キロのとても大きな岩を袖でサッと撫でていく。
この岩が完全になくなってしまうまでの時間を一劫といいます。
8キロは、直線距離で東京駅から東京都立大学ぐらい、
大きな駅でいうと王子駅ぐらい。
大阪駅からだと、同じく直線距離で鶴見緑地の東端。
駅でいうと、
緑地公園駅(豊中市服部緑地公園の最寄り駅)ぐらいの距離です。
車で行くと、平均値で30分ぐらいの距離だそうです。
有名な所でいうと、
落語の「寿限無」でも、五劫の擦り切れと出てきます。
とんでもない長い時間生きられる(=長寿)というかなりめでたいお名前という意味だそうです。
また、「アフロ仏像」なんて名前で呼ばれている五劫思惟阿弥陀仏という仏様がいらっしゃいます。
上の写真の仏様ですね。
阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩だった時、どうやったら衆生を救えるのかと
五劫もの時間、思惟(考え)された結果、
髪の毛がめっちゃ伸びて、
アフロみたいな髪型になっていたと言われています。
さらに、1大劫は80劫だそうですから、
12大劫というのは単純計算で、
100年に一回、天女が7,680キロ四方の超特大岩を袖でサッと撫でていく。この岩が完全になくなってしまうまでの時間という事になります。
この7,680キロというのが、
日本の最北端・稚内から直線距離で、インドの南端に到達してしまう長い距離です!
(距離の測定は、GoogleMapの距離測定距離を使用しました)
まさに宇宙的なとんでもなく果てしない時間!
真人間になろうと誓いました。 -
そのまま暫く進むと、駐車場があります。無料で停められます。
駐輪場スペースというのは、決められていないようだったので、
はじっこに自転車を止めました。 -
駐車場の片隅にあった謎の物体。
なにかのモニュメントでしょうか?
お墓のようにも見えてしまいます。
誰もいないのを良いことに、丸の間から景色を見てみましたが、
何も起こらず。
結局、謎は謎のままでした。 -
駐車場の裏っかわは、とても見事な眺望が広がっています。
-
スーパーセンターオークワ 御所店。
余談ですが、いつも家族でかもきみの湯に行った帰りに寄って、
晩ごはん(だいたいお弁当)を買う事が多いです。
ちょっと知っている所を見つけるとテンションが上ります。 -
気を取り直して、九品寺へ向かいましょう。
さっそく小さな堂宇付きのお地蔵さんがいらっしゃいました。 -
他にも、
ドーム型の石で守られているお地蔵様や、 -
まるで木造アパートのような、六地蔵。
だいたいお地蔵様は1体もしくは6体セットのイメージが有るのですが、
何故かというと、
日本では子供の守り神や、道祖神としてのイメージが多いですが、
フルネームは、地蔵菩薩。
お釈迦様が入滅(亡くなる)後、弥勒菩薩が出現するまでの間、
現世には仏がいなくて、衆生を救済できない。
その間、六道すべての世界に現れ、衆生を救う菩薩(悟りを求めて修行中の仏)であるとされています。
ではその六道(ろくどう、りくどうとも)とは何か?
衆生(生きとし生けるもの全て)が業の結果として輪廻転生する世界。
天道(てんどう):天人が住まう世界。
人間道(にんげんどう):我々人間が住む世界。
修羅道(しゅらどう):始終戦い、争う阿修羅の住む世界。
畜生道(ちくしょうどう):牛馬犬等の畜生が住む世界。
餓鬼道(がきどう):飢えと渇きに苦しまされる餓鬼の住む世界。
地獄道(じごくどう):罪を償わせる世界。いわゆる地獄の事。
できれば来世も人間界が良いです。
絶対に、修羅道から下はイヤです。とお願いしておきました。 -
先程の山門をくぐると、
左側に<一願不動尊><十徳園>と書かれています。
ちょっと行ってみましょう。 -
おそらく何かの花が植えられているのだと思うのですが、
種類がわかりません。
ただ、綺麗に整備されているので、心地よかったです。 -
階段の向こうに本堂が見えます。
ご本尊は平安後期の作と伝わる「阿弥陀如来坐像」で非公開の秘仏とされています。
重要文化財に指定されいるそうです。
お姿が拝見できないのは残念ですが、しょうがないですね。 -
そして山門の近くにもお地蔵様がいらっしゃいました。
<慈母地蔵尊>と下の台には彫られ、
片手に赤ちゃんを抱いていて、足元にもすがるように赤ちゃんが。
各地にある子安地蔵という形でしょうか。
後ろにも多数の小さなお地蔵様がいらっしゃいます。 -
十徳園の向かいには、
<西国三十三所><観音十徳園>と彫られた石碑が。
何だろうと行ってみます。 -
何か気配がすると思って振り返って見ると……
小さな狛犬が。
この配置は何なんでしょう。完全に驚かしにかかっていますよね。
本物の犬なら、通り過ぎた途端「ワンッ」と吠えられ、
ビックリするパターンですよね。 -
ここは、石碑にあったとおり、
西国三十三所の観音様と同じお姿の小さな石仏がいらっしゃいます。
そして、一周ぐるりと廻ると、全てお参りしたと同じ功徳を授けてくれると言います。 -
本堂の近くにある手水場。
中央には、<清 浄 水>と彫られ、
文字通り清く澄んだ水が溢れていました。
こちらも龍がガバっと身を乗り出し、口から水が出るタイプです。 -
アップにしてみました。
くるんとしたお髭が立派です。
アングルもあるのでしょうが、何となく、
暑さにダレているようにも見えます。
口の中に樋があるのに、樋の下を水が通るのか、
よだれのように見えますし、樋の下の下顎の辺りが水垢が見えます。 -
ちょっとズレてしまいましたが、本堂。
-
鐘楼。
古色蒼然とした立派な建物です。
屋根の上の鬼瓦やシャチホコも見事ですね。 -
本堂の脇には、かすれた字で
<この左 千体石仏>
と書かれた看板が。
いよいよ、千体石仏です。 -
本堂脇の小道を抜けて、階段へ。
どうやら、裏庭に行くようです。 -
道の脇には、小さなお地蔵様がずらーっと並んでいらっしゃいます。
一体一体お顔が違うし、中には削れてて判別できないような
お地蔵様もいらっしゃいました。 -
ちょっと休憩しようと後ろを振り返ると、
なんとも立派な本堂の屋根が見えます。
理路整然と並んだ自然なカーブを持った美しい屋根瓦でした。 -
鬼瓦。
角度的なものもあるのでしょうが、厄除け効果バッチリですね。 -
シャチホコ(左)。
はっきりとした身体のウロコ模様が特徴的なシャチホコです。 -
シャチホコ(右)。
気のせいか、こっちのほうが、
目がくりっとしてて可愛い印象があります。
だいたいこういった古いお寺では、火災の経験があると思うのですが、
調べた限りでは見当たらないという事は、
この子達が頑張っているのでしょう。 -
そして本堂の瓦屋根の脇から絶景が!
疲れがすぅーっと取れた気がしました。 -
とたんに「山」という感じになりましたが、
足元は整備されているし、
一部を除き手すりがあるので登りやすいです。 -
こちらは、小さな堂宇付きの真新しいお地蔵様。
-
そのまましばらく進むと、
パッと開けた場所に、これでもかというぐらいのお地蔵様の大群が。
時は南北朝。
南朝に味方していた楠木正成のため一族を引き連れて参戦した
地元御所城城主「楢原氏」一族。
いざ戦場へという時に、一族の身代わりとして菩提寺の九品寺に奉納したのが始まりとされていて、
現在では、約1,600体と伝わっています。 -
中央には、<法界>と彫られた台の上にお地蔵様。
弥勒菩薩の半跏思惟像のような、左膝のみ下に垂らしたお姿です。
両手に錫杖と宝珠を持っているように見えます。
赤のよだれかけとニット帽がお似合いですね。 -
そしてお地蔵様の両横には、石灯篭が置かれ、
上にはフクロウが止まっています。
なんとなく、波の上に家が乗っているようにも見えますし、
珍しい意匠ですね。
何か意味があるのでしょうか。 -
ぽつんと離れたところにもお地蔵様が。
少し面長な印象があります。
台座には何かの花のような家紋のようなものが彫ってあります。
調べた限りでは、「丸に久世橘」が一番近いかもしれません。
橘紋は、橘氏が有名で、
井伊直政で有名な井伊家も橘紋のようですが、関連性が分かりませんでした。 -
ちょっとお邪魔して上まで行ってみる事にしました。
一番上には、
<護國地蔵>と台座に彫られた立派なお地蔵様が。
蓮の台座に乗られ、合掌の形をとった手。
優しそうなお顔に心が奪われます。 -
更に上に上がると、両側が墓地になっていて、
石鳥居があります。
その奥には、<忠霊塔>と彫られた石碑が建っています。
両脇のお墓は、先の尖った星がついている特徴的な形。
陸軍の文字が見える事からも、戦時中亡くなった英霊を慰める物のようです。 -
石鳥居のすぐ向こうには狛犬が。
狛犬(阿形)。
口の中とかが一部だけ朱に染まっています。
どことなく狂笑しているように見えて不気味です。 -
狛犬(吽形)。
こちらも口や目の上が朱に染まっています。
こちらは、どことなく
子犬が飼い主を待っているような、
遊ぼうと誘っているような、
可愛さが感じられます。
石鳥居の右側もかすかに朱色でしたし、
元々はすべて朱色だったのかもしれませんね。
帰りしなは同じ景色だったので割愛です。
御朱印はどちらとも貰い忘れて無いです。
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