2019/06/30 - 2019/07/01
20位(同エリア322件中)
かっちんさん
宮城県の北東端に位置する「気仙沼市(けせんぬまし)」は太平洋に面した変化に富んだリアス式海岸を形成しています。
気仙沼湾は、湾口に気仙沼大島を抱き、四季静穏な天然の良港となっています。
港町の気仙沼はかつて「風待ち(かざまち)」の港でした。船の動力が風であった帆船時代、船が船出の風を待つ港だったのです。
「風待ち」の町には、大正や昭和初期に建てられた個性的な建物が多く並んでいましたが、東日本大震災でその多くが被災し解体されています。
その後、町の宝でもある歴史的な建物を修復・再建する取組みが行われました。
気仙沼大島は気仙沼湾に位置し、東北最大級(面積 9.05k㎡)の有人離島です。
島の海岸線は屈曲が著しく、龍舞崎、十八鳴浜、小田の浜など自然がつくり出した美しい景観が多くみられます。
気仙沼港から定期船で渡っていた気仙沼大島は、2019年4月に気仙沼大島大橋が完成し路線バスで行けるようになりました。
気仙沼は今まで3回訪れました。
震災前の2010年6月は、気仙沼でフカヒレ寿しで有名な「あさひ鮨」・歴史的な建物の町並み、気仙沼大島で島内散策などをじっくり楽しみます。
震災後の2013年は気仙沼の町並み、復興が進んだ2019年12月は休暇村の夕食を中心に紹介します。
旅行記は2019年、2010年、2013年の順番に紹介します。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・気仙沼市HP、「気仙沼市観光キャラクター「海の子ホヤぼーや」」
・気仙沼観光タクシー「田舎の港町から日本のタクシーを変えちゃおう!!」
・トラベルWatch、ニュース「大島汽船。気仙沼~大島 定期航路100年の歴史に終止符」
・みんなでつくる鉄道コム「こがねふかひれ号が12月で引退」、2010年6月18日
・河北新報「離島復興支えた大島旅客航路18年度に廃止」、2015年7月23日
・エコナビ「三陸の養殖を食す-宮城県・気仙沼湾で体験プログラム-」
・休暇村「気仙沼大島」
・安くて気軽な公共の宿「休暇村 気仙沼大島」
・気仙沼大島観光協会「大島基本情報」「亀山」「十八鳴浜」「龍舞崎」「小田の浜海水浴場」
・みやぎ観光復興支援センタースタッフブログ「龍舞崎の乙姫窟」
・気仙沼ちゃんの宿「アインスくりこ」HP
・日本マンホール蓋学会「気仙沼」
・食べログ「気仙沼あさひ鮨 古川店」:ど根性巻き他
・日本経済新聞「待ち遠しいフカヒレ寿し(震災取材ブログ)」、2011年9月7日
・気仙沼の魅力をいっぺぇ詰め込んだ観光情報サイト
「気仙沼大橋が4月7日に開通」「風待ち」「男山本店店舗が再建しました」
・miyatabi.net、宮城県の町並みと歴史建築、気仙沼市「角屋店舗」「男山本店」
・気仙沼風待ち復興検討会HP
・風待ち研究会「斎藤邸」「割烹 扇屋」、2012年5月
・建築設計REPORT「風待ち地区国登録有形文化財群」、vol.32
・にっぽん集落町並み縦走紀行「気仙沼」
・KHB東日本放送「津波で被災 気仙沼「男山本店」9年4カ月ぶり再建」
・河北新報「男山本店の象徴復活 震災で被災の装飾取り付け 宮城・気仙沼」、2020年4月3日
・ROCK旅猫のノスタルジック・ジャニーズ♪「気仙沼市・「気仙沼市の洋館5棟」(一部大津波で現存せず)看板建築群」
・東北ヘリテージセンター:歴史的建造物の修理修復と保存「角星酒造店舗の被害と修復」
・文化遺産オンライン「角星店舗」「三事堂ささ木土蔵」「千田家住宅」
・華麗叫子ブログ「気仙沼 マルト齋藤茶舗」「三事堂ささ木店舗及び住宅」
・気中20+PLUS「千田家住宅の修復」2020年2月21日、「文化財 平野本店」2018年11月21日
・ウィキペディア「気仙沼市」「恵方巻」「大島汽船」「気仙沼ちゃん」「気仙沼女子高等学校」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
「海の子ホヤぼーや」のお出迎え(気仙沼駅前)
気仙沼の食の奥深さや観光をPRする観光キャラクター「海の子ホヤぼーや」が、「ようこそ気仙沼へ!」と挨拶しています。
2019年6月30日、気仙沼駅前から旅が始まります。 -
ギョギョギョ!巨大サメとカツオのモニュメント(気仙沼駅前)
サメ、カツオ、カジキマグロは、気仙沼市場水揚げ「日本一」。
カジキマグロのモニュメントは写真に入ってませんが、ちゃんと設置されています。 -
タクシー「堅魚丸(かつおまる)」(気仙沼駅前)
気仙沼観光タクシーの行灯は「HEARTBEAT BEXI」。
東日本大震災を機に、「便利屋タクシー」から「気仙沼の活きる鼓動(ハートビート)のBEXI(ベクシー)」へと進化。
「BEXI」とは「BENRIYA TAXI」を略したもの。
気仙沼市内にはいろんなお魚をデザインしたタクシーが走っています。 -
「気仙沼大島行き」のバス(気仙沼駅前)
本土と気仙沼大島を結ぶ「気仙沼大島大橋(鶴亀大橋)」が、2ヶ月前の2019年4月7日に開通。
島民の足は、100年の歴史を持つ「定期航路」から、「市民バス大島線(ミヤコーバス運行)」に変わりました。 -
「路線バス大島線」の路線図
気仙沼駅前を出発したバスは、鹿折唐桑駅前を通り、鶴亀大橋(気仙沼大島大橋)を渡って大島に入り、浦の浜、新王平へ向かいます。
橋が架けられた場所は、大島と本土側の鶴ヶ浦に挟まれた「大島瀬戸」と呼ばれる場所です。 -
活気が戻っている「気仙沼港」(バス車窓)
-
「気仙沼大橋」を通過(バス車窓)
橋脚間の長さは297m。アーチ橋としては東日本最大の大きさです。 -
「浦の浜」(大島)
ここでバスを降り、休暇村の送迎車を待ちます。
「浦の浜」はフェリーが到着していたところで、桟橋が残っています。 -
気仙沼大島の案内図
休暇村「気仙沼大島」は、「浦の浜」の反対側「田中浜」の高台にあります。
東日本大震災のとき、津波が「田中浜」から「浦の浜」に向かって陸地を乗り越えてきました。
2010年に「十八鳴浜」「龍舞崎」「小田の浜・龍舞崎遊歩道」「小田の浜」等を訪れているので、後半で紹介します。 -
休暇村「気仙沼大島」に到着
宿の開業は昭和53年(1978)。
40年余りの歴史がある人気の宿で、令和2年(2020)年4月17日大幅にリニューアルオープンします。 -
休暇村周辺の案内図
夕食まで、近くの「若木浜コース」を散策します。 -
ブナのまだら模様(休暇村付近)
-
南側に見えるのは「田中浜」(休暇村付近)
-
北側には「地獄崎」(休暇村付近)
入り江が多いところです。 -
海岸に降りると「若木浜」(休暇村付近)
枯木の残る砂利の浜です。 -
イチオシ
夕食は「港町会席」(休暇村)
世界三大漁場である三陸沖が眼前に広がる「天然の良港」気仙沼ならではのお魚中心の料理コース。
最初に豪快なお造り8点盛り(鮪、蛸、銀鮭、烏賊、平目、帆立、メカジキ、牡丹海老)。 -
ぐつぐつ煮る「穴子柳川鍋」(夕食)
-
「フカヒレ茶碗蒸し」(夕食)
フカヒレは生産量日本一を誇る気仙沼の逸品。 -
「帆立のホイル焼き」(夕食)
-
さらに「ミニビュッフェ」(夕食)
ビュッフェコーナーでは、地元の食材料理、ごはん、汁物、デザート等が用意されています。
メインの会席料理とミニビュッフェの組み合わせは、高級感と量、どちらも満喫できます。 -
翌日の「浦の浜」バス停
宿の車でここまで送ってもらい、路線バスで気仙沼方面へ向かいます。 -
白いアーチ橋「気仙沼大島大橋」(バス車窓)
この橋を渡り、鹿折唐桑駅前で下車して大船渡線BRTに乗り換え、今日は「碁石海岸」へ向かいます。
旅行記はすでに投稿済なので、よかったらご覧ください。
『三陸の穴通磯と碁石海岸~リアス式海岸の変化に富んだ景観2019~(岩手県大船渡)』
https://4travel.jp/travelogue/11526545 -
仙台発の快速「こがねふかひれ号」(2010年)
ここからは2010年12月11日の旅行記です。
仙台~気仙沼間を東北本線、石巻線、気仙沼線経由で走る臨時快速列車です。
車両はジョイフルトレイン「こがね」を使用し、黄金色を基調とした外観の3両編成で、先頭車両に展望室が設けられています。 -
志津川駅付近の車窓(2010年)
JR気仙沼線に入り、志津川湾一面に養殖いかだが並びます。 -
イチオシ
メニューが豊富な「あさひ鮨」(2010年気仙沼市南町)
気仙沼駅に到着し、港近くの「あさひ鮨」本店で昼食にします。
ところで、後ろの気になる巻物メニューの中身は何だろう??
・ヘルシーロール ---サニーレタス、蒸しエビ、カイワレ大根、きゅうり、マヨネーズの中巻(確かにヘルシー)
・狂人巻 ---穴子、きゅうり、カイワレ、錦糸玉子の中巻(中身は恵方巻と同じ、願い事を思い浮かべながら一気に食べるには多すぎて狂人になるのかも)
・ど根性巻き ---納豆、イカ、カイワレ、中落ちの中裏巻(もしかすると、激辛ワサビ混入かも)
・時代巻 ---自家製塩辛の細巻(年代物の塩辛かな)
・けむり巻 ---めかぶの細巻(煙のように、めかぶがどこに巻いてあるのか見えないのかも)
・北洋巻 ---筋子ときゅうりの細巻(北洋漁業で獲れた筋子かな)
・ツナたくロール ---マグロとたくあんの細巻(ツナとたくあんのロール巻ですね)
・つわもの巻 ---山芋の千切りとマグロの細巻(山芋の粘り強いところが「兵(つわもの)」かも) -
イチオシ
注文は「リアスのきらめき」(2010年あさひ鮨)
お値段は 2,800円。
ネタは、フカヒレ寿し、鮪大トロ、アジ、地穴子、玉子、白ボタンエビ、白身炙、イクラ醤油漬け、ウニ、ホタテ。
中でも「フカヒレ寿し」は、「あさひ鮨」本店発祥の「ほぐしたフカヒレを味付けした軍艦巻き」。
1970年代のオイルショック後、円高となり輸出が落ち込んだフカヒレ業者から相談を受けてひらめいた逸品。 -
気仙沼大島への定期航路(2010年気仙沼)
今晩の宿は休暇村「気仙沼大島」。
この当時は定期航路が島と本土を結ぶ唯一の交通手段でした。
旅客船とフェリーを運航しており、気仙沼港(エースポート)から大島(浦の浜港)まで25分で渡ります。
定期船の運航が始まったのは明治39年(1906)。
東日本大震災では大島汽船が所有する7隻全てが被災しましたが、他社からの船舶の応援を受けて再開。
2019年4月7日、気仙沼大島大橋の開通と同時に廃止となり、その後は観光船事業を継続しています。 -
漁船が並ぶ気仙沼港(2010年定期船からの眺め)
-
気仙沼港の養殖いかだ(2010年定期船からの眺め)
気仙沼湾は、その地形から外洋の影響を受けにくく、養殖業に適した環境です。
カキ、ホタテ、ホヤ、ワカメなどの養殖場になっています。
ここでは餌の投与をせず、海そのものからもたらされる養分だけで成長するため、「環境に優しい漁業」とも言われています。 -
亀山からのパノラマ(2010年大島)
大島の「浦の浜港」に到着。
標高235mの「亀山」の山頂からリアス式海岸の360度パノラマを眺めています。
写真の右側が浦の浜港、左側手前から田中浜、小田の浜、龍舞崎(たつまいざき)で、明日散策予定です。
当時は「浦の浜」からリフトで山頂まで行けました。 -
天然記念物「十八鳴浜」(2010年大島)
「亀山」から東に歩いて下ると「十八鳴浜(くぐなりはま)」の砂浜に出ます。
黄褐色の石英粒からなり、砂を踏むと「キュッキュッ」または「クックッ」(9+9=18)と鳴くことからこの名が付けられました。
当日は雨が降った後だったので、残念ながら「キュッキュッ」の音が聞けませんでした。 -
太平洋から昇る朝日(2010年大島)
休暇村「気仙沼大島」の翌日、地獄岬まで行き、黄金色に染まる朝日を眺めます。
時刻は6:49。 -
「龍舞崎遊歩道」の散策(2010年大島)
今日は宿の車で気仙沼大島最南端にある「龍舞崎(たつまいざき)入口」まで送ってもらい、龍舞崎と海岸沿いの遊歩道を「小田の浜」まで 5.4km歩きます。 -
イチオシ
コバルトブルーの「ひらいだ浜」(2010年大島)
先端の龍舞崎より手前東側の「ひらいだ浜」です。 -
島を代表する景勝地「龍舞崎」(2010年大島)
クロマツ林の茂る「龍舞崎」から気仙沼湾の眺め。
海食による男性的な岩礁の景観が広がり、荒波が打ち寄せる荒々しい様子はまるで「龍が舞い上がる」ように例えられています。 -
伝説の「乙姫窟」(2010年龍舞崎付近))
乙姫様が流れ着いたという伝説が残る「乙姫窟(おとひめいわや)」です。 -
荒々しい「ひらいだ浜」(2010年龍舞崎付近)
-
ガクアジサイ(2010年龍舞崎付近)
-
白い綿毛(2010年龍舞崎付近)
-
岩礁の浜「温浜」(2010年遊歩道)
龍舞崎入口に戻り、「小田の浜」への遊歩道を 3.5kmほど歩いた「温浜(ぬくはま)」です。 -
浮き玉がプカプカ(2010年遊歩道)
「大竹浜」に広がる定置網です。 -
晩秋の定番「サザンカ」(2010年遊歩道)
-
美しく穏やかな海岸「小田の浜」(2010年遊歩道)
遠浅で穏やかな半円形のカーブを描いた美しい海岸です。
夏には海水浴場となり、環境省の「快水浴場百選」に選ばれています。 -
餌を探す「カルガモ」(2010年小田の浜)
-
カルガモの足跡(2010年小田の浜)
-
「長崎漁港」に停泊する漁船(2010年小田の浜)
「小田の浜」に隣接する「長崎漁港」。
遊歩道の終点に着いたので、次は島の中央を縦貫する県道208号を歩き「浦の浜」へ向かいます。 -
気仙沼ちゃんの宿「アインスくりこ」(2010年小田の浜近く)
昭和50年代にTV番組「欽ちゃんのドンとやってみよう」に出演した「気仙沼ちゃん」。覚えてますか??
現在は島のほぼ中央に位置し、小田の浜海水浴場まで徒歩2分の場所で、民宿「アインスくりこ」の女将をやっています。
「アインス」とはドイツ語で「一番」という意味。「お客様が一番」という気持ちで、合言葉にしています。 -
デザインマンホール(2010年大島)
気仙沼市のマンホール。
中央部分に海と市の鳥「ウミネコ」、全国有数の水揚げ高を誇る「サンマ」、市の木「クロマツ」を描き、周囲に「ヤマツツジ」をデザインしています。 -
案内板「魚町・風待ちエリア」(2010年気仙沼市魚町)
定期船で気仙沼港に到着し、これから町歩きです。
「風待ち(かざまち)」とは、昔、交易帆船が出港に好適の北西風(ナライ)を待った「風待ちの港」のこと。
特に内湾に面した魚町から南町一帯を象徴する言葉です。
昭和4年(1929)の大火のあと、漁船漁業の経済力により復興を遂げ、昭和初期の近代的建築様式が入り混じった興味深い町並みを形成します。
不整形な敷地に合わせて建てられた魚問屋や、商家の職人の技を活かした特徴ある建築群ができあがります。 -
看板建築の「男山本店店舗」(2010年気仙沼市魚町)
大正元年創業の気仙沼の酒造店「男山本店」です。
昭和6年(1931)に建築された店舗は木造軸組に補強モルタルを塗った3階建てで、西洋風建築の意匠が施された特徴的な外観が港町のランドマークになっていました。
翌年の東日本大震災の津波で1、2階が流出し、3階部分がストンと落ち、外壁と屋根だけが残されました。
その後、「気仙沼風待ち復興検討会」の協力を得ながら、1階と2階を復元し2020年に完成。
国登録有形文化財に登録されました。 -
イチオシ
屋上の意匠(2010年男山本店店舗)
屋上パラペット部分は4本の飾り柱と中央に王冠を模した装飾に月桂樹などを描いたレリーフが施されています。 -
看板建築の「松月堂菓子店」(2010年気仙沼市魚町、現存せず)
昭和初期の木造2階建てで、2階に縦長窓と上部にレリーフがあります。 -
大きな杉玉(2010年気仙沼市魚町)
百有余年の歴史を誇る蔵元「角星(かくぼし)」の杉玉。 -
土蔵造りの「角星」(2010年気仙沼市魚町)
大正8年の町の大火で焼失し、すぐに再建されたのですが、昭和4年大火で再び焼失。
この時、大正8年再建の姿をまねてつくられ、和風の正面には厚く漆喰が塗られ、それ以外の側面壁は補強モルタルが塗られました。
1階正面は4間柱なしに開いていますが、大きな桁で持たせています。
敷地形状に合わせた不等辺四角形の平面のため、両側の柱や出梁及び垂木などを平行四辺形に木取りするなど、稀少な大工技術を用いた繊細な店舗建築です。
東日本大震災で1階部分が損壊し、2階部分も敷地の奥に流され、一度解体したうえで再建されました。
国登録有形文化財に登録されています。 -
町角の建物(2010年気仙沼市魚町、現存せず)
木造2階建ての建物。
隅切りのアーチ型屋根がお洒落です。
後ろに見える気仙沼女子高校もアーチ型屋根で、体育館が上にある珍しい構造の4階建て校舎は、「カマボコ」と呼ばれ市民から親しまれていました。 -
町角の建物「斎藤邸」(2010年気仙沼市魚町、現存せず)
昭和6年頃(昭和4年の大火で焼失後)建築の木造2階建て、入母屋造り、鉄板葺き、外壁下見板張り、小壁漆喰塗り。
不等辺四角形の平面を持ち、内部の梁、垂木、せがい梁が、正面に対して直角でなく斜めにかかっています。
平成14年の「風待ち研究会」の調査では1階正面の一画が店舗でしたが、その後、住居に改築したようです。 -
看板建築の「武山米店」(2010年気仙沼市魚町)
昭和5年(1930)建築の木造2階建て。敷地が四角でなく扇形であることから、敷地にあわせ技巧を凝らした大変珍しい造りです。
屋根は切妻造の鉄板葺で、正面の垂木が扇形に配置。2階の外壁は銅板張で装飾が施されています。
東日本大震災では、津波の浮遊物が建物1階部分を削り取ってしまいました。
被災した建物を解体し、平成30年(2018)に復元されました。
国登録有形文化財に登録されています。 -
隣の「佐々木金物店」(2010年気仙沼市魚町、現存せず)
銅板張りの看板が重厚な趣きです。 -
町角の建物(2010年気仙沼市魚町、現存せず)
洋風の縦長窓など、ホテルか事務所だったのでしょうか? -
イチオシ
町家風の「マルト齋藤茶舗」(2010年気仙沼市八日町)
大正4年(1915)建築の町家風の建物。
2階に格子窓があり、小さな屋根の下に看板が掲げられるようになっていて、商家の建物です。
東日本大震災の津波で2階部分まで浸水しましたが、地道な努力により復活させています。 -
お洒落な「三事堂ささ木店舗」(2010年気仙沼市八日町)
大正中期に建築された陶器店店舗兼住宅と土蔵。
風待ち地区では数少ない昭和の大火(昭和4年)前の建物。
店舗2階には洋風に仕上げたアール状の庇と窓が開き、屋根には擬宝珠が付き
ます。 -
イチオシ
大正期の「土蔵と店舗」(2010年三事堂ささ木店舗)
土蔵は洋風トラスの小屋組で屋根は切妻造。店舗内部に土蔵の戸口があります。
店舗と土蔵ともに外壁は白漆喰で仕上げられ、大正期を彷彿させるモダンな和洋風建築です。
国登録有形文化財に登録されています。 -
並びの建物(2010年気仙沼市八日町)
-
石蔵と成澤商店の看板(2010年気仙沼市八日町)
-
お洒落なアーチ窓の写場「島忠」(2010年気仙沼市八日町)
-
昭和の「割烹 扇屋」(2010年気仙沼市南町、現存せず)
昭和5年頃(昭和4年の大火で焼失後)建築の木造2階建て、入母屋造鉄板葺き、外壁羽目板張り、小壁漆喰仕上げ、開口部木製建具。 -
石碑「冷蔵庫操業の地」(2010年気仙沼市場の脇)
我が国初の本格的冷凍工場が大正9年(1920)この地に建設され、水産物の凍結冷蔵が行われた日本における冷凍事業のはじまりです。 -
気仙沼の陣山方面の眺め(2010年気仙沼港から)
-
遠洋漁業の漁船(2010年気仙沼港)
-
船のような「千田家住宅」(2013年11月気仙沼市南町)
ここからは東日本大震災の被災から2年後の2013年に訪れた内容です。
昭和5年頃に建築された「千田家住宅(ちだけじゅうたく)」。
交差点に面して建ち、木造モルタル塗で外壁に水平の張出しを廻らせています。
隅部分は円弧状平面で塔屋風に3階を設け、丸窓や3階のパラペットの上まで伸びる煙突状の出窓から船をイメージしたデザインともいわれています。
修復工事は2020年3月に完成。
国登録有形文化財に登録されています。 -
イチオシ
華やかな外観の「旧平野本店」(2013年気仙沼市新町)
「旧平野本店」は、大正初期創業の洋品雑貨店で、のちに味噌醤油を販売した商家です。
店舗は昭和8年(1933)頃の建築で、住宅は大正10年(1921)頃に建築され、木造2階建てで、南側の洋風店舗と北側の寄棟造鉄板葺き住宅からなります。
店舗は2階に半円アーチ窓を並べ、大ぶりのパラペットがつくなど、外観を華やかに仕上げています。
その後、大内料理学院、藍染め工房「インディゴ気仙沼」が借りています。
国登録有形文化財に登録されています。 -
白い建物(2013年気仙沼市古町)
気仙沼駅近くの駅前通りにある「ガトーしらいし」と「キンハリ理容室」の入っている建物。
外観を見ていると、両側に万年筆のペン、中央にターバンを巻いたインド人を思い浮かべます。
気仙沼は東日本大震災と津波により甚大な被害を受けました。
震災前の貴重な町並みを忘れないためあえて紹介しました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
気仙沼(宮城) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
72