2020/06/21 - 2020/06/27
226位(同エリア342件中)
ちゃおさん
紫電改展示場所が御荘町(現愛南町)にあることはガイドブックで知っていたが、宿毛湾から帰る途中、御荘町のバイパスを通り過ぎてしまって、大分走らせた後おかしいと思い、スマホの地図検索をチェックし、通り過ぎたことがわかった。路上駐車して休憩している車があったので聞いてみると、バイパスの途中から丘に上る道路があって、大きな展望塔の直ぐ下の辺りにある、とのことで、車を戻らせ再び御荘町に戻る。一旦は戻るのも面倒で、そのまま宇和島まで走らせようとも思ったが、道路が渋滞している訳でもなく、途中の信号機もごく僅か。走らせれば10分程度だ。
再び御荘町のバイパスまで戻り、岬の丘の上まで車を走らせると、大きな展望タワーの直ぐ下に紫電改展示館という立派な記念館があった。5時までにはまだ30分ほどある。閉館までにはギリギリセーフだった。展示館というだけあって、大きな戦闘機が館の中央に堂々と納まっている。これが名にしおう紫電改なのだ。入口の事務所に一人係の人がいて、今日何人目の入館者か知らないが、やっと話し相手がやってきた、という感じで、先ず先に入館者名簿への記入を求められる。東京の住所を記入し、前の人を見ると、県内、香川から今日は3人が入館しているようだ。係の人に聞くと、矢張りコロナ禍で、人の移動が禁止されていて、やってくる人も低調のようだ。ただここは国内で唯一紫電改が現存、展示されている場所で、北は北海道から南は沖縄まで、好きな人は全国からやってくると、やや胸を張って話していた。
紫電改。日本海軍の誇る零戦の後継機で、戦争末期に投入されたが、時すでに遅かった。戦闘能力、飛行速度等々、米軍新鋭機に十二分に対抗できるものだったが、川西航空機で本格生産が始まったのは、サイパン陥落後のことで、既にB29による国内爆撃が始まっていた。係員の説明によれば、ここに展示されている紫電改は長崎大村海軍基地から飛び立って、松山航空隊に向かう途中、エンジン不調により豊後水道に不時着したのが戦後上手に引き上げられたとのことである。松山航空隊、源田実大佐率いる434航空隊で、敗戦間際の日本に於いて、最強の航空部隊だった。その引き上げに際しては、当時参議院議員だった源田さんも東京からやってきて、立ち会ったとのことである。
海上に上手に不時着し、機体の損傷も少なく、殆ど元の状態が保存されている、との説明であったが、プロペラの羽根が内側に曲っているのは不時着の際に海面で回転した為、この様に曲ったとの説明であった。自分がもっと戦記物に詳しく、兵器、航空機のオタクだったら、係員ももっと熱心に説明したいような雰囲気だったが、当方、ずぶのド素人で、偶々飛び込んできた門外漢。そこまで説明したが、まだ時間があるので、どうぞゆっくり見学して行って下さいと言って、事務室へ戻って行った。2階のギャラリーから紫電改全体像を写真に収め、閉館の5時5分前に展示館を後にした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー
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