2020/06/24 - 2020/06/24
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ドクターキムルさん
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横浜市南区井土ヶ谷下町にある井土ヶ谷下町の庚申塔は戦後になって庚申塚のように整備されたものである。中央に庚申塔、向かって左側に「戦歿者慰霊碑」(昭和42年(1967年)銘)、右に、平成3年(1991年)年に設置された「横浜市地域史跡 井土ヶ谷事件の跡」看板が立られている。
元々、江戸時代には1基の庚申塔が建っていたのであろう。この正方形の石柱の庚申塔は道標も兼ね備えている。庚申塔に向かって右側面には「是より くみやうじ かまくら 道」、「尼将軍御影塔 六丁」、左側面には「北 ほどがや 南 かなざわ 道」と刻まれている。なお、「尼将軍御影塔 六丁」とは乗蓮寺(https://4travel.jp/travelogue/10877023)のことで、ここから6丁(654m)離れた横浜市南区井戸ヶ谷上町にあった御影堂のことを言っている。この庚申塔の建立年は裏面にでも刻まれているのであろう。しかし、分からなかった。乗蓮寺には昭和末までは江戸時代に建立された尼将軍御影堂があったが老朽化が激しく取り壊された。江戸時代や明治時代には御影堂に安置されていた北条政子坐像を拝む人びとが多くいたのであろう。現在も北条政子坐像は鉄筋コンクリート造の本堂1階に安置されているが、訪れる人はこの当時ほど多くはない。政子の顔は教科書に載っているべきであろう。
蒔田中と南区役所の間を抜けて大岡川に架かる井土ヶ谷橋を渡って西に進むと信号のある交差点の先に「横浜市地域史跡 井土ヶ谷事件の跡」看板が立てられた庚申塚がある。井土ヶ谷事件とは文久3年(1863年)に起こった事件で、フランス士官・アンリ・カミュ少尉(1842年~1863年)が士官2名と程ヶ谷宿に向かう馬上で浪士3名に襲撃され、殺傷された事件である。この看板には「事件跡は、この場所から東南へ約一町(一〇九米)はなれた現在の南区井土ヶ谷下町三のあたりです」とあるので、公園で年配者から「蒔田橋から十字路の間の道路側」と聞いたので、バス通りのバス停前の仏具店で尋ねると、「この裏だ。」ということだ。バス通りと大岡川の間は田圃だったというが、今では新しい住宅が建ち並んでいてその場所は不明である。亡くなった人が日本人ならば、住民がお地蔵さまを建てたりもするが、宗教が異なるフランスからの外国人ではそれもない。
昭和42年(1967年)には日清、日露、大東亜戦争の戦没者を慰霊する「戦歿者慰霊碑」が建てられている。
あたかも庚申塚のような様である。
(表紙写真は庚申塔)
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