2020/06/01 - 2020/06/01
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kiyoさん
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2019/04/05
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2020年6月。父が亡くなり、1年が過ぎようとしています。
一周忌を執り行うべきですが、新型コロナ感染防止のため、人が集まるのは避けたほうが良いだろうと判断いたしました。せめて写真を通して、父との思い出を親族やご友人の皆様と共有できたらと、この旅行記を作成しました。
表紙の写真は、父のパソコンに保存されていた写真から抜粋しました。
1年経った今も、父の写真を見ると胸が痛みます。ああすればよかった、こうすればよかった。後悔の念にさいなまれ、父との旅行記をなかなか作り始めることができませんでした。今も涙が溢れますが、天国にいる父がこれを見て喜んでくれたらいいなと思います…。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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昨年、2019年4月5日。
この日が、父との最後の日帰り旅行となりました。
父と姉と甥っ子と私の4人でやって来たのは、山梨県笛吹市。
この時期、桃の花が咲きほこる様子は、まさに桃源郷。その眺めを一望しようと、「笛吹市八代ふるさと公園」へ向かいました。
ところが、駐車場は満車。停めることができません(゚ロ゚) -
空きが出るのを路駐して待つことも禁止され、やむなく車を走らせていたら見つけたのが、この「リニアの見える丘 花鳥展望台」です。
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こんな長い距離も、リニアなら一瞬で通り過ぎてしまうのでしょう。でも、開業はいったいいつになるのやら。
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ここから眺める桃の花は、ちょっと寂し気ですが、
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美しい桜を見ることができました。
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桃源郷と呼べる景色を求めて、次にやって来たのは「みさか桃源郷公園」。
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駐車場から階段を上った高台にありますが、
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スロープが設置され、車椅子でもOKのバリアフリー。
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南アルプス、北アルプス、秩父山脈まで見渡せます。
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振り返れば、散策路が整備された庭園もありました。ですが、こちらは階段があったので、車椅子は無理。
今までバリアフリーを意識して旅したことはありませんでした。
ですが、父が車椅子生活となってからは、車椅子で行ける場所の少なさに、とても不便を感じます。みさか桃源郷公園 公園・植物園
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さて、次にやって来たのは「釈迦堂遺跡博物館」。
釈迦堂 下りパーキングからは、歩いて入場可能です。釈迦堂パーキングエリア(下り線)スナックコーナー グルメ・レストラン
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けれど、この階段を登らなくてはなりません。
車椅子では、とても無理。
車で行こうとすると、ぐる~っとかなりの遠回りでした。 -
それでも、博物館の入口は、
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美しく花が咲き誇り、まさに桃源郷。
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釈迦堂 下りパーキングも一望のもと。
釈迦堂パーキングエリア 道の駅
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父のカメラには北岳、間ノ岳、農鳥岳の拡大画像も残されていました。
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また、この日は入館者に抹茶とお菓子という嬉しいサービス付き(^^)/
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館内はエレベーターが設置され、車椅子でも見学可能。
昭和55年、中央自動車道の建設に先立ち行われた発掘調査で出土した品々が展示されています。保存状態の良い土器などを、父も興味深そうに見入っていました。釈迦堂遺跡博物館 美術館・博物館
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博物館を見学後は、「里の駅 いちのみや」で遅い昼食を取りました。
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父が頼んだのは、鶏もつ定食。
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私は、ミニほうとう定食です。
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この日はお天気にも恵まれ、楽しい1日を過ごすことができました。
里の駅いちのみや お土産屋・直売所・特産品
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そして、父と最後のお出かけとなったのが、2019年4月29日。
東京都羽村市にあるカフェ「中車水車小屋」でのティータイム。 -
店内は、こじんまりとした家庭的な雰囲気。
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お店の前は羽村の観光名所であるチューリップ畑ですが、すでに見頃は終わった後でした。
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父が注文したのは、コーヒーとチーズケーキ。
コーヒーが大好きで、家でも毎日、欠かさず飲んでいました。心臓病と糖尿病も患い、普段は塩分と糖分の食事制限をしていましたが、久しぶりに口にしたケーキを、おいしそうに頬張っていました。中車水車小屋 グルメ・レストラン
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2019年1月に末期の肺癌と診断された父。
癌の進行にともない腰痛がひどくなり、歩行が困難になりました。また、心臓も弱っていたため、数歩、歩くだけで、ひどい息切れ。そのため、車椅子での生活を余儀なくされていました。 -
そんな父ですが、若い頃からの趣味は山登り。
勤めていた会社の山岳部にも所属し、国内のあちこちの山に登り続けていたのです(これは2008年7月、乾徳山で撮影した画像)。乾徳山 自然・景勝地
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えっ、お父さん、こんなすごい所を登っていたの(○□○;)
この時の父は、すでに70歳を超えています。 -
ハイキング程度の気軽な山に登っていたのかと思いきや、こんなロック クライミングをしていたとは!
私は、この事を最近まで知りませんでした。
昔から会話の少ない家庭だったせいか、数年前まで、父との会話は数えるほどでした。
父が会社を退職後も、山岳部OBの方々と3泊4日や4泊5日の日程を組み、大きなリュックを背負って出かけていく背中を見送りながら、どんな山に登るのかと聞くこともなく、私はなんと無関心な娘だったことか(~~;
今さらながら猛烈に反省しています。 -
普通の山道を歩くより、岩を登るのが好きだった。
父の死後、山仲間の方から、そんな話をお聞きして心底びっくりしました(上の画像は、父の死後、アルバムを整理していて見つけました。2010年8月「五竜 鹿島 槍ヶ岳」の画像です)。 -
遺品整理で父の本棚を片付けていたら、ガストン レビュファ著「雪と岩」という本を見つけました。岩山を登るための技術解説書ですが、直滑降の場所をいかに登るのかというスリル満点な写真のオンパレード。見ているだけで手に汗握りました。
お父さん、こんな本を読んでいたの(@@)!?
生前、父は屋根に上って梅の木の剪定をしていました。
私は、その姿を見ながら、いつもはらはらしたものです。けれど、父にとっては、それくらい朝飯前だったのだと、今更ながら知りました。 -
まだ雪の残る道を進み
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父が、どんな景色を見て、
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どれほどの感動を味わったのか。
(以上3枚の画像は、2008年7月「槍ヶ岳 穂高 縦走」で撮影されたもの) -
画像は、2010年8月「五竜 鹿島 槍ヶ岳」で撮影された1枚です。こんな神秘的な現象を目にしていたことも、遺品整理をして、私はようやく知りました。元気なうちに、もっと話を聞いておきたかったです。
だからでしょうか。
父の死後、私は友人、知人達にこう勧めることが多くなりました。
「お父さん、お母さんの若い頃の話や、これまでの体験を今のうちにたくさん聞いておいたほうがいいよ」と。 -
3年前に心不全の発作を起こすまで、父はとても元気な人でした。だから、父は100歳まで長生きするのではと、どこかで思い込んでいたのです。
父自身も「こんなに早く動けなくなるとはな」と亡くなる前に、こぼしていました。おそらく心残りは、たくさんあったことでしょう。
それでも、残された膨大な山の写真を見ていると、父はとても素晴らしい時間を過ごしたのだとわかります。 -
それも、苦楽を共にした仲間がいたからこそ。本当に感謝してもしきれません。心からお礼を申し上げます。これからも時折、父の事を思い出していただければ幸いです。ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (14)
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- nomo1215さん 2020/10/22 19:12:38
- おばんでございます・・
- kiyoさん・・はじめまして・・
感動の旅行記・・ぐっと来てしまいました。我が父と近い年齢のお父様でしょうか?
実父と暮らしながら本格的介護生活7年目・・いらいらしながら言いたい事を言いながらも・・いつまでも長生きして欲しいと思っています。
うちの父も山が好きな人でkiyoさんの父上ほど本格的ではありませんが・・
山で見つけた花や植物を写真に収めるのが趣味でした・・自分の足で長い時間歩けなくなってからは・・私が付き添って出かけないとどこへも行けなくなってしまいました・・。出かける先は車いすOK・福祉席のある場所ONLY
この旅行記を拝見し
改めて、動けるうちにもっといろんな所に連れて行ってあげたい・・そう思いました・・
感動の旅行記ありがとうです
nomo1215
- kiyoさん からの返信 2020/10/31 16:45:56
- RE: おばんでございます・・
- nomo1215さん、はじめまして。
書き込み、ありがとうございます。
7年もの介護生活!
長い、長い時間を頑張ってこられていらっしゃるのですね。
本当にお疲れさまです。
私の父も、亡くなる数か月前には、
車椅子でないと外出できなくなりました。
車椅子だと出かけられるところも限られてしまい、
とても歯がゆかったです。
介護はいつまで続くかわからず、つい口調もきつくなってしまう。
私も、そうでした。
けれど、父が亡くなって1年以上経つ今でも、後悔するのは、
そうした自分の態度です。
どうして、もっと優しい態度で接してあげられなかったのか(〜〜;
介護生活の中で、父は、いつも「おまえたちに迷惑をかけて
申し訳ない」と口にしていました。
父が罪悪感を感じる必要なんてないのに、
私ときたら、心に余裕がなくなると
父にひどい言葉を投げつけたりもしました…。
もし、まだ父が生きていてくれたなら、
もっともっと優しく接したかったと思います。
とは言え、過剰に頑張り過ぎるのはよくありません。
私が父を介護したのは、1年ちょっとでしたが、
体調を崩して、私のほうが病気になりました。
(バセドウ病という、ストレスからくる免疫系の異常で、今も投薬治療中です)
ストレスは目に見えず、知らぬ間に蓄積されていきます。
nomo1215さんも、まわりに頼めるところは頼んで、適度に手を抜いて、
どうぞお父さまと楽しい時間を過ごしてください。
kiyo
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- ふわっくまさん 2020/07/03 12:53:04
- みさか桃源郷公園と雄大な山々・・
- kiyoさん、こんにちは。
kiyoさんのお父様と大事な思い出の旅行記を、今になってスミマセン・・拝見させていただきました。
春の一日 桃源郷の花々は、とても癒される景色でしたね。
山登りが趣味だったのは私の父も同じで、お互いにすごく健脚だったようで・・
いつまでも元気だと思っていたら・・月日が経つのは早いと、私もいつも感じています。
雄大な景色とともにkiyoさんのお父様の登山姿を見せていただき、ありがとうございました。
登頂した時の達成感は言葉にならないほど素晴らしい!と、私の父が言っていたのを思い出しました。
ふわっくま
- kiyoさん からの返信 2020/07/04 07:54:57
- RE: みさか桃源郷公園と雄大な山々・・
- ふわっくまさん、こんにちは。
父との旅行記にコメントいただき、ありがとうございます。
ふと思い立って出かけた場所なのですが、
今、振り返ると、あの美しい景色を父と見ることができて良かったなと思います。
ふわっくまさんのお父さまも、山登りがご趣味だったのですか。
登頂した時の達成感は言葉にならないほど素晴らしいとのお言葉。
私の父も、同じ気持ちで登っていたのだと思います。
父は高齢にもかかわらず、山登りに畑で野菜作りにと
人生を楽しんでいました。
最近、無趣味状態におちいっている私ですが、
父を見習って、生涯、楽しめるものを見つけなければと思います。
自粛解除されたものの、感染者の数は増加傾向。
ふわっくまさんもお体にお気をつけてお過ごしくださいませ。
kiyo
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- ohanaさん 2020/06/06 15:15:59
- 心にしみます
- kiyo様
こんにちは
旅行記拝読し良いことされましたね~と感じています。
またご尊父様の山に対する思いも感じることが出来ました。
父はインドア派で旅館専門
小さい頃から箱根と熱海の同じ旅館の思い出ばかりで他はあまり行くことはなかった、
一度だけ先祖が分骨している高野山へ法事で行ったのが遠出、そして結婚の翌年長男夫婦とHawaiiへ招待した漏れが最長距離でス。
形には残らないことは沢山ありますが心に刻むことも沢山あります。
きっとご尊父様は良き思い出とともに旅立たれたと思います。
小生は色々な岐路での思い出があります、私事ですが~
20年前父が亡くなる前の年に今の会社から誘いが来て転職しました。
一応世界的に有名な会社に移籍したことで父は喜んで、会社の前まで母と見に来てくれました。
帰りに食事しました。それが両親揃って最後の食事となってしまいました。
母は兄が見ていましたが~車をワンボックスに買い替え、母を楽しませようと車いすを積んで妻と娘と一緒に成田山へ行きました。成田山のバリアは知り尽くしていますので本堂まで行きお経を聞きました。お経が終わり僧侶一団が戻る行列に手を合わせたとき!!!一番階級の高い僧侶が扇子で母の頭を撫でてくださりました。
その後ヒルトン成田で松茸の懐石を美味しそうに食べて終始笑顔でした。その後海ほたるが見たいと言うので海ほたる経由で東京へ向かい送り届けました。
それから1週間後急に母の容態は急変しました。
今まで色々な機会に両親の実績で助けられられることがあります。
親子の絆は今は両親の存在はなくても感じます。
きっとkiyo様も同じ様にお感じになることと思います。
できるときにして良かったとkiyo様の日記を読んで両親との思い出を振り返る機会ができました。
ありがとうございました。
※マザコン・ファザコンではありませんが両親が銀座の有賀写真館(現在は閉館)で残した写真があり、写真館へお願いし名刺サイズ程度に焼いて頂きました。
その写真をお守り代わりに手帳の中へ入れています。
ohana
- kiyoさん からの返信 2020/06/07 14:18:40
- RE: 心にしみます
- ohana様、こんにちは。
温かいお心遣いのお言葉と数々のお話をありがとうございます。
形には残らないことは沢山あるが、心に刻むことも沢山ある。
確かに、その通りですね。
親子の絆は、亡くなった後も消えるわけではない。
そう考えると、天国にいる両親に恥じないような
毎日を送らなければと思いました。
私は父が亡くなった後、
アルバムの中から家族で写した写真を数枚、選び出し、
パネルに貼って、居間に飾るようになりました。
ohana様のおっしゃる通り、
写真を通して両親が私を守ってくれているように感じます。
今日から数日間は暑さが厳しくなるようですが、
体調崩されませんように。
ありがとうございました。
kiyo
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- パディントンさん 2020/06/04 22:18:24
- あたたかい思い出ですね¨。
- kiyoさん、こんばんは。
そうですか、お父様の一周忌だったのですね。
一年過ぎてもなかなか悲しみ、寂しさは癒えませんよね。
でも素敵な思い出いっぱいの旅行記、きっとお父様も喜んでいらっしやると思います。
確かに後で、もっと話しておいたらよかった、と思いますよね。
きっとみなさん、そうだと思います。
私も4年前の6月に父が他界しましたのでよけいそう感じます。
お父様は登山がご趣味だったのですね。しかも本格派!
”ガストン・レビュファ”ですか!屋根に上っての剪定なんて”お茶の子さいさい!”だったかもしれませんね。
桜、桃、雪柳、レンギョウも綺麗でしたね。
皆さんご一緒のドライブ旅行、大切な、大切な思い出ですね。
あったかい気持ちになりました。
ありがとうございました。
パディントンより
- kiyoさん からの返信 2020/06/05 08:41:02
- RE: あたたかい思い出ですね¨。
- パディントンさん こんにちは。
いつもありがとうございます。
一年は、あっという間に過ぎていくものですね。
それでも悲しみは癒えず、
父が亡くなる直前のことは思い出さないよう
無意識に記憶に鍵をかけている自分に、最近、気が付きました。
パディントンさんも4年前にお父さまを亡くされたのですか。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
親を亡くすということ。
そして、多くの後悔にさいなまれること。
それは誰もが通る道で、乗り越えていかなければいけないこと。
まだしばらくは、この胸の痛みを抱えつつ歩いて行こうと思います。
私が止めるのも聞かず、父が毎年、剪定していた梅は
今、茂りに茂って、二階のベランダをも侵食しそうです。
先日、高切りバサミで届くところは切ったのですが、
屋根や三脚に登るのは怖くて、私にはとても無理(〜〜;
梅の実の収穫時期が過ぎたら、植木屋さんに頼もうと思います。
最初は、手入れが面倒だから梅の木を処分しようと思ったのですが、
今年2月、梅の花を眺めていたら、やはり残したくなりました。
花の癒しパワーは絶大ですね。
パディントンさんのお写真のバラの美しさにも癒されました(^^)
kiyo
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- aoitomoさん 2020/06/04 21:50:02
- お父様も喜ばれているでしょうね~
- kiyoさん こんばんは~
お父様との思い出の旅。
お父様も娘さんと旅をすることが出来て、
さぞかし満足だったことでしょう。
さらにはお父様のたくさんの写真がしっかり、
お父様の永遠の青春を映し出してますね~
私も70歳になってもこのぐらい、
動けたらと思いましたよ。
kiyoさんもお父様の遺伝子を受け継いでいるので、
いつも凄い旅ができてしまうんでしょう。
貴重なお写真。
お父様もきっと喜んで見ていることと思います。
思い出の旅もこの旅行記も、
最高の親孝行だと思います。
aoitomo
- kiyoさん からの返信 2020/06/05 08:29:35
- RE: お父様も喜ばれているでしょうね?
- aoitomoさん こんにちは。
いつもありがとうございます。
父とは数えるほどしか一緒に出かけたことがなく、
家での会話も少なかったのですが、
今更ながら、父のたどった足跡を追っている気がします。
父のように70歳越えても、元気でいられたらと思い、
しばらく中断していたジョギングを再開したり、
父が大好きだった「数独」も、苦手意識を捨てて
最近、挑戦するようになりました。
私は、数時とか計算が大嫌いなのですが、
数独は、集中力が鍛えられ、
意外にもリラックス効果があり、夜、寝つきがよくなったり、
また、脳トレにもなるからでしょうか、
ちょっとした物忘れも少なくなった気がします(^^;
コロナによる新しい生活スタイルにはまだ慣れませんが、
aoitomoさんも、どうぞご家族でお元気にお過ごしくださいませ。
kiyo
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- pedaruさん 2020/06/04 06:26:35
- 思い出は尽きない
- kiyoさん おはようございます。
感動しました。kiyoさんの亡きお父様を思う気持ち、痛いほどわかりました。
お父様には幸せな人生があったのですね。
こうして父を思い出してくれる人がいるだけで、ほんとの意味で死んではいないのだとおもいました。
残された写真、見るたび、お父様に会える気がしますね。
お優しいkiyoさんの気持ちが天国に通じると思います。
pedaru
- kiyoさん からの返信 2020/06/04 18:23:01
- RE: 思い出は尽きない
- pedaru さん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
「思い出してくれる人がいるだけで、ほんとの意味で死んではいない」
pedaru さんのお言葉、胸にしみました(><)
最近、パソコンのやり過ぎで、右目の調子が悪く、
この旅行記を作るのもどうしようかと悩んだのですが、
作成した甲斐がありました。
ありがとうございます!!
父が生きているうちに、
もっと親孝行すれば良かったと後悔することばかりですが、
これからも何か父のためにできることを探していこうと思います。
明け方は涼しいですが、日中は暑くなり、
体調の管理が難しい時期となりましたが、
pedaru さんもどうぞお元気でお過ごしくださいませ。
kiyo
-
- Rolleiguyさん 2020/06/03 22:27:55
- お父様の山行
- kiyoさん、今晩は。
お父上が亡くなられてまもなく1年のこの時期に、思い出のご旅行の写真1枚1枚がお懐かしいことと思います。山梨の桃の花は一度見に行きたいと思いつつ、山梨に行くならワインもと思うと車では行けず、JRだと東京まで行くのも一仕事などと、行かない理由を作って、まだ行かずじまいです。 お父上は岩登りをされておられたのですね。愛用所にレビュファの本があったとのこと。私はレビュファの「星と嵐」を読んだことがありますが、私たちの年代だと、1921年生まれのレビュファが油の乗った時期である1960年-70年代前後の山行に刺激されたものです。もう名前を耳にすることもなくなった彼の名前を見つけてとても懐かしくなりました。
お父様も、ご自分の本を読んでもらえてさぞお喜びのことと思います。
大事になさってください。
Rolleiguy
- kiyoさん からの返信 2020/06/04 18:12:48
- RE: お父様の山行
- Rolleiguy さん、今晩は。
いつもありがとうございます。
レビュファの本。
父が生きていた頃は、本棚に並ぶ背表紙をちらと見ただけで、
私はページをめくろうとも思いませんでした。
父は山を舞台にした小説を数多く揃えていたので、
そうした内容の本だと思っていたのです。
それが、ページをめくってみたら、
なんとすごい内容なのかと驚きました。
私は、あんな危険と隣り合わせの山登りはしませんが、
父の足跡をたどりながら、
少しづつ読んでみようかと思っています。
山梨の桃の花。
東京方面から車で行くと、インターを過ぎたあたりか、
その手前あたりだったかで、少し高台から坂を下るのですが、
一面ピンクの絨毯のように広がる桃の花を見ることができます。
それが、とてもきれいで感動します。
また、笛吹市では4月の桃の花の季節になると、
「桃の里マラソン大会」も行われます。
昔、会社の先輩に誘われて参加したことがあるのですが、
桃の花を見ながら走るのも、のんびりして気持ちいいものです。
沿道では、地元の人たちが桃の木の下でビニールシートを敷いて、
お弁当を食べながら、マラソン選手を応援しているんですよ。
他のマラソン大会では見られない光景でした(^^)
kiyo
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