2007/09/12 - 2007/09/13
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chiaki-kさん
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2007 北海道・第2編は、釧路→標津→野付半島→羅臼→ウトロ→網走(泊)→宗谷岬→稚内(泊)を巡る旅行記。
表紙の写真は宗谷岬にある「日本最北端の碑」。条件の良い日には樺太(サハリン)半島も見えることがあるそうだ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
-
9/12
6:45 朝食のため10階レストランに行くと、レストランは昨日夕方に観光バスで到着した団体に占拠されており、しばらく待たされる。
10分ほどしてから、普段は使用しない別の部屋に上がってバイキング朝食。朝食はふだん通りのパン・コーヒー・サラダを主に摂るが、+αとして北海道牛乳をゴクリ。確かにうまい。朝食後チェックアウト、駐車場に行くと、あの団体のバスは、もうすでにいなかった。
写真はホテルの部屋から見た駐車場。BLの前にあの団体のバス。周りに停まっている車はほとんど わナンバー。 -
7:30 ホテルを出発。写真は幣舞橋手前の交差点。橋を渡ると日本ではめずらしいランアバウト・ロータリーがあった。
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釧路市内を抜けた所で給油。レギュラーガスが136.6円/L。2024年から見るとウソのような安い値段だ。
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釧路から標津方面へ向かうR272。別名釧標国道。中標津まであと24km地点。前方のトラック、○○○km/hで走行中。これが北海道の国道。(*)
(*)2007年当時のこと、今は頻繁にスピードチェックがあるみたい。 -
標津で一旦右折して、ほどなくして左折、D950野付半島道路に入る。お天気は写真のとおりの曇り空。
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野付半島は延長28kmにわたる砂嘴(さす)で出来ている半島なので、道の両側は海。砂嘴は所により広くなったり、狭くなったりしている。
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広くなった砂嘴に樹木が生えている場所がある。
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これがナラワラと呼ばれる場所。ミズナラの木が立ち枯れていた。
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駐車場があったのでBL5を駐めて記念撮影。
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ナラワラから5分ほど先に今日の目的地のひとつ、トドワラの駐車場が見えてきた。
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野付半島・野付湾は世界遺産では無いが、湿地の保全に関するラムサール条約に登録されている。
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北方領土・国後島までわずか16kmという近さ。ロシア人が泳いでやってくることもまれにあるそうだ。なお、日本政府は国後島は日本領土と主張しているため、この場合日本国内移動となり、入管法の適用は微妙らしい。
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野付半島は千島列島での交易や漁業の拠点となって栄えており、漁業の拠点となる集落キラクが存在した。
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野付半島の碑があった。
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碑文には半島の歴史が刻まれていたが、興味のある方は拡大してご覧ください。
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野付半島ネイチャーセンターの駐車場に車を置いて、トドワラを目指す。
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トドワラへの道は、こんな感じ。
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徒歩20分ほどかかるが、足腰の弱い方には輓馬(ばんば)が牽く馬車が用意されていた。(500円)
*今はトラクターが牽引しています。 -
至る所にハマナスの花が咲いているが、時期的には遅かったので花より赤い実がたくさんなっていた。
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野付風蓮道立自然公園・トドワラに到着。別海十景にもなっている名所。
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トドワラは、砂嘴上のトドマツ林が、海水面上昇ないし地盤沈降に伴う地面の浸食により枯死したもの。
*2024年現在、ほとんどの樹木は消滅している模様なので、この風景は貴重。 -
ほとんどは樹齢100年前後のトドマツであるが、それよりやや古いエゾマツも混じる。
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年々腐朽したトドマツの枯れ木が風化・消滅しつつあるため、いずれは何もない湿原と化すと予想されている。
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それどころか、将来は半島ではなく島となったり、行く行くは半島自体が消滅することが危惧されている。
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野付半島ネイチャーセンターに併設されたトドワラ食堂で、窓越しにトドワラを眺めながら大漁ラーメンを食す。醤油ラーメンにエビ、ホタテ、そして毛ガニが1/2入っていてなかなかよかった。
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トドワラを後に、向かった先は知床半島の羅臼町。展望台があるとのことで登ってみるがどれが展望台なのかよく解らない。正解はアンテナ群の真ん中にあるコンクリートの建物の屋上。
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正式名は羅臼国後展望台、売店もあった。
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羅臼の町の眺めは良かったが、国後島は残念ながら雲で見えなかった。
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UPです。右下にある茶色の屋根の建物がらうす海鮮市場。
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建物の中は北方領土に関する展示が、国後島って近いのね。
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展望台から町へ降りて羅臼道の駅に寄る。らうす海鮮市場で、どっさり羅臼昆布などのお土産を購入。
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海鮮市場の前の道路の向こうは羅臼港。港にはかもめの皆さんが勢揃い。
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着陸~。
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こちらは、きまぐれカラスさん。加藤登紀子さんが歌った「知床旅情」の3番の歌詞に出てきます。
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羅臼を後にR334・知床横断道路を北上。途中で車を駐め、羅臼岳を激写。知床横断道路はウトロ - 羅臼間を結ぶ延長約27kmの国道で、知床半島を横断できる唯一の道路。1980年に開通。
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左の崖の上でガサゴソ音がするので見ると一頭の雄のエゾシカが草を食んでいた。そういえば野付半島でキタキツネにも遭遇したが残念ながら写真は撮り損ねた。
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羅臼岳が次第に近づいてきた。
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知床峠に到着。
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晴れていればここからも国後島が見えるらしい。
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知床峠の碑。木製でかなりくたびれている。
*現在は石碑に変わっている模様。 -
UPです。傾斜がきつく岩がもろい状態なので、上級者向けの山。
*今は岩よりもクマの方が問題。 -
羅臼岳の説明看板があった。
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記念撮影。
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知床五湖手前で食事中の雌のエゾシカの群れと遭遇。
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知床五湖に到着。時間が厳しいので一湖と二湖だけ廻ってみよう。
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一湖はこんな感じ。湖の向こうはオホーツク海に落ち込む断崖絶壁。
*今はクマ対策のため高架木道が設置され、電気柵でガードされています。 -
一湖の水鏡に写るのは知床連峰。一番右が羅臼岳。
*今は一面に藻のようなものがはびこってしまい、綺麗な水鏡は見れない模様。 -
二湖
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二湖から見た知床連峰。一番左が硫黄山。
*今は二湖以上先に進むためにはガイドさんが必要みたいです。 -
知床五胡を後に、ただ今ウトロ手前のR334を西へ爆走中。
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R244 別名斜里国道から撮影したポプラ並木に沈む夕日。明日は良い天気になりそうだ。
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18時少し前に網走市内に入るが、ホテルへ入る手前で痛恨のミスコース。左折するはずの道路の上を立体交差していたのに気づかず、5kmほど能取湖方面へ行ってしまう。網走湖の対岸にそれらしいホテルの明かりを見つけてUターン。この辺が、1人ドライブの厳しいところか。(ちなみにカーナビはまだ付いていません)
今夜の宿は NETで予約した 網走観光ホテル ちょっと古めのホテルだが、今回の旅行で唯一の観光ホテル。部屋はシングルが無くツインルームだったので余裕しゃくしゃく。温泉にも入り、サービスの毛ガニ、特注のあわびなどを食す。う~ん、余は満足じゃ~。
なお、写真は翌朝の部屋の窓からの眺めです。写っている湖水は網走湖。 -
9/13
いつもどうり4:00起床。画像の整理など行ってから5:00頃大浴場へ。こんな早朝にもかかわらず何人かのお客さんがもう来ていた。朝食は7:00から大食堂でバイキング。いつものとおりパン、サラダ、ベーコン、コーヒーと牛乳の朝食。ナイフ・フォークが用意してなかったので、子供用のフォークを使用する。
写真は網走観光ホテルの部屋から見た網走湖。湖岸道路の手前にはJR石北本線が通っている。 -
7:30にホテルを出て、女満別にあるメルヘンの丘に到着。
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今日は良い天気だ。
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再び網走に戻り、博物館・網走監獄を見学する。写真の橋の名は「鏡橋」。今の自分の姿をよく見るようにね。
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博物館・網走監獄は、1983年に開館した博物館で、旧網走刑務所にあった古い建物等を解体・移築して出来たもの。写真の門は煉瓦門と呼ばれる網走刑務所の正門。
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刑務所の旧庁舎は重要文化財。
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網走送りとなった罪人は本人はもちろん、家族もここまで来るのに大変な労苦を強いられ、面会時間はたったの30分であった。
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裏門は受刑者が外の作業に出かけるときに通る門。
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網走刑務所は網走川に面していたので、このような門もあった。小舟に乗っている桶の中身は多分、屎尿では。
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網走に監獄をつくった一番の目的は道路や鉄道など、北海道の開発や軍隊の移動に必要となる社会資本の整備を囚人たちに強制的にやらせることだった。
写真は建設工事先に造った移動刑務所ともいえる休泊所という名の小屋で所謂タコ部屋の元祖となったもの。 -
資料館にあったテニヤン島飛行場建設のジオラマ。国家総動員令により囚人まで南海の島の飛行場建設にかり出された。網走刑務所からは土木工事に熟練した囚人136人が送りまれたが、グアム島経由で帰国途中、多くの者が米軍の攻撃により船ごと沈められた。
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食堂風景。現在も日本の刑務所は自足自給が原則。米6:麦4の飯のためムショというそうだが、食事内容は悪いものではなかったようだ。
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五翼放射状平屋舎房は1912年(明治45年)の建築。中央見張りを中心に雑居房、独房などが並び、1984年まで使用された。重要文化財。
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木造の舎房としては最北地にある。
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雑居房に入ってみる。冬の寒さは厳しかっただろう。
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びっくりした~。
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こちらは独居房か。
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また、びっくり。
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天井近くに褌一枚の男の人形があったが、これが昭和の脱獄王と呼ばれた白鳥由栄(しらとりよしえ) の人形。
昭和の脱獄王 白鳥由栄についてスタディ・・・するほどでもありませんが、興味のある方のみどうぞお読みください。
白鳥由栄は明治40年青森県生まれで、昭和8年殺人事件を起こし、青森刑務所に収監されていたが、待遇の悪さに怒り昭和11年に偶然手に入れた針金で合い鍵を造って、最初の脱獄をする。しかし、3日後あっけなく捕まり刑務所へ。青森、宮城、小菅刑務所と移監されるが昭和16年秋田刑務所に収監される。脱獄囚として特別視された白鳥は過酷な扱いを受け、再び脱獄を決意、17年6月に房の天井を破り脱獄する。
3ヶ月後、かつて収監された小菅刑務所の戒護士宅に現れた白鳥はそのまま自首するが、18年4月に網走送りとなってしまう。網走刑務所の扱いは最悪のもので、常に手錠、足錠をつけられ、冬でも単衣のままという人間以下の扱いであった。脱獄を決意した白鳥は、毎日鉄格子で出来た監視口を、根気よくゆすり続けて10本のボルトをすべてはずすのに成功、19年8月、灯火管制で暗くなったことを利用し、手錠、足錠、監視口を外し褌一つで独房の外に出て、写真にあるとおり、天井によじのぼって、明かり取りのガラス窓を頭で突き破り脱獄に成功する。その後2年間、白鳥は山中にこもり、終戦を迎える。しかし、砂川でスイカ泥棒と間違えられ農夫に棍棒で殴られ、その農夫を殺してしまう事件を起こしつかまり、死刑判決を受ける。
今度は札幌刑務所に収監されるが、2人1組による24時間監視にもかかわらず、床が弱いのを知ると、昭和22年、床を破って4度目の脱獄。9ヶ月ほど山中に潜伏するが、札幌で職務質問した警官の態度がよかったので、あっさり自分が白鳥であることを名乗り逮捕される。2度目の殺人が殺人を目的としたもので無いことが汲まれ、懲役20年に減刑された白鳥は府中刑務所に収監されるが、所長は白鳥を特別扱いせず普通の囚人として扱ったので、これに応えた白鳥はなんと模範囚となり、36年仮出獄する。その後山谷のドヤ街などで生活していたが、54年2月、心筋梗塞により死亡する。71歳であった。 -
白鳥由栄が外した独房の監視口。
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浴場風景。ちゃんと間隔を開けて入っていますね。
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博物館・網走監獄を後に、すぐ隣にある天都山に登る。写真は山頂の展望台から見た、今の網走刑務所。学校と工場と農場がセットになった施設といった感じ。
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能取湖手前のR238にあった標識、さあ、稚内まで318km走るぞ。
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これが能取湖、サンゴ草群生地。
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ちょうど盛りの時期で、観光バスも押し寄せ、大賑わいだった。
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一つ一つはこんなものである。
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R238 通称オホーツク国道を北へ。写真は紋別の先。BL5はオホーツク海沿いに北を目指す。
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昼食は途中のコンビニでサンドイッチとコーヒー牛乳を買い、車の中で走りながら昼食(*)。時間の節約が目的だが、こんな芸当ができるのも北海道ならでは。
(*)よい子はまねしないでください。 -
枝幸(えさし)という町にある北見神威岬公園で休憩。向こう側に駐まっている方は釣り人だろうか。
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オホーツク海の色がますます濃くなってきた。
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猿払という町の公園で休憩。北海道は公園も広い。
*道の駅さるふつ公園には分厚い生ほたてが名物の店があるそうです。 -
いよいよ宗谷岬が近づいてきた。それにしても車が少ない。
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15:50 日本最北端の宗谷岬に到着。日本の道を北へ北へと走ると、ここが最終地点。37年前と違って、駐車場も広く、きれいになった。なお、隣はBPのレンタカー。レガシィーは北海道で絶大な人気があるようだ。
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日本最北端の碑を眺める間宮林蔵の像。ちなみに間宮林蔵は江戸時代後期の徳川家御庭番。間宮海峡を発見し、樺太(サハリン)が島である事を確認した事で知られる。
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土産物屋や食堂も増え、観光バスやバイクの皆さんが大勢来ていた。丘の上に旧海軍望楼が見える。
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高台から見た日本最北端の碑。以前は海の中にあったが今は陸に上がった。
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高台にあった駐車場で一枚。向こうにある像は「あけぼの像」。宗谷岬を開拓した先人を称えて建てられたとか。
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宗谷丘陵に林立する風力発電風車、ユーラスエナジー宗谷という会社が管理・運営している。なお、左にある丘は丸山といい、山頂にあるのは自衛隊のレーダー。
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この辺の土地は宗谷畜産開発公社の所有地で、宗谷黒牛がたくさん飼育されている。このスカイラインのような道路は、道道889号線。
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つまり、牧場の中に風力発電機を立てたという訳。手前の黒いものは牧草ロール。
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17:30 宗谷岬を後に稚内方面へ移動中に落日となる。途中、富磯漁港の堤防で落日を迎える。なお、遠くに見える岬はノシャップ岬。
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日本海へ沈む夕日。明日も良い天気でありますように。
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宗谷岬から稚内は30km以上あり、結構遠い。今夜の宿は電話で予約した「ホテル滝川」個人経営の感じがするビジネスホテルだが、天然温泉つきとはうれしい。食堂の食事は和風であったが、北海の幸満載でおいしかった。なお、ハサミがついてきたのでカニの足を食べるのに使用するが、こんなに楽ちんなものとは知らなかった。(写真は翌朝撮影)
なお、今回持参のPCは有線LAN専用機なので、フロントで無線LANカードとソフトを借りてチャレンジするが、あえなく撃沈。なにせ無線LANなんてやったこと・・・無い!
(*)当時の感想です。
これで「2007年 北海道旅行記2」は終了です。本日も古く、しかも長い旅行記を最後までご覧いただきありがとうございます。
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