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 今年の桜見はと言えば、新型コロナウィルス感染拡大で外出自粛から緊急事態宣言になり、基本的には4月初旬で終わった。それでも今年は記録的な暖冬の影響であろう、桜の開花は例年よりも早く、枝垂れ桜に関しても県内西部(西湘)や横浜市南部の枝垂れ桜を見ることができた。<br /> 東京・横浜は国内では桜が最も早く咲く地域であり、桜前線が北上すると思われているのは東京や横浜から見た場合であろう。京都であれ、東京よりも開花が遅い西日本の桜の名所が多くある。<br /> 日本人なら誰でも染井吉野よりは枝垂れ桜の方が綺麗だと思っている。夜桜(染井吉野)で有名な高田城址でも枝垂れ桜が植えられた場所が撮影スポットとして多くの花見客が写真を撮るために集まる。染井吉野以外でも高遠小彼岸桜(タカトオコヒガンザクラ)で有名な桜の名所・高遠城址公園でも枝垂れ桜が植えられた場所が撮影スポットとして多くの花見客が写真を撮るために集まる。しかし、長野県伊那市では桜を市の「花」に制定し、「日本一の桜の里づくり」計画を策定しているくらいだ。私(わたくし)的には勝間薬師堂の枝垂れ桜(https://4travel.jp/travelogue/10398760)の方が空いていて桜を楽しめた。<br /> しかし、枝垂れ桜の苗は染井吉野の苗よりも桁違いに高く、しかも実生(みしょう)であるために開花までは12、3年も要すると言われている。したがって、日本国内では古刹の境内に1本だけの枝垂れ桜が植えられている場合が多く、せいぜい勝間薬師堂や水月観音堂(福島県郡山市)(https://4travel.jp/travelogue/10665646)のように数本の枝垂れ桜を植えている場合がある程度であった。あるいは、名主や庄屋などの大旦那の屋敷に1本だけの枝垂れ桜が植えられている場合とかであり、江戸時代までは上流階級や金持ちの桜と見なされていたのだろう。明治維新の神仏分離令、それに続く廃仏毀釈で廃寺となった寺院も多くあり、現在でも〇×寺跡の枝垂れ桜として残っている場合(「観音桜」(福島県小野町)、(https://4travel.jp/travelogue/10469454))も見られる。<br /> 枝垂れ桜の1本桜といえば、三春の「滝桜」(https://4travel.jp/travelogue/10665574)が余りに有名である。樹齢1,000年とも言われ、福島県中通りではこのように昔から枝垂れ桜の文化が根付いている。京都と供に稀有な地方である。<br /> 一方、上記の例外として、秋田・角館(仙北市)には町内に400本の枝垂れ桜が植えられており、城下町に残る武家屋敷の街並みと枝垂れ桜の桜並木を楽しめる。これは旧藩時代(明暦2年(1656年)頃)武家屋敷の各戸ごとに植えられた枝垂れ桜が主なもので153本残っており国指定天然記念物となっている。なお、花見の宴会は桧木内川の河原で行われる。桧木内川堤の染井吉野の桜並木は宴会用、武家屋敷の枝垂れ桜の桜並木は花見用とその役割が異なっているようだ。<br /> こうした中で、昭和の終わり頃になると1,000本の枝垂れ桜が植えられ、桜並木(福島県喜多方市・日中線記念自転車歩行者道)が生まれて来た。平成になると人里離れた山奥に、「神山をしだれ桜で日本一美しい町にしよう」と4,000本の枝垂れ桜を植えた神山しだれ桜(徳島県市美馬市)、1,000本の枝垂れ桜を植えた高見の郷(奈良県吉野郡東吉野村)、1.5kmの枝垂れ桜のトンネルと謳うたけべの森公園(岡山市北区建部町)などの数多くの枝垂れ桜が見られる場所が生まれてきている。染井吉野などであれば、10数km、20数kmの桜並木もあるが、ようやく、枝垂れ桜でも数kmの距離の桜並木が見られるようになった。嬉しいことだ。来年の花見が待ち遠しい。<br />(表紙写真は西林寺の枝垂れ桜)

来年の花見は枝垂れ桜の桜並木で

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2020/04/11 - 2020/04/11

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 今年の桜見はと言えば、新型コロナウィルス感染拡大で外出自粛から緊急事態宣言になり、基本的には4月初旬で終わった。それでも今年は記録的な暖冬の影響であろう、桜の開花は例年よりも早く、枝垂れ桜に関しても県内西部(西湘)や横浜市南部の枝垂れ桜を見ることができた。
 東京・横浜は国内では桜が最も早く咲く地域であり、桜前線が北上すると思われているのは東京や横浜から見た場合であろう。京都であれ、東京よりも開花が遅い西日本の桜の名所が多くある。
 日本人なら誰でも染井吉野よりは枝垂れ桜の方が綺麗だと思っている。夜桜(染井吉野)で有名な高田城址でも枝垂れ桜が植えられた場所が撮影スポットとして多くの花見客が写真を撮るために集まる。染井吉野以外でも高遠小彼岸桜(タカトオコヒガンザクラ)で有名な桜の名所・高遠城址公園でも枝垂れ桜が植えられた場所が撮影スポットとして多くの花見客が写真を撮るために集まる。しかし、長野県伊那市では桜を市の「花」に制定し、「日本一の桜の里づくり」計画を策定しているくらいだ。私(わたくし)的には勝間薬師堂の枝垂れ桜(https://4travel.jp/travelogue/10398760)の方が空いていて桜を楽しめた。
 しかし、枝垂れ桜の苗は染井吉野の苗よりも桁違いに高く、しかも実生(みしょう)であるために開花までは12、3年も要すると言われている。したがって、日本国内では古刹の境内に1本だけの枝垂れ桜が植えられている場合が多く、せいぜい勝間薬師堂や水月観音堂(福島県郡山市)(https://4travel.jp/travelogue/10665646)のように数本の枝垂れ桜を植えている場合がある程度であった。あるいは、名主や庄屋などの大旦那の屋敷に1本だけの枝垂れ桜が植えられている場合とかであり、江戸時代までは上流階級や金持ちの桜と見なされていたのだろう。明治維新の神仏分離令、それに続く廃仏毀釈で廃寺となった寺院も多くあり、現在でも〇×寺跡の枝垂れ桜として残っている場合(「観音桜」(福島県小野町)、(https://4travel.jp/travelogue/10469454))も見られる。
 枝垂れ桜の1本桜といえば、三春の「滝桜」(https://4travel.jp/travelogue/10665574)が余りに有名である。樹齢1,000年とも言われ、福島県中通りではこのように昔から枝垂れ桜の文化が根付いている。京都と供に稀有な地方である。
 一方、上記の例外として、秋田・角館(仙北市)には町内に400本の枝垂れ桜が植えられており、城下町に残る武家屋敷の街並みと枝垂れ桜の桜並木を楽しめる。これは旧藩時代(明暦2年(1656年)頃)武家屋敷の各戸ごとに植えられた枝垂れ桜が主なもので153本残っており国指定天然記念物となっている。なお、花見の宴会は桧木内川の河原で行われる。桧木内川堤の染井吉野の桜並木は宴会用、武家屋敷の枝垂れ桜の桜並木は花見用とその役割が異なっているようだ。
 こうした中で、昭和の終わり頃になると1,000本の枝垂れ桜が植えられ、桜並木(福島県喜多方市・日中線記念自転車歩行者道)が生まれて来た。平成になると人里離れた山奥に、「神山をしだれ桜で日本一美しい町にしよう」と4,000本の枝垂れ桜を植えた神山しだれ桜(徳島県市美馬市)、1,000本の枝垂れ桜を植えた高見の郷(奈良県吉野郡東吉野村)、1.5kmの枝垂れ桜のトンネルと謳うたけべの森公園(岡山市北区建部町)などの数多くの枝垂れ桜が見られる場所が生まれてきている。染井吉野などであれば、10数km、20数kmの桜並木もあるが、ようやく、枝垂れ桜でも数kmの距離の桜並木が見られるようになった。嬉しいことだ。来年の花見が待ち遠しい。
(表紙写真は西林寺の枝垂れ桜)

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  • 西林寺の枝垂れ桜。こうしたお寺の境内に1本だけ枝垂れ桜が植えられている場合が多かった。こうした枝垂れ桜を見て、半世紀前ぐらいからは広い家屋敷に住む人たちが庭に枝垂れ桜を植えるようになった。それが今では地方の活性化を図って枝垂れ桜を1,000本単位で植える場合が出始めている。自治体ばかりではなく、個人がそうした事業を行っている。いずれにしても、こうした枝垂れ桜の里はまだ周知度が低いのが現状ではあるが、こうして植えられた枝垂れ桜の樹齢が50年、100年となれば、誰でも知る枝垂れ桜の名所となるであろう。<br /><br /> 明治5年(1872年)に学制が発布され、日本全国に学校が建てられた。小学校は、従来の寺子屋・私塾その他の教育施設を改造したものであったが、寺子屋になっていたお寺にも枝垂れ桜が植えられていた場合が多くあったはずであるが、現在ではWebで検索して2、3時間調べたところでは、枝垂れ桜が植えられているのは「孝子桜(こうしざくら)」がある城山西小学校(栃木県宇都宮市)、「黒船桜」がある清内路小学校(長野県阿智村)、西中学校前(群馬県吾妻郡長野原町)の桜並木だけで、廃校になった杵原学校(長野県飯田市)、谷村工業高校(山梨県都留市)、氏乗分教場跡の「氏乗(うじのり)の桜」(長野県喬木村)、旧座光寺小学校(麻績学校)前の「舞台桜」(長野県飯田市)くらいである。最近になって枝垂れ桜が植えられた学校も森村学園(横浜市緑区)、敷島小学校(愛知県豊田市)だけであった。余りにも少な過ぎないか?実は明治政府によって、学校の校庭には江戸(東京)で生まれた染井吉野を植えることが行われたとされる。今ではどこの小中高でも染井吉野の桜並木が見られる。

    西林寺の枝垂れ桜。こうしたお寺の境内に1本だけ枝垂れ桜が植えられている場合が多かった。こうした枝垂れ桜を見て、半世紀前ぐらいからは広い家屋敷に住む人たちが庭に枝垂れ桜を植えるようになった。それが今では地方の活性化を図って枝垂れ桜を1,000本単位で植える場合が出始めている。自治体ばかりではなく、個人がそうした事業を行っている。いずれにしても、こうした枝垂れ桜の里はまだ周知度が低いのが現状ではあるが、こうして植えられた枝垂れ桜の樹齢が50年、100年となれば、誰でも知る枝垂れ桜の名所となるであろう。

     明治5年(1872年)に学制が発布され、日本全国に学校が建てられた。小学校は、従来の寺子屋・私塾その他の教育施設を改造したものであったが、寺子屋になっていたお寺にも枝垂れ桜が植えられていた場合が多くあったはずであるが、現在ではWebで検索して2、3時間調べたところでは、枝垂れ桜が植えられているのは「孝子桜(こうしざくら)」がある城山西小学校(栃木県宇都宮市)、「黒船桜」がある清内路小学校(長野県阿智村)、西中学校前(群馬県吾妻郡長野原町)の桜並木だけで、廃校になった杵原学校(長野県飯田市)、谷村工業高校(山梨県都留市)、氏乗分教場跡の「氏乗(うじのり)の桜」(長野県喬木村)、旧座光寺小学校(麻績学校)前の「舞台桜」(長野県飯田市)くらいである。最近になって枝垂れ桜が植えられた学校も森村学園(横浜市緑区)、敷島小学校(愛知県豊田市)だけであった。余りにも少な過ぎないか?実は明治政府によって、学校の校庭には江戸(東京)で生まれた染井吉野を植えることが行われたとされる。今ではどこの小中高でも染井吉野の桜並木が見られる。

  • 大雄山最乗寺仁王門横の枝垂れ桜の並木道。このように道の両脇に枝垂れ桜が植えられて桜並木ができ始めている。この枝垂れ桜の本数が増え、田舎には桜並木が数kmに及ぶ枝垂れ桜の名所ができつつある。

    大雄山最乗寺仁王門横の枝垂れ桜の並木道。このように道の両脇に枝垂れ桜が植えられて桜並木ができ始めている。この枝垂れ桜の本数が増え、田舎には桜並木が数kmに及ぶ枝垂れ桜の名所ができつつある。

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