2020/03/21 - 2020/03/21
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ミズ旅撮る人さん
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愛知県のSL探訪の旅2日目。
西尾市の東にある「愛知こどもの国」に行きました。
「あさひが丘」と「ゆうひが丘」に分かれた大きな公園で、
園内の移動用にランドトレインが走っています。
今回のお目当ては「ゆうひが丘」に保存されているC11と、
「こども汽車」として常日頃、運行している小型のSL「B11まつかぜ」と
「B12しおかぜ」です。
協三工業製造の小型のSLで、小さな客車を牽引します。
「ゆうひが丘」をぐるっと一周するのですが、
高台で、海が近いため非常に眺めがいい路線となっています。
子供の遊具とは思わずに、是非とも乗って見てください。
その後、豊川市にある「日本車輛製造」の豊川工場を訪れました。
門柱の脇には、8620形が置かれています。
反対側には上野公園にあったモノレールがあります。
SLの隣には、路面電車と0系新幹線もあります。
そして、2020年7月デビュー予定の新しい新幹線「N700S」の姿も見られました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
「愛知こどもの国」に向かって移動中です。
名鉄吉良吉野駅の横の踏切を通過中に、
名鉄西尾線の佐屋(さや)行きが停車しているの見掛けました。
佐屋ってどの辺にあるんだろう?
調べてみると西尾線から津島線に入って、愛知県の西端、
木曽川の手前まで行くんですね。ここ、吉良吉野駅が始発でした。
電車が曲がったまま停車していたので、
反射的にシャッターを切りました。吉良吉田駅 駅
-
天気が良かったので、ちょっと寄り道。
幡豆(はず)漁港に来ました。
幡豆海岸では、3~6月に潮干狩りが出来ます。 -
岸壁から海を見ていて、ふと足元に視線を落とすと、
なんと綺麗なクラゲが泳いでいました。
まるで水族館のように、優雅に泳いでいます。 -
足を延ばしたり縮めたりしながら泳いでいて、
ふと水面に上がって来ました。
ひょこっと水面に傘の上部を出して、また沈んで行きました。
「おお、クラゲが呼吸している。」と思った無知な私。
なんとクラゲは呼吸器を使っての呼吸はしません。
人間のように口や鼻から空気を吸わないのはもちろん、
えら呼吸もしません。
酸素が溶け込んだ海水を傘の下にある口から取り込み、
口に続く胃腔から放射管という器官を通して体中に送り、
細胞が海水から酸素を取り込んでいるのです。
いわば、体中が「えら」のようなもの。
クラゲが常時傘を動かしているのは、吸い込んだ海水を体中に巡らす
ポンプの役割をしているのです。
心臓も肺もないけれど、この動きが代用しているんです。
おまけに脳もありません。
身体全体に行き渡った神経がその代わりをしています。
クラゲって、見て楽しいだけでなく、
知っておもしろい生物でもあったんですね。 -
白いクラゲが沈んでしまったので、他にいないか岸壁を歩いてみました。
すると、岸壁の壁面にいました。
これ、ほぼ真上から撮った写真で、下にあるように見える貝殻は
岸壁に垂直に張り付いているものです。 -
イチオシ
この写真を漁港の岸壁で撮っているなんて、思わないよねぇ。
-
今回の表紙にしたいくらい綺麗なクラゲたちでした。
寄り道って、やっぱりいいな。 -
さて、「愛知こどもの国」のゆうひが丘駐車場に着きました。
「愛知こどもの国」の駐車場は、
民営であさひが丘駐車場がメインになります。
しかし、今回の目標はゆうひが丘にあり、
こちらの駐車場の方が断然近いので、こちらに車を停めました。
しかし、この駐車場から園内までは急な階段が続きます。 -
階段の脇に坂道もありますとは書いてあるものの、
どうもはっきりしない道で、階段の方が安全確実のようでした。
しょっちゅう来ている人は、きっとこちらの駐車場には
停めないんだろうな。
ようやく階段の終わりが見えて来ました。 -
最後の階段を上がり切ると、すぐ目の前にSLの姿がありました。
-
ここは「ゆうひが丘」の自由広場より一段下の道路脇。
自由広場からは、端から見下ろさないと気が付きません。
ちょっと可哀想な場所です。
何故、こんな離れた場所に置かれたのかしら? -
C11296。
1945(昭和20)年2月、日本車輛製造。
1973(昭和48)年2月廃車。 -
「愛知こどもの国の45周年、大感謝祭」と書かれた
ヘッドマークが付いていました。 -
C11296蒸気機関車のあらまし。
-
屋根の脚が邪魔をして、全体が撮れませんでした。
-
蒸気ドーム、砂箱がやけに四角い形です。
昭和20年、終戦の年に製造されたので、
細かい加工は簡略化されたのかもしれません。 -
塗装自体は丁寧なのですが、もう古いようです。
-
中央部分に「C 296」は見えます。
「11」部分はハッキリしません。 -
煙突の蓋がよく見えます。
-
2019年3月に、東武鉄道のSL大樹の煙突を上から撮りました。
SL大樹は、C11207です。
同じC11なので、ほぼ同じ構造の筈です。
「愛知こどもの国」のC11は、煙突の上部のカバーが欠損しているか、
製造時から端折られていたのかもしれません。 -
自由広場に上がって、C11296を見下ろしています。
あんなに隔絶した場所ではなくて、これから行く「こども汽車」の前などに置かれていれば、人気者だろうに。 -
自由広場からは、三河湾に浮かぶ前島が正面に見えます。
東幡豆(はず)海岸からは、干潮時に干潟が繋がるようです。
潮干狩りの出来る遠浅の海岸だからですね。
干潮時に島と繋がる場所は意外に多いです。
有名な場所は小豆島のエンゼルロードですが、
山口県と広島県の境に近い周防大島にもありました
(2019年GW旅行記参照)。
千葉県房総半島の南端にある館山市にも沖ノ島があります。
能登半島の軍艦島と呼ばれる見附島もそうでした
(2019年2月旅行記参照)。 -
ゆうひが丘の中心で一番高い場所に展望広場があります。
これをぐるっと一周巡っているのが「こども汽車」です。
石炭と水で走る小型の蒸気機関車が週末に運行しています。 -
「こども汽車」の前には、なんとも懐かしい
ゴーカートのコースがあります。
令和も2年目に入りましたが、平成をすっ飛ばして、
一気に昭和に戻った気がします。
ここのコースは半端じゃない長さです。
これが廃(すた)れない理由でしょうね。
私も、結構、かなり乗りたかったです。 -
ぽお~~!と汽笛がして、トンネルからSLが出て来ました。
小型のSL独特の「ぽお~っ」という音です。
「ポオ~」ではなく、「ぽお~」。 -
駅舎に到着する直前で忙しいでしょうに、
乗り場で待っている子供たちに機関士が手を振っています。
やっぱりうれしいよね、手を振ってもらえると。
SLのコースは、外部とは隔絶しているので、
トンネルから駅舎までの短い区間しか間近に見ることは出来ません。 -
小さな機関車ですが、客車を5輌牽引しています。
今日の運行は「しおかぜ号」のようです。 -
駅の前には定番の顔出し看板もありました。
-
「こども汽車」の駅からは三河湾の展望が素晴らしいです。
下に見えているのが自由広場です。
新型コロナウィルスの感染防止のため、屋内施設が閉鎖されていて、
トイレも使えないためか、手前に仮設トイレが並んでいます。 -
乗車賃は3歳以上300円です。券売機で100円券を3枚買います。
ホームは階段を上がった所ですが、発車5分前まではここで待ちます。
降車した乗客たちは、目の前のトンネルを抜けてこちら側に出て来ます。 -
帰って来たSLが、再び発車の準備をしています。
3~11月は、20分おきに運行していますが、
11:50の後は1時間のお昼休みがあるので、次が12:50になります。
時間を気にしていなくて、来てみたらこの11:50発でした。
危なかった~。営業日は土日と祝日のみです。
季節によって運行時間が変わりますので、事前に確認した方がいいです。
https://www.kodomo-aichi.jp/ride/kodomo-kisha.html -
客車も機関車同様に小型サイズ。
後ろの展望デッキから乗り込みますが、客車間の行き来は出来ません。 -
運転席を覗いてみます。
この「こども汽車」は、昭和49年に「愛知こどもの国」が
開園した時から動いています。
全長1,135mの行程では、三ヶ根山や三河湾国定公園などが
約7分間に亘って見られます。 -
使用している石炭は、小さくて丸い「ピッチ練炭」です。
-
「しおかぜ号」の向こうに「まつかぜ号」もいます。
日本にある小型のSLは、外国製が多いと思いますが、
このSLは、福島県の協三工業が昭和49年に製造したものです。
SLを作れるのは、もうこの会社しかないと言われます。
この会社が最後に作ったSLが2012年製造のもので、
現在栃木県の「那珂川清流鉄道保存会」に大切に保管されています。
http://www.kyosankogyo.co.jp/6tSL.html -
これが「那珂川清流鉄道保存会」の社長が
協三工業に依頼して製造した「101」です。 -
「那珂川清流鉄道美術館」の中に保管されています。
ここには、信じられない数の車輛が保存されていて、
それが全部動くように整備されています。
商業施設ではないのに、こんなに保存して大丈夫なのかと
心配するほどの規模です。 -
改札が発車5分前なので、すぐに発車時刻になってしまいます。
慌てて先頭客車に乗り込みました。
そして、すぐにしまったと思ったのです。
先頭車だと、カーブを曲がる時に機関車の姿が良く見えない!
ああ、失敗。でも、意外と後ろでも見えないかも。 -
「こども汽車」は、展望広場の周りを左回りに一周します。
なので、右側は常に山側になります。
景色を楽しむなら左側に座るのが必須です。 -
でも、こういう写真を撮りたければ、右側しかチャンスはありません。
-
左側からの眺めです。
三河湾の真ん中に突き出した蒲郡市西浦町の半島が横に伸びています。
その向こうもまた三河湾で、その向こうに渥美半島があります。 -
西浦町の突端です。水平線に見えるのが渥美半島です。
三重県鳥羽市からフェリーで渥美半島の突端伊良湖岬に
渡ったことがあります。
このフェリーを使うと、ぐるっと伊勢湾を回り込むことなく
紀伊半島と行き来が出来て便利ですね。 -
程なくしてトンネルを抜け、すぐに駅舎に到着しました。
-
降りる時は、乗車した時と反対側のホームに出ます。
-
隣の「まつかぜ号」の向こうに車庫があります。
なんとなく機関車の形をしているような。 -
発車する前には気が付かなかった転車台があります。
グルグルと周回コースを巡る「こども汽車」に、
転車台が必要になるのか? -
おや、「しおかぜ号」が給水しています。そっか、もうお昼だもんね。
-
「こども汽車」の「給水塔」は、これ。赤いバケツで隠してあるのね。
-
はい、給水終わり。小さい機関車は給水も少なめです。
機関車の下の溝は、燃焼した石炭を捨てるところだと思いますが、
この時はまだ使われなかったので、
一日の終わりにしか捨てないのでしょう。 -
「しおかぜ号」の後進ギアが入りました。
動輪の上の重そうな部品がククッと動いて
動力がこれまでとは反対方向に伝わるようになります。
2019年8月に大井川鐡道で機関車トーマスを見て来た時に、
ギアが動いてバックに入るのを確認出来てから、
動くSLを観察する楽しみが一つ増えました。 -
バックして行く「しおかぜ号」。
そういえば、この機関車が動いているのを
間近で見たのはこれが初めてです。
発車5分前にホームに上がった時には、既にスタンバイしていたし、
それまでは立ち入れないので。 -
そのままどこかに行くのかと思ったら、ここで止まりました。
どうやら給水のために出っ張って止まっていたようです。
「しおかぜ号」が定位置に着くと、機関士たちはお昼休みに入りました。
今回の発車が11:50で、7分間の走行後、
給水作業をしてようやくお昼。
そして次の発車は12:50です。そのための準備もあるでしょう。
いったい何分休めるのかしら。 -
現役のB12。いつも見る大きな機関車とは随分違います。
-
一応、いつものショットを撮って、「しおかぜ号」の撮影を終えます。
-
「しおかぜ号」の客車です。
今は新型コロナウィルスの影響で、乗客が少ないけれど、
夏休み期間にはたくさんの家族連れが乗りに来るのかな?
この小さな窓に鈴なりの子供たちという風景も見てみたかったです。 -
「まつかぜ号」の隣に4種類の石炭が置かれています。
左から「太平洋炭」「イギリス炭」「幌内(北海道ほろない)炭」。
右端の「ピッチ練炭」が「こども汽車」で使用している石炭です。
石炭を粉にして余分なものを除いてタールで固めたものです。 -
機関車の各部名称が解説されています。
-
改札口に向かうトンネルの中は、フォトギャラリーになっています。
-
B11とB12の説明書き。
昭和49年8月協三工業製造。
いつもなら、ここで○○年廃車と書くのに、
この機関車は製造されてから今まで、ずっと現役なんです。
最高速度21km/h。軌間762mm。 -
「愛知こどもの国」を出て、豊川市に向かいます。
途中の踏切で、名鉄豊川線に遭遇しました。 -
車体に何かラッピングが施されています。
「名古屋文理大学」の宣伝です。 -
「学びのすべてが翼に」BUNRI WING
アイドル歌手のポスターかと思った。
文理大学の硬いイメージを払拭させたかったのかな。 -
東京オリンピックの聖火リレーの看板です。
4月7日の筈でした。1年お預けですね。 -
聖火リレーのトーチです。
スポンサーの日本生命がイベントで、
トーチを持って記念撮影をさせてくれました。
正式なリレーのメンバーですらまだ触れていないトーチを掲げたことは
貴重な体験となりました。 -
ある会社の門扉です。「鉄」の方にはわかるはず。
-
日本車輛製造株式会社 豊川製作所です。
-
すぐそばに「豊川海軍工廠跡」と書かれた看板があります。
「豊川海軍工廠は、1939(昭和14)年12月15日に、
海軍の航空機や艦船などが装備する機銃と
その弾丸の主力生産工場として開庁しました。(中略)
線後、工廠跡地は、陸上自衛隊豊川駐屯地、工場群、
大学の研究施設などに利用されて来ましたが、
その中には空襲を免れた施設などを再利用したものもあり、
現在でもそのいくつかを見ることが出来ます。
この説明板の左手にある日本車輛製造の門は、
工廠正門を利用したものであり、この門から南に伸びる道路の
両側にあるけやき並木は、工廠開庁記念として
植樹されたのが始まりです。(後略)」 -
これが、工廠開庁記念のけやき並木です。
左側には豊川市陸上競技場・右側には総合体育館があります。 -
けやき並木から、門に向かって右側には、
蒸気機関車とモ800形電車が見えます。 -
8620形蒸気機関車が正門の横にいるなんて、さすがは日車です。
あれ?SLの向こうに白い車体が動いています。 -
先頭車両の横のラインに注目!これまで青い2本のラインだった
N700シリーズに対して、ラインが3本あります。
これは2020年度導入予定の新型新幹線N700Sです。
3本のラインは「S」を表現しています。
新幹線初採用のLEDライトは20%大きくなりました。
実はこの時は、ああ、新幹線も作っているんだなくらいにしか
考えていませんでした。 -
横断歩道の手前から、まずは8620形蒸気機関車を眺めます。
なんだか日車の前だと思うと、
SLと言うより「蒸気機関車」と言いたくなります。
言葉の重みが違うんですよね。 -
「日本車両製国鉄向第1号制式蒸気機関車」
「大正11年、日本車両として初めて国有鉄道(当時の鉄道省)に
納入した新型蒸気機関車です。
58623号は一度も四国を離れることなく活躍し、
小松島機関区を最後として昭和45年3月に引退しました。
日本車両はこの58623号を国鉄向け初の蒸気機関車として、
保存・展示することになりました。」 -
国鉄8620形蒸気機関車の524番機。
こちら側は公道から見えるのですが、ご覧のように工場の敷地内に
あって、反対側を見ることは出来ません。 -
デフレクターの内側には、誇らしげに輝く日車のマークが見えます。
-
テンダーの後ろに見える建物の、青いマークと同じです。
-
言っちゃあなんですが、ちょっと悲しい塗り。
頻繁にメンテナンスをするつもりは無いんですね。 -
正面も見事な「籠の鳥」。
-
柵の間隔が広めなので、隙間から撮ります。
細面(ほそおもて)の8620です。
日本車輛のHPにこの場所の説明があります。
「1996年に創立100周年を迎えた日本車両では、
鉄道車両の設計製造技術を後世に伝承し、
常に最先端の技術を乗せた鉄道車両を世界に送り出すことを誓うため、
既存および新規の保存車両を整備し記念のモニュメントとして、
豊川製作所にメモリアル車両広場を設けました。 平成12年 6月
※メモリアル車両広場は一般公開をしておりません。 」 -
0系新幹線
「全電動車方式の0系電車は昭和39年から61年までの
長期にわたり3216両と大量に量産され、
日本車両でも730両を製造しました。
この22-2029は豊川製作所における最終製作ロットのうちの
1両で、昭和61年に製作されたものです。」
0系の中でも新しい車体なんですね。出来れば、1号車が良かったなあ。
そして、中で見学ができないなら、植え込みをもう少しずらして、
ノーズが見えるようにして欲しかった。
0系独特の丸い鼻が見えない・・・ -
名古屋鉄道モ800形電車
昭和10年、名古屋鉄道の前身、名岐鉄道に10両納入された
テポ800形です。
「神宮前」は、名古屋市熱田区にある熱田神宮のことです。 -
工場の中では、まだ塗装されていない製作途中の車体が
顔を出しています。 -
工場の奥にある引き込み線に、さっきは一旦出て行った新幹線が
戻って来ました。
13号車とは中途半端な車両が最後尾です。
先程見た先頭車両は16号車でした。 -
おや?サイドのエンブレムが金色です。
見慣れたN700系の青とは違います。
ここで初めて自分が見ている新幹線は
まだ営業運転をしていない新型車両なのだと気づきました。 -
もう少しでノーズが見えるところまでバックして来て、
停まってしまいました。
そして、全部のドアが開いたのです。
16号車の屋根の上に見える静電アンテナは低騒音化のため
試験車とは形状を変えています。
量産車では1編成のバッテリー装置を
試験車の4台から8台に増やしています。
非常時にすべてのトンネルや橋梁から脱出できるようにしたそうです。 -
N700系シリーズで「Supreme」(最高の)という名前を持つ
新型新幹線「N700S」。
まさかここで見られるとは思っても見ませんでした。
「四季島」とは、試運転時と営業運転中に、
まったくの偶然で遭遇しているし、鉄道とは縁があるんだな。
窓ガラスに紙が貼られた姿のN700Sは、
この後も前進後進を繰り返し、
また戻ってドアを開けるという試験を行っていました。
正式にデビューしたら、どこかの駅で会おうね。 -
正門のもう一方の側には「上野動物園 モノレール」があります。
「昭和32年10月14日に日本車両が製造し東京都交通局に納入した
国産技術による日本最初のモノレールです。
昭和32年当時モノレールを将来都市交通機関として
建設する計画が生まれ、実験線を兼ねて
上野動物園と不忍(しのばず)の池を結ぶ約330mの区間に
モノレール線が建設されてこの車両が使用されました。
昭和41年12月にその任務を終え、2号車に引き継がれました。」 -
「懸垂式モノレール」
「上野公園のモノレールカーは、この初代H形の後、
FRP製の2代目、アルミニウム合金製の3代目と
現在の4代目に至るまで、すべて日車の製品です。」 -
モノレールがちゃんとぶら下がった姿で保存されているのが
嬉しいですね。
私は何代目のモノレールに乗ったんだろう?
日本車輛製造のHPを見ると、
いろいろな車体がここから搬出されているのがわかります。
2020年3月 N700S新幹線・東京地下鉄の2000系
2月 東京地下鉄の2000系
1月 N700A新幹線・東京地下鉄の2000系
2019年には、東海旅客鉄道のHC85系・
名古屋鉄道2230系特別車更新用と9500系
アメリカのシカゴ都市鉄道局(METRA)のGallery-typeなど。
これからは、鉄道関係の工場などもウォッチする必要があるなあ。 -
おまけです。
2020年1月21日、横浜市みなとみらいに
「京急ミュージアム」が出来ました。
ここの目玉は、1929(昭和4)年に京浜急行電鉄の前身の1つ、
湘南電気鉄道の「デ1形」として製造された車輛である
「デハ236」です。
実はこの車両には、2015年に埼玉県川口市で会っています。
SL「9687」を撮りに行くと、並んで置かれていました。
京急のデハが移設された跡地はコインパーキングとなり、
9687も、随分と整備されて小綺麗な状態になっています。 -
長年雨ざらしでボロボロ。
京急のシンボルカラーの赤が褪せてしまって情けない。
このデハを、約2年を掛けて修復したそうなので、早速見に行きたい。
しかし、開館して間もないのに、
新型コロナウィルスの感染拡大防止のため休館中です。
さて、SLの旅行記は終わりですが、この後、豊川稲荷に行きました。
次回は、余談編として「豊川稲荷」を書きます。
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2020年3月愛知の鉄道・SL
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