2019/09/12 - 2019/09/17
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Komabaanさん
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別府、豊前、唐津と九州の友人知人を訪ねて巡ります。邂逅というよりはそれぞれアポ入れしたのですが。三日目は行橋から筑豊へ入る直前に巨石の山上にある観音様へ寄ったのち、筑豊の特徴ある三都を訪ね、唐津の山瀬山上の陶工の窯を目指します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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さあ、今日は筑豊地区を一気に駆け抜けて唐津へ参ります。
朝イチで友人に車で迎えに来てもらい、まずは「胸の觀音」さまへ。
車は狭い農道で広い駐車場まで進めますが、そこからはかなりの階段の登りです。 -
大昔からあった巨石信仰のひとつなのでしょうか、
胸の観音 名所・史跡
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よくもここまで見事に巨石が割れたものです。
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巨石の間を進みます。
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かなりスリリングでした。
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いわゆる民間信仰のお山になっているらしく、様々な石像が様々な方々の願い想いを込められて、あたり一面に置かれています。かなりガチな感じです。
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胸の観音さまからの眺めです。
さてこれから筑豊地方へと車を走らせます。 -
最初は田川市に入りました。明治以降筑豊最大の炭都として栄え1950年代には人口10万人を超えた田川市も、1971年の炭鉱全山閉鎖以降人口は5万人を割るに至っています。
この二本の煙突は「炭坑節」にも歌われているものです。 -
石炭記念公園にある巻き上げ機。
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田川市石炭・歴史博物館。ここが唯一に近い見所でしょうか。
田川市石炭 歴史博物館 美術館・博物館
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石炭原石
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かつての炭鉱町の再現があります。
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やはりお守り札は山の神様、大山祇神さまでした。
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かつての採炭作業の再現もあります。
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早い段階から機械が導入されたようです。
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市内から見える山々はボタ山、そして石灰石の露天掘りの山です。
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さて続いては直方(のおがた)市です。
こちらも筑豊地区三都のひとつとして昭和30年代まで石炭産業で栄えたそうですが、小規模炭田が多く炭鉱労働者の人口に占める割合も比較的小さかったことから、その後の凋落が少なく、人口も最大時の6万人内外のままほぼ横這い推移のようです。
理由のひとつが北九州市へのアクセスの良さ。JR九州と平成筑豊鉄道が乗り入れています。ま、1日の乗降客数は5千人を切っていますが…直方駅 駅
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直方市出身!魁皇関の銅像!
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平成ちくほう鉄道の駅にはイベント列車が停車中でした。
小さな駅舎に不釣り合い?な華麗な車輌。ことこと列車というレストラン列車のようです。筑豊直方駅 駅
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車内レストラン
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我々は駅構内にある「東筑軒」でお昼を!
当然、ごぼ天うどんでした!東筑軒 直方うどん店 グルメ・レストラン
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もう少し直方の街を歩き回ります。こちらは直方古町商店街。典型的なシャッター商店街です。
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この手の懐かしく寂しい「オブジェ」と、
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旧十七銀行直方支店、
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そして、ここだけご高齢者で賑わう碁会所を見つけました。
もう少し時間をかければ昭和レトロな街並みを見つけられそうですが、先へ進みます。 -
直方の鎮守さまである「多賀神社」さま。なんと一ノ鳥居と境内の間をJR線路が走っています。
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重厚な屋根のご本殿が印象的でした。
多賀神社 寺・神社・教会
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筑豊地区最後の訪問は飯塚市です。こちらは筑豊地区最大、福岡県においても四番目に大きな都市で、当地のご多分に漏れず石炭産業衰退と共に最盛期の人口20万人が現在の12万人まで低下している。筑豊御三家のひとつ「麻生家」の本拠地であったり、「銘菓ひよ子」の発祥地であったりする。
今回は先を急ぐので市内訪問は止めて、主要な観光スポットのみ訪問しました。最初は「旧伊藤伝右衛門邸」旧伊藤伝右衛門邸 名所・史跡
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当邸は炭鉱王の伊藤伝右衛門の本宅で、和をベースに洋の改装も含めた邸宅に、広大な築庭もあり見応えがありました。
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後妻として迎えた華族出身の柳原白蓮(本名は宮崎燁子ー大正三大美人の一人)も当屋敷に居住しており、その部屋も公開されています。
ちなみに燁子が後に社会運動家と駆け落ちした事件は「白蘭事件」として大正期のマスコミを飾るゴシップの一つです。 -
二階の角部屋が燁子の居住空間だったそうです。
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広い座敷から見える築庭。
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庭園には橋、島も配置され、
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凝った天井の木組み。
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外観は完全にニッポン風です。
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ちなみに屋敷前の通りは旧長崎街道だそうです。
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飯塚市最後の訪問は「嘉穂劇場」です。
昭和初期に建てられた木造二階建ての歌舞伎小屋様式の演劇場です。 -
幾つかの類似した地方劇場を訪ねてきましたが、こちらは特に現役度を強く感じました。当日も団体客による貸し切り公演が催されていましたので中には入れず、でした。
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まだ日の高い晩夏の午後、飯塚の街をでて一路唐津は山瀬の山中へ向かいます。
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山瀬へ登る道から。夕焼け迫る唐津湾が見通せました!左に高島が浮いています。
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山上の田中佐次郎先生の山瀬窯に到着する頃には空は赤く焼けて、
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この晩も玄界灘や有明海の珍味を中心に酒席が始まりました。
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当然、全て先生の器です。
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山瀬山中から眺める満月。
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