2020/01/28 - 2020/01/28
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2020年、冬のヨルダン、イスラエル8日間の旅、第三日目は終日ペトラ観光です。その2は、神殿跡の脇を通り、凱旋門を過ぎると昼食のレストランです。午後からはエド・ディルに向かいます。ここからは自由行動です。エド・ディルまで行って戻り、モザイク画などを見てエル・ハズネまで戻り、朝抜けてきたシークを通って入口まで戻ります。入口付近には博物館があるので立ち寄ってホテルに戻ります。
【旅程】
1月26日(日)・27日(月) 成田~ドーハ~アンマン~ペトラ(泊)
1月28日(火) 終日ペトラ(泊) ●
1月29日(水) ペトラ~マダバ~ネボ山~死海 (泊)
1月30日(木) 死海~テルアッスルターン~クムラン~マサダ~ エルサレム(泊)
1月31日(金) エルサレム~ベツレヘム~エルサレム (泊)
2月1日(土) ・2日(日) エルサレム~アンマン~ドーハ~成田
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
メイントレイルを行くと右側にニンファエウム(水の妖精の泉)があります。
半円形をした公共の噴水施設です。
樹木はピスタチオの古木です。
ベドウィンが物を売っています。 -
列柱道路
もともとナバタイ人の手によるものでしたが、後にローマ帝国が支配する時代に改修されています。
当時のメインストリートです。 -
大神殿
紀元前1世紀にナバタイ人の主要な神殿として建てられ、以後、修復、拡張されビザンチン時代まで使用されました。
時間の都合?立ち寄りません。 -
凱旋門
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凱旋門を通り抜けて振り返ります。
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カスル・アル・ビント
紀元前30年、オボダス3世により建てられ、アラビア語で娘の宮殿と呼ばれています。
ナバタイの主神ドウシャラに捧げられたペトラで最も重要な神殿です。 -
客待ちのロバの横を通ります。
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バシン・レストランへ
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本日の昼食はここで
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屋外です。
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ビュッフェです。
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デザートもあります。
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ピタパンと付け合わせは有りましたがパスしました。
ビールはありましたが、11ドルです。 -
デザートもいただきました。
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12時15分、エド・ディルに向けて出発です。
午後は、団体行動でエド・ディルまで行き、そこからはフリーでホテルまで戻ります。
自由行動でもOKなので、先を急ぎます。 -
エド・ディルへの道
洞窟はかつての住居跡?あちこちに見られます。
最近までベドウィンが暮らしていたようですが、移住させられています。 -
登りにかかります。
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上ってきた道を振り返ります。
ほんの少し上っただけですが。
道のそこかしこに土産を売る店が出ています。
かつてぺトラの遺跡周辺にはベドウィンが住んでいましたが、立ち退かされたのと引き換えに店を出しているようです。 -
正面を登っていきます。
トラバースするところには土産物屋が並んでいます。 -
ロバが荷物を運んで登っていきます。
人も運ぶのですが、絶対にお断りです。
狭いうえにかなりの急坂、崖もあります。
立ち退かされたベドウィンが、ここで商売をすることが許されていますので、とにかくロバは多いです。
ともなって落し物も半端なく多いです。 -
13時15分、ようやっと到着です。
エド・ディルは、右側の山肌に造られています。 -
エド・ディル(修道院)
標高1,000mの地点にあり、高さ約45m、幅約50mあり、エル・ハズネより一回り大きいです。
宗教的な集まりのためのピクリニウム(饗宴のための広間)として用いられました。
2世紀初頭、ナバタイ国最後の王ラベル2世の時代に造られました。
後に、ペトラがローマ帝国の支配下に置かれキリスト教の修道士が住んだことから修道院と呼ばれています。 -
エド・ディルの正面の山に登ります。
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看板が出ています。
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一望です。
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アップします。
エル・ハズネより規模は大きいのですが、装飾はシンプルです。 -
反対側には荒れた山が続きます。
谷は切れ落ちています。 -
ベドウィンの羊
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帰途につきます。
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帰路は少しゆとりがあるので周囲を見ることが出来ました。
途中で見られる谷です。
両側は絶壁です。 -
急坂を下ります。
雨なら下(上)るのをためらうような急坂です。
足元の岩も滑りやすいように斜め下に角度が付いています。
1週間前のツアーでは雨に降られたそうです。
この時期は雨期なので雨が降ることもあるようで幸運でした。
更に丁度良い気候で、これが暑い時期なら地獄でしょう。 -
開けてきました。
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メイントレイルまで下りてきました。
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メイントレイルと谷を挟んだ対岸を歩きます。
立ち寄らなかった大神殿が一望できます。 -
翼をもったライオンの神殿
左上の柱のあるところに行きます。 -
ナバタイの女神ウッザーを祀る神殿
翼をもったライオンが彫られた円柱があるところからその名前が付けられています。
建造は紀元27年、アレタス4世の治世の時とされ、詳しいことはわかっていないそうです。 -
ペトラ(ビザンチン)教会
キリスト教の教会です。
5世紀末に建てられたと考えられています。 -
柱などは教会が建てられる以前にあったペトラの遺跡の建造物を再利用したものです。
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モザイク画が残されています。
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中央の壺の墓から左側が王家の墓です。
中央から右の石柱群がウナイシュの墓と呼ばれるものです。 -
ファサード通り先の岩の割れ目抜けます。
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エル・ハズネに戻ってきました。
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シークに入って行きます。
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シーク
帰りは上りになるので疲れた体には堪えます。
この日は火曜日、前日の月曜日の夜はペトラ・バイ・ナイトが開催されていました。当ツアーのオプションとして半数ほどの人が参加しました。
ネットで見たら見る価値はないという人と見るべきだという人に感想が分かれていました。また、料金の17 JOD(2,900円)には値しないという人も多くいました。(オプションは8,000円)
飛行機が夜行便だったのとエル・ハズネを夜の間に先に見てしまうのもと考え、ネットの意見を参考に行きませんでした。
参加者の感想は芳しくなかったので、この距離を夜に往復しなくてよかったと思いました。 -
遺跡入り口にある博物館に立ち寄ります。
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内部です。
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沢山の石像が展示されていました。
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ナバタイ王国の邸宅の床面モザイク
小さいですがミュージアムショップもあります。
絵葉書5枚 1JODと書かれていました。
米ドルしかないので聞いたら1ドルで4枚と言われました。
ヨルダンではドルが通用するので1 or 5ドル紙幣を多く用意するとよいです。
高額紙幣ではおつりに困ります。 -
正面の灯りの付いた建物の先を左に曲がればホテルです。
時刻は17時20分、9時間の長丁場でした。歩数なら25,000~30,000歩です。
ペトラの遺跡はとても広く1日で回るのには限界がありますので、メインのところを駆け足で回りました。 -
本日の夕食
ビールが無いのでスープを取りました。
美味しくなかったです。
今回もピタパンとその付け合わせはパスしました。 -
デザート
上手にとれず崩れてしまいます。
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