2020/03/25 - 2020/03/26
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埼玉県さいたま市の「人形の町・岩槻」にやってきました。
JR大宮駅から東武線に乗り換え、6個目の駅「岩槻駅」で下車します。
最近、埼玉県の「町歩き」で人気の町になっているようです。
岩槻城(別名:白鶴城)があった町はどんな町なのでしょうか?
それでは、岩槻の歴史さんぽを始めます。
【岩槻ミニ知識】
岩付城(岩槻城)は室町時代1478年に成田氏によって築城されました。
(太田道灌の説もあり)
ここ武蔵の国は扇谷上杉氏と北条氏の覇権争いで、その傘下の武将により
岩槻城も奪い奪われの時代が続いていました
1524年、太田資頼が岩付城を攻め落とし城主となる。
1567年、北条氏により直轄の城となります
1590年、豊臣の軍勢により落城、徳川家康が江戸に入府。
譜代家臣の高力清長が2万石で岩槻城に入る(岩槻藩)
1619年、岩槻藩は廃藩となり、一時期幕府直轄領となった。
以降、代々譜代の大名が城主となりますが、ほとんどが幕府老中職
であった点からも重要な幕府の拠点であったことが分かります。
江戸中期からは大岡氏が明治の廃藩置県まで城主を務めました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 徒歩
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JR大宮駅から東武電車で14分、「人形の町岩槻」の岩槻駅に到着。
改札が2階にあります。 改札口を出て東口へと向かいました。 -
2階のコンコースから東口広場にある「からくり時計」が見えました。
が、なんと!「故障中」の張り紙が・・・ -
岩槻駅は「和モダン」を意識したデサインになっています。
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駅前から東に延びるメインストリートです。
意外と道幅が広いですね。 -
右側にかなり大きい人形店がありました。
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店の名前は「東玉」でした。 CMで聞いたことのある名前です。
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入口横に飾ってあった「ひな人形3段飾り」です。
京都びなと大正びなとで、内裏様の位置が左右違うのをご存知ですか? -
中にいたお店の方に許可をいただき撮影。 入口を入った正面です。
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店は奥の階段またはエレベータで2階、3階に上がれます。
そこにはひな人形、武者人形など平安時代の頃から現代びなまで多数が
展示されてるとのこと。 無論、その場で購入もできるようです。 -
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1階を一回りして店を出ました。
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ここは「東玉」のお隣の店です。
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交差点手前、右側の細い道を行くことにします。
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しばらく歩くと木造家屋が1軒見えてきました。
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手焼きのせんべい屋さんでした。
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左手にお寺さんの大屋根が見えてきました。
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来た道を振り返るとこんな道です。
道の真ん中に、下水路が走っています。 -
先程の道から左手に入る、さらに細い路地がありました。
突き当りに狛犬のような像が見えたので、この道を行きます。 -
路地から見えた「狛犬」です。 このお寺さんは「芳林寺」といいます。
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山門を潜り境内に入ると、正面に六体のお地蔵様が並んでいました。
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その右手には「太田道灌」の騎馬像が雄々しく鎮座していました。
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像の横に、岩槻城の復元図の看板がありました。
城の周りは濠や川を利用した難攻不落の城に見えます。 -
お寺正面に大きな鉄門があり、その右側にある小さな脇扉を
自分で開けて入ります。 -
入ると左手にお堂があり、その横に像がありました。
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戦国時代、岩付城城主「太田氏資」の像です。
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「白鶴城本丸半町」と彫られています。
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左側面には、「江戸日本橋九里」と彫られていました。
1里が4kmですから、日本橋まで36kmになりますね。 -
墓地の奥に2つの屋根囲いのお墓があります。
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石碑がありました。
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「太田道灌」公の供養塔です。
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徳川家康の江戸入府により岩槻城主となった「高力清長」の
嫡男「正長」公の供養塔です。 正室は本多忠俊の娘です。
正長は、父・清長より先に亡くなったため、家督は正長の長男・忠房が
継ぎました。 -
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「芳林寺」を後にします。
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御成道に出ると、「高札場」がありました。
徳川将軍が日光東照宮に参拝に出かけるために特別に整備した道です。 -
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「八雲神社」です。 1560年正月に市を開いた折に市の守護神として鎮座。
江戸時代には牛頭天王社、明治初年八雲神社と改称したそうです。
前の通りは「市宿通り」と呼ばれています。 -
鳥居を潜った右手の小屋に目をやると・・・
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中には、神輿が置かれていました。
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二つの大きな岩の塊の先に、神殿が見えます。
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近くによると大きな岩ではなく、狛犬でした。
これは、右の岩に立つ狛犬。 -
こちらは左の岩に立つ狛犬です。
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本殿に行きましょう。
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本殿の前には大きな石が置かれています。
板壁に書かれている紙には、文政十年に奉納された45貫もある
「力石」と記されています。 -
神社の裏手の道です。 この先をずっ~と行くと
先程の「せんべい屋」に出ます。 -
神社を出て御成道を進むと右手に「浄国寺」参道が見えてきました。
浄土宗の寺院で山号は「仏眼山」。 -
左右に大きな石柱が建ちます。
1587年(天正15年)岩槻城主太田氏房の開基、清巌の開山により創建。
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「浄国寺」の山門です。
浄土宗関東十八檀林の一つとして数多くの末寺を擁していました。 -
山門の先に本堂が見えました。
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門の屋根瓦には「葵の御紋」です。
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門を潜りましょう。
「栴檀林」は僧侶の養成機関、学問所のことです。 -
右手に鐘撞堂がありました。
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お堂の屋根にも「葵の御紋」です。
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立派な鐘です。
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本堂です。
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ここにも「葵の御紋」。
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「佛眼山」と書かれています。
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お墓で使う水は井戸から汲むようになっています。
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正面が阿部家三代藩主定高、右手が阿部家初代藩主正次の墓《五輪塔》
手前が殉死した家臣の灯篭で全部で6つ並んでいます。 -
阿部家三代藩主「阿部定高」の母、正寿院(家康の姪)の供養塔。
なるほど、それでこのお寺では「葵の御紋」が使われているのでしょうか? -
参道衛を出て、御成道に来ました。
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御成道(市宿通り)を岩槻駅の方角に向かって歩きます。
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民家。
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「せんべい屋」、うなぎの老舗です。
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岩槻郷土資料館。 昭和初期に建てられた旧岩槻警察署の建物です。
普段は見学できるのですが、5月19日まで閉鎖中です。 -
6月4日、コロナ感染での自粛が解禁になり、見学が再開されました。
写真を撮りに行ったので、さっそく館内をご紹介します。
まずは、正面玄関から入りましょう。 -
正面玄関を入ると、こんな感じです。ここは事務室になります。
訪れた市民の対応をする場所になります。
太い柱が、雰囲気を重々しく演出していますね。 -
事務室奥から玄関入口を見ました。
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正面が「署長室」です。事務室と同じフロアーにありました。
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事務室の部屋を抜け、廊下右手にある階段です。
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左手は奥へと廊下が続いていました。
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突き当りを右へと曲がります。
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突き当りの部屋が「練武場」(柔道、剣術など)になります。
両脇にWCがあります。 -
1階の平面図。 下が「玄関」、上が「練武場」。
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これは「掲示板」で、平成11年までは玄関正面の道路に
置かれていたそうです。 道路工事の関係で撤去されました。 -
玄関の前にあった掲示板の当時の写真です。
さて、資料館を出て「御成道」を岩槻駅に向かって歩きます。 -
甘味処「田中屋本店」、江戸時代後期・嘉永年間の創業です。
蔵造りの店舗は、約160年前に建てられたものだそうです。 -
ここ「わた忠」は200年続く老舗の陶器のお店です。
つるし飾りのワークショップは、12年前に始めたそうです -
和菓子処「藤宮」。
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お店の方に聞いたら150年前の梁だそうです。
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以前は、左奥まで建物が続いていたそうです。 右側が玄関。
この後、岩槻駅前で一人ランチです。
昼食後、岩槻城址を中心に「歴史さんぽ」をします。
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