2020/03/25 - 2020/03/25
23位(同エリア4427件中)
Tom Sawyerさん
- Tom SawyerさんTOP
- 旅行記274冊
- クチコミ2113件
- Q&A回答0件
- 809,716アクセス
- フォロワー232人
~**・2020年3月14日 東京の桜の開花宣言・**~
3月25日(水)
靖国神社の標本木とされる桜が満開らしい。
コロナ騒ぎで引きこもり生活のせい?
お菓子の食べすぎ、太り過ぎ(^.^;ハハ
運動不足・ストレス解消しようと、友人と二人で散歩がてらお花見。
目的地は靖国神社、それ以外は無計画のまま、通勤ラッシュに合わない時間帯に行って帰って来ようって。
9:40友人と東横線横浜駅ホームで待ち合わせ。
そして、渋谷乗換えで半蔵門線九段下で下車。
階段上って外に出たら、道路の向こうに靖国神社の大鳥居。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
PR
-
10:29九段下駅到着
社号標と大鳥居。 -
大鳥居の高さは八階建てのビルの高さに相当し、日本一の規模(建立当時)だと説明書きがありました。
澄みきった青空と桜、見上げる大鳥居の写真。 -
大村益次郎銅像
1824年生まれ
山口県山口市出身、近代日本陸軍の創設者で靖国神社の創建に尽力したとされ、明治26年(1893)、日本最初の西洋式銅像として建てられたそうです。
第一鳥居をくぐると、参道のど真ん中に勇ましく立っています。 -
境内は薄いピンク色に染められたようです。
現在、境内には約500本の桜が植えられていて、そのほとんどがソメイヨシノか山桜。
明治3年に初めて植えられた桜が始まりといわれ、昔から桜の名所。
気象庁が指定した東京の桜の標本木があることも、毎年ニュースで話題になります。
コロナの影響で手水舎は、使用できないようになっていました。 -
神門
第二鳥居をくぐると昭和9年(1934)に建てられた門があります。
中央の2つの扉に大きな金色に輝く菊の御紋。
直径1.5mの大きさ。
神聖な場所に入らせていただくような、厳かな気持ちになります。 -
神門から中門鳥居までの間に、桜の木がたくさん植えられています。
ほぼ満開の様子。 -
中門鳥居から拝殿へ。
拝殿で参拝。 -
拝殿の更に奥の方に、明治5年に建てられた本殿があります。
本殿には、ご祈願を申込み後玉串料を納めた人だけが、ご神職に案内いただけます。 -
能楽堂
明治14年(1881)東京・芝公園に建てられたこの能楽堂を、明治36年(1903)に靖国神社に奉納、移築。 -
能楽堂のすぐ近くに、気象庁が指定した東京の桜の標本木の立て看板あり。
ただの桜の木ですが、記念撮影。 -
遊就館
3月3日から休館のまま。
明治15年(1882)に開館。
遺品などを収蔵、展示する施設。
英霊の遺書や遺品をはじめ、英霊のまごころやその事蹟を今に伝える貴重な史・資料を展示。
館内を見学できず、とても残念です。
館名の「遊就」は、高潔な人物に交わり学ぶという意味。
遊就館の前に建つ戦没馬慰霊像は、実物大の軍馬の銅像で、戦場で斃れた馬の霊をなぐさめるため昭和33年(1958)に奉納されたもの。
右側の軍犬慰霊像はジャーマン・シェパードの銅像で、平成4年(1992)に奉納され軍馬と向かい合うように建っています。 -
靖国神社の境内北側を通って、第一鳥居の方へ戻ることに。
-
パール博士顕彰碑
極東国際軍事裁判(通称東京裁判)でインド代表判事を務めた裁判官。
被告団全員を無罪とする意見書を提出したラダ・ビノード・パール博士の功績を伝えるためにこの碑が建てられたそうです。 -
靖国海防艦
昭和55年5月5日建立、海上護衛を務めた海防艦とその乗組員を顕彰する碑。
台座の上に海防艦のブロンズレプリカ。
後方の壁には、1番艦の「占守」から「第204号海防艦」まで、189隻全ての艦名が刻まれているそうですが、あれあれ?1番から順番ではないのです。
奇数の海防艦から、どういった理由なのか不明のまま。
足元には、活躍した太平洋の大海原が描かれています。 -
遊就館入口近くに特攻隊勇士之像あり。
写真は、特攻隊勇士を讃えると書かれた石碑。 -
ランチは何処でいただこう。
靖国神社内外苑休憩所におしゃれなレストランあり。 -
天気も良いし、屋外に席取り。
私はオムライスと靖国ロゼという名のビール。
友人はアボガトとわさびクリームソースハンバーグとビール。
桜を見ながらいただきました。 -
東京のど真ん中、境内のすぐ外側にマンションが建ち並んでいます。
境内の中で保育園児たちが、ちらほら。
シャボン玉がフワフワとんでいて、無邪気な子どもたちの笑顔。
んだ(^^)こんな良い天気だもの、外に出たいよね。
コロナに負けず外遊びしてるんだなぁと感心しきり。 -
和めの井戸
湧き出づる水は境内の地下水を使用と書かれています。
清らかな水が湧き出ていました。 -
靖国の時計塔
-
戦跡の石
精霊の泉
異境の厳しい戦場で、「お母さん、水を!」と息を引き取った兵士たちを偲んで昭和42年に奉納。 -
靖国神社の大鳥居の説明
昭和18年戦力増強のために撤去。
全国1万7千名の芳志に基づく浄財1億6千万円によって再建復原されたと書かれています。 -
慰霊の庭「さくら陶板」
靖国神社御創立150年記念事業に際して、英霊にゆかりのある各都道府県の土を用いて現地の陶工達により制作・奉納されたもの。
全国47都道府県の作品があります。
わあ~と声を上げてしまうほど、美しい桜のモチーフもありました。
左側 神奈川 原料産地:神奈川県足柄上郡 陶工:鈴木 三成
右側 東 京 原料産地:東京都千代田区、渋谷区・八王子市 陶工:中内 順子 -
12:25 靖国神社の大鳥居を出て、田安門の方へ歩道橋を渡って行きました。
高燈籠
明治4年に靖国神社の燈籠として設置。
方位盤や風見が付けられています。
今でもこの風見は風により向きを変え、役目を果たしています。
品川弥次郎像
1843年長州藩に生まれ、松下村塾に入門。
明治政府設立、政治家として要職を歴任したと書かれていました。 -
お堀端をちょっと行けば千鳥ヶ淵。
私たちは、田安門を入って北の丸公園内へ。 -
田安門
日本武道館への入口にある門。
室町時代後期の武将太田道灌築城時代の江戸城では、この場所が田安口(飯田口)で、上州(現・群馬県)・北関東方面への街道の玄関口。
江戸時代初期、江戸城の総構が完成当時に遡る現存する唯一の建物。
国の重要文化財に指定されています。 -
北の丸公園の案内図
八角形の屋根の日本武道館は工事中でした。
赤線の通りにブラブラと散歩。 -
千鳥ヶ淵から北の丸公園内の池に流れる小川
-
乾門
門は皇居の北西に位置し、乾の方角にあたることから、乾門と名付けられたそうです。 -
12:50
まだ帰るには早いねと言いながら、何処へ向かって歩いているのやら…
乾濠と平川濠の間に掛かる橋、北桔橋門(きたはねばしもん)から、皇居東御苑に入城しました。
手荷物検査があり、プラスチックで出来た小さな札をいただいてから入城。
大手門か平川門から東御苑を出る時に、その札を返却します。 -
桃華楽堂
昭和41年2月音楽好きの昭和天皇の皇后の還暦記念として建設。
200名収容の音楽ホール。
桃華楽堂は、香淳皇后が3月6日生まれで桃の節句にちなんで桃とし、華の字形は十が六個と一で構成されていることから還暦を意味するということで命名。
桃が満開をむかえ咲き誇っていました。 -
江戸城天守台
寛永の天守は、『江戸図屏風』などによれば屋根には金鯱をのせた5層6階(高さ58m)天守。
豊臣秀吉の大坂城天守は高さ30m、国宝・姫路城天守が31mなので、3倍ほどの規模・容積。
1657年に起こった「明暦の大火」の飛び火で本丸、二の丸、三の丸はほぼ全焼。
その後、江戸城の天守は泰平の世が続き、経済的な理由もあって再建されることなく石垣のまま210年。
1658年、加賀藩4代藩主・前田綱紀の普請(建設)で高さ18mの花崗岩でできた天守台が築かれました。
これが現在残る天守台。 -
友人と二人で無計画にブラブラ散歩。
思いがけなく江戸城本丸御殿跡へ。
ここに大奥が~
大奥と言ったら浅野ゆう子さんよ。
ホレホレ(-_-)?何だったけ、名前は思い出せないんだけど(同年代なのでちゃんと通じてしまう)大奥総取締役がぴったりだったねって。
わぁ、黒書院だって。
浅田次郎さんの世界だよ。
黒書院の六兵衛さんはここに~ -
江戸城の本丸、二の丸、三の丸部分が現在の皇居東御苑。
明治時代に宮殿の造営にあわせ皇居附属庭園として整備され、花々が咲いていたり、説明書きの看板が立っていたり。
昭和43年に公開され、江戸城を想像しながら散策できます。
石室は、江戸城本丸御殿の大奥の脇にあり、諸説ありますが火事などの際に、大奥用の調度品などを避難させた場所とされています。 -
松の大廊下跡
本丸表御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る西へ19m、北へ31m、幅5m、畳敷きの廊下のこと。
赤穂藩主の浅野長矩が、この廊下で意地悪な吉良義央に斬りつけた事件は有名です。
四十七士 赤穂浪士 VS 格式高い 吉良上野介
毎年のように、年末にテレビで放送される『忠臣蔵』
松之大廊下の跡地には標石と解説板が設置されていています。 -
大番所
登城者を厳しくチェックする最後の関門。
他の番所よりも身分の高い与力・同心が警備していた場所。
建物は昭和41年、皇居東御苑開園に合わせて復元。 -
百人番所
数少ない江戸時代から残る江戸城の遺構で、検問するだけでなく、幕府直轄の精鋭部隊、鉄砲百人組が有事に備えて詰めていた場所。
警備担当は、徳川家と縁の深い甲賀組、伊賀組、根来組、廿五騎組。
昼夜交代しながら、 与力20人、同心100人が詰め、各組の同心100人が配備されたのがその名の由来となったようです。
甲賀忍者で知られる甲賀組
服部半蔵を祖とする伊賀武士の伊賀組
紀州根来の根来寺の僧兵に由来する根来組
黒田家家臣によって構成された精鋭部隊の廿五騎組(二十五騎組) -
大手門から出ます。
旧江戸城の正門。
鉄砲30丁、弓10、長柄20で厳重な警備体制。
全国300もの大名ほか諸侯、
参勤交代の大名、将軍の出入りなども、この門が利用されたそうです。
右下の写真は、1945年4月に、戦災で消失した旧大手門渡櫓の屋根に飾られていた鯱。 -
上の写真が鉤手となった先にある渡櫓門。
下の写真は大手門の入口側に配された高麗門。
皇居東御苑への入苑門は3ヶ所。
大手門:江戸城に登城する大名の登城ルートである正門
北桔橋門:往時はその名の通り跳ね橋、私たちは今回この門から入苑。
平川門:大奥の近く。罪人や遺体はここから出したため、不浄門とも言われ、ちなみに浅野内匠頭は重罪人として城外へ出されるときに、この平川門から出されました。 縁起をかつぐ人はこの門に近づかないほうが良いかも… -
大手門内堀にも桜が満開。
大手門出て道路を渡るとすぐ大手町駅。
都営三田線三田駅乗換え京急線直通で帰ることに。 -
14時ころ
タリーズ 丸の内永楽ビル店で休憩。
イチゴミルクカフェラテ
コーヒーにホイップクリーム、ドロっとしたイチゴシロップのようなトッピングあり、あま~い飲み物(^q^) -
15:30少し過ぎに自宅の最寄り駅に着き、あっちこっちで買い物してから帰宅。
ひたすら歩くだけのお花見。
この日は17,189歩。
久しぶりに肉体疲労を感じながら、
深い眠りにつくことできました(-_-)zzz
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
丸の内・大手町・八重洲(東京) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
42