2018/12/30 - 2019/01/06
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orangeさん
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この旅行記のスケジュール
2019/01/04
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朝 下船して RIVER WAIK を歩く
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Frenchクオーター を徒歩観光
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州立博物館を見学
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船での移動
船に戻りゆっくりとすごす
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この旅行記スケジュールを元に
ミシシッピー川沿いに開拓地が広がってゆき、南部地方で綿花栽培の働き手として売買された黒人奴隷を開放すべしと宣言したリンカーン北軍との間で南北戦争(City War) が起こったことは広く知られています。(明治維新の数年前だったので黒船の来航後アメリカは国内の収拾に迫られ幕府軍にも倒幕軍にも味方しなかったのでしょう)
ニューオーリンズは、1718年にフランス人入植者によって「ラ・ヌーヴェル・オルレアン」として町が作られたことからその歴史が始まりました。
1722年にはフランス領ルイジアナの首府になりましたが、ナポレオン時代の1803年にはそのルイジアナがアメリカに売却されてしまいました。
1812年に米英戦争が起き、その末期の「ニューオーリンズの戦い」でJacksonの指揮でイギリスに大勝しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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早朝 船内のポップコーンのセルフサービスを試してみました。
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早朝の船内は人気も少なくシーンとしています。
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水面は真っ暗
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岸に近づくにつれてライトが見え、
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River Walk と大書された店が招いています。
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船内に戻りましたが皆さんはまだ起きてこない様子
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私達は通常 部屋から4階の廊下を通って行ったり来たりしています。
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各界のロビーには明かりが灯っています
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ミミズクや鴨などの剥製やちょっと前の港の風景写真などが飾ってあります。
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アンティークランプのステンドグラスがしゃれています。
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ここ「マークトゥエインロビー」が出発前の集合場所なのです。
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Lincolnの胸像がアメリカの南北統一象徴として語りかけているような………
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そろそろ 朝食の時間です
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食堂は7時にはもう一杯です。
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バイキング スタイルです。
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パンケーキオムレツはとても美味しく
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フルーツとヨーグルトで朝ごはんを終えました。
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8:00船を降りて
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River Walk に沿って散策です。
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近代的なショッピングモール
ロイヤル・ストリート とは、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズの通りの名称である。ニューオーリンズでも最も古い通りのひとつであり、その歴史はフランスの植民地時代にまで遡る。 通りは、カナル・ストリートとの接点から始まっている。 ウィキペディア -
ウィキペディアによれば 「ロイヤル・ストリート」 とは、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズの通りの名称である。ニューオーリンズでも最も古い通りのひとつであり、その歴史はフランスの植民地時代にまで遡る。 通りは、「カナル・ストリート」との接点から始まっている。
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ここで朝早くからstreet jazzを演奏をしているのです
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フレンチマーケット
カフェやショップが入り、住民や観光客の憩いの場となっている“リンク”を拠点
<基本情報>
アクセス:フレンチクォーターから車で約15分 この写真の記事を見る ≫ -
レース風のベランダ飾り
説明フレンチ クオーターは市の歴史的中心部であり、活気のあるナイトライフや鋳鉄製のバルコニーがあるカラフルな建物で有名です。人気の高いバーボン ストリートには、ジャズクラブ、ケイジャン料理店、強いカクテルを供する賑やかなバーがあります。比較的静かな通りは、グルメ料理や地元の民芸品が並ぶフレンチ マーケットや、そびえ立つセント ルイス大聖堂の前で芸を披露するストリート パフォーマーで賑わうジャクソン スクエアへとつながります。
い -
正面近景
「フレンチ クオーター」は市の歴史的中心部であり、活気のあるナイトライフや鋳鉄製のバルコニーがあるカラフルな建物で有名です。人気の高いバーボン ストリートには、ジャズクラブ、ケイジャン料理店、強いカクテルを供する賑やかなバーがあります。比較的静かな通りは、グルメ料理や地元の民芸品が並ぶフレンチ マーケットや、そびえ立つセント ルイス大聖堂の前で芸を披露するストリート パフォーマーで賑わうジャクソン スクエアへとつながります。 -
フレンチ クオーターは市の歴史的中心部であり、活気のあるナイトライフや鋳鉄製のバルコニーがあるカラフルな建物で有名です。人気の高いバーボン ストリートには、ジャズクラブ、ケイジャン料理店、強いカクテルを供する賑やかなバーがあります。比較的静かな通りは、グルメ料理や地元の民芸品が並ぶフレンチ マーケットや、そびえ立つセント ルイス大聖堂の前で芸を披露するストリート パフォーマーで賑わうジャクソン スクエアへとつながります。
「ガーデン・ディストリクト」はニューオーリンズの中心地から5kmほど離れたアップタウンと呼ばれるエリア内にあります。ギリシャ様式やビクトリア様式など様々な建築様式の邸宅が残っていて、歴史建造物地区としても国から指定されています。
カフェやショップが入り、住民や観光客の憩いの場となっている“リンク”を拠点に巡ってみたい。
アクセス:フレンチクォーターから車で15分。 -
市の中心部にきました。
面積: 0.01214 km?
建築年: 1721年
建築時期: 1721
国定歴史建造物指定日: 1960年10月9日
所在地: フレンチ・クオーター -
Jackson広場に騎馬銅像が建っています
ジャクソン大統領は1767年にカロライナのワクスハウエリア(Waxhaws area)の未開拓森林地域で生まれました。13才の時に彼は急使として大陸会議軍に加わり、彼の肉親はアメリカ独立戦争時に全て死亡し、彼自身は英軍の捕虜になりました。戦後ジャクソン大統領は1800年に若き弁護士としてテネシー州に移住。彼は名門の生まれではなかったが、すぐに開拓時代の無秩序の中で頭角を現し、州市民軍の大佐となり軍歴を積み重ねました。 -
勢いよく前足をあげて踏ん張る様に勢いを感じます
森林地帯の戦場で「古いヒッコリーのように頑丈」(tough as old hickory) と呼ばれ、「オールド・ヒッコリー」との愛称になりました。
1812年の米英戦争でジャクソンは勇敢に戦い功績を挙げ、軍隊で名声を得ました。た。彼はその戦功で大将に昇進。戦後、ジャクソン大統領は急速に政治的経歴を積み、上下両院の議員に選出され、最高裁判所に勤務の後 1818年に再び軍務に就き、フロリダのアメリカ領を防衛する対スペイン戦役に従軍。その後彼は同地の知事に任命されました。 -
旅の初日に来たJackson 広場のシンボル
「セントルイス大聖堂」
面積: 0.01214 km?
建築年: 1721年
建築時期: 1721
国定歴史建造物指定日: 1960年10月9日
所在地: フレンチ・クオーター -
フレンチ クオーターは市の歴史的中心部であり、活気のあるナイトライフや鋳鉄製のバルコニーがあるカラフルな建物で有名です。人気の高いバーボン ストリートには、ジャズクラブ、ケイジャン料理店、強いカクテルを供する賑やかなバーがあります。比較的静かな通りは、グルメ料理や地元の民芸品が並ぶフレンチ マーケットや、そびえ立つセント ルイス大聖堂の前で芸を披露するストリート パフォーマーで賑わうジャクソン スクエアへとつながります。
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Peter 通り
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ニューオーリンズは、1718年にフランス人入植者によって「ラ・ヌーヴェル・オルレアン」として町が作られたことからその歴史が始まりました。 1722年にはフランス領ルイジアナの首府になりましたが、ナポレオン時代の1803年にはそのルイジアナがアメリカに売却されてしまいます。
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あ!……「開店中」…楽しげな案内板
「ルイジアナミュージアム」に入ります。 -
ネイティブの人形がお出迎え変え
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シュールな造形
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舞踏会の衣装?
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モダンとレトロが背中合わせに
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蓄音機のラッパ と演奏者(ルイアームストロングm)のマスクかな??
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中扉のレース模様はヨーロッパのレトロな建物を想起させます。
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多分フランスの宮廷肖像画
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ニューオーリンズは、1718年にフランス人入植者によって「ラ・ヌーヴェル・オルレアン」として町が作られたことからその歴史が始まりました。 1722年にはフランス領ルイジアナの首府になりましたが、ナポレオン時代の1803年にはそのルイジアナがアメリカ合衆国に売却されました。
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世界に4面しかないという ナポレオンのデスマスクがあると聞いていましたがこれがそうでしょうか?
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恰幅の良い男性は当市の重要人物なのでしょう
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イギリスとフランスの旗が掲げられたコロニアル風な建物
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どちらの貴族の紋章でしょう。
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アフロヘアーの貴婦人
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贅を尽くした金銀の容器
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イギリス、フランスをはじめ関わりのある国の旗がずらりと掲げられています。
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国が違えばサーベルも様々
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この地に係る旗がこんなにあるとは.....
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細身の軍服
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祭りの時にでもつけたのでしょうか?
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セントルイス大聖堂はカトリック司教座聖堂としては最古の聖堂。この場所に初めてカトリック教会が建てられたのは植民地時代のことで、1727年に完成し、死後カトリック教会により列聖され、セント ルイスという地名の由来ともなったフランス国王ルイ 9 世に献上されました。しかし、当初の聖堂は 18 世紀後半に消失してしまい、その後何年もかけて大規模な改修と再建築が重ねられた後、ようやく今日の姿になったのは、1850 年になってから。
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広い中央回廊
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ロココ調の祭壇
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高い天井の装飾はシンプルながら精緻
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ステンドグラスの絵は示唆に富みわかりやすい
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カトリックの司祭像。
2005.8末のハリケーン・カトリーナでは海面より低いニューオーリンズは大部分が水没し甚大な被害をもたらしたと報じられました。復旧するまでの道のりは並大抵ではなかったでしょう。これらの歴史的遺産が守られたのは奇跡に近いと言えます。
これからも貴重な文化遺産が失われることのないように祈ります。
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